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妹鬼とキスの寸前まで行ったのに我に返って、幼馴染の招く修羅場へ向かいます
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紅葉狩は、いつまでも俺の手の中には収まっていない。
用が済むと、夜闇に溶けるように、どこかへ消え去ってしまう。
羅羽の額に、もう鬼の角はなかった。
咲耶は神主装束のいちばん上の服(たぶん水干とかいうやつ)を羅羽の背中に被せて囁く。
「気にしないでよ。仕方ない、こうなるのは」
鬼であるがゆえに、紅葉狩の力に屈しなければならない。
咲耶が遠回しに言っているのは、そういうことだ。
どうすることもできない事実に、羅羽は悔しそうに唇を噛みしめて震えている。
「肝心なときには、私、足手まといってことじゃない……」
咲耶の手を払いのけると、俺にすがりつく。
鎧武者もいつの間にか消えて、俺の胸には、熱い涙にぬれる羅羽の頬だけが感じられた。
ため息ひとつ残して、咲耶は闇の中へ消える。
夜風と共に、微かな声がどこからか聞こえてきた。
……じゃあ、また、そっち寄るから。
死闘の一夜が明けると、台所からはもう、味噌汁の匂いがしていた。
「おはよう、お兄ちゃん」
早起きしたらしい羅羽が、朝日の中で微笑んでいた。
いつもは俺のベッドの中に忍び込んで、寝息をたてている時間だ。
羅羽はいつにも増して朗らかに、食卓の上へ朝食を並べて可愛らしく手を合わせた。
明らかに、夕べのことを気にしているのが分かる。
俺も、つい、思ってもいないことを口にしてしまう。
「今日、どっか行くか?」
「どこへ?」
意地悪く笑ってみせるのは、俺が困るのを知っているからだ。
こんな狭い街中のどこへ行っても、もう、変わったことなどありはしない。
じぶんで作った朝食に、ごちそうさまと手を合わせると、羅羽は俺の顔を覗き込む。
「そんなに気を遣わなくてもいいってば、いつも通りで」
だが、何がいつも通りなのかと改めて考えると、俺はよけいにうろたえてしまうのだった。
とりあえず、部屋の掃除をしてみたりする。
羅羽は呆れた。
「普通、お盆前にやるもんじゃないの?」
「俺にお盆はない」
机の中を片づけていると、ほとんど手をつけていない夏休みの宿題が出てきたりする。
羅羽は笑ったが、人のことはいえないはずだと言うと、ちょっとむくれた。
「ちゃんとやってるもん、お兄ちゃんの見てないところで」
「夏休みの終わりに、泣きつくんじゃないぞ」
兄貴面して説教垂れてみせると、羅羽は思いっきり舌を出してみせた。
「お兄ちゃんこそ、頼んないでよね、妹」
ふざけ半分のにらみ合いが、いつしか、見つめ合いに変わる。
気のせいか、お互いの顔が近づいているような気がする。
いや、間違いなく、吸い寄せられていた。
羅羽が目を閉じた。
つややかな唇が、俺を待っている。
その甘い息遣いが肌で分かるところまできて、俺は我に返った。
真顔で尋ねる。
「夏休み終わったら、どうすんだよ」
「学校行くに決まってるじゃない」
ムスっとして答える羅羽は、ようやく、いつも通りの顔に戻っていた。
それにしても。
朝早くの澄んだ空気の中、ふたりで制服を着て、いそいそと家を出る日が来るとはどうしても思えないのだった。
そこで、玄関の呼び鈴を鳴らす音がした。
誰が尋ねてきたかは、何となく察しがつく。
玄関のドアを開けると、そこにはタンクトップにデニムのハーフパンツ姿の咲耶が立っていた。
「ちょっと、昔鳥神社まで」
割と恐ろしい思いをしたはずなのだが、それでわざわざ神社と名のつくところに行こうとする神経がよく分からない。
だが、そのときに感じた咲耶の身体の感触を思い出して、俺は慌てて不機嫌さを取り繕った。
「昼前には帰れるんだろうな」
金縛りを避けるためだと気付いているのかいないのか、咲耶は目をそらして素っ気なく言った。
「保証はできないけど」
羅羽は俺の後ろから釘を刺した。
「お昼の準備はしないからね」
咲耶も、負けじと突き放しにかかる。
「いいんだよ、羅羽ちゃんはお昼ご飯食べながら、お留守番してて」
ちゃん……と、お……にやたらとアクセントを置いていた。
これで羅羽の頭に血が昇らないわけがない。
「行くもん!」
こうして、立ち居振る舞いから言葉遣いに至るまで、もとの羅羽が帰ってきたのだった。
蝉の鳴き騒ぐ境内に、行き交う人の姿はまばらだった。
俺たちは咲耶に導かれるまま、奥へ奥へと入っていく。
たどりついたのは、あの空き地だった。
咲耶はその辺りをさっと見渡して言った。
「この街の場合、あいつらはここから出入りしてる」
言われてみれば、まあ、そうなんだろうと思う。
俺たちがこの街で鬼や異界の獣と遭遇したのは、三回に二回までが、この神社の空き地だ。
「行きたいところまで、結界を張るから姿は見えない」
これが、残った一回についての説明だった。
そこで再び、神社の名前の由来を口にする。
「彦星と織姫を会わせる鵲《かささぎ》になぞらえた名前はたぶん、ここが鬼と人の世界の出会うところだからなんだ」
どうやら、それがこの話の確信らしい。
咲耶は、真剣な目で俺を見る。
「話は簡単。ここの出入り口を破壊すればいいんだ。連中の結界の中なら、こことつながってるからどこからでもよかったんだけど、紅葉狩がなかったからね」
そう言うなり、低い声で祭文を唱えはじめる。
ひるなか
はやひのもと
おりたちたまへ
ますらおがもとに
夏休み後半の、どこかけだるい昼前の眩しい光の中、冷たい光を放つ刃が俺の手に煌く。
羅羽は、その場にがっくりと膝をついた。
慌てて駆け寄ろうとする俺を、咲耶は冷ややかに押しとどめた。
「だから来るなって言ったんだ」
咲耶は、紅葉狩の刃を、鍔の辺りから切っ先まで眺め渡す。
「紅葉狩は、鬼を遠ざける。ボクの祭文のもとで克衛が使うんなら、もともと持ってる力で鬼と人の世界の行き来を断てるだろうって……」
咲耶が、人から聞いた言葉をそのまま口にするのは珍しい。
「誰が?」
何の気なしに聞いてみると、咲耶は口ごもりながら答えた。
「僕たちの……統領が」
それを聞いた羅羽は、苦しい息の下から鼻で笑った。
「何よ……大きなことばっかり言って、結局、エラい人たちのいいなりじゃない」
これは、聞いてはいられなかった。
俺は、睨み合いの間に割って入るように口を挟んだ。
「待てよ、羅羽。咲耶は元々、鬼から俺を守るためにひとりで送り込まれてきた退魔師だ。今のだって、向こうで初めて聞かされた戦い方なんだよ」
羅羽は不満げに目をそらしたが、俺は更に畳みかけた。
「俺たちが、言わなかったから」
確かに、鬼と人の世界を断つ俺の力は、羅羽との間だけの秘密だった。
羅羽は咲耶に教えたくはなかっただろうし、俺は俺で自分にそんな力があるなんて認めたくはなかったのだ。
だが、自分の力をどう使えばいいかが分かった以上、これが正念場らしい。
俺は、羅羽にきっぱりと告げた。
「家に帰れ。ここでケリをつければ、もう、鵺笛たちに怯えることもない」
だが、羅羽は帰ろうとしない。
それどころか、額に角を生やして、凄まじい形相で立ち上がる。
鋼の爪もまた、長く伸びていた。
……ぴいいいいいいい……。
どこからか、聞き覚えのある音がした。
女の子らしからぬ雄叫びをあげて、羅羽が高々と跳躍する。
「よせ、羅羽!」
止める俺の頭上をはるかに超えて飛んでいく先には、すらりとした長身の若者がいた。
それが何者であるかは、羅羽の咆哮で分かった。
「鵺笛!」
振り下ろした鬼の爪は、あの三つ又の短剣で受け止められる。
羅羽の腕はあっさりと鵺笛の腕に絡め取られ、身体は片手で地面に押さえ込まれてしまった。
その周りには、次々と人が集まってくる……いや、あれは鬼だと、今までの闘いの中で身についてきたカンが言っていた。
鵺笛は、余裕たっぷりに笑った。
「来ると思っていたぞ、人間」
咲耶が茫然とつぶやいた。
「どうして、昼間に……」
立ち上がった鵺笛は、足もとの羅羽を見やりながら、事もなげに語る。
「我らは、昼間にしか出てこられぬわけではない。鬼として何をするにも、日が落ちてからのほうがよいというだけのこと」
羅羽が、苦しい息の下から尋ねた。
「どうして……その姿で出てこられたの?」
以前は、扉とやらに俺の母さんが睨みを利かせていて、人間の世界には出てこられなかったはずだ。
誰かに取り憑いたり、獣の姿を取らなければごまかせなかったのが、なぜ、元の姿で現れたのか。
鵺笛は、抑えた声でくつくつと笑った。
「あの女はもう、扉を任されてはおらん。それどころか、身動きもままならぬ」
さすがに、俺は激高した。
「母さんに何をした!」
鵺笛は、せいせいしたというふうに答える。
「元はといえば、おぬしのせいよ」
羅羽が、ため息交じりにつぶやいた。
「紅葉狩……」
それを見下ろした鵺笛は、いかにも困り果てたように言った。
「鬼と人との力は釣り合っていて初めて、鬼となった人に扉が任せられる。扉を壊せる者の手に紅葉狩が渡ってしまってはな」
その割に、声は勝ち誇っているように聞こえる。
鵺笛は、鬼たちを見渡して告げた。
「こやつの母によって乱された、鬼の世界を正す! これは我が使命、扉を壊せる者を生かしてはおけん!」
俺を見据えた鵺笛は、獣のような唸り声を立てた。
「恨みも残らず晴らさせてもらうぞ、この顔の傷だけではなく……」
それはたぶん、自分の父親がさらおうとした人間の女を俺の親父に横取りされて、鬼の世界での面子を潰されたことを言っているのだろう。
その女とはつまり、俺の母さんのことだが。
お互い、父親で苦労するなと同情してやりたかったが、火に油を注ぐだけだ。
実際、鵺笛の怒りはとどまるところを知らない。
「それだけではない……掟に背き、その命も奪わず、鬼の子も成さぬ羅羽も、この場で連れていく」
用が済むと、夜闇に溶けるように、どこかへ消え去ってしまう。
羅羽の額に、もう鬼の角はなかった。
咲耶は神主装束のいちばん上の服(たぶん水干とかいうやつ)を羅羽の背中に被せて囁く。
「気にしないでよ。仕方ない、こうなるのは」
鬼であるがゆえに、紅葉狩の力に屈しなければならない。
咲耶が遠回しに言っているのは、そういうことだ。
どうすることもできない事実に、羅羽は悔しそうに唇を噛みしめて震えている。
「肝心なときには、私、足手まといってことじゃない……」
咲耶の手を払いのけると、俺にすがりつく。
鎧武者もいつの間にか消えて、俺の胸には、熱い涙にぬれる羅羽の頬だけが感じられた。
ため息ひとつ残して、咲耶は闇の中へ消える。
夜風と共に、微かな声がどこからか聞こえてきた。
……じゃあ、また、そっち寄るから。
死闘の一夜が明けると、台所からはもう、味噌汁の匂いがしていた。
「おはよう、お兄ちゃん」
早起きしたらしい羅羽が、朝日の中で微笑んでいた。
いつもは俺のベッドの中に忍び込んで、寝息をたてている時間だ。
羅羽はいつにも増して朗らかに、食卓の上へ朝食を並べて可愛らしく手を合わせた。
明らかに、夕べのことを気にしているのが分かる。
俺も、つい、思ってもいないことを口にしてしまう。
「今日、どっか行くか?」
「どこへ?」
意地悪く笑ってみせるのは、俺が困るのを知っているからだ。
こんな狭い街中のどこへ行っても、もう、変わったことなどありはしない。
じぶんで作った朝食に、ごちそうさまと手を合わせると、羅羽は俺の顔を覗き込む。
「そんなに気を遣わなくてもいいってば、いつも通りで」
だが、何がいつも通りなのかと改めて考えると、俺はよけいにうろたえてしまうのだった。
とりあえず、部屋の掃除をしてみたりする。
羅羽は呆れた。
「普通、お盆前にやるもんじゃないの?」
「俺にお盆はない」
机の中を片づけていると、ほとんど手をつけていない夏休みの宿題が出てきたりする。
羅羽は笑ったが、人のことはいえないはずだと言うと、ちょっとむくれた。
「ちゃんとやってるもん、お兄ちゃんの見てないところで」
「夏休みの終わりに、泣きつくんじゃないぞ」
兄貴面して説教垂れてみせると、羅羽は思いっきり舌を出してみせた。
「お兄ちゃんこそ、頼んないでよね、妹」
ふざけ半分のにらみ合いが、いつしか、見つめ合いに変わる。
気のせいか、お互いの顔が近づいているような気がする。
いや、間違いなく、吸い寄せられていた。
羅羽が目を閉じた。
つややかな唇が、俺を待っている。
その甘い息遣いが肌で分かるところまできて、俺は我に返った。
真顔で尋ねる。
「夏休み終わったら、どうすんだよ」
「学校行くに決まってるじゃない」
ムスっとして答える羅羽は、ようやく、いつも通りの顔に戻っていた。
それにしても。
朝早くの澄んだ空気の中、ふたりで制服を着て、いそいそと家を出る日が来るとはどうしても思えないのだった。
そこで、玄関の呼び鈴を鳴らす音がした。
誰が尋ねてきたかは、何となく察しがつく。
玄関のドアを開けると、そこにはタンクトップにデニムのハーフパンツ姿の咲耶が立っていた。
「ちょっと、昔鳥神社まで」
割と恐ろしい思いをしたはずなのだが、それでわざわざ神社と名のつくところに行こうとする神経がよく分からない。
だが、そのときに感じた咲耶の身体の感触を思い出して、俺は慌てて不機嫌さを取り繕った。
「昼前には帰れるんだろうな」
金縛りを避けるためだと気付いているのかいないのか、咲耶は目をそらして素っ気なく言った。
「保証はできないけど」
羅羽は俺の後ろから釘を刺した。
「お昼の準備はしないからね」
咲耶も、負けじと突き放しにかかる。
「いいんだよ、羅羽ちゃんはお昼ご飯食べながら、お留守番してて」
ちゃん……と、お……にやたらとアクセントを置いていた。
これで羅羽の頭に血が昇らないわけがない。
「行くもん!」
こうして、立ち居振る舞いから言葉遣いに至るまで、もとの羅羽が帰ってきたのだった。
蝉の鳴き騒ぐ境内に、行き交う人の姿はまばらだった。
俺たちは咲耶に導かれるまま、奥へ奥へと入っていく。
たどりついたのは、あの空き地だった。
咲耶はその辺りをさっと見渡して言った。
「この街の場合、あいつらはここから出入りしてる」
言われてみれば、まあ、そうなんだろうと思う。
俺たちがこの街で鬼や異界の獣と遭遇したのは、三回に二回までが、この神社の空き地だ。
「行きたいところまで、結界を張るから姿は見えない」
これが、残った一回についての説明だった。
そこで再び、神社の名前の由来を口にする。
「彦星と織姫を会わせる鵲《かささぎ》になぞらえた名前はたぶん、ここが鬼と人の世界の出会うところだからなんだ」
どうやら、それがこの話の確信らしい。
咲耶は、真剣な目で俺を見る。
「話は簡単。ここの出入り口を破壊すればいいんだ。連中の結界の中なら、こことつながってるからどこからでもよかったんだけど、紅葉狩がなかったからね」
そう言うなり、低い声で祭文を唱えはじめる。
ひるなか
はやひのもと
おりたちたまへ
ますらおがもとに
夏休み後半の、どこかけだるい昼前の眩しい光の中、冷たい光を放つ刃が俺の手に煌く。
羅羽は、その場にがっくりと膝をついた。
慌てて駆け寄ろうとする俺を、咲耶は冷ややかに押しとどめた。
「だから来るなって言ったんだ」
咲耶は、紅葉狩の刃を、鍔の辺りから切っ先まで眺め渡す。
「紅葉狩は、鬼を遠ざける。ボクの祭文のもとで克衛が使うんなら、もともと持ってる力で鬼と人の世界の行き来を断てるだろうって……」
咲耶が、人から聞いた言葉をそのまま口にするのは珍しい。
「誰が?」
何の気なしに聞いてみると、咲耶は口ごもりながら答えた。
「僕たちの……統領が」
それを聞いた羅羽は、苦しい息の下から鼻で笑った。
「何よ……大きなことばっかり言って、結局、エラい人たちのいいなりじゃない」
これは、聞いてはいられなかった。
俺は、睨み合いの間に割って入るように口を挟んだ。
「待てよ、羅羽。咲耶は元々、鬼から俺を守るためにひとりで送り込まれてきた退魔師だ。今のだって、向こうで初めて聞かされた戦い方なんだよ」
羅羽は不満げに目をそらしたが、俺は更に畳みかけた。
「俺たちが、言わなかったから」
確かに、鬼と人の世界を断つ俺の力は、羅羽との間だけの秘密だった。
羅羽は咲耶に教えたくはなかっただろうし、俺は俺で自分にそんな力があるなんて認めたくはなかったのだ。
だが、自分の力をどう使えばいいかが分かった以上、これが正念場らしい。
俺は、羅羽にきっぱりと告げた。
「家に帰れ。ここでケリをつければ、もう、鵺笛たちに怯えることもない」
だが、羅羽は帰ろうとしない。
それどころか、額に角を生やして、凄まじい形相で立ち上がる。
鋼の爪もまた、長く伸びていた。
……ぴいいいいいいい……。
どこからか、聞き覚えのある音がした。
女の子らしからぬ雄叫びをあげて、羅羽が高々と跳躍する。
「よせ、羅羽!」
止める俺の頭上をはるかに超えて飛んでいく先には、すらりとした長身の若者がいた。
それが何者であるかは、羅羽の咆哮で分かった。
「鵺笛!」
振り下ろした鬼の爪は、あの三つ又の短剣で受け止められる。
羅羽の腕はあっさりと鵺笛の腕に絡め取られ、身体は片手で地面に押さえ込まれてしまった。
その周りには、次々と人が集まってくる……いや、あれは鬼だと、今までの闘いの中で身についてきたカンが言っていた。
鵺笛は、余裕たっぷりに笑った。
「来ると思っていたぞ、人間」
咲耶が茫然とつぶやいた。
「どうして、昼間に……」
立ち上がった鵺笛は、足もとの羅羽を見やりながら、事もなげに語る。
「我らは、昼間にしか出てこられぬわけではない。鬼として何をするにも、日が落ちてからのほうがよいというだけのこと」
羅羽が、苦しい息の下から尋ねた。
「どうして……その姿で出てこられたの?」
以前は、扉とやらに俺の母さんが睨みを利かせていて、人間の世界には出てこられなかったはずだ。
誰かに取り憑いたり、獣の姿を取らなければごまかせなかったのが、なぜ、元の姿で現れたのか。
鵺笛は、抑えた声でくつくつと笑った。
「あの女はもう、扉を任されてはおらん。それどころか、身動きもままならぬ」
さすがに、俺は激高した。
「母さんに何をした!」
鵺笛は、せいせいしたというふうに答える。
「元はといえば、おぬしのせいよ」
羅羽が、ため息交じりにつぶやいた。
「紅葉狩……」
それを見下ろした鵺笛は、いかにも困り果てたように言った。
「鬼と人との力は釣り合っていて初めて、鬼となった人に扉が任せられる。扉を壊せる者の手に紅葉狩が渡ってしまってはな」
その割に、声は勝ち誇っているように聞こえる。
鵺笛は、鬼たちを見渡して告げた。
「こやつの母によって乱された、鬼の世界を正す! これは我が使命、扉を壊せる者を生かしてはおけん!」
俺を見据えた鵺笛は、獣のような唸り声を立てた。
「恨みも残らず晴らさせてもらうぞ、この顔の傷だけではなく……」
それはたぶん、自分の父親がさらおうとした人間の女を俺の親父に横取りされて、鬼の世界での面子を潰されたことを言っているのだろう。
その女とはつまり、俺の母さんのことだが。
お互い、父親で苦労するなと同情してやりたかったが、火に油を注ぐだけだ。
実際、鵺笛の怒りはとどまるところを知らない。
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