私の恋心が消えていたら

豆狸

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前編 殺人

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 胸が痛い。膿んだ傷口から血が流れ続けているかのように、絶え間ない痛みが私をさいなみ続けています。
 私の恋心が消えていたら、こんな痛みを感じることはなかったのでしょう。
 この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、私の愛しい婚約者、王太子殿下はおっしゃいました。

「公爵令嬢。私は君との婚約を破棄する! 君はここにいる男爵令嬢、私の真実の愛の相手に危害を加えた罪、で……」

 殿下の声が途中でおかしくなったのは、自身の隣に立つ可愛らしい男爵令嬢の体から力が失われたからでしょうか。
 私から殿下のお心を奪った男爵令嬢は最近社交界で流行し出した扇を落とし、私の愛しい人の腕の中で、だらりと四肢を投げ出しています。
 感情豊かだったお顔は強張り、光を失った瞳は私の方を向いていました。

「……公爵令嬢、君が殺したのか?」

 面白いことをおっしゃる殿下です。
 卒業パーティが始まってからずっと、男爵令嬢は殿下と殿下のご学友の方々に取り囲まれて、私から守られていたではありませんか。
 もちろん私の侍女や侍従が彼女男爵令嬢に近づけるはずもありません。

 私の親友と称していた伯爵令嬢も、今宵は男爵令嬢の取り巻きと化していました。
 婚約破棄の際に私の悪行を並べ立てるつもりだったのでしょうね。
 おかげで予定が狂ってしまいました。

 私は自分の扇……男爵令嬢のように殿下に贈られたものではなく、公爵家の財で父が購入してくださったものです……の骨の部分に埋め込んだ、毒薬に目をやりました。
 それから顔を上げ、愛しい方を見つめて答えます。
 きっと今の私の顔も、以前殿下に言われたままの感情の見えない冷たい顔なのでしょう。

「殺したいと思っていました」

 寵愛の死に感情がたかぶっていらっしゃる王太子殿下に命じられ、困惑した表情の近衛騎士隊長とその部下が私を捕縛します。
 今宵の卒業パーティは王宮の広間で開催されていました。王族が学園へ通っているときはそうすることになっています。
 私は貴人を幽閉する王宮の塔へと連れて行かれたのです。

★ ★ ★ ★ ★

 公爵令嬢を塔へ幽閉して数日後、王太子のもとへ近衛騎士隊長が報告に来た。
 もちろん男爵令嬢殺人事件の結末を告げるためにだ。

「公爵令嬢は男爵令嬢殺人の犯人ではありませんでした」
「そうか……」

 王太子も感情のたかぶりが治まってからは、自分の間違いに気づいていた。
 男爵令嬢は公爵令嬢の恋敵だ。
 なにをするかわからないと思っていたから、あのとき自分は公爵令嬢を疑ったし、なにをするかわからないと思っていたからこそ、あの夜自分は公爵令嬢を男爵令嬢の側へは近寄らせないようにしていた。

「公爵令嬢が持っているとおっしゃった毒は死毒ではなく興奮剤で、扇の骨に隠していたくらいですから、とても微量でした。人を殺せるものではありません」
「興奮剤?」
「酒に酔って酩酊したような状態になる薬です。公爵令嬢はそれを自白剤として使おうとしていたようです。ほら、酔っぱらうと口が軽くなる人間がいるでしょう?」
「しかし、彼女は殺したいと思っていた、と証言したぞ」
「社会的に殺す、ということでしょう。王国の貴族子女とその保護者が集まる学園の卒業パーティで、男爵令嬢が自分の秘密を明かしたらとんでもないことになりますよ」
「秘密? 私との関係は、みんな知っていただろう?」
「あー……」

 近衛騎士隊長は憐れむような表情を浮かべた。

「男爵令嬢が一番隠したいと思っていただろうことは、自家の家令と不倫関係にあったことです」
「は?」
「男爵家の令嬢の部屋で脅迫状が見つかりました。妻子持ちの家令と関係を持っていることを暴かれたくなかったら、王太子殿下を誘惑しろと書かれた手紙です」
「……」

 王太子の顔から色が消える。しばらくの沈黙の後、彼は言葉を絞り出した。

「脅されて、私に近づいたと言うのか?」
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