死に戻り王妃はふたりの婚約者に愛される。

豆狸

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16・樹上の少年

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 クレマン様、ベリエ大公の婚約者となったことで王妃教育から解放されたのだが、今日は妃殿下のお茶会に招かれて王宮へ来た。
 王太子の婚約者という役目を放り出したようなものだから叱責されても仕方がないと覚悟していた私を、妃殿下は優しく祝福してくださった。
 この前クレマン様がおっしゃっていたように、国王陛下と妃殿下は私をサジテール侯爵家から救い出すために、いろいろ手を尽くしてくださっていたようだ。

 この前──クレマン様が大公邸から王宮へ戻り、翌日の早朝に男爵領へ旅立ってから、そろそろ十日が過ぎようとしていた。

「……もうお戻りになられても良いころなのに」

 私を案じる手紙は毎日のように届いているけれど、帰還を告げる文章はまだない。
 ふたつ年下の私はとても幼いと思われているらしく、手紙にはいつも小さく可愛い絵が描かれていた。
 クレマン様は絵がお上手だ。

 ……エメラルド色のお菓子に喜んだのが子どもっぽかったのかしら。
 溜息をつきながら中庭横の通路を歩いていたら、大きな葉擦れの音がした。
 低い声が空から問いかけてくる。

「クレマンのことか?」
「ポール殿下!」

 王太子殿下がお妃様の木の上から微笑みかけてくる。
 邪気のない、少年のような笑顔だ。
 私は慌てて駆け寄った。

「この木は折れやすいと言います。幼いころのクレマン様ならともかく、殿下のように逞しく頑強な方に耐えられるとは思えません。早く降りてきてください!」
「こういうのはコツがあるんだ。武芸の逆で弱いところを避ければいい。……ほら、そなたも来い」

 彼が大きな手を差し出してくる。

「嫌です。殿下も早く降りてください」
「そなたが隣に来れば降りてやってもいい」

 なにを言っても聞かない顔をしている。
 私は溜息をついて、ポール殿下の手を取った。
 樹上から見下ろす大地はいつもより広く、見上げる空は近くに思えた。

「……わあ。っと、約束ですよ。私が来たのだから降りてください」
「わかった。約束だからな。……よっと」
「殿下っ!」

 彼は幹を使って降りるのではなく、するりと滑り落ちた。
 体が大きいせいか、地面に足をついたときの反動は少なそうだ。
 ……わ、私はどうしたらいいのかしら。飛び降りるなんてできないわ。

「樹上の光景も良いものだろう」
「そ、それはそうなのですが」
「なんだ、怖いのか?」
「……怖くないです」
「嘘をつけ。そなたがそんな意地っ張りだとは知らなかったぞ」

 からかうようなポール殿下の表情が気に食わなくて、つい反抗してしまった。
 婚約者として窘めたり苦言を呈したりしていたことはあるけれど、基本的に私は彼からの命令にはすべて従っていた。
 ……いいえ。死に戻る前、王妃のときに一度だけ逆らった。初夜のときだ。

「ほら、来い」

 ポール殿下は楽しげに笑って……さっきからずっと笑い続けてらっしゃる……、私に向けて両手を広げた。
 あの広い胸に飛び込めという気だろうか。

「ダ、ダメです。私はクレマン様の婚約者なのですから」
「固いことを言うな。従兄弟なんだから、そう変わらぬぞ。実際子どものころはそっくりだった」

 ふっと、殿下の表情が悲しげになる。
 私はリボンのときのクレマン様の動きを思い出しながら、乗せられた枝から幹に移ってしがみついた。
 ドレスが埃や木肌のかけらで汚れてしまうけれど、仕方がない。せめて破らないよう気をつけましょう。せっかく綺麗に整えてくれたのにごめんなさいね、ニナ。

「ほう、自力で降りるか。……俺も嫌われたものだな」
「そういうわけではありませ……あ」

 手が滑った。
 地面に叩きつけられると思った瞬間に、温かいものに包まれる。

「無事かっ?」
「……大丈夫です」

 私を助けてくださったのは、もちろんポール殿下だった。

「それよりお妃様の木は傷ついていませんか?」
「莫迦か! 無茶をするから……いや、俺がからかったせいだな。すまぬ」
「私も意地を張り過ぎました、ごめんなさい。……あの、ありがとうございました。そろそろ離していただけますか?」

 泣きそうな顔で頷いて、殿下は私を腕から降ろしてくださった。
 死に戻ってから、知らなかった彼の表情をよく見る。

「……前に学院で、俺なら木から落ちたりしないと言ったことがあったな」
「ありましたね」

 ほんの少し前のことなのに、もうずいぶん前のことのようだ。
 生活する場所も婚約者も変わってしまった。
 私自身も違う。初恋のエメラルドの瞳の少年は、もうどこにもいないことを受け入れている。ポール陛下との形だけの結婚を受け入れて王妃になっていたときよりも大人になった気がしていた。

「だが俺はさっきのように、そなたを枝に引き上げて危ない目に遭わせていたに違いない。我ながら情けない。こんなことではクレマンには勝てぬな」
「でも……そうだったとしても殿下はきっと、今のように私を助けてくださいましたわ」
「……そうか」

 ドレスの汚れを叩いて落とし、ふたりで王宮の通路へ戻る。
 目の隅にお妃様の霊廟が映っていたが、不思議と怖くなかった。
 クレマン様が聖剣を持ち帰ってくだされば、きっとすべてが上手く行く。──このときの私は、そう信じていた。
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