30 / 81
第1章 遥か高き果ての森
二十九話 目覚め
しおりを挟む……どこからか、歌が聞こえた。
その歌はとても聞き覚えがあって、俺が一番好きだった歌。聞いていると他の何よりも安心することができる、そんな歌だ。
それによって、深い……それこそどんな光も届かないような、そんな深い暗闇の中に眠っていた意識が少しずつ浮上し始めた。随分長らく眠っていたようで、とても遅いペースだ。
だが、やがて時間をかけて這い上がった俺の意識は眠りと覚醒の狭間にある水面に行き着いた。しかしそこから上に行くことが難しく、朧げにしか感覚を掴めない。
そんな状態でも、俺の耳に確かにその歌は響いてきた。そうしてようやく、はっきりとしない意識の中で俺は気づく。それを歌っているのが、誰よりも好きな人の声だったことに。
……ああ、そうか。これは夢か。どうりでなかなか覚めないわけだ。けど、どうせなら覚めたくない。この声を聞いていられるのなら…それこそ、ずっとこの夢の中でもいい。
しかし皮肉にも、そう思えば思うほどあれほど曖昧だった感覚がはっきりとし始める。それに少し残念な気分を覚えていると、不意に頭の後ろに柔らかい感覚を覚えた。
それを自覚した途端、触覚をはじめとして、それまで歌を捉えていた聴覚以外うまく機能していなかった五感が研ぎ澄まされていった。体も動かせるようになる。
半分寝ぼけ眼の状態のまま、俺は寝返りを打って、手を動かし頭の後ろにあった柔らかい何かを両手で抱え込んだ。それからはいい匂いがして、それが心地よくて腕に込める力を強くする。
するとぴくり、と柔らかい何かが震えた。思わず顔をしかめると、頭に何かが乗せられる。そのまま乗せられた何かは左右に動いて、まるで俺の頭を撫でているようだった。
……ん? 震える? 撫でられてるみたいな感じ?
「!?」
その瞬間、あれほどの俺の意識を離さなかった曖昧な感覚が一気に引いていった。すると当然、それまで半分以上眠っているようだった意識が完全に覚醒し、感覚が戻る。
それを実感した途端に、それまで曖昧だったせいで錯覚していたこれが夢でないことを自覚した。俺は夢の中になどいない、確かに起きている。
その証拠に、これまで頑なに開くことのなかった瞼がパッチリと開いた。そのままばっと横を見ると、視界いっぱいに肌色が映り込む。
え、何だこれ?肌色ってことは誰かの肌なのか? ということは今、俺は誰かに膝枕をされて寝ていたことにーー。
そこまで思考が行き着いたところで、心の奥から湧き上がってきた羞恥心で思わず体を捩ってしまう。その拍子にバランスを崩して体を預けていた何かから転げ落ちた。
「うぐっ、いてて……」
驚きで受け身も取れずしたたかに尻を地面のような硬いものに打ち付け、思わずそう呟く。寝起きで急激に動いたからというのもあるかもしれない。
そう思って立ち上がろうとすると、歌声が止まった。そしてそれまで寝転がっていた場所の方から誰かが立ち上がり、こちらに歩いてくる気配がする。先ほど俺が膝枕をされていた誰かだ。
内心警戒していると、その人物は俺の目の前で立ち止まった。そしてすっと俺に手を差し出してくる。そこから敵意は感じなかった。
それでも用心しながらその手を取って、ゆっくりと立ち上がる。そしてその人物の顔を見ようと顔を上げてーー
「……………え?」
ーーその人物の顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
体が硬直し、周りから音が消える。口を開けて間抜けな表情を晒し、目を見開いて目の前にいるその人を穴が空くほど見た。けれど……そんな中で、心臓だけはうるさいくらいに高鳴っている。
時が止まった、という表現をよく聞くが、まさかそれを自分が実際に体験する時が来るとは思いもしなかった。それほどに衝撃的だったのだ。
普段の俺ならどんな状況かもわからない中で、一端の陰陽師としてそんな隙だらけな状態を晒しはしない。けれど、そんなものは今この場において全く意味をなしていなかった。
……でもそんなの、当たり前だ。
だって今、俺の目の前にいるのは……俺が生まれて初めて好きになって。もう会うことは叶わないとわかっていても。
何度諦めようとしても、忘れようとしても。それでもーー
「…相変わらずそそっかしいですね。そんなに驚いたんですかーーセンパイ」
「る、り……?」
ーーそれでも恋い焦がれた……初恋の少女だったのだから。
ずっと、忘れられなかった。一日だって忘れた日はなかった。俺の心の中にずっとい続けて、思い出して苦しくて泣いた時もあった。
その瑠璃色の綺麗な髪も、透き通るような、けれどどこか眠たげな瞳も、それを隠す青縁の眼鏡も、桜色の唇も、すっと通った鼻筋も、少しだけ低い身長も。
なによりも……そのいたずらげな微笑みを。全部、はっきりと覚えている。
異世界に来てから何度も一緒にいたあの日々の夢を見て……目が覚めて、それがまやかしだったことに涙を流した。心が張り裂けそうだった。
ふとした瞬間に脳裏にその笑顔がよぎって、それを忘れるためにいつも以上に鍛錬を重ねて、それで心の底から湧いてくる寂しさを誤魔化していた。
エクセイザーや、シリルラと会話していて……物静かで、それでいて楽しそうに話す姿が思い浮かんできて。涙を流さないよう、空元気を振りまいたこともあった。
頭の中に、次から次へと会うことのできなかった時間の苦しい思いが溢れてくる。そして一つ浮かんでくるたび、それは頬を伝う雫へと変わっていくのだ。
胸が、締め付けられるように痛い。今この瞬間でさえも、ただの泡沫の夢なのではないかと疑って酷く寂しい気持ちになる。
だから、俺は……
「あっ……」
…気がつけば、彼女を抱きしめていた。
腕の中に、確かな暖かさがある。彼女の息遣いが、鼓動が伝わってくる。それを実感できた瞬間、まるでダムが決壊したようにとめどなく涙が溢れできた。
「ふぐ……ぅ…あ…!」
それでも、彼女の前で声を出すのは恥ずかしくて、嗚咽を噛み殺す。
そんな俺に、突然の抱擁に驚いていた彼女は困ったようにかすかに笑う。そしてそっと、俺の背中に手を回してくれた。
驚いて、一瞬嗚咽が止まる。そこに見計らったかのように彼女は耳元に顔を寄せてきて、いつものように悪戯げな口調で囁いた。
「……我慢しなくていいですよ。センパイが寂しがりやなこと、知ってますから」
「っ……! う、あ、ぁあああああぁああぁあっ…!」
彼女の声を聞いた瞬間、それまで必死に見せまいとしていた声がまるでタガが外れたかのように口から溢れ出す。
それと同時に、ここにきてようやく、まだまやかしなのではないかと疑っていた彼女がここにいることを完全に実感することができて、腕に込める力を強くした。
そんな俺に、彼女はまた薬と困ってように笑い。まるで子供をあやすように背中を撫でてくれる。
「会いたかったっ……ずっと…ずっと会いたかった……ッ!」
「……私もですよ、センパイ」
そう言いながら背中を撫でてくれる手が受けれてくれたようで、どこか嬉しいのだった。
0
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
