嫌われ者のネクロマンサー

くらげさん

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1話

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 魔女は、血の匂いが嫌いだった。

 それでも人は、血を流してから彼女のもとへ来る。
 病、怪我、呪い。
 命が欠けかけた者ほど、彼女を神と呼んだ。

 白い外套の魔女は、祈りを受け取らない。
 礼金も、感謝も、跪く膝もいらなかった。

 ただ「生きたい」と言われたときだけ、手を伸ばした。

 その日、城から使者が来た。

「王が、お会いになりたい」

 使者の声は震えていた。
 命令ではなく、懇願に近かった。

 城は高く、冷たかった。
 石の壁に刻まれた歴代の王の名が、魔女を見下ろしている。

 謁見の間で、彼女は初めて王を見た。

 若くはない。
 だが、その瞳は、まだ折れていなかった。

「魔女よ」

 王は、玉座から立ち上がらなかった。

「我が国の民を、幾度も救ってくれたと聞く」

「治しただけです」

「同じことだ」

 短く笑い、王は続けた。

「……王妃が、死んだ」

 その言葉に、魔女は何も言わなかった。

「寿命だと、医師は言う。呪いも、病もなかったと」

 王の声は低かったが、揺れていた。

「それでも、私は納得できない」

 魔女は静かに首を振った。

「人の寿命は、変えられません」

 王は、その言葉を予想していたようだった。

「それでも、話を聞いてほしい」

 それが、最初の夜だった。

 王は、王妃の話をした。
 笑い方、怒り方、眠る前に必ず本を読む癖。

 魔女は、治療も、魔法も使わなかった。
 ただ聞いた。

 それが、二夜、三夜と続いた。


 涙ながらに王は言う。

「君は、命を救う魔女だ」

「私は、死を拒む人しか助けません。言葉を発せなくなった骸を助けることはできないのです」

 魔女は王の必死さに繰り返しの謝罪をする。

「なら……」

 王は眉間に皺を寄せ、目を閉じた。短く、息を吐く音が聞こえる。

 次の瞬間、彼は腰の剣に手をかけた。

 鞘から抜かれた刃が、鈍く光る。
 王は剣を返し、静かにその刃を自身の首へ預けた。

「私の命と引き換えならどうだ?」

 剣が触れた首から血が垂れて、沈黙が落ちた。


◇◇◇◇


 魔女は、その夜、手を洗い続けていた。

 血はついていない。
 それでも指先が、赤く見えた。

 用意してもらった桶の中で揺れる自分の指を見つめながら、思い出すのは王の首元だった。
 刃が触れ、皮膚が割れ、細い血の線が生まれた瞬間。

「私は血の匂いが嫌い」

 それなのに、魔女はあの時、目を逸らせなかった。

 魔女のした決断に、王は剣を納めた。
 何も言わず、何も命じず、ただ立っていた。

 その沈黙が、命令よりも重かったのを覚えている。

 魔女は、自分が間違え始めていることを知っていた。

 人の寿命は変えられない。
 死は、戻らない。
 それが、彼女が魔女である理由だった。

 それでも……。

 彼の声が、耳から離れない。

 王妃の名を呼ぶ声。
 誰にも聞かれぬよう、夜の奥で擦り切れた、弱い声。

 魔女は清楚な白い外套を羽織り、部屋の奥へ進んだ。

 そこには、机の上にリボン結びで封じられた羊皮紙、黒のインク、ペン。

「使わない」と決めてたものだけが、そこにあった。

 魔女は、封を解き、一枚の羊皮紙を取り出す。

 死者の名を書くためのもの。

 指が震えた。

 名前を書くことは、呼ぶことだ。
 呼ぶことは、境界を叩くことに等しい。

 境界の向こうには、決して優しいものだけがいるわけではない。

「……私は」

 声に出すと、喉が締まった。

「私は、善意で生きてきた」

 それは言い訳だった。

 人を救ってきたこと。
 祈りを拒んできたこと。
 神にならぬよう、距離を保ってきたこと。

 すべて、この瞬間のためではない。

 魔女は、ペンを持つ。

 王妃の名を、思い出そうとした。

 だが肝心の名前が、思い出せない。

 笑い方は知っている。
 本を読む癖も知っている。
 王が語る声で、何度も聞いたはずなのに。

 名だけが、霧の向こうにある。

 死者は、名を失う。
 それを呼び戻すのが、禁忌の第一歩だった。

 魔女は、目を閉じた。

 善意で生きてきた人生が、
 今、たった一人のために、裏返ろうとしている。

 沈黙が、長く伸びる。

 魔女は、羊皮紙を再び手に取った。

 そして、震える指で、初めて死者の名を書く覚悟をする。


 その瞬間、彼女はまだ知らない。

『アメリア』

 この名が、
 世界から彼女を切り離す事になる。













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