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2話
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◇◇◇◇
王妃アメリアは、月が曇る晩にサラりと城を抜け出す。
それは誰にも見とがめられないほど自然な動きだった。
侍女が灯を落とし、廊下に夜の静けさが満ちる頃、彼女は薄い外套を羽織る。宝石も香も身につけない。外套に付いたフードで顔は隠していた。ただ、白い喉元だけが、闇の中でわずかに浮かび上がった。
城門を抜ける時、番兵は一瞬だけ視線を迷わせた。すぐ王妃だと気づき、彼らはさっと頭を下げる。次の瞬間には何も覚えていない。魔法ではない。ただ、王も知っていた。城から出られない王妃が、月の曇る晩だけ外出していることを。
城下町は、月の光が雲に溶け、輪郭を失っていた。夜市の残り香と、酒と脂と汗の匂い。
アメリアは迷わない。路地裏の酒場、その裏口、壁にもたれた男。
「……貴方はお一人?」
フードを上げて笑みを見せると、男は驚いたように顔を上げる。
「……王妃様」
「誰それ、それ今必要?」
淡白な言いように男はこくんと喉を鳴らす。ただ、ひどく美しい女が、こんな場所で誘っている。男には、それだけで十分だった。
アメリアの歩幅に合わせ、呼吸を合わせ、疑問を捨てて、男は着いてきた。
「誰か来たら教えてね」
「はい」
アメリアは侍女に見張りをさせ、人気のない路地裏に入った。
侍女は、いつものことのように、何も見ないふりをした。
雲がさらに厚くなり、完全に月が隠れる。
男とアメリアが互い抱きしめ、唇を交わし、温もりを感じ合う。
次に男が感じたのは、温度だった。アメリアの体は冷たかった。でも優しい口付けで、その違和感は薄れた。
アメリアが首筋に口を付けると、肉が裂ける音は思ったよりも静かだった。男の口を左手で塞いで、右手で体を決して離さなかった。
アメリアは、男を食う。喉を、胸を、腹を。人であったものを、人の形のまま、内側から壊していく。
血は外套に跳ねない。彼女の食事は静かだった。
すべてを食したあと、アメリアは静かに息を吐く。満ちることのない空腹だけがあって、だけどこの瞬間だけは胸が脈打っていた。
そして、何事もなかったように城へ戻る。朝になれば、彼女はまた、慈悲深い王妃として微笑むのだ。
月が曇る晩に起きたことなど、誰も知らない。
ただ、男が一人、消えただけ。
◇◇◇◇
行方不明者が三人を超えた頃、噂は形を持ち始める。
夜になると、人が消える。
城下町の人々は、顔を見合わせて、噂を語る。
「化け物だ」
「魔物がいる」
「いや……魔女だろう」
神隠しのように消えるこの現象を言葉にすると、驚くほど簡単に結論に至る。
◇◇◇◇
玉座の間で、王は報告を受けていた。
「失踪者は、すべて城下町の男です」
「共通点は?」
「……特にありません。ただ」
宰相が言葉を選ぶ。
「月が曇る晩に、消えています」
王は、何も言わなかった。
城の者は全員、知っていた。誰の仕業なのかを。
だが、その名を誰も言わない。言えば、国が揺らぐことを知っていたからだ。
◇◇◇◇
その頃、白の魔女は町外れの家で、いつも通り治療をしていた。
「助かりました」
「神様」
「私は神ではありませんよ」
何度目かのやり取り。それでも、今日は空気が違った。
人々は感謝の後、視線を逸らす。噂は、すでに届いていた。魔女の耳にも。
「……最近、変な話を聞きませんか」
誰かが、ぽつりと漏らす。
「夜に人が消えるって」
「血も残らないって」
「白い外套を見たって人もいる」
魔女の手が、一瞬だけ止まった。疑うような皆の視線が魔女に刺さる。
「……私は、夜は出歩きません」
その言葉は、魔女が口にできる精一杯の否定だった。
◇◇◇◇
数日後、城から再び使者が来た。
今度は、震えていなかった。
「王命です」
「城へ来ていただきたい」
命令だった。
謁見の間には、重苦しい空気が満ちていた。
王は、魔女を見なかった。
「最近、城下町で起きている失踪事件を知っているか」
「……噂程度には」
「そうか」
王は、しばらく沈黙した後、言った。
「人々が、君を疑っている」
魔女は、ゆっくりと顔を上げた。
「理由を、聞いても?」
「死者を呼び戻す魔法を使ったと」
魔女の喉が、ひくりと鳴る。
「それは……」
「否定するか?」
問いは、静かだった。だが逃げ道はなかった。
「私は、死者を生き返らせました」
その瞬間、王は、初めて魔女を見た。申し訳なさそうに眉をしかめて。
「……それが、原因だと言われている」
「それが、誰の言葉かは、聞かなくても分かります」
魔女の声は、穏やかだった。
王は、何も答えなかった。
沈黙が、肯定になることを、二人ともに知っていたのだ。
◇◇◇◇
その夜には城下町に張り紙が貼られた。
『白の魔女は、禁忌の術により死人を化け物へと変えた疑いがある』
『これ以上の被害を防ぐため、王国より追放する』
裁きはなかった。
証明もなかった。
魔女を生かすのは、都合と温情だった。
◇◇◇◇
城門の外で、魔女は振り返らなかった。
白い外套は、ひどく目立つ。
誰かが石を投げた。
次に、罵声が飛ぶ。
「化け物を作るな!」
「ネクロマンサー!」
魔女は、何も言わない。
ただ、歩いた。
国が見えなくなる頃には、清楚な白い外套は、酷く汚れ、破れていた。
善意で生きてきて、神とまで呼ばれた白の魔女のその名は、いつしかこう呼ばれるようになる。
嫌われ者のネクロマンサー。
王妃アメリアは、月が曇る晩にサラりと城を抜け出す。
それは誰にも見とがめられないほど自然な動きだった。
侍女が灯を落とし、廊下に夜の静けさが満ちる頃、彼女は薄い外套を羽織る。宝石も香も身につけない。外套に付いたフードで顔は隠していた。ただ、白い喉元だけが、闇の中でわずかに浮かび上がった。
城門を抜ける時、番兵は一瞬だけ視線を迷わせた。すぐ王妃だと気づき、彼らはさっと頭を下げる。次の瞬間には何も覚えていない。魔法ではない。ただ、王も知っていた。城から出られない王妃が、月の曇る晩だけ外出していることを。
城下町は、月の光が雲に溶け、輪郭を失っていた。夜市の残り香と、酒と脂と汗の匂い。
アメリアは迷わない。路地裏の酒場、その裏口、壁にもたれた男。
「……貴方はお一人?」
フードを上げて笑みを見せると、男は驚いたように顔を上げる。
「……王妃様」
「誰それ、それ今必要?」
淡白な言いように男はこくんと喉を鳴らす。ただ、ひどく美しい女が、こんな場所で誘っている。男には、それだけで十分だった。
アメリアの歩幅に合わせ、呼吸を合わせ、疑問を捨てて、男は着いてきた。
「誰か来たら教えてね」
「はい」
アメリアは侍女に見張りをさせ、人気のない路地裏に入った。
侍女は、いつものことのように、何も見ないふりをした。
雲がさらに厚くなり、完全に月が隠れる。
男とアメリアが互い抱きしめ、唇を交わし、温もりを感じ合う。
次に男が感じたのは、温度だった。アメリアの体は冷たかった。でも優しい口付けで、その違和感は薄れた。
アメリアが首筋に口を付けると、肉が裂ける音は思ったよりも静かだった。男の口を左手で塞いで、右手で体を決して離さなかった。
アメリアは、男を食う。喉を、胸を、腹を。人であったものを、人の形のまま、内側から壊していく。
血は外套に跳ねない。彼女の食事は静かだった。
すべてを食したあと、アメリアは静かに息を吐く。満ちることのない空腹だけがあって、だけどこの瞬間だけは胸が脈打っていた。
そして、何事もなかったように城へ戻る。朝になれば、彼女はまた、慈悲深い王妃として微笑むのだ。
月が曇る晩に起きたことなど、誰も知らない。
ただ、男が一人、消えただけ。
◇◇◇◇
行方不明者が三人を超えた頃、噂は形を持ち始める。
夜になると、人が消える。
城下町の人々は、顔を見合わせて、噂を語る。
「化け物だ」
「魔物がいる」
「いや……魔女だろう」
神隠しのように消えるこの現象を言葉にすると、驚くほど簡単に結論に至る。
◇◇◇◇
玉座の間で、王は報告を受けていた。
「失踪者は、すべて城下町の男です」
「共通点は?」
「……特にありません。ただ」
宰相が言葉を選ぶ。
「月が曇る晩に、消えています」
王は、何も言わなかった。
城の者は全員、知っていた。誰の仕業なのかを。
だが、その名を誰も言わない。言えば、国が揺らぐことを知っていたからだ。
◇◇◇◇
その頃、白の魔女は町外れの家で、いつも通り治療をしていた。
「助かりました」
「神様」
「私は神ではありませんよ」
何度目かのやり取り。それでも、今日は空気が違った。
人々は感謝の後、視線を逸らす。噂は、すでに届いていた。魔女の耳にも。
「……最近、変な話を聞きませんか」
誰かが、ぽつりと漏らす。
「夜に人が消えるって」
「血も残らないって」
「白い外套を見たって人もいる」
魔女の手が、一瞬だけ止まった。疑うような皆の視線が魔女に刺さる。
「……私は、夜は出歩きません」
その言葉は、魔女が口にできる精一杯の否定だった。
◇◇◇◇
数日後、城から再び使者が来た。
今度は、震えていなかった。
「王命です」
「城へ来ていただきたい」
命令だった。
謁見の間には、重苦しい空気が満ちていた。
王は、魔女を見なかった。
「最近、城下町で起きている失踪事件を知っているか」
「……噂程度には」
「そうか」
王は、しばらく沈黙した後、言った。
「人々が、君を疑っている」
魔女は、ゆっくりと顔を上げた。
「理由を、聞いても?」
「死者を呼び戻す魔法を使ったと」
魔女の喉が、ひくりと鳴る。
「それは……」
「否定するか?」
問いは、静かだった。だが逃げ道はなかった。
「私は、死者を生き返らせました」
その瞬間、王は、初めて魔女を見た。申し訳なさそうに眉をしかめて。
「……それが、原因だと言われている」
「それが、誰の言葉かは、聞かなくても分かります」
魔女の声は、穏やかだった。
王は、何も答えなかった。
沈黙が、肯定になることを、二人ともに知っていたのだ。
◇◇◇◇
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裁きはなかった。
証明もなかった。
魔女を生かすのは、都合と温情だった。
◇◇◇◇
城門の外で、魔女は振り返らなかった。
白い外套は、ひどく目立つ。
誰かが石を投げた。
次に、罵声が飛ぶ。
「化け物を作るな!」
「ネクロマンサー!」
魔女は、何も言わない。
ただ、歩いた。
国が見えなくなる頃には、清楚な白い外套は、酷く汚れ、破れていた。
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