国王の情婦

豆狸

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第六話 静かに朽ちゆく骸のように

 グレコ公爵は死んでいる。
 体は動いているし、先代のころにレオーネ公爵家も飲み込んだグレコ公爵家は栄華を極めている。レオーネ公爵家の血を引く娘は王太子の婚約者だ。
 しかし、グレコ公爵は死んでいる。

 ──あの日。

 かつての婚約者によって自分と第二王子の汚い陰謀が暴かれて、すべてが妻に知られてしまったときに、彼の心は死んでしまったのだ。
 最初は偽りで良かった。
 情の深いレオーネ公爵令嬢ならば、ふたりの子どもの成長とともに夫の自分を愛してくれるだろうと思っていた。レオーネ公爵家を飲み込んだことも、領地を富ませて領民を大切にしていれば許してもらえると思っていた。

 だが、王太子である第一王子の浮気と婚約破棄騒動が自分達の仕業だと知られたからには、挽回は不可能となった。
 グレコ公爵は離れに閉じ籠った妻の代わりに、元婚約者を本館に囲って子どもを作った。
 そうすれば妻が元婚約者の浮気に怒ったときのように、嫉妬する姿を見せてくれるのではないかと考えたのだ。

 でも無駄だった。
 当然だ。妻はグレコ公爵を愛して結婚したのではない。
 王家との縁が消えた後のレオーネ公爵家を守るために結婚したのだ。そうなるように自分が誘導したのだ。彼女を愛する第二王子フェッブレが還俗する前にと、少しの時間も惜しんで。

 グレコ公爵は幼馴染で親友の王太子カンナヴァーロの婚約者として紹介されたときからずっと、レオーネ公爵令嬢が好きだった。
 赤い髪と琥珀の瞳。
 整った美貌と甘い声を持つ燃え上がる炎のように激しい彼女に恋をした。

 穏やかな気性のカンナヴァーロでは彼女を受け止めきれないと思った。
 温厚そうな言動の裏に本人も御しきれない情熱を隠した第二王子フェッブレでは彼女を幸せに出来ないと思った。
 卑怯で策略家で冷酷な、氷のような自分でなければ彼女の炎は鎮められないと思ったのだ。恋に落ちただれもが陥る全能感に浮かされていたのだと、今ならわかる。

 けれどわかっていても、グレコ公爵はレオーネ公爵令嬢を求めただろう。
 野心家とはほど遠い先代公爵、父を上手く操って縁もゆかりもない少女を下町から引き取らせ、第二王子に聞いた王太子の好みに合わせて養育した。
 善人面した第二王子がレオーネ公爵令嬢の嫉妬心を煽り、彼女と王太子の間に亀裂を生じさせた。最後には王太子を嵌めて少女を押し付け、婚約破棄されたレオーネ公爵令嬢を手中に収めた。

 今では聖王となった第二王子フェッブレには裏切り者と言われたが、それを自慢に思えども後悔することはなかった。
 グレコ公爵が後悔しているのはただひとつ、自分の元婚約者を始末しておかなかったことだ。
 レオーネ公爵令嬢を手に入れるまでの仮初めの婚約者が自分の陰謀を知っていたことにも、妻にそれを暴露する無謀さを持っていたことにも気づいていなかったのだ。

「……旦那様」

 呼びかけられて、グレコ公爵は憎い愛人を見つめた。
 彼女は妻を嫉妬させるための見せかけの愛情を与えられただけの人生で満足なのだろうか。
 妻が亡くなり、娘が王宮へ上がってからのグレコ公爵は、彼女とその子を愛する演技もやめていた。レオーネ公爵令嬢への愛で解けかけていた氷は、以前よりも硬く冷たく凍りついている。

「離れが焼け落ちました」
「……なんだと? 今の離れにはだれも……いや、昨日はあの子が帰って来ていたのだったな。あの子は無事なのか?」

 あの子、グレコ公爵の愛しい娘。妻との間に出来たたったひとりの我が子。
 妻に嫉妬させようだなんてくだらない策略を講じなければ、彼女の愛情だけは手に入れられたかもしれない。
 だけど妻の葬儀の日のグレコ公爵には余裕がなくて、娘に慰めの言葉をかけることも出来なかった。

「……お亡くなりになりました」

 いつになく声を荒げて問うグレコ公爵に怯えながらも、愛人はほんの少しだけ喜色を含んだ答えを返してくる。

「焼け跡から彼女と侍女の死体が見つかったのです。黒焦げでしたが、あの真っ赤な髪の毛がひと房残っていました」

 グレコ公爵は離れへと走った。
 愛人の言った通り、離れの焼け跡には娘と侍女らしき黒焦げの遺体があった。
 途方に暮れた顔の使用人達が、大切そうに取り囲んでいる。

(ああ、私はまだ死んでいなかったらしい。死人はこんなに悲しまないだろう。けれど……)

 これで本当に心は死に絶えてしまった。
 これからのグレコ公爵は動いていても静かに朽ちゆくむくろでしかないのだ。
 王太子妃であれ王妃であれ彼の娘が王族のひとりとして、どんなに憎い父親でも国民のひとりとして笑顔を向けてくれる日は、永遠に来ない。

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