殺意に落ちて

豆狸

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最終話 落ちて

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 ヘンリクス様は魚の毒と嘘相場の件では無罪が認められました。
 私に対する殺人未遂の罪で鉱山に送られたと聞いています。
 彼のお父様は爵位を売り、平民として働いて我が家への借金を返しながらヘンリクス様の帰りを待ち続けるおつもりのようです。

 ヘンリクス様の恋人と彼女の本命は死罪になりました。
 私に対する殺人未遂と噓相場の件だけでなく、ほかにも余罪があったのです。
 嘘相場に気づいて訴えようとした人間を何人か魚の毒で殺していたのだそうです。

「私のせいなのでしょうか」

 今日は往診の日です。
 先生が否定してくださることを期待して、そう聞いてしまう私は悪い女なのだと思います。
 先生は優しく微笑みました。

「ロッテ嬢、どうしてそんなことを思うのですか?」
「……私があの遺書を処分していたら、ヘンリクス様はあのようなことを思いつかなかったのではないでしょうか」

 婚約解消を拒んだ後のヘンリクス様は、良い婚約者を演じてらっしゃいました。
 少し引っかかるものを感じながらも、私はそれを受け入れていました。
 彼の訪問の後で遺書がなくなっていることに気づいたときは、私が本気だと誤解したから持ち去って改心させようとしたのだと思って自分を納得させていました。まさか私を殺して自殺に見せかけるために利用しようと考えていただなんて……

「それでは私も同罪ですね」

 色の薄い瞳に長いまつ毛の影を落として、先生が言葉を続けます。

「貴女に、遺書を書いてしまうことを勧めたのは私なのですから」
「そんな! 先生はなにも悪くありませんわ。あのとき、そう言っていただいたおかげで私の心は救われたのですもの。殺す相手を彼に恋する自分自身に変えて遺書を書くことで殺意を打ち消したらどうかと提案してもらえたから、私はヘンリクス様や彼の恋人に対する身勝手な殺意を克服することが出来たのです」
「では貴女ご自身が悪くないのもおわかりでしょう? 嫌な話ですが、彼の殺意がなかったら貴女は彼の恋人の毒で殺されていたかもしれません。……ご無事で良かった」

 先生の声は相変わらず優しいのですけれど、ときどきとても甘くしなやかに、艶やかに色っぽく聞こえます。
 侍女は自分達使用人やほかの患者さん(偶然町角で会話しているところを見かけたのだそうです)に話すときは確かに優しい声なのだけれど、私と話していると、時折とても艶やかで色っぽい声になるのだと言っていました。
 水晶のように澄んだ、薄い青色の瞳が私を映します。

「いいえ、やはり悪いのは私です。浅ましい私は、貴女の中の彼への恋心に殺意を抱いていました。その気持ちさえなくなれば、貴女が私を見てくださるのではないかと期待していたのです」
「先生……?」
「恋はするものではなく落ちるものだと聞きます。……私はね、彼に会うために苦い薬を飲んで笑顔になる貴女に、ずっと昔から恋をしていたのですよ」

 先生は照れたような笑みを浮かべました。
 とても信じられません。
 呆気に取られている私を瞳に映して、先生は寂しげに俯きました。

「……ご迷惑でしたら聞かなかったことにしてください」
「い、いいえ。その……あまりに突然で……」
「そうですか? 自分で言うのもなんですが、どんなに隠そうとしても隠しきれていなかったと思うのですが。……そうですね。貴女はずっと彼のことを想っていたから」

 先生の言葉は事実です。
 遺書を書いて恋心を殺し、父に婚約解消を申し出たくせに、ヘンリクス様に婚約解消を拒まれると恋心は蘇ってしまいました。
 良い婚約者を演じる彼に軽い違和感を覚えながらも、その状態を喜んで受け入れていました。私は自分に都合の良いものしか見ていなかったのです。ヘンリクス様を追い求めていたのは初恋だったからだけではなく、母が生きていて自分も元気だったころの幸せな記憶の象徴だったせいもあったかもしれません。

「これからは変わります。初恋の幻を追い求めるのではなくて、現実を見て未来のことを考えます。親友を失った父のためにも強くなって、この家を盛り立てていきたいんです。私にはまだ治療が必要ですし……力を貸してくださいますか、先生? もちろん先生のお気持ちについても考えていきます」
「フィンです」
「え?」
「私の気持ちについて考えてくださるのなら、先生ではなく名前で呼んでいただけませんか?」
「……フィン様?」
「はい。……ロッテ。ふふっ、呼び捨てはまだ図々しかったですかね」

 先生の声は甘くしなやかで艶やかで色っぽくて、私は学園でヘンリクス様と彼の恋人の姿を見たときのように、自分がどこかへ落ちていくような気分になりました。
 もちろん殺意へではありません。だってとても幸せな気分なのですもの。
 これは、きっと──
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