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上つ方々
しおりを挟むフレイが小腹を満たし、十二姫――いや、コラールが新しくなった自分の体を、神職たちから助言をもらいつつ確認していたその頃。
泉の間を辞した(追い出された、ともいう)者たちの中でも、見届け役として参加していた数人が集う一室での会話である。
「まさか、このような結果になるとはな」
「記録によれば、先代の灘妃は王子をお選びになられた。その前も、王弟殿下と添われておられる。無論、必ずしも先例に倣うというわけではないが……」
「ああ、此度もお二人のうちのどちらかをお選びいただけるものとばかり思っていた。それが、なぁ……」
顔を突き合わせているのはアンジールの宰相と、王の側近をつとめる者たちだ。宰相はとある侯爵家の出身で、側近らも同じような家格の者で構成されている。現王が即位して以来、その目となり耳となり、手足となってアンジールを導いてきた、政においては非常に優秀な者たちであるのだが、さすがの彼らにしてもこの結果は予想外もよいところだったようだ。
「確か、八代前の灘妃であられたか? 伯爵家の者をお選びになられたことがあったと記憶しているが」
『灘公選定の儀』は国の秘事であり、詳細は伏せられているのだが、それでも政に関することで伝えられている事柄もある。
「左様。ただし、記録によればその方は幼いころから神童の誉れも高く、当時の王太子殿下のご学友として異例の抜擢を受けていた、とあったはずだ」
「この度も同じ伯爵家の者ではあるが、誰かあの者――いや、灘公殿下を、この儀より前に見知っていた者は? どのような些細なことでも構わぬ」
一人の問いかけに、残りの者が沈黙を守ったのは、つまりはそう言うことだ。
先例にのっとって六十名の候補者を用意してはいたものの、王太子か第二王子、悪くとも彼らが含まれる集団の中から灘公が選ばれるのを疑っていなかった彼らである。
また、その身分や職務からして、普段から王都で暮らし、晩餐会や舞踏会などに顔を出していた者ならばともかく、大して目立つ功績もない伯爵家の四男、しかも地方騎士ともなれば数合わせ要員としての選考に上がってくる段階までその存在すら知らなかったくらいだ。
「……ラゼルム伯の子息であられましたな。北方軍に所属されておられる、と」
「うむ。騎士になられた折の成績は、かなり上位であったかと。また、身辺には浮いた噂はなく、軍での査定も悪いものではなかったはず。そのままであったなら、近々、近衛に推挙の話もでていただろう、とも」
空気を読んだのか、遠慮がちに口を開く者もでてくるが、その程度のことならば選考の折に提出された調査書に書いてある。言い換えれば、書いてある程度のことでしかない。
「王城に知らせは?」
「すでに走らせております。殿下のご実家であるラゼルム家にも、そこから使者がおくられるかと」
「いや、待て。選定の儀の折に、殿下は『父の姓は名乗っていない』とおっしゃられていた。それはすでにご実家とは縁を切られているということではないのか?」
「それは……では、そこを確認せぬことには、不用意に知らせられませぬか」
「いずれにしても、王城に戻り、陛下とご相談の後、だ」
「では?」
「ああ」
想定通りに事が進んでいれば、すでに戻っていたはずだった。それを、こんなところで顔を突き合わせているのは、驚愕の事態になってしまい、さすがの彼らも落ち着く時間が欲しかったためだ。
しかし、それもそもそも時間切れになりつつある。
王に謁見し、一部始終を見ていたものとして、詳細な報告の義務もある。
「だが、まぁ……殿下のおっしゃられていたことが真であれば、少なくとも外戚の影響は少なくて済みそうだな」
「不幸中の幸いと申し上げては、不敬になるやもしれませんが」
少なくとも一つは明るい知らせをもたらすことができる。王にとっても、彼らにとっても。
そのことを心の支えとして、重い腰を持ち上げる彼らであった。
そして、やはり同じ頃、神殿のまた違う一室に集う者たちがいた。
「何故だ、何故っ!? 何故に、灘妃は私を選んではくださらなかったのだっ」
「兄上、どうかお静まりを」
「お気持ちは痛いほどわかりますが、殿下。ここはまだ神殿でございます。万が一にも灘妃様や灘公殿下にお声が聞こえては……」
沈痛さを漂わせながらも、落ち着いた面持ちで話し合いをしていた重鎮らとは対照的に、ここでは局地的な嵐の様相を呈していた。
「殿下? 殿下だとっ! あれはただの伯爵家の息子ではないかっ」
「で、ですが、灘妃様が選ばれたお相手は、灘公になられます。大公でいらっしゃるわけですから、尊称は殿下となり……」
「そんなことはお前に言われなくともわかっているっ。私が言いたいのはっ、そうではなくっ!」
「――兄上がおっしゃられているのは、元が伯爵家の四男で、騎士の身分しか持たぬ者が、ご自身を差し置いて灘妃に選ばれたという理不尽についてですよ」
「しかも、あの顔! あのような平凡な容姿の男に、この私が劣るとでもいうのかっ」
室内にいるのは王太子、弟王子、それと王太子が即位して後はその側近となるべく育てられた者たちである。取り巻き、といってもいい。
そして、先ほどから怒声をあげている王太子だが、確かその評判は『輝くような金髪に青く澄んだ瞳、凛々しく整った容貌。王太子として立てられるだけあって性格能力共に素晴らしい、理想を絵にかいたような貴公子』だったはずだ。しかし、この様子を見るとその評判に対して疑問が生じる。
自分が選ばれなかったことに対する怒りは、仕方がないだろう。三年前に父王より『灘妃』のことを教えられて以来、期待に胸を膨らませていたのだ。
王家に伝わる過去の灘妃の肖像画を見ることができたのも大きい。いずれも美しく神秘的な容姿であったのに加えて、『女神の加護により、夫となった者と、終生睦まじく幸せに過ごした』という伝承付きだ。
幸福が約束されている美しい妻との婚姻だ、それを望まない者がいるはずがない。
とはいえ、それも灘妃次第である。好みや相性の問題もある。必ずしも自分が選ばれるとは王太子も思ってはいなかった。弟や、幼いころから周りにいた誰かが選ばれた場合、失望を押し隠して祝福するくらいの心構えはできていた。
ところが、灘妃が選んだのは、自分や弟、学友等の誰でもなく、顔も名もしらない騎士風情。実家だという伯爵家は、王族のたしなみとして記憶の片隅にあったものの、特筆すべき功績もなく、その領地に重要な産業があるわけでもない。
そのような相手に負けたかと思うと――ついでに言えば、身分だけではなく、容姿に関しても絶対に自分の方が上だという自負もあった――心安い間柄の者しかいないということもあり、つい本音が出てしまった次第だ。
理想の貴公子などと呼ばれていても、実際に、そんなきれいごとだけで生きていけるものではないし、普段はきちんと猫をかぶっているのだから、問題はないのであるが。
生まれてこの方、挫折らしい挫折を経験したことがなかった分、図らずしも脆い部分があると露見してしまった。
「兄上。両殿下のみならず、神殿の者の耳目もございます。少し声を抑えてください」
彼に比べ、弟王子の方が格段に落ち着いていたりする。今も、自分も選ばれなかったという失意の真っただ中にありながら、周囲に気を配り兄をなだめるあたり、突発事項に関する対応力もあるのだろう。ゆくゆくは独立して公爵家を興す予定であるが、この弟が付いていれば王国の将来も安泰、と側近(候補)たちがひそかに安堵したのは王太子には秘密だ。
「灘妃がお選びになられたのは、あの方。それはもう、変えようがありません。それよりも、否応なく今後の我々は灘公殿下と付き合っていかねばなりません。その対応を考える方が急務かと」
「あんな男が、我らと同列に扱われるかと思うと、腸が煮える思いがするぞ」
「それでも、です。それに、灘公殿下と同等に扱われるのは兄上だけ。我らは、その下となりましょう」
「お前のことを下に見るだとっ!? そのようなこと、私が許さんっ」
念のために言い添えておくが、現時点で新灘公――フレイが、王太子らに何かをしたわけではない。その存在すら知らなかったのだから、当然だ。だが、突然現れて、横から灘妃をかっさらっていった(王太子視点)相手に、好意的に接しろといわれても……といったところだろう。
「そのお心はありがたく存じます。ですが、それにより兄上が悪しざまに言われるようなことは、私をはじめ、皆も望んではおりません」
それでも、懸命になだめる弟の様子に、王太子も思うところがあったようだ。
「……良いだろう。王太子としての節度は守る。だが、それだけだ。そして、新たに得た地位に増長するようなことがあれば、容赦はせんぞ」
「それでようございます。私とて、好んで相手をするつもりもありませぬ故」
……第二王子も、やはり腹に据えかねていたらしい。そのほかの者も盛んにうなずいているところを見ると、先に王太子が爆発してしまったために宥め役に回りはしたが、心の奥底にあるのは同じだということだろう。
「それと。灘公選出の儀が終わったのですから、我らの身辺もいささかなりと騒がしくなりましょう。新たな灘公にかかわっている暇はあまりないかもしれません」
「どういうことだ?」
「まずは兄上。我々もそうですが、まずは貴方様の妃となる者を決めねばならない、ということです」
「そういえば……そうであったな」
『独身で婚約者もいない者』という灘公の選定基準のために、この場にいる全員が、今まで正式な婚約者は定められていなかった。その中でも特に王太子は、その妃、つまりは未来の王妃への野心を燃やしている家(娘)が非常に多い。が、選定の儀よりも前にそれを口に出すのは『王太子は灘妃に選ばれないだろう』と言っているのも同じである為に、大っぴらに行動できなかったのだ。ただし、それは表に出ないだけで、これまでも水面下では激しい蹴落とし合いが繰り広げていたはずだ。そして、今から先は、それが堂々と行われることになる。
「想像しただけで、気が重くなるな」
「それは、我らとて同じでございます。しかし、国の将来のためにも避けては通れません」
「ああ。それは重々わかっている。わかってはいるが……」
その時の王太子の脳裏に浮かんでいたのは、先ほど目にした灘妃の姿だった。
『新灘公』への怒りを爆発させたことと、それに続いて弟らに宥められたことで、冷静さを取り戻した王太子は、ここで改めてそれを思い出していた。
金一色の眼(まなこ)には驚いたが、それを別にすれば、今まで目にしたことのないほどの美貌だったと記憶している。その他の灘人特有の身体特徴も、夫を選んだ段階で灘の女神の御業により自分たちと同じになると教えられていたので、問題はない。
宮廷に集う高貴な女性たちから絶賛されてはいたが、滅多に使ったことがなく、またその必要もなかった極上の微笑を浮かべ、完璧な作法で跪き、その手を請うた。それなのに……。
「どうしてこの手を取ってはくださらなかったのか……」
諦めきれない思いを乗せた、深いため息をつく。
諸々の事情も相まって、王太子が復活するのはもう少し時間が必要であった。
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