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第十話 失ってから気づくもの
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──そして時間が過ぎた後、ヒメネス侯爵家に話は戻る。
(私がアストゥト殿下に心酔していたのは、少しも振り向いてくれなかった父にそっくりな殿下が、私を認めてくれたからだったんだな)
ヒメネス侯爵家の女主人の部屋で先代侯爵の肖像画を見つけたイスマエルは、ぼんやりと真実を反芻していた。
イスマエルが学園の長期休暇で戻った際に母が自殺したのは、イスマエルがアストゥトに忠誠を捧げると宣言したからだろう。
おそらく彼女は側妃の産んだ王子が夫の種であると気づいていた。夫に放置されていても心からの愛情を注いで育てていた息子が、母である自分よりも異母兄を選んだようなものだ、その絶望は計り知れない。
視界の端に虹色の煌めきが走ったような気がして、イスマエルは部屋の窓を見た。
なにもない。
当然だ。ドロレスはもうここにはいないのだ。
彼女と初めて会ったときのことを思い出す。
王宮の中庭で木の上から落ちてきた少女は、光を反射して虹色に光る美しい真珠色の髪の持ち主だった。
思わず美しいと呟くと、彼女は幸せそうに微笑んだ。それを見ていたアストゥトが王女の恋に気づき、イスマエルに彼女を誘惑するよう命じて来たのだ。父によく似たアストゥトの言う通りにしてきて、イスマエルに残ったのは欲しくもないデスピアダだけだ。
ちなみにドロレスが置いて行ったデロタは、実家の子爵家がドレスデザインの盗作で共和国からの正式な抗議を受けたことで、侯爵家から連行されて強制労働に従事させられている。
(ずっと思っていた。父のようにはならないと。私は自分を見つめて微笑んでくれる人に微笑みを返そうと……なのに……)
アストゥトのために、彼とデスピアダの関係が疑われないために、侯爵家の使用人達に正妻であるドロレスとの子作りを勧められないために、何度ドロレスの前でデスピアダを抱き締めただろうか。
ドロレスの侍女デロタの言葉も半分は本気にしていた。
それでもイスマエルは信じていたのだ。
(ドロレスはずっと私を愛してくれると、見つめていてくれると、私を見つけたら幸せそうに微笑んでくれるのだと)
初夜の床で酷い言葉を投げかけたくせに、イスマエルはヒメネス侯爵家に閉じ込めたドロレスが、王都から戻った自分を窓から見つけて微笑む姿が好きだった。
デスピアダを迎え入れてから、使用人達が気を配らなくても、ドロレスのほうがイスマエルを避けるようになったのが辛かった。
だから自分からドロレスを探して、彼女の前でデスピアダを抱き締めていたのだ。それがどんなに彼女を傷つけるのかわかっていながら。
昔からイスマエルは、ドロレスがどこにいても不思議とわかった。
おそらくそれは無意識に、イスマエルの瞳がドロレスの真珠色の髪を探していたからだろう。
真珠色の髪が光を反射して放つ虹色の煌めきが視界にあるときだけ、イスマエルの心は満たされた。
(愚かだ。ドロレスは愚かな我儘王女なんかじゃなかった。本当に愚かなのは、必要のない父の愛を求めて、本当に自分を愛してくれた人達を踏み躙っていた私自身だ)
イスマエルの瞳から涙が零れ落ちる。
愚かな彼にとって一番悲しいのは、ドロレスがいなくなったことではない。
最後に会話したときの彼女の瞳に自分への愛情が消えていたことだった。ドロレスが自分に向けた言葉が蘇って、イスマエルの耳朶を打つ。
『彼女は死んだの。……貴方が殺したのよ』
(私がアストゥト殿下に心酔していたのは、少しも振り向いてくれなかった父にそっくりな殿下が、私を認めてくれたからだったんだな)
ヒメネス侯爵家の女主人の部屋で先代侯爵の肖像画を見つけたイスマエルは、ぼんやりと真実を反芻していた。
イスマエルが学園の長期休暇で戻った際に母が自殺したのは、イスマエルがアストゥトに忠誠を捧げると宣言したからだろう。
おそらく彼女は側妃の産んだ王子が夫の種であると気づいていた。夫に放置されていても心からの愛情を注いで育てていた息子が、母である自分よりも異母兄を選んだようなものだ、その絶望は計り知れない。
視界の端に虹色の煌めきが走ったような気がして、イスマエルは部屋の窓を見た。
なにもない。
当然だ。ドロレスはもうここにはいないのだ。
彼女と初めて会ったときのことを思い出す。
王宮の中庭で木の上から落ちてきた少女は、光を反射して虹色に光る美しい真珠色の髪の持ち主だった。
思わず美しいと呟くと、彼女は幸せそうに微笑んだ。それを見ていたアストゥトが王女の恋に気づき、イスマエルに彼女を誘惑するよう命じて来たのだ。父によく似たアストゥトの言う通りにしてきて、イスマエルに残ったのは欲しくもないデスピアダだけだ。
ちなみにドロレスが置いて行ったデロタは、実家の子爵家がドレスデザインの盗作で共和国からの正式な抗議を受けたことで、侯爵家から連行されて強制労働に従事させられている。
(ずっと思っていた。父のようにはならないと。私は自分を見つめて微笑んでくれる人に微笑みを返そうと……なのに……)
アストゥトのために、彼とデスピアダの関係が疑われないために、侯爵家の使用人達に正妻であるドロレスとの子作りを勧められないために、何度ドロレスの前でデスピアダを抱き締めただろうか。
ドロレスの侍女デロタの言葉も半分は本気にしていた。
それでもイスマエルは信じていたのだ。
(ドロレスはずっと私を愛してくれると、見つめていてくれると、私を見つけたら幸せそうに微笑んでくれるのだと)
初夜の床で酷い言葉を投げかけたくせに、イスマエルはヒメネス侯爵家に閉じ込めたドロレスが、王都から戻った自分を窓から見つけて微笑む姿が好きだった。
デスピアダを迎え入れてから、使用人達が気を配らなくても、ドロレスのほうがイスマエルを避けるようになったのが辛かった。
だから自分からドロレスを探して、彼女の前でデスピアダを抱き締めていたのだ。それがどんなに彼女を傷つけるのかわかっていながら。
昔からイスマエルは、ドロレスがどこにいても不思議とわかった。
おそらくそれは無意識に、イスマエルの瞳がドロレスの真珠色の髪を探していたからだろう。
真珠色の髪が光を反射して放つ虹色の煌めきが視界にあるときだけ、イスマエルの心は満たされた。
(愚かだ。ドロレスは愚かな我儘王女なんかじゃなかった。本当に愚かなのは、必要のない父の愛を求めて、本当に自分を愛してくれた人達を踏み躙っていた私自身だ)
イスマエルの瞳から涙が零れ落ちる。
愚かな彼にとって一番悲しいのは、ドロレスがいなくなったことではない。
最後に会話したときの彼女の瞳に自分への愛情が消えていたことだった。ドロレスが自分に向けた言葉が蘇って、イスマエルの耳朶を打つ。
『彼女は死んだの。……貴方が殺したのよ』
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