魔界刀匠伝

兵藤晴佳

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褐色の肌の誘惑

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 まっすぐ都を目指すとはいっても、その途中に村がないわけではない。
 遠くに家の屋根が見えてきたところで、修行僧のアッサラーは、腹の中に溜め込んでいた息をいっぺんに吐き出した。
 立場が立場だから口にはできないのだろうが、それはこう言っているように聞こえた。
「やれやれ、これでようやく人心地がつこうというもの」
 苦行するのが身上の修行僧までが心の中でぼやくとは。
 それほどまでに、雨の降らなくなったこの国で炎天下を歩き続けることそのものは、死ぬか生きるかの戦いだったのだ。
 まず、足りないのが水だ。
 出発のときは、最も重い荷物だったので、たっぷり汲んでおくといっても、おのずから限りがあった。
 ここまでくる間に、ひと口ごとに唇を湿すくらいしか飲まなかったが、それでも水筒の中はほとんど空になっていたのだ。
 だが、村があれば井戸もある。
 私は早速、井戸の番をしていた村人から、なけなしの金と引き換えに買えるだけの水と食料を買った。
 もうすぐ都だという、はやる気持ちが博奕のような金の使い方をさせたのだろう。
 それが、井戸番の不審を誘ったらしい。
「何をお急ぎなさるね」
 しまったとうろたえた私は、言葉に詰まった。
 だが、そこですかさず口を挟んだ者がある。
「この金は前渡し……どこか泊まれるとこ、ない? この人と」
 振り向いてみれば、私と腕を絡めてしなだれかかってくるモハレジュの姿があった。
 井戸番はにやにや笑いながら、顎をしゃくった。
「あっちの納屋でいいか?」
 有無を言わさずモハレジュは、その華奢な身体で私を引きずっていこうと無駄な努力をする。
「早く……恥ずかしいんだからね」
 早い遅いはともかく、恥ずかしいのは私のほうだった。
 そのまま立ち尽くしていると、井戸番が囁き声でけしかけてきた。
「まだ日は高いが、よくあることだ、勝手に使え。後で話はつけておいてやる」
 納屋の中に入ると、モハレジュは勝手に私の荷物を解いた。
 広げた毛布の上に横たわる。
「疲れちゃった……寝かせてよ」
 勝手にしろ、と言って、私は戸口で外の様子をうかがった。
 村の中は村の中で、どんな連中がいるか分からない分、安心できない。
 だが、モハレジュは夢心地のような、ふやけた声で言った。
「大丈夫。男と女がしけこんでる納屋だよ?」
 あまりの物言いに振り向くと、しどけない寝姿でさらした太腿が見える。
 思わず目をそらしたところで、いきなり納屋の戸が開いた。
 モハレジュが跳ね起きる。
「誰?」
 飛びすさって飛刀を構えると、アッサラーが愛想のない顔で言った。
「村人の噂話を聞いて、ここだろうと思ったが……刺客でもいたのか? 炎の皇帝の」
 モハレジュが身体をすくめたのは、もっともなことだった。
 都に近づけば、有り得ないことではない。
 丸腰で追い払った竜騎兵たちの報告は、とっくに届いていることだろう。
 急ごう、とだけ答えて真昼の光の中へ歩み出ると、そこには半人半獣の者どもワハシュたちの頼もしい姿があった。

 日のあるうちに歩けるだけ歩いて、再び野宿することにした。
 獣よけの焚火が消えないように、交代で番をすることになる。
 モハレジュだけは女の身ということで、寝かしておこうということになったが、本人がやると言って聞かなった。
 仕方なく、いつでも代われるように、私が近くで寝ることにした。
 毛布にくるまって、うとうととまどろんだ頃だったろうか。
 ひんやりとしたものを感じて目を覚ました。
 ふと気が付くと、焚火が消えている。
「おい……」
 慌てて身体を起こすと、何者かに引き倒された。
 しまった。
 野盗か、刺客か……。 
「寒くない? フラッド」
 薄い胸を背中に密着させて、耳元で囁くのはモハレジュだった。
 私はとっさに、他の男たちの様子をうかがう。
 狼頭も山猫頭も狗頭人も、修行僧のアッサラーも若い村人たちも、毛布にくるまって身動きひとつしない。
 眠っているのか寝たふりをしているのかは、テニーンに鍛えられた勘で分かる。

「私の息で、感じ取ってごらんなさい」
 隊商を襲った後で二人とも疲れ切った後や、山の中の隠れ家で日が沈むのを待っているときなど、そうつぶやいて目を閉じるのを何度見守ったことか。
 それは、眠っているときなら私を受け入れるという意味にも取れた。
 だが、言われるまま衝動に任せて、その身体に手を伸ばせば身を翻して投げ飛ばされる。
 本当に眠っているときは眠っているときで、すぐに目を覚ましたかと思うと関節を極められて、地面や床に転がされる。
 結果は同じだったが、人が寝ているときとそうでないときの違いだけは、身体で感じ取れるようになっていた。

 モハレジュの腕から難なく脱け出した私は、そのまま立ち上がった。
「寒くはないから、お前が使うといい。私が見張りに立つ」
「じゃあ私も」
 モハレジュが立ち上がろうとしたところで、手の中の毛布を、見上げる顔にすっぽりとかぶせる。
「もう寝ろ、明日も早い」
 言い捨てて立ち去ろうとすると、目の前が突然、真っ暗になった。
「フラッド!」
 足がもつれて転んだところで、頭から毛布をかぶせ返されたのだと気付く。
 それを子どものようにじたばた跳ね返すと、暗い夜空にはたくさんの星が輝いていた。
 思わず大きく見張った目の中、飛び込んできたものに、私は思わず息を呑む。
 星明かりの下で、よく磨かれた木像のように冷たく輝いているのは、服を脱ぎ捨てたモハレジュの肌だった。
「……好きだよ」
「冗談もいい加減にしろ」
 軽くいなして目を背けようとしたときには、モハレジュの姿はもうなかった。
 ただ、重ねられた柔らかい唇の感触だけが残っていた。

 私は、次の日からモハレジュを避けるようになった。
 夜が明けて、都へ向かって荒野を歩きだすと、何事もなかったかのように傍らへすり寄ってきても相手にしない。
 その反対側を歩く半人半獣の者どもワハシュたちを先に歩かせて、その向こうへと逃げる。
「フラッド?」
 再び私の傍に駆け寄るところを何歩か退いて、アッサラーや村の若者たちの後ろへつく。
 モハレジュが立ち止まったら立ち止まったで、先導者になったかのように一同の前を歩くのだった。
 そんなことを繰り返す私たちを、他の男たちは怪訝そうな顔で眺めているので困った。
 モハレジュを、ひとりの女として気にしているのを知られたくはなかった。
 誰もが危険を承知で、もしかすると命を賭けなければならなくなるかもしれない戦いに臨もうとしている。
 そんなときに、士気と私への信頼が失われるのは避けたかった。
 意地でも私の隣を歩こうとするモハレジュを横目で眺めるたびに、夜空の下で見たものが未だに目に浮かぶ。
 艶やかな、張りのある褐色の肌。
 薄くはあるが、はち切れそうな弾力を秘めた胸。
 しなやかな肢体。
 その妄想を振り払おうとして、私はテニーンの身体を思い出そうとした。
 
 流れるような黒髪の背中となまめかしい腰つき。
 後ろから抱きしめて豊かな胸を揉みしだきたいという欲望を、何度かきたてられたことだろうか。

 だが、日が昇るまで、その姿がモハレジュの肢体と重なって仕方がなかった。
 眠れずに朝を迎えた私は、頭上から照りつける日差しを浴びて倒れそうになるのを必死でこらえていた。。
 だが、荒野を歩くのに、身を隠す場所などあるわけがない。
 できるのは、ひたすらモハレジュの死角に入ることだけだ。
「フラッドどこ?」
 遠くから尋ねる声が聞こえるが、どこに行ったわけでもない。これもテニーンに教わった歩法で、はるか先を歩いているだけのことだ。

 夜になるとまた、野宿をすることになる。
 ようやく眠れると安心したが、やはりモハレジュはすり寄ってくる。
「寒い……」
 その度に私は起き上がって寝る場所を変えると、囁き声で助けを呼んだ。
「ちょっと、こっちに来てくれ」
 だが、眠い目をこすりこすりやってきた狼頭のヴィルッドは、隣にに寝てくれないかと頼むと、無言で闇の中へ消えた。
 狗頭人のキャルブンは、一歩後ずさったかと思うと、瞬きする間にいなくなった。
 山猫頭のアレアッシュワティは、毛を逆立てて威嚇する。
 修行僧アッサラーは、合掌して「御免」と言うなり幻のように消えた。
 村の男たちを探してみると、影も形もない。
 残されていたのは、獣除けの焚火だけだった。
 やむを得ず、私はその場に立ったまま、見張りを買って出ることにした。
「危ないんじゃない? 襲われたとき」
 闇の中から聞こえてくる声の言うとおりだが、元はといえば、その主が原因だ。
 何を言う気にもなれずに、焚火の向こうに遠くの闇を眺めていると、いつの間にかモハレジュが傍らに立っていた。
 微かな囁きが、耳元で聞こえる。
「本当は……炎の帝王なんかどうだっていい。フラッドさえ一緒なら」
 そこまでついてくることはない。これは、もともと私の戦いなのだ。
 テニーンを奪い返すつもりで、父から伝えられた秘伝のもとに飛刀を鍛え、炎の皇帝を倒すために都へ向かっている。
 だが、必ず勝てるかと問われても、勝てると断言できはしなかった。
「挑めば死ぬかもしれない。だが、このまま放っておくなと、私の心の奥底で叫ぶものがある」
 その気持ちに突き動かされて、私はここまでやってきたのだった。
 だが、モハレジュは苛立たしげに鼻で笑った。
「変な意地をはってるみたいにしか見えない。目の前にいないのに。生きてるかどうかもわからないのに。心の底から炎の帝王の女になってるかもしれないのに」
 テニーンの生死と節操を真っ向から打ち消されて、私も思わず逆上した。
「そんなことはあり得ない」
 激昂すると、闇の中を見つめていたモハレジュは冷たい眼差しで私に向き直った。
「目を覚ましてあげる」
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