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1巻
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「はい。聖女様のおうわさは旅の間に耳に入ってきておりましたが、どれもあやふやな伝聞ばかりです。聖なるフォスが遣わされた尊い方と聞き及んでおりますので、それならばしっかりとしたお話を伺うべきかと考え、こちらをお訪ねしました」
しゃべるのは勿論ライムートだ。基本的に絵里は黙って話を聞いているだけである。
「それはそれは……よき信仰の持ち主でいらっしゃいますな」
「お忙しいところに申し訳ありませんが、よろしくお願いします。これは、些少ですが聖なるフォスへの喜捨としてお受け取りください」
そう言いながら、いくばくかの金銭を渡す。ザンバラの髪を後ろでまとめて軽く身なりを整え、日ごろの口調が嘘みたいに丁寧な言葉遣いをするライムートは、いつもの風来坊の印象を一変させている。
おかけで相手は、すっかり警戒心を解いたようだ。
「いえいえ、ご心配には及びません。実のところ、本日は他に訪れる方も少なく、かなり時間がありますので」
「ほう?」
「旅のお方とお見受けしますのでご存じないかと思いますが、昨日より久しぶりの豊漁なのです。ディアハラの聖女様のご威光が、やっとこのウルカトにも届いたのでございましょう」
主産業の漁業が忙しいなら、教会を訪れる者が減るのも道理だ。
「それはそれは……どうも町がにぎやかだと思いました」
「無論、この後はフォスへ豊漁のお礼を申し上げる者たちが押し寄せて、また忙しくなりましょう。あなた方はちょうどよいころにおいでになられたわけですな」
神官本人は漁業に携わる者ではないが、それでも久しぶりの豊漁はうれしいのだろう。にこにこと笑いながら、快くライムートの問いに答えてくれる。
「さて、お聞きになられたいのは、聖女様についてでしたな。二月ほど前に、ディアハラ王宮に降臨されたことはご存知ですか?」
「ええ」
「実は、その前に大いなるフォスより、ディアハラの教会関係者に神託があったのですよ。それ以前のご信託がかれこれ三十年以上前のことの上に、今度の内容が『この世を救う尊い者が現れる。心して迎え入れよ』とのお言葉でございましたので、ディアハラの教会ではその話でもちきりでした。勿論、フォスのお言葉に従い、準備万端でお待ちしていたそうです」
そして、神託からしばらく経ったある日のこと。ディアハラの王が謁見室にいたちょうどそのとき、光に包まれた人物が、突然目の前に現れたのだという。
「フォスが遣わされたお方は、まだお若くお美しい女性であられました。そして、その手に光り輝く聖なる書をお持ちでいらっしゃったのです」
「聖なる書?」
「はい。水晶や玻璃のように透明で、しかも柔らかいという不思議な材質でできたものに収められた、今までに見たこともないほどに白い紙の束だそうです」
それを聞いた途端に、絵里がピクリと反応する。ライムートの袖を引く彼女を目線で宥め、彼は神官の話の続きに耳を傾けた。
「その光は直ぐに消えたらしいのですが、聖女様にお許しをいただきディアハラの神官が確認したところ、細かな文字のようなものがびっしりと書かれていたものの、あいにく読めなかったと聞いております。おそらくは、天上界の文字なのでございましょう。聖女様はそれを『レポート』と呼んでいらっしゃったとの話です。そして、聖女降臨の知らせを受け大急ぎで駆け付けた王都の大神官様と王宮の魔術師長殿があれこれとお調べになられた結果、とんでもないことが判明したのです」
「というと、どのような?」
「貴方もご存知でしょうが、昨今のマナの減少はディアハラを含む各国で、非常に重大な懸案事項となっておりました。ところが、そのマナが大幅に回復していることがわかったのです」
「ほう? それは目出度いことですが、今のお話からすると、もしかして……?」
「ええ。聖女様と、聖女様のお持ちになられた聖なる書のおかげでございましょう。その証拠に、聖女様が降臨されて数日もしないうちに、ディアハラの空は美しく晴れ渡り、緑は生き生きとよみがえりました。ここ数年、不作だった作物も、今年は豊作だろうといわれております。聖女様は、それほどの恵みをこの地にもたらしてくださったのですよ」
「なるほど。神託があり、そこまでありがたい功徳があるのなら、そのお人は正真正銘の聖女様なんでしょうな。しかし、よろしいのですか? 我々のようなものに、そこまで話してしまっても……?」
「ご懸念はもっともですが、これは聖女様のご意向なのです。希望は分け隔てなく与えられるべき――つまり、聖女様がご降臨なさったことを広く知らしめ、不幸を嘆く者たちに明るい未来が来ることを教えるべきであると。勿論、それによりよからぬことをたくらむ輩も出てきましょうが、聖女様はディアハラの王宮にて大切に保護されていらっしゃいますし、聖なる書につきましても王都の神殿が厳重に厳重を重ねてお預かりしていると聞いております」
「ならば安心ですな。話を伺えば伺うほど、聖女様は素晴らしいお人柄であるのがわかります」
「左様でございましょう?」と、快活に笑う神官は、心底、聖女を信じているのだろう。絵里にとっては突っ込みどころ満載の話だが、ここでそれを言っても、いらぬ混乱を招くだけだ。
「よいお話をお聞きしました。ありがとうございます」
「いえいえ。こうしてお話しすることで、私も聖女様の御心に添うことができるのです。ご懸念には及びません」
そうして神官との話を終え、二人は神殿を後にする。
その後、直ぐに宿屋を探し、その一室に落ち着いたのだが――
「――もういいぞ、リィ。よく我慢したな。色々、いいたいことがあるんだろう?」
荷物を置いて、備え付けの素朴な木の椅子に腰を下ろしたライムートの言葉に、我慢に我慢を重ねていた絵里が爆発する。
「……何、あれっ!? 信じられないっ、何が聖女よっ。おまけとか言われてたくせに、私を突き飛ばして……っていうか、私のレポートッ!」
あまりに興奮していたために、切れ切れの単語の羅列になってしまう。
「まぁ、落ち着け……といっても無理か。とりあえず、その聖なる書とやらはリィのものだってことでいいんだな?」
さすがに年の功とでもいうべきか。ひとしきり叫んでやや興奮が収まったのを見はからってから絵里に声をかけてくる。
「聖なる書なんかじゃない、私のレポートよっ!」
反射的に怒鳴り返すが、彼に八つ当たりするのは筋が違うと気が付き、絵里はわずかに赤面した。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「気にするな。それより、もう一度聞くが、その『書』とやらは本当はリィのものなんだな?」
「私が書いたレポート――研究書というか、報告書っていうか、そんな感じのものよ。それを取られそうになって、もみ合っていたときに誘拐されたのは話したでしょ?」
「ああ。それと、念のために聞くんだが、他にリィの世界から持ち込んだものはあるのか?」
そう尋ねられて、彼女はしばし考え込む。今着ている服とレポート、それから財布やスマホなどが入った中くらいの大きさのトートバッグくらいだが、バッグは今や海の底だ。
「いくつか持ってたけど、服以外は海に落っこちた時点でなくしちゃった。それがどうかしたの?」
「いや、さっきの話を聞いて思ったんだが、リィはこの世界にマナを齎すために来たんだよな?」
「来た、というか、連れてこられたって感じだけど。うん、そんなことを言われたよ」
「ふむ。ということは、リィの持ち物だったから、それが光っていたという可能性が大だな」
「……え?」
そのつぶやきに、絵里は怪訝な声を上げる。それを聞いて苦笑した後、ライムートが自分の推理を披露した。
「リィの話からすると、本当はその聖女様じゃなくてリィが『この世界を救う者』ってことになる」
「うん」
「さっきの神官様の話では、光っていたのは聖女様本体じゃなく、『聖なる書』だけってことじゃなかったか?」
「あ……そういえば……」
「俺は、リィが落ちてきたらしいところで光を見た。あの距離から確認できるくらいだから、荷物だけが光っていたとは思えん。リィ自身が光を放っていたと考えるのが妥当だ。あいにくとその荷物とやらは海の底だし、さっきの話じゃ直ぐに光は消えてしまっただろうから確認するのは無理だが……いきなり海が凪いだのは、この目で確認した。おそらくは、この町が豊漁になったってのも、リィがあそこに落っこちたせいだ。ディアハラのマナの増量についても……持ち主がリィだってことで、『聖なる書』に多少のマナが宿っていたと考えられる」
「……あの話を聞いても、私のこと信じてくれるの?」
「俺は、俺自身が見たものを信じる。俺にはリィが嘘をついているようには見えん。だったら、どっちが本物かなんて自明だ」
この世界を救うため、減少したマナを補うために遣わされたのは、春歌ではなく間違いなく絵里のほうだ。――きっぱりとそう告げられた絵里は、安堵のあまり思わず涙をこぼした。
「ライ……ありがとう」
「ああ、泣くな……いや、泣いてもいいか。本来なら、リィはディアハラの王宮で大切に守られてるはずなのに、一人きりで放り出され、側にいるのはこんなおっさんだけなんだからな。寂しいし、心細いよな。すまん……」
ためらいがちに伸ばされた手が、優しく絵里の頭を撫でる。
「そんなことない……私、ライに会えて、本当に、よかったよ」
それほど我慢をしていた自覚はなかったが、やはり色々とたまっていたのだろう。気が付けば、絵里はライムートにしがみついて泣きじゃくっていた。
がっちりとした胸板は、たやすく彼女の体を受け止めて、絵里がえぐえぐとしゃくりあげるたびに、体臭を感じさせる。日向と埃のにおい、それと汗の香りに混じる少しばかりの男臭さ。それは絵里にとって、ひどく安心できるもので――
しばらく泣きじゃくった後、心労もあり、彼女はそのまま眠ってしまった。
そして、目が覚めた後――
「本当にそれでいいのか?」
「うん。ライが許してくれるのなら、このまま一緒にいたい」
『リィはこの先どうしたい?』と尋ねられた絵里は、泣きはらした真っ赤な目で、それでもしっかりとライムートを正面から見つめ、そう答えていた。
「今さら、私が本物ですって名乗り出たとしても、信じてもらえないと思う。それに王宮とか、聖女様とか、私の柄じゃないもの」
「それはそうかもしれんが……いや、柄じゃないってところじゃなくて、信じてもらえないかもしれないってことだ。しかし、俺と一緒に来るってことは、旅から旅の生活になるんだぞ」
「頑張る。それで、もしどうしても足手まといで仕方がなくなったら、置いていってくれていい」
「ばかを言え。一度拾ったなら、最後まで面倒見るのが筋だ」
捨てられていた犬猫と同じ扱いみたいな気がした絵里だったが、それについてはスルーする。
正直、似たようなものだという自覚があった。
何しろ、自分はこちらの世界についてはまったくの無知だ。不思議と言葉は通じるが、生活習慣など白紙状態である。勿論、こちらのお金など持ってないし、稼ぐ手段も知らない。
そんな状況で、「私が本物の聖女です」と名乗り出るつもりがないのなら、選択肢は一つしかなかった。
「ライにそう言ってもらえてうれしいけど、だからこそ、最初に言っておきたかったの。私にできることならなんでもするから、遠慮なく言いつけてね」
「なんでもって……子どもじゃない若い娘が、そんなことを口にするもんじゃない」
「え? なんで?」
「だから、それは……いや、兎も角、それは禁止だ」
そんな感じの会話の後で、絵里はライムートの旅の道連れになったのだった。
第二章 旅の道連れはおっさん
「――疲れてないか? 少し休憩をとるか?」
ライムートは面倒見がいい。加えて、大変なお人好しだ。
そうでなければ、たまたま行き合っただけの絵里を旅の道連れになどしなかったし、こうして何くれとなく気遣ってくれたりもしないだろう。
「ううん、大丈夫。これでも結構、体力ついてきてるから」
街道沿いには徒歩でおよそ一日、或いは二、三日の距離ごとに町が存在している。日本でいう東海道五十三次のようなものだと思えばいいだろうか。その日のうちにたどり着ける距離ならそこに向かい、そうでなければ野営する。そんな生活にもずいぶんと慣れてきた絵里だった。
「そうか。なら、このまま進むぞ。この調子なら、次の町には日暮れ前に着けるはずだ。少し風が出てきたから、しっかりとフードを立てておけよ」
こちらにも四季がある。絵里がこちらに来たのは夏の終わりの季節だ。そして今、初秋から晩秋へ移り変わろうとしている。吹きつける風に深まる冬の気配を感じて、絵里はライムートの言葉に従い、防水性のあるマントのフードを被った。
「こうやって見ると、リィもすっかりこっちの人間だな」
「そう? だったらうれしいな」
絵里が着ているマントはライムートが買い与えてくれたものだ。
その他、下着から何から一式全部そろえた。おかげで今の絵里は足もとのスニーカーを除き、すっかりこちら風の装いとなっている。足だけが元の世界のものなのは、こちらの靴があまりにも作りが悪く、絵里の足があっという間に肉刺だらけになったからだ。
「雨は降らんと思うが、少し急ぐぞ」
「うん」
保護者然とした振る舞いのライムートと、その後をひよこのようについていく絵里の姿は、見る者には微笑ましく映るだろう。さすがに親子には見えないと絵里は信じているが、叔父と姪、或いはなんらかの師匠とその弟子といった風情だ。そこに色恋はない。
これについて、絵里としては内心、かなり不満があった。
彼女は筋金入りのおじ専である。
早くに父を亡くしたことに加え、看護師である母が忙しく、寂しい時間が長かったので、おじ専というよりも、こじらせたファザコンといったほうが正解かもしれない。
とにかく絵里にとってライムートという存在は、命を救われたという出会いを抜いても、ぜひともゲットしたい相手なのだ。
しかし、その性癖故か、彼氏いない歴=年齢を誇る絵里である。具体的なノウハウは持っていない。やみくもに突撃しても目も当てられない玉砕が待っていそうだ。
それに、それ以前の問題がある。
絵里はライムートの恋愛方面の守備範囲に入っているのだろうか。
一緒に旅をしている間の態度から推測すると、ライムートは、自分を絵里の保護者と考えているようだ。そこをまずなんとかしない限り、絵里の未来に光明は見いだせない。
そんなわけで、今のところ単なる旅の道連れとして、二人は街道を歩いていた。
「どうしたの、ライ?」
不意に、ライムートが足を止めたのを見て、絵里は不審の声を上げる。
周囲は――先ほどまでは開けた場所であったのだが、少し前から小さな岩山が続く細い道に差しかかっていた。細いといっても、余裕で馬車が通れるくらいの幅はあり、岩山が風よけにちょうどいい感じで、絵里としてはありがたい状況だ。
「少々、荒っぽいことになりそうだ」
「は?」
いきなりそんなことを言われても、絵里の理解が追い付かない。詳しい説明を求めて、もう一度口を開こうとしたときに、答えが向こうからやってきた。
「――くたびれたおっさんのくせに、やけに勘がいいな」
カーブになっていた道の先から、そんなセリフを口にしながら現れたのは、見るからに悪役ですといった風体の三人組の男である。
絵里はこの三人組に見覚えがあった。少し前に、自分たちを追い抜いていった連中だ。その折に、何やら嫌な感じの視線を向けられていたが、どうやら獲物として値踏みをされていたらしい。
「まだ勘が鈍るほどは年を食ってないってことだ。それで? 俺たちになんの用だ?」
男たちから絵里を守るように前に出つつ、ライムートが問いかける。
たくましい後ろ姿は、警戒はしていても、おびえた様子はない。降ってわいたようなこの状況に混乱していた絵里も、その背中を見ているうちに少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「なんの用? ンなもんは決まってんだろ」
「有り金全部と、ついでにそこのガキを置いていきゃ、おっさんだけは見逃してやんぜ?」
「俺たちぁ、優しいからな。命まではとろうたぁいわねぇよ」
こちらの戦力はライムート一人なのに対して自分たちは三人という事実に、優位を確信しているのだろう。雑魚臭がぷんぷんな、三人組のセリフである。
「……見たところ、食い詰めた挙句の盗賊家業ってところか? 数にものを言わせないと襲えないとは、腕っぷしも大したことはないんだろうな」
ライムートの態度は冷静極まりない。連中の動きを油断なく見張りながら、絵里と馬を背後にかばい、一歩も引かない構えだ。
「コソ泥で我慢しておけばいいものを、そっちがうまくいったんで調子に乗ったのか?」
「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとみぐるみ全部置いてきやがれっ」
ライムートの推測は、連中の痛いところをえぐったようだ。見事に言い当てられ頭に血が上ったのか、彼らは真っ赤な顔でわめきたてる。こんな簡単な挑発で逆上するあたり、本当に小者なのがわかるというものだ。それでも一人で突っ込んでこないのは、一応、己の力量をわきまえているのだろう――要するに、一人ではライムートには敵わないということだ。
「心配するな、リィ。お前は俺が守る」
「う、うん」
連中の雑魚さ加減は、絵里にもわかるが、それでもやはり恐怖を感じる。
何しろこれは、絵里がこちらに来てから初の襲撃なのだ。
一月以上も旅をしていて、一度も襲撃されないというのは、普通ではあり得ない確率だった。ライムートがそう言って驚いていたが、単に道を歩くだけで危険があるというのは、平和ボケした日本人である絵里には理解できない感覚だ。
そんな彼女に、ライムートは道すがら、口が酸っぱくなるほど、その危険性といざというときの対処法を教え込んでいた。
「悲鳴を上げてもいいが、目は瞑るなよ。万が一、俺がやられるようなら、馬に乗って一目散に逃げろ」
「……はい」
悲鳴は付近にだれかがいた場合、危険を知らせる合図になるので構わないが、目を閉じてしまうと状況の推移についていけなくなる。危うくなった場合でも、間違っても助太刀に入ろうとするな。戦闘力皆無の絵里では却って足手まといになる。逃げて、人を呼べ。
――何度も口にしたことをもう一度繰り返すライムートに、絵里は緊張しながら頷く。
その様子で、素直に自分たちの言うことを聞く気がないとわかったのだろう。三人組は下卑た笑みを浮かべながら、持っていた武器を抜く。
あまり手入れはされていないみたいだが、それでも日の光を受けてギラリと鈍く光る刃物に、絵里は喉の奥で小さな悲鳴を上げた。
「やっちまえ!」
それを合図に、男たちが一斉に襲い掛かってくる。
「……連携もろくに取れてないな。どうあがいても雑魚は雑魚か」
あちらが武器を持ち出したのだから、当然、ライムートもそれに対応する。
手入れ以外で彼が剣を抜くのを見るのは、これもまた絵里にとっては初めての経験だ。スラリと抜き放った彼の武器は、丁寧に手入れをされており、男たちのものとは対照的に陽光をはじいてキラキラと輝いている。飾り気のない武骨な作りだが、ライムートの手にあると、まるで名のある宝剣のようにさえ見えた。
――か、かっこいい……
ずぶの素人である絵里が見ても構えが堂に入っており、そんな場合ではないのだが、思わず見とれてしまう雄姿だ。
けれど、頭に血が上っているせいか、或いは、ぼさぼさ髪で髭ぼうぼうの風采の上がらない中年オヤジという先入観が強すぎるのか、男たちは一切構うことなく、突撃を敢行した。
「死ねぇっ!」
掛け声だけは勇ましく、その中の一人――今まで主に口を開いていた男が、ライムートに切り掛かる。大きく振り回す剣の一撃は、当たれば命にかかわるほどの勢いだが、残念なことに腰が入っていない。そんな腕力のみで振り回しているものを食らうほど、ライムートは弱くなかった。
「ぐぇっ」
カエルが踏みつぶされたときのような無様なうめき声が上がる。
あっさりと剣をよけたライムートが、カウンター気味に男の胴体へ膝をたたき込んだせいだ。胃液をまき散らしながら、前のめりになって倒れる男を確認しもせず、おっさんにしては軽い身のこなしで、彼は次に切り掛かってきた相手の懐へ飛び込んだ。剣を持つ手元へ肘を打ち込み、武器の軌道をくるわせ、体勢が崩れたところに背後へ回り込んで、持っていた自分の剣の柄を男の首の付け根へ振り下ろす。
「げ、がっ……」
急所への一撃で、二人目の男はあっさりと意識を手放した。
「て、手前っ、よくも……っ」
三人目はそこで逃げればよいものを、悪党は悪党なりに仲間意識があったのか、仲間の敵討ちのために、無謀にも剣を大上段に構えたままで、真正面から突っ込んでくる。
無論、そんなものにライムートがやられるわけがない。余裕をもって回避しつつ、剣を持っていない左手で拳を作り、それを相手の顔面へたたき込んだ。
絵里には、まるで自分から望んで男がその拳に突進してきたようにも見えた。それほどにライムートの動きは、無駄のない、洗練されたものだ。
「ぶばっ……っ」
鼻血と砕かれた歯をまき散らしながら、最後の男も地に伏す。
結局のところ、双方とも剣を抜きはしたが、それによる流血は一切ない。相手の登場から戦闘開始までの時間の半分にも満たないわずかな時間の出来事であった。
「……やれやれ、無駄な体力を使わせやがって」
もしかすると鼻骨を粉砕しているかもしれないほど勢いのある正拳突きだったにもかかわらず、ライムートのほうに怪我はないようだ。出番のなかった剣を鞘に戻しつつ、ぼやくように言う。
地面でのびている男たちだが、一撃できちんと戦闘能力を奪っているので、反撃の心配はない。
「リィ。悪いが荷物の中からロープを出してくれ。こいつらはここで拘束しておく」
戦闘終了直後にいつもの調子で話しかけられた絵里は、事態の展開に追いつけないでいた。
「……リィ?」
棒立ちになったまま返事をしないのを不審に思ったのか、ライムートが絵里の名前を呼びながら近づいてくる。
「大丈夫か? すまんな、怖かっただろう」
呆然としているその頭を優しく撫でられて、やっとそこで彼女の頭脳が再起動を果たした。
「す……すごいっ、かっこいい! ライって、ものすごく強いのねっ」
しゃべるのは勿論ライムートだ。基本的に絵里は黙って話を聞いているだけである。
「それはそれは……よき信仰の持ち主でいらっしゃいますな」
「お忙しいところに申し訳ありませんが、よろしくお願いします。これは、些少ですが聖なるフォスへの喜捨としてお受け取りください」
そう言いながら、いくばくかの金銭を渡す。ザンバラの髪を後ろでまとめて軽く身なりを整え、日ごろの口調が嘘みたいに丁寧な言葉遣いをするライムートは、いつもの風来坊の印象を一変させている。
おかけで相手は、すっかり警戒心を解いたようだ。
「いえいえ、ご心配には及びません。実のところ、本日は他に訪れる方も少なく、かなり時間がありますので」
「ほう?」
「旅のお方とお見受けしますのでご存じないかと思いますが、昨日より久しぶりの豊漁なのです。ディアハラの聖女様のご威光が、やっとこのウルカトにも届いたのでございましょう」
主産業の漁業が忙しいなら、教会を訪れる者が減るのも道理だ。
「それはそれは……どうも町がにぎやかだと思いました」
「無論、この後はフォスへ豊漁のお礼を申し上げる者たちが押し寄せて、また忙しくなりましょう。あなた方はちょうどよいころにおいでになられたわけですな」
神官本人は漁業に携わる者ではないが、それでも久しぶりの豊漁はうれしいのだろう。にこにこと笑いながら、快くライムートの問いに答えてくれる。
「さて、お聞きになられたいのは、聖女様についてでしたな。二月ほど前に、ディアハラ王宮に降臨されたことはご存知ですか?」
「ええ」
「実は、その前に大いなるフォスより、ディアハラの教会関係者に神託があったのですよ。それ以前のご信託がかれこれ三十年以上前のことの上に、今度の内容が『この世を救う尊い者が現れる。心して迎え入れよ』とのお言葉でございましたので、ディアハラの教会ではその話でもちきりでした。勿論、フォスのお言葉に従い、準備万端でお待ちしていたそうです」
そして、神託からしばらく経ったある日のこと。ディアハラの王が謁見室にいたちょうどそのとき、光に包まれた人物が、突然目の前に現れたのだという。
「フォスが遣わされたお方は、まだお若くお美しい女性であられました。そして、その手に光り輝く聖なる書をお持ちでいらっしゃったのです」
「聖なる書?」
「はい。水晶や玻璃のように透明で、しかも柔らかいという不思議な材質でできたものに収められた、今までに見たこともないほどに白い紙の束だそうです」
それを聞いた途端に、絵里がピクリと反応する。ライムートの袖を引く彼女を目線で宥め、彼は神官の話の続きに耳を傾けた。
「その光は直ぐに消えたらしいのですが、聖女様にお許しをいただきディアハラの神官が確認したところ、細かな文字のようなものがびっしりと書かれていたものの、あいにく読めなかったと聞いております。おそらくは、天上界の文字なのでございましょう。聖女様はそれを『レポート』と呼んでいらっしゃったとの話です。そして、聖女降臨の知らせを受け大急ぎで駆け付けた王都の大神官様と王宮の魔術師長殿があれこれとお調べになられた結果、とんでもないことが判明したのです」
「というと、どのような?」
「貴方もご存知でしょうが、昨今のマナの減少はディアハラを含む各国で、非常に重大な懸案事項となっておりました。ところが、そのマナが大幅に回復していることがわかったのです」
「ほう? それは目出度いことですが、今のお話からすると、もしかして……?」
「ええ。聖女様と、聖女様のお持ちになられた聖なる書のおかげでございましょう。その証拠に、聖女様が降臨されて数日もしないうちに、ディアハラの空は美しく晴れ渡り、緑は生き生きとよみがえりました。ここ数年、不作だった作物も、今年は豊作だろうといわれております。聖女様は、それほどの恵みをこの地にもたらしてくださったのですよ」
「なるほど。神託があり、そこまでありがたい功徳があるのなら、そのお人は正真正銘の聖女様なんでしょうな。しかし、よろしいのですか? 我々のようなものに、そこまで話してしまっても……?」
「ご懸念はもっともですが、これは聖女様のご意向なのです。希望は分け隔てなく与えられるべき――つまり、聖女様がご降臨なさったことを広く知らしめ、不幸を嘆く者たちに明るい未来が来ることを教えるべきであると。勿論、それによりよからぬことをたくらむ輩も出てきましょうが、聖女様はディアハラの王宮にて大切に保護されていらっしゃいますし、聖なる書につきましても王都の神殿が厳重に厳重を重ねてお預かりしていると聞いております」
「ならば安心ですな。話を伺えば伺うほど、聖女様は素晴らしいお人柄であるのがわかります」
「左様でございましょう?」と、快活に笑う神官は、心底、聖女を信じているのだろう。絵里にとっては突っ込みどころ満載の話だが、ここでそれを言っても、いらぬ混乱を招くだけだ。
「よいお話をお聞きしました。ありがとうございます」
「いえいえ。こうしてお話しすることで、私も聖女様の御心に添うことができるのです。ご懸念には及びません」
そうして神官との話を終え、二人は神殿を後にする。
その後、直ぐに宿屋を探し、その一室に落ち着いたのだが――
「――もういいぞ、リィ。よく我慢したな。色々、いいたいことがあるんだろう?」
荷物を置いて、備え付けの素朴な木の椅子に腰を下ろしたライムートの言葉に、我慢に我慢を重ねていた絵里が爆発する。
「……何、あれっ!? 信じられないっ、何が聖女よっ。おまけとか言われてたくせに、私を突き飛ばして……っていうか、私のレポートッ!」
あまりに興奮していたために、切れ切れの単語の羅列になってしまう。
「まぁ、落ち着け……といっても無理か。とりあえず、その聖なる書とやらはリィのものだってことでいいんだな?」
さすがに年の功とでもいうべきか。ひとしきり叫んでやや興奮が収まったのを見はからってから絵里に声をかけてくる。
「聖なる書なんかじゃない、私のレポートよっ!」
反射的に怒鳴り返すが、彼に八つ当たりするのは筋が違うと気が付き、絵里はわずかに赤面した。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「気にするな。それより、もう一度聞くが、その『書』とやらは本当はリィのものなんだな?」
「私が書いたレポート――研究書というか、報告書っていうか、そんな感じのものよ。それを取られそうになって、もみ合っていたときに誘拐されたのは話したでしょ?」
「ああ。それと、念のために聞くんだが、他にリィの世界から持ち込んだものはあるのか?」
そう尋ねられて、彼女はしばし考え込む。今着ている服とレポート、それから財布やスマホなどが入った中くらいの大きさのトートバッグくらいだが、バッグは今や海の底だ。
「いくつか持ってたけど、服以外は海に落っこちた時点でなくしちゃった。それがどうかしたの?」
「いや、さっきの話を聞いて思ったんだが、リィはこの世界にマナを齎すために来たんだよな?」
「来た、というか、連れてこられたって感じだけど。うん、そんなことを言われたよ」
「ふむ。ということは、リィの持ち物だったから、それが光っていたという可能性が大だな」
「……え?」
そのつぶやきに、絵里は怪訝な声を上げる。それを聞いて苦笑した後、ライムートが自分の推理を披露した。
「リィの話からすると、本当はその聖女様じゃなくてリィが『この世界を救う者』ってことになる」
「うん」
「さっきの神官様の話では、光っていたのは聖女様本体じゃなく、『聖なる書』だけってことじゃなかったか?」
「あ……そういえば……」
「俺は、リィが落ちてきたらしいところで光を見た。あの距離から確認できるくらいだから、荷物だけが光っていたとは思えん。リィ自身が光を放っていたと考えるのが妥当だ。あいにくとその荷物とやらは海の底だし、さっきの話じゃ直ぐに光は消えてしまっただろうから確認するのは無理だが……いきなり海が凪いだのは、この目で確認した。おそらくは、この町が豊漁になったってのも、リィがあそこに落っこちたせいだ。ディアハラのマナの増量についても……持ち主がリィだってことで、『聖なる書』に多少のマナが宿っていたと考えられる」
「……あの話を聞いても、私のこと信じてくれるの?」
「俺は、俺自身が見たものを信じる。俺にはリィが嘘をついているようには見えん。だったら、どっちが本物かなんて自明だ」
この世界を救うため、減少したマナを補うために遣わされたのは、春歌ではなく間違いなく絵里のほうだ。――きっぱりとそう告げられた絵里は、安堵のあまり思わず涙をこぼした。
「ライ……ありがとう」
「ああ、泣くな……いや、泣いてもいいか。本来なら、リィはディアハラの王宮で大切に守られてるはずなのに、一人きりで放り出され、側にいるのはこんなおっさんだけなんだからな。寂しいし、心細いよな。すまん……」
ためらいがちに伸ばされた手が、優しく絵里の頭を撫でる。
「そんなことない……私、ライに会えて、本当に、よかったよ」
それほど我慢をしていた自覚はなかったが、やはり色々とたまっていたのだろう。気が付けば、絵里はライムートにしがみついて泣きじゃくっていた。
がっちりとした胸板は、たやすく彼女の体を受け止めて、絵里がえぐえぐとしゃくりあげるたびに、体臭を感じさせる。日向と埃のにおい、それと汗の香りに混じる少しばかりの男臭さ。それは絵里にとって、ひどく安心できるもので――
しばらく泣きじゃくった後、心労もあり、彼女はそのまま眠ってしまった。
そして、目が覚めた後――
「本当にそれでいいのか?」
「うん。ライが許してくれるのなら、このまま一緒にいたい」
『リィはこの先どうしたい?』と尋ねられた絵里は、泣きはらした真っ赤な目で、それでもしっかりとライムートを正面から見つめ、そう答えていた。
「今さら、私が本物ですって名乗り出たとしても、信じてもらえないと思う。それに王宮とか、聖女様とか、私の柄じゃないもの」
「それはそうかもしれんが……いや、柄じゃないってところじゃなくて、信じてもらえないかもしれないってことだ。しかし、俺と一緒に来るってことは、旅から旅の生活になるんだぞ」
「頑張る。それで、もしどうしても足手まといで仕方がなくなったら、置いていってくれていい」
「ばかを言え。一度拾ったなら、最後まで面倒見るのが筋だ」
捨てられていた犬猫と同じ扱いみたいな気がした絵里だったが、それについてはスルーする。
正直、似たようなものだという自覚があった。
何しろ、自分はこちらの世界についてはまったくの無知だ。不思議と言葉は通じるが、生活習慣など白紙状態である。勿論、こちらのお金など持ってないし、稼ぐ手段も知らない。
そんな状況で、「私が本物の聖女です」と名乗り出るつもりがないのなら、選択肢は一つしかなかった。
「ライにそう言ってもらえてうれしいけど、だからこそ、最初に言っておきたかったの。私にできることならなんでもするから、遠慮なく言いつけてね」
「なんでもって……子どもじゃない若い娘が、そんなことを口にするもんじゃない」
「え? なんで?」
「だから、それは……いや、兎も角、それは禁止だ」
そんな感じの会話の後で、絵里はライムートの旅の道連れになったのだった。
第二章 旅の道連れはおっさん
「――疲れてないか? 少し休憩をとるか?」
ライムートは面倒見がいい。加えて、大変なお人好しだ。
そうでなければ、たまたま行き合っただけの絵里を旅の道連れになどしなかったし、こうして何くれとなく気遣ってくれたりもしないだろう。
「ううん、大丈夫。これでも結構、体力ついてきてるから」
街道沿いには徒歩でおよそ一日、或いは二、三日の距離ごとに町が存在している。日本でいう東海道五十三次のようなものだと思えばいいだろうか。その日のうちにたどり着ける距離ならそこに向かい、そうでなければ野営する。そんな生活にもずいぶんと慣れてきた絵里だった。
「そうか。なら、このまま進むぞ。この調子なら、次の町には日暮れ前に着けるはずだ。少し風が出てきたから、しっかりとフードを立てておけよ」
こちらにも四季がある。絵里がこちらに来たのは夏の終わりの季節だ。そして今、初秋から晩秋へ移り変わろうとしている。吹きつける風に深まる冬の気配を感じて、絵里はライムートの言葉に従い、防水性のあるマントのフードを被った。
「こうやって見ると、リィもすっかりこっちの人間だな」
「そう? だったらうれしいな」
絵里が着ているマントはライムートが買い与えてくれたものだ。
その他、下着から何から一式全部そろえた。おかげで今の絵里は足もとのスニーカーを除き、すっかりこちら風の装いとなっている。足だけが元の世界のものなのは、こちらの靴があまりにも作りが悪く、絵里の足があっという間に肉刺だらけになったからだ。
「雨は降らんと思うが、少し急ぐぞ」
「うん」
保護者然とした振る舞いのライムートと、その後をひよこのようについていく絵里の姿は、見る者には微笑ましく映るだろう。さすがに親子には見えないと絵里は信じているが、叔父と姪、或いはなんらかの師匠とその弟子といった風情だ。そこに色恋はない。
これについて、絵里としては内心、かなり不満があった。
彼女は筋金入りのおじ専である。
早くに父を亡くしたことに加え、看護師である母が忙しく、寂しい時間が長かったので、おじ専というよりも、こじらせたファザコンといったほうが正解かもしれない。
とにかく絵里にとってライムートという存在は、命を救われたという出会いを抜いても、ぜひともゲットしたい相手なのだ。
しかし、その性癖故か、彼氏いない歴=年齢を誇る絵里である。具体的なノウハウは持っていない。やみくもに突撃しても目も当てられない玉砕が待っていそうだ。
それに、それ以前の問題がある。
絵里はライムートの恋愛方面の守備範囲に入っているのだろうか。
一緒に旅をしている間の態度から推測すると、ライムートは、自分を絵里の保護者と考えているようだ。そこをまずなんとかしない限り、絵里の未来に光明は見いだせない。
そんなわけで、今のところ単なる旅の道連れとして、二人は街道を歩いていた。
「どうしたの、ライ?」
不意に、ライムートが足を止めたのを見て、絵里は不審の声を上げる。
周囲は――先ほどまでは開けた場所であったのだが、少し前から小さな岩山が続く細い道に差しかかっていた。細いといっても、余裕で馬車が通れるくらいの幅はあり、岩山が風よけにちょうどいい感じで、絵里としてはありがたい状況だ。
「少々、荒っぽいことになりそうだ」
「は?」
いきなりそんなことを言われても、絵里の理解が追い付かない。詳しい説明を求めて、もう一度口を開こうとしたときに、答えが向こうからやってきた。
「――くたびれたおっさんのくせに、やけに勘がいいな」
カーブになっていた道の先から、そんなセリフを口にしながら現れたのは、見るからに悪役ですといった風体の三人組の男である。
絵里はこの三人組に見覚えがあった。少し前に、自分たちを追い抜いていった連中だ。その折に、何やら嫌な感じの視線を向けられていたが、どうやら獲物として値踏みをされていたらしい。
「まだ勘が鈍るほどは年を食ってないってことだ。それで? 俺たちになんの用だ?」
男たちから絵里を守るように前に出つつ、ライムートが問いかける。
たくましい後ろ姿は、警戒はしていても、おびえた様子はない。降ってわいたようなこの状況に混乱していた絵里も、その背中を見ているうちに少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「なんの用? ンなもんは決まってんだろ」
「有り金全部と、ついでにそこのガキを置いていきゃ、おっさんだけは見逃してやんぜ?」
「俺たちぁ、優しいからな。命まではとろうたぁいわねぇよ」
こちらの戦力はライムート一人なのに対して自分たちは三人という事実に、優位を確信しているのだろう。雑魚臭がぷんぷんな、三人組のセリフである。
「……見たところ、食い詰めた挙句の盗賊家業ってところか? 数にものを言わせないと襲えないとは、腕っぷしも大したことはないんだろうな」
ライムートの態度は冷静極まりない。連中の動きを油断なく見張りながら、絵里と馬を背後にかばい、一歩も引かない構えだ。
「コソ泥で我慢しておけばいいものを、そっちがうまくいったんで調子に乗ったのか?」
「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとみぐるみ全部置いてきやがれっ」
ライムートの推測は、連中の痛いところをえぐったようだ。見事に言い当てられ頭に血が上ったのか、彼らは真っ赤な顔でわめきたてる。こんな簡単な挑発で逆上するあたり、本当に小者なのがわかるというものだ。それでも一人で突っ込んでこないのは、一応、己の力量をわきまえているのだろう――要するに、一人ではライムートには敵わないということだ。
「心配するな、リィ。お前は俺が守る」
「う、うん」
連中の雑魚さ加減は、絵里にもわかるが、それでもやはり恐怖を感じる。
何しろこれは、絵里がこちらに来てから初の襲撃なのだ。
一月以上も旅をしていて、一度も襲撃されないというのは、普通ではあり得ない確率だった。ライムートがそう言って驚いていたが、単に道を歩くだけで危険があるというのは、平和ボケした日本人である絵里には理解できない感覚だ。
そんな彼女に、ライムートは道すがら、口が酸っぱくなるほど、その危険性といざというときの対処法を教え込んでいた。
「悲鳴を上げてもいいが、目は瞑るなよ。万が一、俺がやられるようなら、馬に乗って一目散に逃げろ」
「……はい」
悲鳴は付近にだれかがいた場合、危険を知らせる合図になるので構わないが、目を閉じてしまうと状況の推移についていけなくなる。危うくなった場合でも、間違っても助太刀に入ろうとするな。戦闘力皆無の絵里では却って足手まといになる。逃げて、人を呼べ。
――何度も口にしたことをもう一度繰り返すライムートに、絵里は緊張しながら頷く。
その様子で、素直に自分たちの言うことを聞く気がないとわかったのだろう。三人組は下卑た笑みを浮かべながら、持っていた武器を抜く。
あまり手入れはされていないみたいだが、それでも日の光を受けてギラリと鈍く光る刃物に、絵里は喉の奥で小さな悲鳴を上げた。
「やっちまえ!」
それを合図に、男たちが一斉に襲い掛かってくる。
「……連携もろくに取れてないな。どうあがいても雑魚は雑魚か」
あちらが武器を持ち出したのだから、当然、ライムートもそれに対応する。
手入れ以外で彼が剣を抜くのを見るのは、これもまた絵里にとっては初めての経験だ。スラリと抜き放った彼の武器は、丁寧に手入れをされており、男たちのものとは対照的に陽光をはじいてキラキラと輝いている。飾り気のない武骨な作りだが、ライムートの手にあると、まるで名のある宝剣のようにさえ見えた。
――か、かっこいい……
ずぶの素人である絵里が見ても構えが堂に入っており、そんな場合ではないのだが、思わず見とれてしまう雄姿だ。
けれど、頭に血が上っているせいか、或いは、ぼさぼさ髪で髭ぼうぼうの風采の上がらない中年オヤジという先入観が強すぎるのか、男たちは一切構うことなく、突撃を敢行した。
「死ねぇっ!」
掛け声だけは勇ましく、その中の一人――今まで主に口を開いていた男が、ライムートに切り掛かる。大きく振り回す剣の一撃は、当たれば命にかかわるほどの勢いだが、残念なことに腰が入っていない。そんな腕力のみで振り回しているものを食らうほど、ライムートは弱くなかった。
「ぐぇっ」
カエルが踏みつぶされたときのような無様なうめき声が上がる。
あっさりと剣をよけたライムートが、カウンター気味に男の胴体へ膝をたたき込んだせいだ。胃液をまき散らしながら、前のめりになって倒れる男を確認しもせず、おっさんにしては軽い身のこなしで、彼は次に切り掛かってきた相手の懐へ飛び込んだ。剣を持つ手元へ肘を打ち込み、武器の軌道をくるわせ、体勢が崩れたところに背後へ回り込んで、持っていた自分の剣の柄を男の首の付け根へ振り下ろす。
「げ、がっ……」
急所への一撃で、二人目の男はあっさりと意識を手放した。
「て、手前っ、よくも……っ」
三人目はそこで逃げればよいものを、悪党は悪党なりに仲間意識があったのか、仲間の敵討ちのために、無謀にも剣を大上段に構えたままで、真正面から突っ込んでくる。
無論、そんなものにライムートがやられるわけがない。余裕をもって回避しつつ、剣を持っていない左手で拳を作り、それを相手の顔面へたたき込んだ。
絵里には、まるで自分から望んで男がその拳に突進してきたようにも見えた。それほどにライムートの動きは、無駄のない、洗練されたものだ。
「ぶばっ……っ」
鼻血と砕かれた歯をまき散らしながら、最後の男も地に伏す。
結局のところ、双方とも剣を抜きはしたが、それによる流血は一切ない。相手の登場から戦闘開始までの時間の半分にも満たないわずかな時間の出来事であった。
「……やれやれ、無駄な体力を使わせやがって」
もしかすると鼻骨を粉砕しているかもしれないほど勢いのある正拳突きだったにもかかわらず、ライムートのほうに怪我はないようだ。出番のなかった剣を鞘に戻しつつ、ぼやくように言う。
地面でのびている男たちだが、一撃できちんと戦闘能力を奪っているので、反撃の心配はない。
「リィ。悪いが荷物の中からロープを出してくれ。こいつらはここで拘束しておく」
戦闘終了直後にいつもの調子で話しかけられた絵里は、事態の展開に追いつけないでいた。
「……リィ?」
棒立ちになったまま返事をしないのを不審に思ったのか、ライムートが絵里の名前を呼びながら近づいてくる。
「大丈夫か? すまんな、怖かっただろう」
呆然としているその頭を優しく撫でられて、やっとそこで彼女の頭脳が再起動を果たした。
「す……すごいっ、かっこいい! ライって、ものすごく強いのねっ」
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