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第十五計 調虎離山《ちょうこりざん》… 敵を自分に有利な場所に誘い出します

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 小さな家を借りて、ディリアとふたりで暮らそうなんていうのは、もちろん冗談だったから気にもしない。
 だから、大広間での朝礼が終わって自分の部屋にもどると、僕はダンジョン探索の疲れですぐに眠ってしまった。
 瞼の裏に浮かぶのは、新しいステータスだった。

 〔カリヤ マコト レベル15 16歳 筋力22 知力25 器用度25 耐久度22 精神力27 魅力27〕 

 タフな身体よりも、しなやかな心で人を引き付けるのを目指すほうが、僕に向いているということだろうか。
 だが、体力なしではやっていけない事態が、部屋の扉のすぐ向こうで起こりつつあった。

 部屋のドアを叩く音で目を覚まして跳ね起きる。
 またオズワルが何か面倒な頼みごとを持ち込んできたのかとうんざりしながらドアを開ける。
 そこにいたのは、大きなバスケットを抱えた、街角の物売り娘だった。
 僕は呆れかえった。
「ディリア……」
 そういえば名前で呼んだことがないのだと思い当たって、様をつけるかつけまいか迷っていたところで、僕の口は柔らかい手で塞がれた。
「声が高いです」
 そんなこと言ってもバレバレじゃないかと思ったとき、バスケットから顔を出した生き物がいた。
 フェレットのマイオが、困り果てたような顔で僕を見上げている。
 これを操っているターニアも、ディリアの突拍子もない行動を持て余しているのだ。
 いずれにせよ城の中では、どう変装してもディリアでしかない娘を放っておいては、何をしようとしているのかと怪しまれるだけだ。
 そこで僕は、敢えて声を張り上げる。
「なりません、ディリア様! このようなお姿で!」
 そう言うなり、その手を引っ掴んで庭へと向かう。
 ディリアが不満たっぷりに、僕の耳元で囁いた。
「街で小さな家を借りて暮らそうと言ったのは、カリヤです」
 まさか、本気で家を探しに出るとは思わなかった。
 それでも一瞬だけ、このまま16歳の少年になって人生をやり直せたらという考えが浮かんで消える。
 ディリアはなおも囁く。
「王位継承権を捨てるのは簡単です。無断で城を出て、再び戻らねば良いのです。ですから、私と……」
 もっとも、自分の齢を考えると、そこまで割り切ることはできそうになかった。
 仕方がない。
 僕は、このまま城の門へ向かうことにした。
 どうせ、門番が呼び止めることだろう。

 いいことなのか悪いことなのか分からないが、城の門は、あっさりと通り抜けられた。
 門番たちは互いに目配せし合いながら、知らん顔して僕たちを通したのだ。
 それはディリアが城内で支持されているということの表れでもあったが、僕の目論見は大いに外れた。
 しかも、さらに困ったことが起こった。
 街中に入ると、市場のある目抜き通りの人混みのどこかで、声が上がる。
「ディリア様だ!」
 たちまち、僕たちの周りには人だかりができる。
「今度はどんな御用で?」
「まさか、リカルドの野郎に追ん出されたとか?」
「姫様のいないところで、好き放題やろうってんだな?」 
 皆、ディリアの身を案じてのことだった。
 どうやら、市中での人気は高いらしい。
 それはそれでいいことなのだが、僕は正直、やられたと思った。
  頭の中に浮かんだ三十六枚のカードの中で、その1枚がくるりと回るイメージが閃く。

 三十六計、「その十五」。
 
 調虎離山《ちょうこりざん》… 敵を自分に有利な場所に誘いだす。

 僕たちは、見張られていたのだ。
 たぶん、リカルドの側近のカストあたりに。
 さっき声を上げたのも、カストか、その手下になった者たちだろう。
 その狙いは、ディリアの出現に熱狂する街の人々を抑える穏やかな、しかし重みのある声が説いてくれた。
「お静まりなさい! 皆さんが騒げば、すぐに城内に知れますぞ!」
 僧侶ロレンだった。
 ひと声で群衆を黙らせる辺り、魅力度を数値化したら僕の比ではないだろう。
 元の世界で教員やってた頃に、このくらいの貫禄があったらと思う。
 ロレンはさらに、街の人々を諭した。
「皆さんに気付かれないから、お忍びというのです。これを近衛兵を抑える宰相リカルドなどが知れば、ディリア様をお守りしている騎士団長のオズワル殿の落度とすることでしょう。ひいては、ディリア様までもが王位継承者としてふさわしくないことにされてしまいます」
 さっきの声がカストの仕業なら、たぶん、そうなる。
 それはロレンも察しがついているはずなのに、今さらそんなことを説いてどうするつもりなのだろうか。
 答えは出せなかったが、とりあえず、街の人たちが収まっただけでもよしとするしかない。
 そう思ったときだった。

「虎だ!」
 人の群れのどこかで、声が上がった。
 僕はディリアをかばって、剣の柄に手をかけながら身構える。
 また、カスト辺りが罠をしかけてきたのではないかと思ったのだ。
 だが、別のところで再び、声が上がる。
「虎だ!」
 撹乱を図るにも、もっとましなやり方がありそうなものだ。
 こんな街の中に、虎など出るはずがない。
 だが、そんな常識は最後のひと声で吹き飛ばされた。
「虎だ!」
 街中のから集まったかに見える群衆が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 確かに、中国の古い諺にもこんなのがあるが……。

  三人言いて虎を成す

 だが、それは正体のないデマなんかじゃなかった。
 僕の頭の上から、翼の生えた虎が飛びかかってきたのだ。
 これも諺にある通りだ。

  虎に翼

 鬼に金棒、ともいう。
 どっちにせよ、まともに戦って敵う相手じゃない。
 頭では分かっているのに、なぜか、僕の身体は勝手に動いた。
 剣を抜き放つ余裕もなく、利き腕でディリアをかばう。
 虎に向けるのは、先王の親友だった魔法使いが残した、あの指輪をはめた左手だ。
 もちろん、そんなことで怯む相手ではない。
 咆哮と共に開けた口には、鋭い歯が光っている。
 もはや、願うことしかできなかった。
 
 ……失せろ!

 その瞬間、翼の生えた虎は消えてなくなった。
  同時に、後ろから駆け寄ってきた者がある。
 ダンジョンの見張りについていた騎士だった。
 空飛ぶ虎が消えた辺りを呆然と見つめながら、ディリアに報告する。
「あれは、いちばん下から現れて、忽然と姿を消したものです」
 つまり、第15層にいたものが、ここにやってきたということだ。
 城に戻って休めという姫君のねぎらいに従って、騎士は馬のたてがみにしがみつくようにしてその場から立ち去る。
 すっかり忘れ去られていたディリアのバスケットから顔を出したのは、フェレットのマイオだった。
 そのつぶらな瞳は、こう言っているかのようだった。

 ……こんなことするのは、ひとりしかいないでしょ?

 闇エルフのエドマだ。
 たぶん「闇の通い路」を開いたのだろうが、とりあえず、現れたものが消えてくれて何よりだ。
 それにしても、なぜ?
 答えてくれたのは、いきなり目の前に現れた、魔法使いのレシアスだった。
「その指輪が気になってね、いろいろと古い書物を調べていたんだよ」
 だから肝心なときにいなかったと言いたいのだろうが、とりあえず助かったのだから、その辺はつつき回さないことにした。
 何が分かったのかと尋ねるディリアに、元は廷臣だったレシアスが丁寧に答える。
「危険と引き換えに願いを叶える指輪でございます」
 願いの指輪ウィッシュ・リングか。
 TRPGの常識に従えば、使用回数と効果には制限があるはずだ。
 あまりあてにすべきものではないので、軽く尋ねてみる。
「使えるのは、あと2回。あの空飛ぶ虎フライング・タイガーも元のダンジョンに戻すのが精一杯といったところかな?」
 レシアスは、一瞬だけ目を丸くしたが、またいつもの冷静な顔をして頷いた。
「さすがは異世界召喚者殿といったところでしょうか」
 それが皮肉めいて聞こえるのは、先回りして答えられたのが面白くないからだろう。
 僕は別に気にもしないで、これからすべきことと、指輪の求めるリスクとの損得勘定を始めていた。
 
 たどり着いた結論は、これだった。
 ダンジョンを地下へと降りていく僕の後ろをついてくるディリアは、未だに半信半疑だ。
「本当に、私たちだけで大丈夫なのですか?」
 最初にひとりでダンジョンに乗り込んだ姫君の言葉とも思えない。
 僕は振り向いて、ディリアの手元をちらと眺めながら笑ってみせた。
「マイオがいるじゃありませんか」
 バスケットの中から、名前を呼ばれたフェレットが顔を出してきょろきょろする。
 ロレンとレシアスに策を託して、僕が選んだ策はこれだった。
 
  虎穴に入らずんば虎児を得ず 

 そんなわけで、ダンジョン最下層の番をしていたドワーフのドウニは、にやりと笑って僕たちを見送る。
 魔法使いのワイトがいた第14層の奥には、魔法で施錠された扉があった。
 ディスペルをかけて開けると、ディリアは称賛の眼差しで見つめてくる。
 こんなことなんでもない、といわんばかりのゆっくりした足取りで、僕は奥の洞窟へと踏み込んでいった。
 カンテラの灯にはいくつもの分かれ道が照らし出されるが、短く吠える声を追っていけば何ということはない。
 やがて、僕たちの目の前に現れたのは、青い燐光に包まれた空飛ぶ虎フライング・タイガーだった。
 ゆっくりと歩み寄ってくる無敵の幻獣を前にした僕は、ディリアに囁いた。
「これ持ってて」
 カンテラを預けると、冷たく光る虎の目を見つめ返す。
 ここから先は、精神力の勝負だ。
 ゆっくりと剣を抜いて、空飛ぶ虎を牽制する。
 そのまま、どれほど経っただろうか。
 短かったとも長かったともいえる間を経て、先に仕掛けてきたのは虎のほうだった。
 
 ……そこだ!

 ターニアのアミュレットが教えてくれる弱点めがけて振るった剣が、軽々とかわされた。
 闇の奥へと、燐光が跳びすさる。
 それは着地したかと思うと、再び宙へと舞い上がった。
 だが、どれだけ広かろうと、洞窟の中は洞窟の中だ。
 高さと広さには、果てがある。
 一定の間を開けて襲いかかってくるところで急所を狙えば、虎は退くしかない。
 いつしか、僕は飛べなくなった虎を洞窟の隅へと追い詰めたようだった。
 これはこれで、まずい気がする。
 
  窮鼠猫を噛む

 ましてや、相手は虎なのだ。
 死に物狂いで向かってこられたら、その猛攻を凌ぎきれるかどうか。
 しかし、その心配はなかった。

 ……カリヤ、任せて。

 ターニアの声がしたかと思うと、虎はすごすごと闇の奥へと消えていった。
 ディリアの籠を眺めてみると、フェレットのマイオが顔を出している。
 たぶん、マイオを通して、ターニアが「動物制御アニマルコントロール」の魔法をかけたのだろう。
 
 ……最初から使えなかったかな、それ。

 僕が心の中でぼやくと、ターニアの声が頭の中に語りかけてきた。

 ……あそこまで強力な相手になると、戦意をなくさなくちゃ効かないんだ、この魔法。

 やったね、の声に、思わず自分の顔がほころぶのが分かる。
 それを怪訝そうな顔で見つめるディリアに気付いて、とりあえず、神妙な顔でカンテラを受け取る。
 洞窟の中から虎がいなくなったのを確かめて、僕たちは街へと戻った。

 すっかり暗くなった街の中では、手に手に燃える松明を持った人たちが待っていた。
 たぶん、街の人たちではないだろうというのは、予め見当がついていた。
 リカルドの率いる、近衛兵たちだ。
 槍試合に負けてからはたぶん、忠誠など誓ってはいないだろう。
 だが、職務と認めることについては、リカルドの命令ひとつで動いても不思議はない。
 近衛兵たちが僕たちの周りを取り囲むと、正面には、そのリカルドの姿があった。
「このまま王位継承権をお捨てになるということでよろしいでしょうか?」
 僕を見上げるディリアの眼差しが、熱い。
 だが、聞いてやれないこともある。
 僕には僕の腹積もりがあった。
 ディリアのバスケットのなかで、マイオがキキッと鳴く。
 静かに、静かに、歩み寄ってくる者たちの気配が分かったのだろう。
 それに気づいた近衛兵たちがうろたえ始めた。
 やがて、僕たちを取り囲んだ街の人たちの中から、異口同音に声が上がる。
「姫様を追いだしたいんだったら、先の王様の書付を持ってこい!」
 もちろん、野太い声がロズで、若い方の声がギルだ。
 それに応じた街の人たちが、わっと一斉に叫んだのは、ロレンが城内での事情を説いて、同情と義憤を覚えさせたからだ。
 いつもは静かで堂々としている近衛兵たちが、にわかにうろたえはじめる。
 これこそが、僕の策だった。

 三十六計、「その十五」。
 調虎離山《ちょうこりざん》… 敵を自分に有利な場所に誘いだす。

 リカルドがやったことを、そっくりそのままお返ししてやったのだ。
 街の人たちの叫び声に目を閉じたディリアは、うつむいて何か考えているように見える。
 やがて、ぽつりとつぶやくのが聞こえた。

 ……ありがとう、カリヤ。

 ディリアは顔を上げると、リカルドを見据えて言い渡した。
「城へ戻ります」
 そのまま、まっすぐに歩き始めると、街の人たちは歓喜の声を上げる。
 苦虫を噛み潰したような顔で、リカルドが僕たちの後に付き従うと、近衛兵たちは何事もなかったかのように続いた。
 こうして、僕の願いは叶った。

 空飛ぶ虎フライング・タイガーをダンジョンで倒すのと引き換えに、ディリアを無事に城へと戻す。
 
 その後はディリアも懲りたのか、お忍びで街へ出ようと言い出すことはなくなった。
 先王の遺言状はというと、探しだそうにも、指輪からは何の手がかりも見つかることはなかった。
 願っても、それまだ、は叶わないだろう。
 たぶん、僕もディリアも、まだそれだけのリスクを冒してはいないのだ。
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