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第一話 四度目の朝
王都男爵邸の居間で新聞を広げた私を、侍女のエミリーが目ざとく見つけました。
「ビアトリスお嬢様、今日はお休みになさるのではなかったですか?」
三年と少し前、この王国の貴族子女が通う学園へ入学すると同時にベイリー男爵家の当主となった私は、良い家臣に恵まれています。
愛人に夢中だった婿養子の父のぶんも私と亡き母を支えて見守っていてくれていた彼らは、ときどき過保護なほどに私を心配してくれます。
確かに気持ちはわかるのです。
私が婚約者の伯爵令息アーネスト様に学園の卒業パーティで婚約破棄されてから、まだ一ヶ月しか経っていないのですもの。
この一ヶ月は悲しみに暮れる暇もなく仕事漬けだったのですしね。
仕事というものは、何度も繰り返したからといって楽になるとは限りません。
「新聞を読むくらい許してちょうだいな。今日、どこへ行こうかと考えていたのです」
「植物園に行かれるのではなかったのですか? あそこに出ている屋台の焼き菓子に使われている果実がそろそろ変わるからとおっしゃって」
そうです、卒業パーティの前にエミリーへそんなことを言った覚えがあります。
植物園の屋台の焼き菓子は水で溶かした小麦粉を薄く焼いて、クリームと季節の果実の甘煮を包んだものです。
以前に、これからの季節が旬の梨の甘煮を包んだものを食べたことがあって、また食べたいと思っていたのです。
考えてみると、そのときから私は婚約者のアーネスト様とではなく侍女のエミリーとふたりで出かけるつもりだったのですね。
ひとつ年下の異母妹キーラが我が家へ来たのは、私と同い年のアーネスト様が三年制の学園の二学年に進学する直前でした。
母の死後、下町で愛人と暮らしていた父が、愛人が亡くなったと言って男爵邸へ戻ってきたのです。
キーラの将来のために学園に通わせてやって欲しい、という父と絶縁したくてたまりませんでしたが、ベイリー男爵家の当主となっていても、学園を卒業するまでの私は未成人扱いでした。
後見人である父と縁を切れる段階ではなかったのです。
おまけに父は、慣れない下町での生活のせいか体調を崩していました。自分が亡くなった後の愛娘を案じる彼を追い返すほど非情にはなれなかったのです。
キーラが我が家に来てからのアーネスト様は、男爵家当主の仕事に邁進する私を放って彼女のことばかり構っていました。
学園の間は自由に楽しんで欲しいと、男爵家の運営に携わってもらわないでいたことが、彼の誇りを傷つけていたのかもしれません。
自主的に騎士爵を得たアーネスト様は誇り高く、弱者を大切になさる心の持ち主でした。
彼にとっては母の心労の原因だった愛人親娘に母の死後も苦しめられている私よりも、男爵家とはなんの関係もないのに婿養子の父を利用して我が家の富や力を貪るキーラのほうが弱者だったのでしょう。
生前の母の補佐をしていた父への報酬は、下町で愛人と暮らしていた家でした。
母が亡くなってからの父は愛人のところへ入り浸る名ばかりの後見人でしたので、私が報酬を支払う義務はなかったと思います。
なかったのですけれど、多少の生活費は工面していました。
後見人として我が家と繋がりがある間に、お金が無くて妙な真似をされては困りますからね。
我が家へ押しかけて来てからの異母妹の学費も生活費も私が払っていたのですが、それでも彼女は騎士に守られるべき弱者だったのでしょうか。異母姉の婚約者を寝取るほどの余裕もあったのに?
まあ、アーネスト様のことはもう良いのです。
一度目のときは翌朝まで泣き明かすくらい衝撃的でしたが、二度目からはどうでも良くなって反論も出来るようになりました。
卒業パーティの前から私達の関係は壊れていたのです。植物園で初めて梨入りの焼き菓子を食べたときだって、アーネスト様に同行を断られてエミリーとふたりで行っていたのですしね。
エミリー……エミリーは私が幼いころから仕えてくれている侍女です。
異母妹のキーラよりもはるかに姉妹のように感じている女性です。
今度は彼女を巻き込みたくはありません。この前のように男爵邸のみんなを巻き込むのもごめんです。
思いながら、私は新聞に目を通していました。
新聞を印刷する魔道具は、旧大陸の遺跡から発見された古代魔導呪文を利用して作られたものです。
旧大陸は古代の人間が神々と暮らしていたと言われる土地で、とてつもない魔導を実現する当時の魔導呪文が眠っていました。
争い好きな人間達を追い出した後で神々が張り巡らした結界に覆われていましたが、最近その結界が消えて開拓が始まったのです。
旧大陸にはだれもいませんでした。
張っていた神々が滅びたので結界が消えたのでしょう。神々というのは、優れた魔導技術を持つ人間のことだったのかもしれません。
月に二回発行される新聞の広告欄には、植物園で秋の花が満開だと美しい絵画を添えた宣伝が書かれています。王都の中央市場での食べ歩きも人気だそうです。こちらは中央市場の人混みの光景が、最近開発された魔道具によって記録されたものが添えられていました。
どこへ行けば殺されずに済むのでしょうか。
どうすれば殺されずに家へ戻った後で襲撃されずに済むのでしょうか。
植物園では一度目、中央市場では二度目に殺されました。
三度目は殺されまいと家に閉じ籠っていたら、夜中に襲撃されて家臣達を殺され火を点けられました。
私にとって、今日の朝は四度目なのです。
私は死ぬたびに学園の卒業パーティの夜に戻るのです。
どうしてなのかはわかりません。
時間が戻って生き返れるのは嬉しいですが、一ヶ月経つとまた殺されてしまいます。
一度目と二度目と三度目の殺人者は別人でした。
見知らぬ男達だったので、素性もわかっていません。
絵の上手い従者に特徴を伝えて描いてもらった似顔絵を使って内密に探したりもしたのですが、見つかりませんでした。それ以上のことは出来ませんでした。殺されて時間が戻ったから犯人を捜して欲しいだなんて、余所の方に言ったらおかしくなったと思われてしまいます。
そもそも彼らが、どうして私を殺すのかがわからないのです。
父や異母妹と絶縁していなければ、男爵家の財産を狙う彼らに依頼されたのだと思うところなのですけれど。
旧大陸の魔導金属鉱山を保有する我がベイリー男爵家は、爵位に見合わぬ財力を持っているのです。だから伯爵令息のアーネスト様が私の婚約者でしたし、父も実家は伯爵家なのです。
「ビアトリスお嬢様、今日はお休みになさるのではなかったですか?」
三年と少し前、この王国の貴族子女が通う学園へ入学すると同時にベイリー男爵家の当主となった私は、良い家臣に恵まれています。
愛人に夢中だった婿養子の父のぶんも私と亡き母を支えて見守っていてくれていた彼らは、ときどき過保護なほどに私を心配してくれます。
確かに気持ちはわかるのです。
私が婚約者の伯爵令息アーネスト様に学園の卒業パーティで婚約破棄されてから、まだ一ヶ月しか経っていないのですもの。
この一ヶ月は悲しみに暮れる暇もなく仕事漬けだったのですしね。
仕事というものは、何度も繰り返したからといって楽になるとは限りません。
「新聞を読むくらい許してちょうだいな。今日、どこへ行こうかと考えていたのです」
「植物園に行かれるのではなかったのですか? あそこに出ている屋台の焼き菓子に使われている果実がそろそろ変わるからとおっしゃって」
そうです、卒業パーティの前にエミリーへそんなことを言った覚えがあります。
植物園の屋台の焼き菓子は水で溶かした小麦粉を薄く焼いて、クリームと季節の果実の甘煮を包んだものです。
以前に、これからの季節が旬の梨の甘煮を包んだものを食べたことがあって、また食べたいと思っていたのです。
考えてみると、そのときから私は婚約者のアーネスト様とではなく侍女のエミリーとふたりで出かけるつもりだったのですね。
ひとつ年下の異母妹キーラが我が家へ来たのは、私と同い年のアーネスト様が三年制の学園の二学年に進学する直前でした。
母の死後、下町で愛人と暮らしていた父が、愛人が亡くなったと言って男爵邸へ戻ってきたのです。
キーラの将来のために学園に通わせてやって欲しい、という父と絶縁したくてたまりませんでしたが、ベイリー男爵家の当主となっていても、学園を卒業するまでの私は未成人扱いでした。
後見人である父と縁を切れる段階ではなかったのです。
おまけに父は、慣れない下町での生活のせいか体調を崩していました。自分が亡くなった後の愛娘を案じる彼を追い返すほど非情にはなれなかったのです。
キーラが我が家に来てからのアーネスト様は、男爵家当主の仕事に邁進する私を放って彼女のことばかり構っていました。
学園の間は自由に楽しんで欲しいと、男爵家の運営に携わってもらわないでいたことが、彼の誇りを傷つけていたのかもしれません。
自主的に騎士爵を得たアーネスト様は誇り高く、弱者を大切になさる心の持ち主でした。
彼にとっては母の心労の原因だった愛人親娘に母の死後も苦しめられている私よりも、男爵家とはなんの関係もないのに婿養子の父を利用して我が家の富や力を貪るキーラのほうが弱者だったのでしょう。
生前の母の補佐をしていた父への報酬は、下町で愛人と暮らしていた家でした。
母が亡くなってからの父は愛人のところへ入り浸る名ばかりの後見人でしたので、私が報酬を支払う義務はなかったと思います。
なかったのですけれど、多少の生活費は工面していました。
後見人として我が家と繋がりがある間に、お金が無くて妙な真似をされては困りますからね。
我が家へ押しかけて来てからの異母妹の学費も生活費も私が払っていたのですが、それでも彼女は騎士に守られるべき弱者だったのでしょうか。異母姉の婚約者を寝取るほどの余裕もあったのに?
まあ、アーネスト様のことはもう良いのです。
一度目のときは翌朝まで泣き明かすくらい衝撃的でしたが、二度目からはどうでも良くなって反論も出来るようになりました。
卒業パーティの前から私達の関係は壊れていたのです。植物園で初めて梨入りの焼き菓子を食べたときだって、アーネスト様に同行を断られてエミリーとふたりで行っていたのですしね。
エミリー……エミリーは私が幼いころから仕えてくれている侍女です。
異母妹のキーラよりもはるかに姉妹のように感じている女性です。
今度は彼女を巻き込みたくはありません。この前のように男爵邸のみんなを巻き込むのもごめんです。
思いながら、私は新聞に目を通していました。
新聞を印刷する魔道具は、旧大陸の遺跡から発見された古代魔導呪文を利用して作られたものです。
旧大陸は古代の人間が神々と暮らしていたと言われる土地で、とてつもない魔導を実現する当時の魔導呪文が眠っていました。
争い好きな人間達を追い出した後で神々が張り巡らした結界に覆われていましたが、最近その結界が消えて開拓が始まったのです。
旧大陸にはだれもいませんでした。
張っていた神々が滅びたので結界が消えたのでしょう。神々というのは、優れた魔導技術を持つ人間のことだったのかもしれません。
月に二回発行される新聞の広告欄には、植物園で秋の花が満開だと美しい絵画を添えた宣伝が書かれています。王都の中央市場での食べ歩きも人気だそうです。こちらは中央市場の人混みの光景が、最近開発された魔道具によって記録されたものが添えられていました。
どこへ行けば殺されずに済むのでしょうか。
どうすれば殺されずに家へ戻った後で襲撃されずに済むのでしょうか。
植物園では一度目、中央市場では二度目に殺されました。
三度目は殺されまいと家に閉じ籠っていたら、夜中に襲撃されて家臣達を殺され火を点けられました。
私にとって、今日の朝は四度目なのです。
私は死ぬたびに学園の卒業パーティの夜に戻るのです。
どうしてなのかはわかりません。
時間が戻って生き返れるのは嬉しいですが、一ヶ月経つとまた殺されてしまいます。
一度目と二度目と三度目の殺人者は別人でした。
見知らぬ男達だったので、素性もわかっていません。
絵の上手い従者に特徴を伝えて描いてもらった似顔絵を使って内密に探したりもしたのですが、見つかりませんでした。それ以上のことは出来ませんでした。殺されて時間が戻ったから犯人を捜して欲しいだなんて、余所の方に言ったらおかしくなったと思われてしまいます。
そもそも彼らが、どうして私を殺すのかがわからないのです。
父や異母妹と絶縁していなければ、男爵家の財産を狙う彼らに依頼されたのだと思うところなのですけれど。
旧大陸の魔導金属鉱山を保有する我がベイリー男爵家は、爵位に見合わぬ財力を持っているのです。だから伯爵令息のアーネスト様が私の婚約者でしたし、父も実家は伯爵家なのです。
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