蹴落とされ聖女は極上王子に拾われる

砂城

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1-2

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「――実は私、神様にここに連れられてきたみたいなんです」

 そう口に出した途端、絵里は自分の説明能力のなさに頭を抱えた。いきなり『神様』はないだろう。
 案の定、ライムートは目を見開いて『こいつ正気か?』といわんばかりの顔になった。その表情をなるべく見ないようにして、絵里は言い訳じみたセリフを口にする。

「一応言っておきますけど、今のところ、自分の頭は正常に動いてると思ってます」
「ああ、受け答えからして、それは俺も感じる。すまんな、少し驚いただけだ。続けてくれ」

 ライムートは、絵里の言葉を頭ごなしに嘘、あるいは変人のたわ言と決めつける気はないようだ。
 そのことにほっとして、今度はもっと慎重に話す内容を吟味しつつ、彼女は話を続ける。

「えっと、まずは私のことを説明します。私は日本という国で生まれて、そこの大学という教育機関に通っていた学生です。家族は……両親がいましたが、今はどちらも亡くなって、親戚とかもあんまり知らないので、所謂いわゆる天涯孤独てんがいこどくってやつですね」

 絵里の身の上は、昨今の女子大生にしては結構ハードなものだ。
 幼いころは、勿論もちろん、両親がそろっていた。父親はとある会計事務所に勤める会計士で、母は看護師という、忙しいながらも幸せな家庭。それが変化したのは、絵里が幼稚園に通っていたころである。通勤中の不慮の事故により、父が他界したのだ。
 幸いなことに、保険金や各種の社会保障があり、また、母が看護師という母子家庭において最強ともいえる資格を持っていたため、経済的な不自由はほとんどなかった。
 ただ、再婚もせずに一人で自分を育ててくれる母の背中を見て育った絵里は、横道にそれることをよしとせず小中高と無難に過ごして、とある福祉系の大学に合格する。
 絵里としてはそこで取れる限りの資格を取って、苦労してきた母に卒業後少しでも恩返しをと考えていた。けれど、ここで二度目の不幸に見舞われたのである。
 母が、いきなり倒れたのだ。絵里は大学二年生になったばかりだった。母は看護師で毎年、健康診断を受けていたのだが、健診の間に悪性のしゅようが発生していたのだ。
 余命は――わずか半年。正にあっという間の出来事だった。
 当然、悲嘆にくれた絵里であったが、母の最期の願いにより学業を最後まで続け、『自分自身の幸せ』をつかむための努力を進めようとした。

「学費――学校に行くための資金は父や母が残してくれていましたし、私も二十歳になっていたので、苦労はありましたけど学業を続けました。このまま卒業して、どこかに就職してって思ってたんです。けど、大学のキャンパスを歩いてたときに、同級生の一人にからまれて――担当の教授に提出しようとしてたレポートをその彼女に奪われそうになりました」
「彼女……女か。そいつは盗賊とうぞくか何かか?」
「いえ、そうじゃないんです……レポートもわかりづらいかな。えっと、研究結果みたいなのです。で、それを横取りしようとしたんですよ。彼女には前にも同じことをされてたんで、当然、私は抵抗しました。それで、もみ合ってるときにですね、いきなり足元に変な光が湧いて……気が付いたら、どこもかしこも真っ白な場所に立っていたんです。そこで『神』と名乗る相手に、無茶苦茶なことを言われたんですよ」

 自分の身に実際に起こったことであるのに、口に出してみると荒唐無稽こうとうむけいとしか言いようがない。だが、それでも事実は事実なので、それらの出来事を絵里は素直に口に出す。

「なんでも、私たちの世界から、こっちの世界に魔素? マナ? とかいうものを送る必要ができて、その運搬係に私を選んだとかなんとか……」
「マナ? そいつは、本当にそう言ったのか?」
「え? ええ――えっと、そのままじゃないんですけど、大体はそんな感じでした」

 あり得ない状況に混乱しきっていたために、うろ覚えだが、懸命に記憶を掘り起こして我が身に起こったことを説明する。

「私たちの世界――地球には、そのマナとかいうのがすごくいっぱいあるんだそうです。ところがあまりにも増えすぎて、環境に悪い影響が出そうになったので、足りてないところに送りたい、と。でも、そのマナだけを送ることはできず、だれかにたくす必要があって、それで家族のいない私を選んだって言ってました」

 さらに付け加えれば、移動は一方通行であり、元いた世界に戻ることはできない。そのために天涯孤独てんがいこどくな者を選び、たまたまその役割を絵里が果たすことになった、という次第だ。
 本来であれば転移後、絵里はとある国で大切にもてなされる予定だった。それが、彼女の世界の神からマナの移譲を持ち掛けられた、こちらの世界の神によるアフターケアだという。
 ところが、だ。

「本当は私だけのはずだったんですけど、どうしてかもう一人、移動させちゃったらしいんです。神様が言うには、もみ合ってたおかげでその人――私のレポートを盗ろうとした相手で片野春歌って人なんですけど――その人が私の付属品みたいな感じに判断されたらしくって。それで、そのことも踏まえた上で神様が話していた途中で、彼女がキレちゃって……そこから出るなって言われてた光の模様の外に、私を突き飛ばしたんです。そしたら、なんか神様が慌てだして、早く戻れって言われたんですけど、そうする前にいきなり足元がなくなって――」

 気が付けば、何もない空中に放り出されていた。当然、重力にしたがい落下一直線だ。
 落ちた場所が海だったのは不幸中の幸いかもしれないが、溺れかけ陸に着いた途端に気を失う羽目になったのだから、やはり不幸といえる。
 その話を聞いたライムートは、絵里が言う『光の模様』とは、転移陣の一種だろうと言った。彼いわく、こちらには『魔法』というものがあるそうだ。
 けれど今はそれ以上教えてくれず、絵里に話の続きをうながした。

「海面にたたきつけられて死ぬってことはなかったんですけど、ホントに何度も死を覚悟しました。泳いでいる間にさめか何かが来て、一呑みにされちゃうかもって生きた心地がしなかったです。けど、しおがよかったのか、なんとか岸までたどり着けたんですよ」

 そして、気を失っていたところを目の前のライムートに拾われた、というわけである。

「なるほど……いや、全部を理解したわけではないが、とりあえず苦労したのはわかった」
「ありがとうございます」

 なんとも微妙なライムートの言葉だが、自分自身でも完全には理解できていないことを、そう言ってもらえるだけで十分だ。

「すみません、説明が下手で……」
「いや、どんなに言葉たくみに話されても同じだったろう……で、とりあえず、リィ。お前さん、もう二十歳を過ぎてるってのはホントか?」

 まずはそこですか、と。絵里は心の中でがっくりとひざをつく。それでもライムートがある程度、彼女の身の上について理解を示してくれたことに安堵あんどを覚えた。

「本当です。今年で二十一になりました。私がいたところでは二十歳が成人の区切りで、それ以上大人として扱われてます」
「ってことは、本当に大人なんだな……しかし、それでいて学生? リィは女だろう?」

 彼のこの質問で、ここが男尊女卑な世界であるらしいことが絵里にはわかった。中世あたりの価値観であれば当然のことだろうから、それについて反駁はんばくしたりはしない。

「私がいたところでは、男女平等に学ぶ権利が与えられているんです。ですから、女性であっても希望すれば学校に通うことができます」
「口調からして、学があるってのは本当のようだし……成程なぁ」

 二人とも食事は終えていて、今はぱちぱちとぜる焚火たきびを見つめながらの会話になっている。
 すでに日はとっぷりと暮れ、周囲は真っ暗だ。街灯はおろか民家らしき明かりの一つも見えない漆黒しっこくやみに寒気を覚えた絵里は、そっとライムートに身を寄せた。

「怖いのか?」
「ええ……ちょっと。こんな真っ暗なんですね、こっちの夜って」
「夜が暗いのは当たり前――でもなさそうだな。リィの世界の夜はどんなだったんだ?」
「国や地域にもよりますが、もっと明るいですよ。少なくとも私が住んでいたところはそうでした」

 道路には街灯があり、家から明かりがれ、ネオンサインや車のヘッドライト等が輝く。それらが当たり前だと思っていた絵里にとって、この原始のような夜は驚きである。
 体を丸めて小さくなっていると、その頭にそっとライムートが手を伸ばしてきた。

「そう怖がるな。何かあってもリィのことは守ってやる」

 その手は節くれだっているし、てのひらにいくつもタコがあって、がさついた感触がする。それなりの年数を生きた者の手だ。
 それが、思いがけないほどの優しい動きで絵里の頭を何度もでた。誤解を解いたはずなのに、まだ子ども扱いされている気がして不満だが、それでもその感触は心地いい。

「心細いだろうが、少なくとも今は俺がいるから、な?」

 そう言いながら、カサついた皮膚に小さなしわがいくつもよった顔を優しく微笑ほほえませている。
 ほ、れてまうやろーっ、とは絵里の心の叫びだ。すでに一目れ状態なのだから、さらにれ込んでしまう、というのが正解だろうか。
 理想のかたまりのような相手にこんなことを言われて、夜のやみへの恐怖も、これから先どうなるのだろうかという不安も、一時的に絵里の頭から消えていた。

「ってことで、今夜のところは寝ておけ。疲れてるだろうし、暗い中であれこれ考えたって、ろくなことにゃならん。続きはまた、明日だ」

 その言葉に素直に頷き、絵里はライムートに体をもたせかけて目を閉じたのだった。


 翌朝、日が昇るのとほぼ同時に絵里は目を覚ました。
 眠りについたときには座った状態だったはずだが、気が付けば敷物の上に長々と体を伸ばしている。その下は地面で決して寝心地はよくないのだが、目を閉じてから今までの記憶が一切ないことを考えると、熟睡してしまっていたようだ。しかも相変わらずのミノムシ状態。
 この状態でよく爆睡できたな私、と思ったところで、彼女はとんでもないことに気が付く。
 ――あれ? 確か、こういうときって交代で見張りとかするもんじゃ……?
 原始的な野営の知識などないが、子どものころに読んだ金の指輪を火山の火口にぶち込むために旅をする某古典ファンタジーだと、そうだったはずだ。
 絵里は慌てて飛び起きた。その際に、みの――布に足を取られて転びかけたのはご愛敬だ。びを言おうとライムートの姿を捜すが、見あたらない。
 おいて行かれたとは思わなかったものの、彼の不在に自分でも意外なほどの心細さが湧き上がる。
 ぐるぐる巻きの布を足部分だけたくし上げ、なんとか立ち上がると、素足のままで敷物から降りた。ライムートを捜しに行こうとしたところで、声が聞こえた。

「起きたか? 体の調子はどうだ?」

 快活に笑う髭面ひげづらは、朝の光の中で見ても、(絵里にとっては)渋くて素敵な男前だ。うっかり見とれそうになる気持ちを引き締めて、朝の挨拶あいさつを口にする。

「お、おはようございますっ。すみません、ずっと寝ちゃってたみたいで、その……起きたらライさんがいなくて……」

 絵里の言いたいことに気が付いたのか、笑顔のままライムートが言う。

「すまんな、ちょいと周囲を見回ってきたんだ。このあたりはそれほど危険なところじゃないんで、俺もそこそこ眠れたから気にするな」

 そこそこ、ということはやはり夜の間、ライムートが一人で周囲を警戒してくれていたらしい。

「立ち上がれるなら、体のほうも大丈夫だろう。安心したぞ。それなら、顔を洗いたいんじゃないか? 近くに水場があるから、着替えたら一緒に行こう」

 改めて謝罪を口にする前にどんどん話が先に進み、絵里はその機をいっしてしまう。それに、顔を洗えるというのは魅力的だ。
 昨日のことを思えば当たり前なのだが、体中がしおくさい。髪の毛もなんだかじゃりじゃりする。絵里はライムートの提案に飛びつき、結局、謝るチャンスを逃した。
 ライムートを待たせたくなかったので、焚火たきびですっかり乾いていた服を手早く身につける。その間、ライムートはちゃんと後ろを向いてくれていた。
 意外なことに、服はあまりしおのにおいはしなかった。もしかすると、絵里が気を失っている間に、水洗いでもしてくれたのかもしれない。

「できました」
「おう、ならいくか」

 用意が整ったと告げると、そのままライムートが歩きだす。その後ろを追った絵里は、そこで初めて一夜を過ごした場所の周囲を確認した。
 少し離れた場所にある波打ち際は砂で、絵里たちがいた岩陰あたりから土と緑がまじり始める。海は青く、また空も青い。日差しはやや強く、夜の間もそれほど冷えなかったことから初夏、あるいは初秋だと思われた。穏やかで過ごしやすそうな気候だ。足元にある植物も生き生きとしている。

「きれいですね……」

 思わずつぶやいた絵里に、ライムートが苦笑しつつ答えてくれる。

「まぁ、今はそう見えるな」
「今は、ですか?」
「ああ。つい先日――というか、おとといまではこんなふうじゃなかったぞ」

 歩きながらライムートが説明する。

「天候が不安定で、海は荒れ、作物の実りもかんばしくなかった。別にこの辺だけの話ではない。ここ数年、どこも同じようなものだ。おかげで、旅をするにも難儀したもんだ。ところがな……」

 昨日、彼は海沿いの街道を移動しており、ふと海に目をやると、天から何かが落ちてくるのが見えたと言う。昼でもたまに見えることがある流星かとも思ったが、何やら胸騒ぎがしたために、確認しようと海岸に進路を変えたのだそうだ。

「……それって、まさか?」
「リィだったのかもしれんな――おっと、ここだ。体も洗いたいだろう? 覗いたりはしないから、安心していいぞ」

 ライムートの言う『水場』は、岩の間からちょろちょろと水が湧き出て、それが小さな水たまりになっているところだった。流れ出ていく先がないのは、地面に染み込んでいるせいだろう。体をひたせるほどではないが、しおまみれの体をきれいにするのには十分だ。

「ありがとうございます。じゃ、遠慮なく」
「……そこまで信用されると、かえって覗きにくいな」
「覗く気だったんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……まぁ、その話はいい。それより、さっきの続きだ」

 言いながら、ライムートは背を向け少し離れたところで座り込む。「別にライさんになら、もう見られた後だし……いや、でもやっぱりこんな貧相な体じゃ……」という絵里のかすかなつぶやきは、その耳には届かなかったようだ。

「それでだな。俺が行った海岸はいつも通り荒れてたんだが、その先の海が……なんていうか、久々に晴れて、波も信じられないくらいに穏やかになってた」

 沖の一部分のみが穏やかに晴れ、しかもそれが次第に広がっていったという。彼は信じられない思いで、かなりの時間、その様子にくぎ付けになっていたらしい。そして、ようやく我に返ったところで、海岸からやや離れた場所を泳ぐ人影を発見した。
 そのころにはライムートの立っている海岸にまで変化が及んでおり、もしやその人物が何かを知っているのではないかと考えて近づいたのだ、と説明する。

「俺がそこへ到着する少し前だな、リィが陸にたどり着いたのは。急いで行ってみたら、気を失ってるし、体は冷え切ってるしで……」

 それで、とりあえず疑問は置いておいて、絵里の救命を優先してくれたのだという。

「私、運がよかったんですね……本当にありがとうございます」
「気にするな。旅をしてりゃ助けたり助けられたりは当たり前だ。で、だな――そういういきさつだから、昨夜のリィの話も、まぁ『そういうこともあるか』と思ったわけなんだが……」

 そこで一旦彼が、言葉を切る。その沈黙が何やら意味深に感じて、絵里は体を洗っていた手を止めた。

「思って……どうしたんですか?」
「話すかどうか迷ったが、どのみち、そのうちわかることだし……もしかすると、少々面倒なことになるかもしれん」
「え?」
「リィが本当に『界渡かいわたり』――ああ、こっちじゃそういうんだ。たまに、そういった奴らが現れるらしい。といっても、何十年、何百年に一回とかの話ではあるんだがな。で、そうだとして、だ。リィと同じ界渡かいわたりがつい二月ふたつきほど前に、ディアハラの王宮に現れたって話を聞いた。なんでも、その直前に『この世界を救うとうとい者が現れる。心して迎え入れよ』って神託付きでな」
「は……え?」
「その界渡かいわたりは、見目好い女だって話だ。そいつが現れた途端に、王都近辺の天候は穏やかになり、作物が生き返ったように育ち始めたとかで、ディアハラじゃ『神が遣わしたもうた美しくもとうと界渡かいわたりの聖女様』のうわさで持ち切りだそうだ」

 聞いたことのない地名らしい単語が出てきたが、そちらはとりあえず後回しでいい。それよりも、今のライムートの話に、絵里は心当たりがある――ありすぎる。

「……それって、もしかして片野さん?」
「さすがに名前までは伝わってはいない。ありがたい聖女様のお名前なぞ、下々しもじもが口にしていいものじゃないからな」
「でも、片野さんは私と一緒に誘拐されてこっちに来たはず。それなのになんで二か月も前に?」

 異世界召喚を誘拐といっていいものかどうかは判断が分かれるところだろうが、絵里はそう思っている。なのでそう言ったのだが、その『誘拐』という単語と噛みつくような口調に、ライムートが苦笑した。

「その辺は俺に聞かれてもな」
「あ、ごめんなさい……」
「いや、リィの気持ちはわかる――話を戻すぞ。そんな状況なんで、正直なところ、俺としては困ってる。界渡かいわたりなら神殿に身を寄せればいいんだが、もう一人界渡かいわたりがいてすでに『聖女』なんて呼ばれてるなら、神殿はそっちだけが本物、後の者をかたりじゃないかと疑うだろう。で、リィの話ぶりだと、その相手とは、あまり仲がよくなかったんだろう?」

 ライムートの言葉に、絵里はこっくりと頷く。
 元々、彼女――片野春歌とは、同じ講義を受ける間柄という以上の関係はない。
 真面目に講義を受け、交友関係は女子がほとんどの絵里に比べ、春歌は単位が取れるぎりぎりの出席率で、キャンパス内外の付き合いは女子より男子のほうが圧倒的に多い――所謂いわゆる、イマドキの女子大生だ。見かけも、化粧や服装が地味で髪を染めたりパーマをかけたりしていない絵里とは正反対に、春歌は小物にまで気を使い、髪は明るい茶色のゆるふわウェーブだ。顔も、十人に聞けば九割が『普通』『地味』と評価するであろう絵里に対して、春歌のほうはかなりの確率で『かわいい』『美人』という返事が戻ってくるタイプである。
 普通なら、教室で顔を合わせる程度の付き合いで終わるはずだが、大人しそうな絵里は、春歌に利用しやすい相手――つまりは『いいカモ』認定をされてしまっていた。
 今回のレポート強奪についても、そんな背景があったからだ。
 絵里からすれば、春歌が異世界召喚に巻き込まれたのは自業自得としか言いようがない。ただ、それを逆恨みされている可能性はあるし、少なくとも、日本にいたころより好感度が上がっているとは考えにくい。

「そんな相手がとっくの昔に足場を固めてるところに、のこのこと出ていったらどうなる?」
「それは……」
「まぁ、神殿も一枚岩じゃないだろうから、付け入るスキはあるかもしれん。だが、そうなったらそうなったで、下手をすると勢力争いのこまにされかねん」

 ライムートの説明を聞き、絵里は冷静に考えた。確かに、彼の言う通りかもしれない。
 なぜ二人の出現にタイムラグがあるのかはわからないが、召喚陣の内側にいた春歌とそこからはじき出された絵里の差なのかもしれない。そして、神託通りに――察するに、マナの移譲に喜んだこちらの世界の神が気を利かせたのだろう――現れた春歌と、後からのこのこ『私が本物です』と名乗り出た絵里と、事情を知らない相手がどちらを信用するかは明白だ。しかも、相手は男性受けのいい、あの春歌である。おそらくは、絵里の存在については口をつぐみ、自分は正真正銘の『神様の御使い』だと周囲に信じ込ませている可能性が高い。

「……まぁ、これは俺の予想でしかないし、実際のところは、確かめてみないとわからん。次の町で神殿に行って、それとなく様子をうかがってみた上で、改めてこの先のことを考えたほうがいいだろうな」
「はい、お任せします。ごめんなさい、なんだか厄介ごとに巻き込んじゃったみたいで……」
「何、気にするな。別にあてのある旅でもない。たまにはこういうのも刺激があっていいもんだぞ」

 ライムートはそう言うが、それが絵里に負い目を感じさせまいという思いやりであるのは間違いなかった。それがわかっていても、絵里一人ではこの先どう動けばいいのか、見当もつかない。どこにその神殿とやらがあるのかもわからない状態では、彼の厚意に甘えるしかないのだ。

「ライさん……すみません。それと、本当にありがとうございます」
「気にするなと言ったろう? それより、その『さん』づけはどうにかならんか? どうも慣れなくて、尻がかゆくなりそうだ。話し方も、もう少し砕けたものにしてもらえるとありがたいな」
「え、でも……」
「感謝してくれてるなら、そのくらいはいいだろう? それと、ずっと気になってるんだが、リィはどうしてそうしょっちゅう謝る? 自分が悪くもないのにそういう態度だと、付け込まれるばかりだぞ」

 日本で『すみません』は、ある種の接頭語のような扱いをされることが多く、絵里はなんの気なしに使っていた。けれど、それが通用するのは元の世界でも日本くらいなものだ。海外旅行の際には『自分に明らかな非があるとき以外は使用しないほうがいい』と忠告を受けることもある。

「あ……確かにそうですね。すみま――いえ、これから気を付けます」
「ああ、そうしてくれ。敬語もな。リィは育ちがよさそうだから難しいかもしれんが、よろしく頼む」

 いえ、ごく普通の一般庶民ですよ、と返したものの、そういうライムートこそ実は育ちがいいのではないかと思い始めている絵里であった。
 言葉遣いはやや荒っぽいが、粗野な雰囲気はせず、仕草にも下品なところがないし、絵里に対する態度は紳士的だ。
 不思議な人だ、と思う。
 そして、こちらで最初に会ったのがそんなライムートで幸運だ、とも。
 この先、自分がどうなるのか皆目かいもくわからないながらも、できればずっと、彼と一緒にいたいと、絵里は願った。


「私のせいで、馬に乗れなくてすみま……えっと、一緒に歩いてくれてありがとうございます」
「気にするな。たまにはのんびり行くのもいいもんだ」

 所持品にくらがあったことからも予想できたように、ライムートは一頭の馬と共に旅を続けていた。けれど、絵里は馬に乗ったことがない。そう白状したところ、それなら……と、ライムートはあっさりと自分も騎乗をやめて、絵里と一緒に歩くことを選択した。

「それより、敬語」
「う……頑張りま、じゃなくて、頑張る」
「ああ、その調子で頼む」

 そんな会話の後、まるで世間話でもするように、ライムートはこの世界について説明してくれる。
 ここは主神にフォスという神様をいただくフォーセラと呼ばれる世界であり、今いるのはウルカト国である。海沿いの細長い地で、水産が主な産業だ。無論、他にもたくさんの国があり、その一つが先の会話で出てきたディアハラで、ここからは内海を越えた反対側になる。
 国と国との関係は、おおむね良好らしく、小競り合いはあるが、大規模な戦争はめったに起こらない。というのも、フォスは平穏を愛する神で、この世界の大部分の者はその神を信仰しているため、「神の御心にそぐわない」行為として争いごとは忌避きひされているのだ。
 そして何よりも地球と違うのは、この世界には『魔法』があることだった。

「あの、ライさ……ライは魔法が使えるの?」
「俺が、というか、マナを感知できるものなら、だれでも可能だな。もっとも、普通は自分の体を清潔に保ったり、小さな火をおこす、少量の水を出せるとかその程度で、俺もそんなところだ。強力な魔法を使うなら、それなりの才能と修業が必要になる」

 ライムートはなんでもないことのように言うが、絵里にとっては晴天のへきれきである。
 ちなみに、絵里は知るよしもないが、これらのことはあの『真っ白い空間』で神様がきちんと説明する手はずになっていた。それが、春歌というイレギュラーな存在が、これまたイレギュラーな行動――つまり、絵里を転移陣の外に突き飛ばすという暴挙に出たために、できなくなったのだ。
 尚、魔法があるこの世界には、当然のように魔物と呼ばれる存在もいる。おおよそは、普通の獣が狂暴化した程度のものだが、中には魔法を使ったり、高い知性を持つものもいて、人々の脅威となっていた。

「そうなんだ……あと、ライは、どこの国の人なの?」
「シルヴァージュって国だ。ここからだとかなり遠いな。そんなことよりだな……」

 絵里の質問に言葉少なく答えた後は、また説明に戻る。その様子に、あまり深く尋ねないほうがいいと判断した絵里は、おとなしく聞き役にてっすることにした。
 そんなふうに話しながら歩き、旅慣れない絵里のために小休止を挟みつつ、目的地に着いたのは午後になってからだ。そのころには絵里は非常に大まかではあるが『この世界』に関する知識を得ることができた。
 今彼女は、大きな港がある町の様子を興味深く眺めている。
 港町はどこもそうなのかもしれないが、この町もずいぶんとにぎわっているようだ。ひっきりなしに荷物を積んだ馬車が行き交っており、周囲の様子を見るのに夢中になっていた絵里は、あやうくひかれそうになりライムートに慌てて引き戻された。

「さて、と……まずは教会だな」

 春歌が聖女として認定されているのなら、その情報を得るのには教会に行くのが一番だ。そんなライムートの判断に絵里が異論を唱えるわけもなく、二人は町の中心部にあるそこへ直行した。


「ようこそ、我が教会へ。ディアハラの聖女様について、知りたいとおっしゃられるのはあなた方ですかな?」

 この世界のほとんどの者が信者であるからか、教会は広く門戸もんこを開いていた。
 港町らしく活気のある通りを抜け、教会の建物に入ってぐに出てきた女性に用件を伝えたところ、程なく別の男性が現れる。清潔そうな白いころもを着ている彼は、三十をいくつか過ぎたくらいの年齢で、どうやらここの責任者であるようだ。


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