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第1章 遥か高き果ての森

十六話 影と癒しとハンバーグ

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「………ん」

   ヴェルメリオは深い眠りから目を覚まし、起き上がると眠たげに目をこすった。すると体にかぶさっていた毛皮の布団が滑り落ちる。

   ぼーっとした表情でそれを見つめ、しかし数秒間たつとハッとして完全に意識を覚醒させる。

   そしてばっと周囲を見渡した。すると大きな道具箱や自分の寝ている敷布団から、どこかの寝室であることがわかった。

   頭上にはめ込まれた窓から差し込む陽光に少し目を細めながら、一体自分はなぜこんなところにいるのかと思い出そうとする。

「……あ、そっか。あたし、あの変な男に助けられたんだ」

   見たことのない武器を持った、初めて見た人間の男。そしていきなり自分の耳を撫でてきた変人。

   とすると、ここはあの男…スメラギリュウト、といったであろうか。彼の寝床なのだろう。

   清潔にされている毛皮の敷き布団は、東部で繁殖期であるゴブリンどもから逃げる時に使った洞窟の中とは雲泥の差である。

「夢も見ないなんて、ガキの頃以来だな…」

   もう少し寝てしまおうかなと思うが、それをブンブンと首を左右に振って振り払っ

   た。彼女が今まで生きてきた環境は、助けられたからといってそう簡単に信用できるようなものではないのだ。

「……ま、あんな風に人の耳撫でるようなやつが悪人とは思えないけどな」

   そんなことを呟きながら、ヴェルメリオは敷き布団の中から這い出て、部屋の扉を開ける。

   そしてリビングに入ると、机の上〝維持〟の結界で状態の保たれた、湯気を立てる食事と思しきものがあった。

   ヴェルメリオはそれに恐る恐る近づいて、一応用心して手に魔力を纏って結界を突く。

   すると結界が消えて、ヴェルメリオの鋭い嗅覚に食べ物が芳醇な香りを送ってきた。

   途端にきゅう、と鳴るヴェルメリオの腹。

「っ!」

   ヴェルメリオは顔を綺麗になった赤髪のように真っ赤にしながら、慌てて腹を隠して周囲を見渡す。が、誰もいない。

   一応乙女としては腹の音を聞かれるのは恥ずかしいので、ホッとしてヴェルメリオは食事に目線を戻した。

「………」

   じーっと無言で食事を見つめるヴェルメリオ。彼女の食欲は早く食えよ!と訴えかけてくるが、しかしそれを強い警戒心が阻む。

   どうしようかと逡巡するが、結局生物として抗えぬ食欲に負けた。

「罠は……ないよな」

   もう一度家の中を見渡して警戒してから席に座り、恐る恐るといった様子で昨日見たスメラギリュウトの真似をして手を合わせた。

「い、いただきます……っ!?」

   そしてスープを飲んで、目を見開くヴェルメリオ。スープ……味噌汁…の深い味わいに驚いたのだ。

   こんなに美味しいスープを飲んだのは、久しく食べていない兎人族秘伝のスープ以来だ。

   ヴェルメリオは思いの外熱いそれを舌を火傷しないようにちびちびとすすりながら、ホッと感嘆のため息をついた。

「えっと、次は……」

   次は木製の二本で一つの木の棒…リュウト曰く〝はし〟という食器を危なげな手つきで取る。

   悪戦苦闘しながらも、なんとか焼き魚を割ることに成功した。ヴェルメリオは小さな達成感を得る。

   これは余談だが、後にリュウトの知り合いの中で真っ先にマスターしたヴェルメリオに、エグセイザーが悔しがったりする。

    持ち上げた白身を鼻先に近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。そしてパクッと口に入れて……口内に広がる油の旨味と絶妙な塩味に涙が出そうになった。

   さらに〝茶碗〟とやらに盛り付けられている炊かれたラスも一緒に食べると、もうはしが止まらない。

「ふぅ……えっと、ごちそうさま」

   ものの数分で食べ終えて、また真似をして手を合わせる。


ガン……ガンッ………


   さてどうしようかと思っていると、完全に調子を取り戻したウサミミに、家の外から何か硬質な音が響いてきた。

   それはまるで、武器をうちあわせるような、それでいて清涼な音。

「なんだ……?」

   不思議に思い、ヴェルメリオは席を立つと移動して、外へとつながる扉を開けた。

すると、そこには……
   
「ハッ!」
『……っ!』

   超至近距離で戦闘を繰り広げている龍人と、龍人と全く同じ背格好……それどころか全く同じ顔をした・・・・・・・・黒髪赤眼の龍人が戦闘を繰り広げていた。

   片方の灰色の髪の龍人は昨日も見た謎の飛び道具を持って、拳や剣を打ち合うような間合いで超高速の射撃をしている。

   ヴェルメリオの超人的な視覚でも発砲音がしたと思ったら次の瞬間、もう一人の龍人に攻撃が仕掛けられたようにしか見えない。

   一方、射撃を防御しているもう片方の黒髪の龍人のほうは両腕に灰色の魔法陣を浮かび上がらせ、飛んでくる弾丸のほぼ全てを反射、もしくはいなしていた。

   しかし何発か被弾したのだろうか、魔力でできているその体の何箇所かから黒い瘴気のようなものが漏れ出ている。

   それでも黒い龍人の全く動きは衰えず、時折灰色の龍人に反撃を仕掛けていることから実力は拮抗していると思われた。

   ヴェルメリオはそれをぽかんと見つめた。これほど高度な戦闘技術を持っているとは、本当にあの人間は何者なのだ。

それに、あの黒い龍人は一体……

「おや、起きたのか」
「っ!?」

   そう考えていると、頭上から声を投げかけられる。体を跳ねさせ、屋根を見上げた。

   そこには同性のヴェルメリオでさえ思わず見惚れてしまうほど美しい、銀髪のドレスの女性。

   かつての西部の守護者たる、銀龍神エクセイザーがこちらを見て微笑んでいた。

「あんたは……」
「ふむ……まず人に会ったら挨拶を。それが礼儀だとは思わんかの?」
「え、あっ。すま…すみま、せん。おはよう……ござい、ます」

    慣れない敬語を使ってたどたどしく挨拶すれば、エクセイザーはからからと笑った。

「別に、無理に畏まらなくても良い」
「そうなん、ですか?」
「ああ。楽にせよ」
「わかりま……わかった」

   想像していたよりフランクな彼女にヴェルメリオはぎこちなく頷き、戦っている二人の龍人に目線を戻す。

「えっと……あれ、何なんだ?」
「あれか?   鍛錬じゃ。なんでも、至近距離での銃撃戦も慣れておくとか」
「へぇ……それじゃあ、あの黒い龍人は?」
「あれは主人が魔力で作り出した人形のようなものじゃよ。自律的に動き、実力も拮抗していて、良い訓練相手になるらしい」
「……マジか」

   気前よく答えてくれたエクセイザーに、またしても驚いて唖然とするヴェルメリオ。

   魔力…龍人からすれば霊力……でできた自律的な思考を持ち、高度な戦闘までこなせる人形など見たことも聞いたこともない。

   おそらく、あの憎っくき黒鬼神ですらそんな芸当は不可能だろう。

「規格外すぎんだろ……」

   思わすぽつりと呟けば、苦笑気味に首肯するエクセイザー。ヴェルメリオは改めて、自分はなんて存在に助けを求めたのだろうと思った。

それに……

「いくらなんでも精巧すぎないか?肌の色や顔まで再現するなんて・・・・・・・・・・・・・・……」
「……何じゃと?」

   ぴたり、とエクセイザーの上機嫌そうに揺れていた体が止まる。

   微笑んでいた顔を訝しげにし、放心しているヴェルメリオを見て、次に龍人の【影舞】で作り出された人形を見据える。

   だが、エクセイザーにはいくら見ても、あの魔力人形が目だけが赤く輝く真っ黒な影法師にしか見えない。

   間違っても、ヴェルメリオのように肌の色や顔があるようには思えない。

   それもそうだ。実はこれには、ヴェルメリオが生来持っていた、特殊な固有スキルが関係しているのだから。

   その固有スキルの名は【真眼】。事象や物体の本質を直接見ることのできる、常時発動型の固有スキルだ。

   その【真眼】スキルにより、ヴェルメリオは見ていた。

   狂気の宿る赤眼を光らせ、不気味で獰猛な笑みを浮かべて本物の龍人と戦う、黒い影法師の顔を。

   その顔は、ヴェルメリオに心の底から震えるような恐ろしさを感じさせた。

「うらぁっ!」
『っ……』

   ヴェルメリオとエクセイザーがそれぞれ別のことを考えている間にも、本体の龍人と影の龍人の戦いは続いていた。

   片や凄まじい発砲音を響かせながら、片やそれを弾く音とともに魔力の火花のようなものを散らせながら、激しい戦闘を繰り広げる。


だが、それも長くは続かなかった。


「レベル〝ツー〟」
『っ!』

   灰色の龍人が、小さくキーワードを呟く。甲高い音を立ててオールスMr.Iに今まで以上の魔力が充填され、防御しようと掲げられた黒色の龍人の魔術障壁を霊力弾が貫いた。

   すると今までずっと同じ点に集中的にダメージを入れられていた魔術障壁はいとも容易く砕け散り、そのまま霊力弾は黒色の龍人の腹を貫通する。

『ーー!』
「ハッ!!」

   目を見開く黒色の龍人の腹部に、気合いのこもった声とともに霊力と【龍鱗】を纏った鋭い拳が突き刺さった。霊力の血を吐く影法師。

「セ……ヤァ!」

   しかしそれに構わず、龍人は気合いがこもった叫び声とともに腕を横に振り抜き、影法師を一刀両断した。

   それにより勢いよく宙を飛ぶ上半身と、崩壊する影法師の下半身。

「……すげえ」

   基本的に足技を主にした徒手空拳が戦闘スタイルのヴェルメリオには、龍人の一撃が非常に洗礼された美しいものに見えた。

   あっけにとられながら龍人の様子を見ていたヴェルメリオは……ふと、倒され消滅する影法師はどうなったのだろうとそちらに目線をよこした。

『………』
「ーーっ!?!!?」

   そして、見た。こちらを半分光を失いかけた赤眼をこちらに向ける、影法師を。

   ヴェルメリオは体の芯から凍えるような悪寒が全身に走り、思わず声にならない悲鳴をあげた。

   そんなヴェルメリオに、影法師はニヤァ……と嗤い…そして消える直前、ヴェルメリオに対して何かを言ってきた。





ーーヒ   ミ   ツ   ダ   ヨ    。





   声無きその言葉は、確かにヴェルメリオの頭の中にぬるりと入り込んでくる。先ほど以上の悪寒がヴェルメリオを襲った。

   しかしヴェルメリオが言葉の真意を知る前に、影法師は魔力の残滓となり消え失せてしまった。あげかけていた手が落ちる。

「ふぅ……今日はこんくらいにしとくか」
「お疲れ様じゃ、主人よ」
「おう……ん?」

   しばし呆然としていたものの、オールスを収めた龍人と屋根から一足でふわりと龍人の目の前に降り立ったエクセイザーの声で、ようやく我に帰る。

   そして、自分に二人の目線が向けられていることに気がついた。

「おはようさん。ぐっすり眠れたか?」
「……あ、ああ」
「そりゃよかった。朝食は?」
「……食べた」
「そうか。口に合わなかったらメニューを考えるから言ってくれよ」

   先ほどまでの様子から一転、人当たりの良さそうな笑顔でヴェルメリオの肩をポンポンと叩き、龍人はそう言った。

   その笑顔を見てヴェルメリオは、ふと先ほどの影法師のことを考える。この龍人が浮かべている笑顔とは真反対の狂笑をたたえていた、あの不気味な人形を。

 今自分の目の前のいる人間からあれが生まれたとは、到底ヴェルメリオには納得できず不安が豊かな胸中に宿った。

   しかし、それをふるふると首を左右に振って振り払う。今、そんなことを考えても仕方があるまい。

「……その」
「うん?」
「……うまかった。また、食べたいかもな」
「そっか。気に入ってくれたんならよかったよ。明日は一緒に食うか?」
「………ああ」

   だからヴェルメリオは、とりあえず考えても仕方がないと気持ちを切り替える意味も込めて返事をした。

   それに相変わらず柔らかな笑顔で龍人は答え、開きっぱなしだった扉からエクセイザーとともにログキャビンの中へと戻っていった。

   それを後ろ目にちらりと見てから、次にヴェルメリオは先ほど影法師が消えた場所を見てもう一度見る。

   しかし先ほどより勢いよく頭を右横左横に振って、ログキャビンの中へと戻っていくのだった。


●◯●


   鍛錬が終わった後。

   風呂に入って軽く汗を流した後、ヴェルを連れ、逃げ延びているはずの鬼人族と兎人族の捜索に出かけた。

   この世界のほとんどのことを知っているシリルラに西部の地形や隠れられそうな場所を指定してもらいながら、自分も周囲の気配を探って進む。

《お気をつけください、ヴェルメリオ様。この先数十メル、道が険しくなっております》
「お、おう」

   捜索がてら、鉱石や薬草を採取する俺の後ろで、ヴェルに直接脳内に話しかけるシリルラ。それに従い、ヴェルは足元を注意して進む。

   どうやら、シリルラは人によって違う霊力の波動……指紋のようなものを認識できれば、誰でも話しかけられるようだ。

   ……便利だからヴェルにも使ってくれって言った時、すっごい不機嫌そうな声音だったけど。理由はわからない。

《……龍人様はバカなんですかね?バカなんですよね?バカでいいんですよね?ああ、バカでしたね。申し訳ありませんねバカ人様》
「唐突な罵倒!?」

   なぜだ、俺は何も悪いことしてないぞ……多分!

『…うむ、流石に妾もこれは鈍いと言わざるをえんな。もう少しなんとかしたらどうじゃ?』

エクセイザーまで!?

  二人から意味不明の罵倒を受け、がっくりと肩を落とす。それを見て、となりのヴェルが訝しげに首を傾げていた。

   が、次の瞬間、いきなりガクッと体勢を崩す。俺はそれを咄嗟に手を取って支えた。ヴェルは慌てて体勢を直す。

「あ、ありがと」
「んにゃ、どうってことねえよ……それより、もっ!」

   片足を持ち上げ、強く地面を蹴れば、ヴェルが先ほどつまづいた場所の土が盛り上がり、焦げ茶色の鱗を持った30センチほどのヘビの魔物が出て来た。

「やっぱりな。トリックシーカーだったか」

   トリックシーカー。幻術魔法で地面に隠れ、その毒牙で獲物を仕留める隠密性の高いスネーク系上位種の魔物だ。いたずら好きなことで地上でも知られているらしい。

   どうやら、ヴェルは木の根っこに扮したこいつに足を引っ掛けられたらしい。俺も前に同じされたことがあるが、割とイラッときた。

「そいっ!」

  ケラケラ笑い声のようなものを上げている曲者を藪の中に放る。放射線を描いてトリックシーカーは飛んでいき、茂みの中に姿を消した。

   とまあ、道中そんなこともありながら足跡とヴェルに似た魔力の残滓を追い、移動をしていく。

   しかし、二時間ほど経ってももなかなか見つからない。丸々種族二つ分の大所帯だから、すぐ見つけられると思ったんだがな。

「もしかして、もう西部の魔物達に助けを求めて保護してもらったんじゃないか?そもそも魔物がいないところがあんまりないし」
『ふむ、それも考えられるが……もう少し探索してみよう』
「そうだな。あと一時間探しても見つからなかったら、とりあえず小人の森に……」

   そう話していると、不意にがさりと近くの茂みから音がなった。一瞬小型の魔物かと思ったが……どうやら、違うようだ。

「ヴェル、止まれ」
「わぶっ、な、なんだよ?」

   真剣な声音で先に進み掛けていたヴェルを手で制する。そして茂みを指差し、警戒しろとアイコンタクトをした。
   
  警戒心を最大に働かせながら、後ろ腰からドラゴエッジと土ナイフを一本引き抜いて近づいていくら、

  何かしらの武術のような構えをとっているヴェルと目線をかわしてうなずき合い、灰狼のブーツ・疾風の中に仕込んだ端末の札に霊力を流し込んで地面を操作。

   すると生えていた草木が横にずれ……満身創痍な様子の鬼人族の女性と、それを守るように囲んでいる 10歳ほどの兎耳の少女三人を見つけた。

   いきなり現れた俺に一人は鋭い警戒のこもった目を、残りの二人は怯えた向けてくる。

   が、、後ろにヴェルがいるのがわかった途端困惑したような表情をした。咄嗟に俺は武器をしまう。

「安心してくれ、俺は後ろにいるヴェルの知り合いだ」

   じっと一番前にいた、一見少年にも見える勝気なつり目の少女が俺の顔を睨みつける。ヴェル以上に頑固そうだ。

   しかし、ヴェルがいたことによりある程度信用できるとわかったのか、目元を少しだけ和らげた。

「………あんた、誰だ?なんでヴェル姉と一緒にいるんだよ?」
「俺は皇龍人。呼びにくかったらリュートでいいよ。君たちは兎人族でいいよな?」
「そうだけど……」

   またしても困惑したような、しかしどこか期待をにじませる声音でいう少女に俺は頷き掛け、なるべく優しい声で話す。

「無事でよかった、ヴェルに頼まれて探してたんだよ。それで、後ろの人は?」
「っ、そうだ!なああんた、助けてくれよ!ニィシャさんがひどい怪我で……」
「……ちょっと見してくれ」
「あ、ああ」

   まだ名も知らぬ少女に了承を得ると、全身ボロボロで傷だらけの女性に近づいた。ひどい怪我だ。呼吸も弱い。

   ホルスターからヴェルにも使った〝治癒〟の木札を何枚も取り出し、惜しげも無く使って女性を治療する。

「「「ヴェル姉!」」」
「リル!レイ!アリィ!お前ら、無事でよかった!」

   そんな俺の後ろでは、ヴェルと三人が抱き合って再会を喜びあっている。まだ顔と名前が一致しないが、三人の名前を知ることができたな。

   霊力を木札が壊れないギリギリの限界量まで注ぎこみ、効力を促進させる。 木札の霊力を全てつなぎ合わせ、相乗効果でさらに速度を上げていった。

   するとその甲斐あってか、女性の状態がだんだん穏やかになっていき、ついにはうっすらとだが目を覚ます。

   女性は緩慢な動きで周囲を見渡し、最後に治療を施している俺を見て少し目を見開いた。

「あな…たは……?」
「この近くに住んでるものです。じっとしていてください、体に響きますから」
「は…い……」

   その返答を最後に、ぱたりとニィシャさんとやらの頭が地面に落ちた。一瞬、ひやりと背中に冷たいものが走る。

   同様に、それを見た後ろで固唾を飲んではらはらと見守っていた少女の一人が走り寄ってきた。例のつり目の子だ。

「ニィシャさん!」
「……いや、心配するな。この人の体内の魔力はまだ動いてる。生きてる証拠だ」
「ほ、ほんとか!?」

   本当も何も、この子や他の二人もこの人のことを大切に思っているのに嘘なんかつけるはずがない。

    それに……大切な誰かを失う恐怖や悲しみ、怒り、絶望、虚無感………その全てを、俺は知っているから。

「ああ…といっても、これは応急処置だからな。どこかで安静に寝かせなきゃいかん」
「じゃあ……」
「ああ、うちに連れてく」

   問いかけてきたヴェルにこくりと頷き、外傷はほとんどなくなったニィシャさんを背負って元来た道を帰ろうとする。

   いざ進もうとした時、くいっとコートの裾が引っ張られる感覚を覚えた。それも三回も。

   振り向いて下を見れば、兎人族の三人が俺を見上げていた。

「あ、あの、あたし達も……」
「……何言ってるんだ?」
「「「っ………」」」
「お、おい!」

   置いていかれると思ったのか、目を見開いて泣きそうになる三人と、勘違いして怒気のこもった声を出すヴェルに俺はニッと笑んで三人の頭をそれぞれ撫でる。

「早く行くぞ?   この人だって、知らない奴より起きた時に家族がいた方がいいだろ」
「! う、うん……」
「は、はい……」
「あぅ……」
「?」

   なんかいきなり顔を赤くした三人と、勘違いだとわかったのかもじもじしてるヴェルを促し、俺はニィシャさんを助けるため我が家へと向かうのだった。

《……ロリコン》
『…変態主人』
「だから何故だ!?」

   そした帰り道、なぜかまた二人に罵られた。


●◯●


「ふぅ……これで問題ないだろう」

   ニィシャさんの治療を終え、一つ息を吐きながら寝室から出る。

   すると、机に座ってじっと待っていた兎トリオの一人が立ち上がり、こちらに走り寄ってきた。

「ニィシャさんは!?」
「大丈夫だ。様子は安定してる。あとは、目覚めるのを待つばかりって感じだな」

   俺が親指と人差し指で丸を作って答えると、真っ先に近づいてきたつり目の少女は目を見開き、顔をうつむかせた。

「そっか……よかった…本当に、よかった……っ!」

   俺のズボンをつかんでいたつり目の少女は、嗚咽を噛み殺しながらそう言った。

   家族思いなその反応にふっと破顔し、もう一度その頭を撫でる。うん、この子もウサミミモフモフだね。

   少女は泣いていて気がついていないのか、それとも心情がそれどころではないのか、ヴェルのように振り払おうとはしなかった。

   むしろ、そのうち泣き止んで気持ち良さそうに目を細めてスリスリ頭を擦り付けて来る。

   おろ、懐かれたかな?ていうか、ゴロゴロと喉を鳴らしているところとか、ちょっと猫っぽかった。兎だけど。

   …っと、危ねえ危ねえ。いつまでもこんなことしてたらまたロリコンだの変質者予備軍だのシリルラに言われちまう。

   そう思って頭から手を離すと、「あっ……」といって少女はしゅんとしてしまった。

「そ、その、もうちょっと、だけ………」
「………」

ナデナデ。

「あ、えへへ……」

やっぱ無理。可愛すぎる。

《『…………………………』》
「はっ!?」

   どこからか極寒の視線を二つ感じ、今度こそやめてジローーーッとこちらを見ている兎三人の待つテーブルの方へ向かった。

   そして空いてる席に座ると、つり目の少女が何かを迷っているのに気がつく。

「おい、どうし……」
「えいっ」

 次の瞬間、つり目の少女はなんと俺の膝の上に乗ってきた。びっくりとする俺を見上げ、照れ臭そうに笑う少女。

「えへへ……だめ、かな?」
「あぁもう可愛すぎだろ!」

   先ほどまでの警戒心は何処へやら、兄へ甘えるような仕草をしてくる少女に、俺は頭を撫でまくる。

   当然、シリルラとエクセイザーに聞かれているわけで。

《やっぱりロリコ……》
『幼女趣……』
 
   いや違うよ!?断じて小さい子が好きなわけじゃないからね!ただ単にほら、癒しっていうかさ!心が洗われる感じがするんだよ。

   とまあ、おふざけはここまでにしておいて。表情を真剣なものに変え、残りのふくれっ面な少女二人に事情を聞くことにした。

……こっちもかわいいな。

『のう主人、ここから魔力で跳躍したらそちらまで届くかのう?』

   ……これ以上なんか下手に考えたらエクセイザーが頭めがけてすっ飛んで来る気がするので、やめておこう。

   二人は当然話ずらそうにしていたものの、しかし話さなければいけないと思ったのだろう、 話してくれた。

   話の内容はヴェルと大体同じだったが、一つ違ったのはあのニィシャという鬼人族の女性のことだ。

   彼女は種族の中でもとても優しい心の持ち主だと言われていたそうで、よく子供達の遊び相手になってあげていたようだ。

   だが黒鬼神の狩りが始まり、子供達を連れて一生懸命西部まで逃げて来た。しかしここにいる三人以外の大部分とはぐれてしまい、自分は重傷を負ってしまった。

「ニィシャさん、全然起きなくて……」
「もうどうしていいかわかんなくて、泣きそうになって……」
「そしたら、お兄さんがきたの!」
「それじゃあ、間一髪だったってことか……」

   俺が善良な人の命を救えたことに安堵していると、三人が少し顔を赤くしながら、何かを言おうとしていた。

   ちなみに、つり目の子がレイ、気弱そうな子がアリィ、タレ目の子がリルならしい。帰り道に教えてくれた。

「あ、あの……ありがと、リュー兄!」
「ニィシャさんを助けてくれて、ありがとうなの!」
「それに、わ、私達のことも助けてくれて、感謝しきれません!」
「ーーっ!」

   三人の感謝が、俺の心に響く。地球にいた頃はあまり人との交流がなかった身だ、こうやって素直に感謝されるとなかなか来るものがあった。

   だが、だがしかし。問題はそこではない。いや、十分大事なのだが、それよりも何よりも俺の心に深く突き刺さる言葉があった。

「レ、レイ。今、俺のことをなんて……?」
「えっ? えと、リュ、リュー兄?」
「かはっ!」
『主人っ!?』

   あ、危ねえ!マジで吐血するところだった!なんだこの破壊力、頰染め&上目遣いとか破壊力高すぎだろ!

   しかも見た目が愛らしいので、余計に精神的に多大なダメージ?癒し?を受けてしまった。

   よし、決めた。レイは俺の妹にする!一人っ子なので、リュー兄呼びは俺の心を一発で鷲掴みにした。

《犯罪者予備軍のロリコン変態やろ……コホン。龍人。アホなことをしていないで、早く話を進めてくださいね》

   お、おう。あと今なんか不名誉極まりない呼び名を言われた気がするんだが……

《あら、何か文句でもあるんですかねこの変態》

もはや名前ですらなくなった!?

   脳内でシリルラとコントじみた会話を繰り広げながら、さてどうしようかと頭を悩ませる。

   するとクゥ、と丁度よく三人のお腹が鳴った。顔を真っ赤にする兎トリオに俺は苦笑する。どうやら、逃走劇で腹が減っているようだ。

よし、なら……

「三人とも、あるものを作ってみないか?」
「「「あるもの?」」」
「ああ、ハンバーグって言ってだな……」

   ハンバーグ。日本のどの家庭でも出る定番な献立の一つだ。特に子供に大人気であり、かくいう俺も大好物の一つだったりする。

   ちなみに一番好きなのは前にあいつが作ってきてくれた弁当に入ってた豆腐ハンバーグだ。

《………》

   そういうわけで、三人にはハンバーグを自分たちで作って食べさせようと俺は考えていた。

   幸い材料は揃っているし、主な材料が肉だからお腹にもたまる。丁度昼時だしな。

   結果として、俺の説明したハンバーグに興味を示したのか三人+ヴェルは目をキラキラと輝かせてハンバーグ作りをしたいと言い始めた。

   俺は上機嫌になりながら四人をキッチンに誘い、材料を取り出すと解説を始める。

「いいか、今回作るのは一番スタンダードなハンバーグだ。材料はひき肉、玉ねぎ、人参モドキ、牛乳、塩胡椒、卵だ」
「なあ、この白いやつなんだ?」
「ああ、それはパン粉モドキだ。あとで使うから置いといてくれ」
「お、おう」

   言いながらエプロンを着て袖をまくる。そしてテーブルの前に立ち、実演を踏まえながらハンバーグ作りをさせていった。

   まず最初に、 人参と玉ねぎを支給した小型土ナイフで切る。これまで生きてきた環境上全員手先が器用で、すんなりと野菜を解体していった。

   次にボウルに注いだ牛乳にパン粉を浸し、同時平行で黒鋼のフライパンで飴色になるまで炒める。これは少し危ないので俺が1人でやった。

   それが終わるともう一つ取り出しておいた大きめのボウルの中にそれまで調理していたものすべてを入れ、塩胡椒をふりかけ、六つの塊にすると全員で捏ね始めた。

「真ん中をくぼませてから、両手でぱたぱたするんだぞー」
「ね、ネチャネチャしててやりにくい……」
「手がベトベトですう~」
「ち、ちぎれちゃう!」
「難しいなこれ!?」
「ちょっとコツがいるんだよ」

   そんなふうにワイワイ騒ぎながら、みんなでハンバーグを作る。

   全員がタネを作り終わると、フライパンにもう一度油を引いて、形も大きさもバラバラなそれを弱火で焼いた。

   蓋をして待つ間、ぱち、ぱちっと中で肉汁と油が混ざったものが飛び跳ねる音を聞いてみんなで今か今かと待つ。

   それから数分後、テーブルの上には美味しそうな匂いを漂わせるハンバーグが野菜やラスと一緒に盛りつけられていた。

   いい出来栄えに、人間態になったエクセイザーも含め全員の顔がキラキラと輝く。

   食欲を刺激され、他の五人を促して自分も席に座る。そして両手の手のひらを顔の前で合わせて。

「それじゃあ、いただきます」
「「「「「い、いただきます」」」」」

   慣れない合言葉を使いながら、はしをとって食べ始めた。ヴェルや兎トリオは、一口食べた瞬間今日何回目かになるが驚いて目を見開き、すごい勢いで食べ始めた。

   途中からラスも一緒にどんどんなくなっていく。夢中なその様子に俺は気分が和んでいくのを感じた。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「うむ、ごちそうさまじゃ」
「「「ごちそうさまー!」」」

   ものの20分ほどで食べ終え、ヴェルと兎トリオは満足げな表情をして感想を交わし合う。

   それを食器を洗いながら見て、俺は元気付けられたかなと思った。達成感が心にジワリと広がる。

《満足しているところ、失礼いたしますね。ニィシャさまが、目を覚ましました》

   そんな俺の脳内に、シリルラの声が響いた。
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