百年の愛

豆狸

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第十話 九十二年

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 一度目のときは、二十歳からアンリを愛して四十五年。
 二度目のときは、十八歳から彼を待っていて四十七年。
 再び同じ年齢で天寿をまっとうして、三度目の十八歳が始まりました。

 絡み合う蛇の指輪は、まるで最初からそうだったかのようにふたつの瞳の色を失っています。
 もう私は時間を戻すことは出来ません。
 これが最後です。もっとも本来の人生は一度きりだということを思えば、私は幸運なのだと言えます。

 情報不足に悔やんだ経験を活かして、二度目で自由になってからはデジール様やアンリの実父についても調査をしました。
 とはいえ私が王宮を出たときにはおふたりとも亡くなっていたので、伝聞の断片的な情報しか手に入っていません。
 これからは王妃としての多忙な日々が待っています。実家に頼るのにも限界があるでしょう。

 学園在学中に調べておけば良かったと思っても、それが無理なことはわかっています。
 今日は卒業式ですし、アンリの実父が表舞台に躍り出たのは今日が初めてなのですもの。
 それでもこれからも調べられることは調べていきましょう。

「……バルバラ」
「はい?」
「君は立ち上がらないのだな。今の演奏に感動しなかったのか?」

 今後のことを思案していたら、陛下に睨みつけられました。
 いいえ、まだ陛下ではありませんでした。
 今のこの方は殿下です。

 二度目のときと同じ言葉をかけられたような気がします。
 そういえば、アンリを私に託すときの言葉も一度目と二度目で同じでした。
 どんなに時を繰り返しても、変わらぬことはあるのでしょう。

 でも――

 少なくとも二度目のアンリは一度目より長生きしてくれました。
 今度はきっと、絶対に、たとえ私の寿命と引き換えにしたとしても、天寿をまっとさせたいと望んでいます。
 それが愚かないつわりの母の願いです。一度目のアンリと二度目のアンリ、そしてこれから生まれてくるアンリを同じ人間だと思っても良いのだろうかという悩みは、今のところ飲み込んでおきましょう。

「感動のあまり動けなかったのです、殿下」
「バルバラ?」

 前と同じ言葉を返したはずなのに、殿下の反応が少し違った気がします。
 どうしてでしょうか。
 考えても仕方がありません。奇跡の演奏のことだってもう欠片かけらも思い出せないのです。四十五年と四十七年で九十二年も過ごしてきたのですから、一番大切なこと以外は忘れてしまっても良いでしょう。

 殿下に微笑んで、私は立ち上がると拍手を始めました。
 アンリの両親が立つ檀上を見つめます。
 これまで視界に入れてこなかったデジール様は赤い髪、緑の瞳の美しい女性でした。おまけに芸術の才能もおありなのですから、殿下に愛されるのも当然でしょう。そんな彼女だからアンリをこの世にもたらしてくれたのですね。

 彼女が赤い髪に緑の瞳ということは、金色の髪も空のように真っ青な瞳も父親から受け継いだのでしょう。
 私はデジール様から視線を外し、弦楽器奏者に目をやりました。
 講堂の窓から差し込む光に照らされた髪が金色に煌めいているのは知っています。

 瞳は……ああ、やっぱり青です。
 だけど鮮やかで澄んだ夏空のようなアンリの瞳とは違います。
 彼の瞳は少し暗く、夜になったばかりの空の青のように思えました。

「……その指輪……」

 怪訝そうに私を見ていた殿下が小さな呟きを漏らしました。
 演奏中は存在しなかった蛇の指輪に気づかれたようです。
 変に言い訳するよりも、話をらして忘れていただくほうが良いでしょう。

「殿下? 殿下こそ私ではなくデジール様をご覧にならなくては。今日がお会い出来る最後の日なのですよ? あの方は帝国の音楽大学へ行ってしまわれるのですから。あんなに素晴らしい天才と一緒に学園生活を送れて、私どもは幸運でしたわね」
「あ、ああ。そうだな……」

 殿下は壇上に向かい、拍手を再開なさいました。
 この国の貴族は学園を卒業することで成人だと認められます。数か月後に即位して国王になる予定の殿下の手は、逞しい大人の男性のものでした。
 処刑される直前の成長したアンリのことを思い出して、少し泣きたくなりました。

 九十二年経っても夢を見ます。
 百年が過ぎても忘れられないでしょう。
 金色の髪で空のように真っ青な瞳の王子様我が子は、いつまでも愚かな母の最愛なのです。
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