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第四話 薬
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「でも僕の父が実の父親だと知っていたから来たわけでもありませんよね。当時の伯爵家よりも我が家のほうが裕福だったから、うちへ来たのでしょう? 僕の父が亡くなっていて残念でしたね。まあ父が貴女を引き取ったら、僕が父ごと追い出していましたけど」
ひとりで結論を出して、男はまた微笑んだ。
「ただでとは言いませんよ。すべてを告白して伯爵家と絶縁してくれたなら、この薬を差し上げましょう」
男が応接室の卓上に小さな硝子瓶を置いた。
「薬……?」
「ええ、貴女の母親と僕の父親を殺した病……体を重ねることによって感染する性病の治療薬です」
「はあ? そんなものもらってアタシにどうしろって言うのよ!」
「高価く売れますよ」
そのとき、これまで沈黙していたジャンヌが口を開いた。
「貴女の母親の情夫だったあの歌手が、同じ病で死にかけているのです」
「彼が……?」
「ええ。でも彼に売りつけろと言っているのではありません。彼は末期です。彼の歌ではなく美貌を愛でた貴族夫人やご令嬢達に高値で売れるということですわ」
「この性病をこの国に持ち込んだのは、おそらく僕の父です。仕入れと称した観光旅行で異国へ行った際に、悪所でもらって来たのでしょう」
「ア、アンタの父親のせいなのに高値で売ってるの? 金の亡者ね」
「不貞や火遊びで感染しているんだから自業自得ですよ。それに僕の父や貴女の母親が亡くなったのは、それまでの自堕落な生活と年齢のせいです。貴女の母親の若い情夫は二年も生き延びているでしょう? 本国では大したことのない軽い病なんですよ。とはいえ流通を考えると安価には出来ませんけどね。うち以外の商会が手に入れるのは不可能でしょう」
「貴女の母親の情夫とその愛好者達は、感染者同士で繰り返し関係を持ったことで何度も病を移し合って、それで高価な薬を求めずにはいられないほど病状が悪化しているのですわ」
フォリーは淡々と語るふたりを見つめた。
「本当に……彼が死にかけてるの?」
「ええ、末期の高熱で寝込んでいるそうですよ。意識も朦朧としているみたいですね」
嘘ではない、とフォリーは感じた。最近彼の舞台が開催されないことには気づいていた。
「その薬を彼に飲ませたら助かる?」
男とジャンヌは首を横に振り、揃えたように同じ言葉を返す。
「「いいえ、彼はもう終わりです」」
「そ、そんなのわかんないじゃない! ちゃんとした薬なんでしょ?」
フォリーは彼を、母親の情夫だった若い歌手を愛していた。初恋なのだ。
歌姫マルールは多くの男に愛されていた。
もしかしたら本命は娘と目の前の男の父親だったのかもしれないが、フォリーには母親は若い歌手に夢中になっているように見えていた。年齢を重ねた遊び人が必死で若者の愛を得ることで自分も若いと思い込もうとするのはよくあることだけれど、若いフォリーにそれが理解出来るはずもなく。
華やかな美しさを持って生まれたにもかかわらず、フォリーはいつも母親に劣等感を感じていた。
母親に歌姫としての才能がないことくらいはフォリーも気付いていた。
それでも彼女は自分の名前を冠した劇場を建設してもらえるほどに愛されていた。父親を自称する母親の情夫達に娘として可愛がられれば可愛がられるほど、向けられる愛情が母親のおこぼれに過ぎないことを実感していた。
(彼だけがアタシを、アタシ自身を見てくれたのよ)
劇場の権利書を母親の金庫から盗み出して彼に渡したのは、フォリーだった。
彼に言われたのだ、悪戯をして母親を困らせてやったらきっと楽しいよ、と。
フォリーは彼の言葉を受け入れた。実際、母親が慌てふためく姿を見たら劣等感が薄れたのだ。だが残念なことに、彼から権利書を返してもらう前に、母親は病で亡くなってしまった。
(劇場の所有者が変わったのは彼のせいじゃない。彼はきっと悪人に騙されたのよ。アタシが行っても会ってくれなかったのは、その悪人に脅されてるからで……)
裕福な豪商の財産が手に入れば、伯爵家の権威を利用すれば、劇場を取り戻せるとフォリーは考えていた。
それが失敗した後も、ジャンヌの婚約者を誘惑して愛人の座に収まれば、伯爵家の財産をすべて使ってでも劇場を取り戻すつもりだった。
劇場さえ取り戻せば、彼も一緒に自分のところへ戻ってくると信じていたのだ。
母親が夢中になっていた彼を手に入れれば、母親よりも上の存在になれる。母親自身が彼に権利書を与えたという証言に信ぴょう性があると判断されるほど、母親は彼に夢中だったのだから。
いや、そうではない。
フォリーは彼を愛しているのだ。
「その薬をもらった後でどう使うかはアタシの自由でしょう? いいわ、エベール父さんに告白して伯爵家と絶縁でもなんでもしてあげる。お金があったって貴族家の娘として認められてたって……母さんの劇場を取り戻せたって、彼が死んでしまったら生きていても仕方がないもの」
フォリーがそう宣言したとき、どこからか大きな音がした。
だれかが力任せに壁を叩いたような音だ。
ジャンヌの背後にある大きな鏡のほうから聞こえてきた気がする。
(……でもあっちに部屋はないはず。外の風の音? まあ、どうだって良いわ。彼さえ助けられれば)
フォリーはそう結論付け、二階の自室にいるエベールのところへ異母兄とともに向かった。
ひとりで結論を出して、男はまた微笑んだ。
「ただでとは言いませんよ。すべてを告白して伯爵家と絶縁してくれたなら、この薬を差し上げましょう」
男が応接室の卓上に小さな硝子瓶を置いた。
「薬……?」
「ええ、貴女の母親と僕の父親を殺した病……体を重ねることによって感染する性病の治療薬です」
「はあ? そんなものもらってアタシにどうしろって言うのよ!」
「高価く売れますよ」
そのとき、これまで沈黙していたジャンヌが口を開いた。
「貴女の母親の情夫だったあの歌手が、同じ病で死にかけているのです」
「彼が……?」
「ええ。でも彼に売りつけろと言っているのではありません。彼は末期です。彼の歌ではなく美貌を愛でた貴族夫人やご令嬢達に高値で売れるということですわ」
「この性病をこの国に持ち込んだのは、おそらく僕の父です。仕入れと称した観光旅行で異国へ行った際に、悪所でもらって来たのでしょう」
「ア、アンタの父親のせいなのに高値で売ってるの? 金の亡者ね」
「不貞や火遊びで感染しているんだから自業自得ですよ。それに僕の父や貴女の母親が亡くなったのは、それまでの自堕落な生活と年齢のせいです。貴女の母親の若い情夫は二年も生き延びているでしょう? 本国では大したことのない軽い病なんですよ。とはいえ流通を考えると安価には出来ませんけどね。うち以外の商会が手に入れるのは不可能でしょう」
「貴女の母親の情夫とその愛好者達は、感染者同士で繰り返し関係を持ったことで何度も病を移し合って、それで高価な薬を求めずにはいられないほど病状が悪化しているのですわ」
フォリーは淡々と語るふたりを見つめた。
「本当に……彼が死にかけてるの?」
「ええ、末期の高熱で寝込んでいるそうですよ。意識も朦朧としているみたいですね」
嘘ではない、とフォリーは感じた。最近彼の舞台が開催されないことには気づいていた。
「その薬を彼に飲ませたら助かる?」
男とジャンヌは首を横に振り、揃えたように同じ言葉を返す。
「「いいえ、彼はもう終わりです」」
「そ、そんなのわかんないじゃない! ちゃんとした薬なんでしょ?」
フォリーは彼を、母親の情夫だった若い歌手を愛していた。初恋なのだ。
歌姫マルールは多くの男に愛されていた。
もしかしたら本命は娘と目の前の男の父親だったのかもしれないが、フォリーには母親は若い歌手に夢中になっているように見えていた。年齢を重ねた遊び人が必死で若者の愛を得ることで自分も若いと思い込もうとするのはよくあることだけれど、若いフォリーにそれが理解出来るはずもなく。
華やかな美しさを持って生まれたにもかかわらず、フォリーはいつも母親に劣等感を感じていた。
母親に歌姫としての才能がないことくらいはフォリーも気付いていた。
それでも彼女は自分の名前を冠した劇場を建設してもらえるほどに愛されていた。父親を自称する母親の情夫達に娘として可愛がられれば可愛がられるほど、向けられる愛情が母親のおこぼれに過ぎないことを実感していた。
(彼だけがアタシを、アタシ自身を見てくれたのよ)
劇場の権利書を母親の金庫から盗み出して彼に渡したのは、フォリーだった。
彼に言われたのだ、悪戯をして母親を困らせてやったらきっと楽しいよ、と。
フォリーは彼の言葉を受け入れた。実際、母親が慌てふためく姿を見たら劣等感が薄れたのだ。だが残念なことに、彼から権利書を返してもらう前に、母親は病で亡くなってしまった。
(劇場の所有者が変わったのは彼のせいじゃない。彼はきっと悪人に騙されたのよ。アタシが行っても会ってくれなかったのは、その悪人に脅されてるからで……)
裕福な豪商の財産が手に入れば、伯爵家の権威を利用すれば、劇場を取り戻せるとフォリーは考えていた。
それが失敗した後も、ジャンヌの婚約者を誘惑して愛人の座に収まれば、伯爵家の財産をすべて使ってでも劇場を取り戻すつもりだった。
劇場さえ取り戻せば、彼も一緒に自分のところへ戻ってくると信じていたのだ。
母親が夢中になっていた彼を手に入れれば、母親よりも上の存在になれる。母親自身が彼に権利書を与えたという証言に信ぴょう性があると判断されるほど、母親は彼に夢中だったのだから。
いや、そうではない。
フォリーは彼を愛しているのだ。
「その薬をもらった後でどう使うかはアタシの自由でしょう? いいわ、エベール父さんに告白して伯爵家と絶縁でもなんでもしてあげる。お金があったって貴族家の娘として認められてたって……母さんの劇場を取り戻せたって、彼が死んでしまったら生きていても仕方がないもの」
フォリーがそう宣言したとき、どこからか大きな音がした。
だれかが力任せに壁を叩いたような音だ。
ジャンヌの背後にある大きな鏡のほうから聞こえてきた気がする。
(……でもあっちに部屋はないはず。外の風の音? まあ、どうだって良いわ。彼さえ助けられれば)
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