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最終話 次の春は、きっと
前世の少女漫画『春を夢見ても』の中では、ブルローネの本命は死んでいたのではないだろうか。
彼女の末路を聞いて、私はそう考えた。
あれだけ本命を愛している彼女が、金のためとはいえ彼と会えない状況を良しとするとは思えない。本命が死んでいたから、ジョヴァンニを生かしたままコンティ伯爵家へ入り込んだと考えるほうが自然な気がする。
貴族家の夫人には自由がない。
どこへ行くにも侍女がついてくる。まあ守ってくれるためでもあるけど。
とはいえ『春見て』の中のブルローネ親娘は貴族家の権利や財産は貪っておきながら、義務や役割を果たしているようには見えなかった。流されやすいジョヴァンニを騙すことなどお手のものだろうし、本命と会う機会くらい作れたのかもしれない。
うーん。どっちかしら。
今となっては考えても仕方がないんだけどね。
もう『春見て』の未来になる日は来ないんだから。
ああ、そう言えば私の子どもの婚約者が記憶を失っていたとき世話をしてくれた暗黒街のボスは、ブルローネの本命が用心棒をしていた高利貸しの属していた組織とは敵対してたんじゃないかしら。
だから婚約者に手を貸して、コンティ伯爵夫人殺害の真実を暴いたのよ。
そんなことをつらつら考えてしまうのは、目の前に暗黒街のボス【若い姿】がいるからだ。
ここは王都のロセッティ侯爵邸。
今日の私はテレーザとともに、お見合いから一カ月ほど経ってから正式に婚約したルーカの兄に挨拶しに来たのだ。
ルーカの兄はまだ跡取りなのだけど、母親を早くに亡くし病弱な父親のぶんも侯爵家を支えてきた実績を持つ実質上の当主である。すでに妻子持ちの彼は『春見て』登場時よりも若くて、凄く色気がある。弟では比べものにならないほど艶っぽい美形なのだ。
今日は手を離せない仕事があるということで互いの顔見せだけだ。
その後ルーカとお茶をしたり、彼の部屋でスケッチ画を見せてもらう予定。
芸術祭自体はまだだけど出品は早くから受け付けているので、『春へ向かう女神』はもう彼の手元にはない。
「わざわざすまなかったね、マティルデ嬢。私が甘やかしてしまったから、ルーカには少しふわふわしたところがあるんだ。莫迦な真似をしたときには尻を叩いてくれるとありがたい」
「兄上! 結婚するのだから大人になりますし、僕のほうがマティルデよりも年上ですよ。僕はもう子どもではありません」
「そうなってくれると嬉しいのだがな。……ああ、紹介が遅れたね。彼は我が家と関係の深い商会の会頭だ。これから身内になるのだから、彼のことを覚えておくと良い」
「……よろしくお願いします」
ロセッティ侯爵邸の当主執務室で、暗黒街のボス【若い姿】が私に頭を下げる。
私が彼を覚えるというよりも、なにかあったとき私を助けてもらうために紹介されたのだろう。貴族家にはいろいろ起こるからね。
商会の会頭というのも嘘ではないと思う。前世裏社会のフロント企業みたいな感じで。
親世代になっても魅力的だったワイルド美形の暗黒街のボス【若い姿】は、今も魅力的だった。
今世の父や兄もワイルド美形だが、残念ながら格が違うと認めることしかできない。
未来の義兄と前世の推しには商談があるというので、私とルーカはお暇した。
どんな商談なのかは知らないほうが良いと思う。
ルーカが、良いことも悪いことも清濁併せ呑まなくてはいけない高位貴族の跡取りじゃなくて良かったかも。
私に前世の記憶があるから、じゃなくて、実家のカルーゾ伯爵家も前の婚家のコンティ伯爵家も高位貴族の末席で、それほど規模が大きくなかったのだ。だからロセッティ侯爵家みたいに大きい家の裏事情までは手に負えないと思う。今世で生まれ育って貴族家の違いがわかってるからこそだ。
それから中庭でルーカとお茶する。
画家である彼の実家なだけあって、王都カルーゾ伯爵邸の中庭よりも整っていて風情がある気がした。
まあ家格も財力も違うしね。
「ねえマティルデ」
「なぁに、ルーカ」
「さっき会った兄上の友達。ああいう野性味のある男性のほうが君の好みなんじゃない?」
「……わかる? ごめんなさい。でも見た目が好きなだけで……」
「うん。べつに良いんだ。つまり君は好みじゃなくても結婚したいと思うくらい、僕のこと好きなんだよね?」
「ふふふ、当たり。私ね、ルーカの考え方好きよ」
「ありがとう」
私達はもう呼び捨てで、普通に会話する仲になっている。
なので、私は遠慮なく聞いてしまう。
「ねえルーカ。貴方の好みはどんな女性?」
「君だよ」
「え?」
「まだ言ってなかったよね? 学園祭で『春』の絵を買ってくれたとき、ひと目惚れしたんだ。好みっていうより初恋の最愛かな? あのときの君が婚約済みじゃなかったら、きっと過保護な兄上がカルーゾ伯爵家に婚約の申し込みをしてくれてたと思う」
君がね、とルーカが笑う。
「なんだかとても悲しそうな顔をしてて、一緒にいる彼女も心配そうな表情だったのに、僕の絵を見て笑顔になってくれたのがとても嬉しくて幸せで……春が来たような気持ちになったんだよ」
「そうだったの。……ねえルーカ」
「なぁにマティルデ」
「もしいつか私達に女の子が生まれたらソフィアと名付けたいのだけど、どうかしら?」
「良い名前だね」
この世界は『春見て』とは違う。
最初から違う似てるだけの世界だったのか、私が変えてしまったのかはわからない。
ルーカとの間に生まれるソフィアは、春を夢見ていた彼女とは同じ名前の別人だ。それはそれとして私は、私のソフィアを幸せにしたいと思うのだ。
そして私自身もきっと幸せになれる。
少なくとも次の春は、きっと幸せな私がいる。
好みじゃなくてもだれよりも愛しい存在になったルーカを見つめて、私は微笑んだ。彼の描く絵のほうは、今も昔もとても好みだ。
彼女の末路を聞いて、私はそう考えた。
あれだけ本命を愛している彼女が、金のためとはいえ彼と会えない状況を良しとするとは思えない。本命が死んでいたから、ジョヴァンニを生かしたままコンティ伯爵家へ入り込んだと考えるほうが自然な気がする。
貴族家の夫人には自由がない。
どこへ行くにも侍女がついてくる。まあ守ってくれるためでもあるけど。
とはいえ『春見て』の中のブルローネ親娘は貴族家の権利や財産は貪っておきながら、義務や役割を果たしているようには見えなかった。流されやすいジョヴァンニを騙すことなどお手のものだろうし、本命と会う機会くらい作れたのかもしれない。
うーん。どっちかしら。
今となっては考えても仕方がないんだけどね。
もう『春見て』の未来になる日は来ないんだから。
ああ、そう言えば私の子どもの婚約者が記憶を失っていたとき世話をしてくれた暗黒街のボスは、ブルローネの本命が用心棒をしていた高利貸しの属していた組織とは敵対してたんじゃないかしら。
だから婚約者に手を貸して、コンティ伯爵夫人殺害の真実を暴いたのよ。
そんなことをつらつら考えてしまうのは、目の前に暗黒街のボス【若い姿】がいるからだ。
ここは王都のロセッティ侯爵邸。
今日の私はテレーザとともに、お見合いから一カ月ほど経ってから正式に婚約したルーカの兄に挨拶しに来たのだ。
ルーカの兄はまだ跡取りなのだけど、母親を早くに亡くし病弱な父親のぶんも侯爵家を支えてきた実績を持つ実質上の当主である。すでに妻子持ちの彼は『春見て』登場時よりも若くて、凄く色気がある。弟では比べものにならないほど艶っぽい美形なのだ。
今日は手を離せない仕事があるということで互いの顔見せだけだ。
その後ルーカとお茶をしたり、彼の部屋でスケッチ画を見せてもらう予定。
芸術祭自体はまだだけど出品は早くから受け付けているので、『春へ向かう女神』はもう彼の手元にはない。
「わざわざすまなかったね、マティルデ嬢。私が甘やかしてしまったから、ルーカには少しふわふわしたところがあるんだ。莫迦な真似をしたときには尻を叩いてくれるとありがたい」
「兄上! 結婚するのだから大人になりますし、僕のほうがマティルデよりも年上ですよ。僕はもう子どもではありません」
「そうなってくれると嬉しいのだがな。……ああ、紹介が遅れたね。彼は我が家と関係の深い商会の会頭だ。これから身内になるのだから、彼のことを覚えておくと良い」
「……よろしくお願いします」
ロセッティ侯爵邸の当主執務室で、暗黒街のボス【若い姿】が私に頭を下げる。
私が彼を覚えるというよりも、なにかあったとき私を助けてもらうために紹介されたのだろう。貴族家にはいろいろ起こるからね。
商会の会頭というのも嘘ではないと思う。前世裏社会のフロント企業みたいな感じで。
親世代になっても魅力的だったワイルド美形の暗黒街のボス【若い姿】は、今も魅力的だった。
今世の父や兄もワイルド美形だが、残念ながら格が違うと認めることしかできない。
未来の義兄と前世の推しには商談があるというので、私とルーカはお暇した。
どんな商談なのかは知らないほうが良いと思う。
ルーカが、良いことも悪いことも清濁併せ呑まなくてはいけない高位貴族の跡取りじゃなくて良かったかも。
私に前世の記憶があるから、じゃなくて、実家のカルーゾ伯爵家も前の婚家のコンティ伯爵家も高位貴族の末席で、それほど規模が大きくなかったのだ。だからロセッティ侯爵家みたいに大きい家の裏事情までは手に負えないと思う。今世で生まれ育って貴族家の違いがわかってるからこそだ。
それから中庭でルーカとお茶する。
画家である彼の実家なだけあって、王都カルーゾ伯爵邸の中庭よりも整っていて風情がある気がした。
まあ家格も財力も違うしね。
「ねえマティルデ」
「なぁに、ルーカ」
「さっき会った兄上の友達。ああいう野性味のある男性のほうが君の好みなんじゃない?」
「……わかる? ごめんなさい。でも見た目が好きなだけで……」
「うん。べつに良いんだ。つまり君は好みじゃなくても結婚したいと思うくらい、僕のこと好きなんだよね?」
「ふふふ、当たり。私ね、ルーカの考え方好きよ」
「ありがとう」
私達はもう呼び捨てで、普通に会話する仲になっている。
なので、私は遠慮なく聞いてしまう。
「ねえルーカ。貴方の好みはどんな女性?」
「君だよ」
「え?」
「まだ言ってなかったよね? 学園祭で『春』の絵を買ってくれたとき、ひと目惚れしたんだ。好みっていうより初恋の最愛かな? あのときの君が婚約済みじゃなかったら、きっと過保護な兄上がカルーゾ伯爵家に婚約の申し込みをしてくれてたと思う」
君がね、とルーカが笑う。
「なんだかとても悲しそうな顔をしてて、一緒にいる彼女も心配そうな表情だったのに、僕の絵を見て笑顔になってくれたのがとても嬉しくて幸せで……春が来たような気持ちになったんだよ」
「そうだったの。……ねえルーカ」
「なぁにマティルデ」
「もしいつか私達に女の子が生まれたらソフィアと名付けたいのだけど、どうかしら?」
「良い名前だね」
この世界は『春見て』とは違う。
最初から違う似てるだけの世界だったのか、私が変えてしまったのかはわからない。
ルーカとの間に生まれるソフィアは、春を夢見ていた彼女とは同じ名前の別人だ。それはそれとして私は、私のソフィアを幸せにしたいと思うのだ。
そして私自身もきっと幸せになれる。
少なくとも次の春は、きっと幸せな私がいる。
好みじゃなくてもだれよりも愛しい存在になったルーカを見つめて、私は微笑んだ。彼の描く絵のほうは、今も昔もとても好みだ。
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