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一日目 炎の記憶
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昨夜、私は妙な胸騒ぎを感じて自分の寝室を抜け出しました。
控えの間で眠る侍女に気付かれないよう、見回りをしている使用人に覚られないよう、息を潜めて父の執務室へと向かいました。なにかが起こっている、そんな気がしたのです。
廊下は不思議なほど静かでした。
閉め切った扉を叩いても返事はありませんでした。
父は自室で眠りについているのかもしれません。私の胸騒ぎは気のせいだったのでしょう。
そう自分に言い聞かせてみましたが、どうにも気持ちが鎮まりません。
意を決して扉に手をかけると、なんの抵抗もなく開きます。
鍵がかかっていなかったのです。
執務室は真っ赤でした。炎に包まれていたのです。私がまとめた書類を持って来たときは執務机の前に座って待っているビーヘル侯爵家当主の父が、扉の近くに倒れているのが見えました。
思わず駆け寄ろうとしたとき、扉の陰に隠れていただれかが──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「貴方の顔に油を浴びせて火のついた燭台を投げつけてきたのですね」
問われて私は頷きました。
声はまだ出せません。
だれかに燭台を投げつけられた後、顔を燃やす炎を吸い込んで喉が焼けてしまったのです。とはいえ治癒魔法の術式が刻まれた仮面の力で、焼け爛れた顔と一緒に喉も回復していくことでしょう。七日ほどで完治すると聞いています。
昨夜のそれ以降のことは覚えていません。
無意識にだれかから逃げたのか、私は玄関のところに倒れているのを見つかりました。
顔が焼け爛れていた以外の外傷は寝間着の裾が少し焦げていたくらいだったと言います。
「それで……お嬢様」
そのようなことを記した紙を確認していたビーヘル侯爵家の主治医が私を見て、困惑した表情で尋ねてきます。
「貴方がどちらのお嬢様だったのかは思い出せましたか?」
私は首を横に振りました。
覚えているのは先ほど紙に記した事柄だけです。
父の執務室と書いておきながら、その父の名前も顔も覚えていないのです。ビーヘル侯爵家という家名だって、意識が戻って体調が落ち着いてから周囲の人間に教えてもらったのです。
侍女が着替えさせてくれた焦げ目のない寝間着の肩に、紅玉のように光り輝く赤い髪がかかっています。
本当に私の被害は顔と喉だけで、髪は先が少し焦げていただけでした。
この赤い髪がビーヘル侯爵家の血筋の証なのだそうです。遠い昔、炎の精霊王様の加護を受けたことで、このような髪になったのだと伝えられています。
この赤い髪を真似ることは出来ません。
厳密に言えば、幻影魔法などで真似ても貴族の館や王宮に張られた結界が魔法を解いてしまうので真似ても意味がないのです。
この王国には国立の魔法研究所があり、悪しき魔法が人々に災いをもたらさないように対抗するすべを開発しています。結界を発動する魔道具や治癒の仮面も研究所で発明されたものだという話です。
紅玉のように光り輝くビーヘル侯爵家の赤い髪を持つものは、今の時代には三人しかいませんでした。
血筋でも炎の精霊王様に愛されて強い魔力を持って生まれたものしか、紅玉のように光り輝く赤い髪を得ることは出来ないのです。
魔法研究所の所長デヨング子爵は祖父の異母弟の息子で父の従弟に当たりますが、髪は王国に多い金色です。
紅玉の赤い髪を持つ三人のうちひとりは私の父。
昨夜の記憶で燃え盛る執務室に倒れていた男性です。
あのときはもうお亡くなりになっていたそうです。
残りのふたりの片方は黒焦げになった死体が見つかっていて、生き残ったのは私ひとり。
だけど記憶がない私には、自分がだれなのかがわからないのです。
三日前に開催されたこの王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、ビーヘル侯爵家へ婿入り予定だった第二王子ルドフィクス殿下に婚約を破棄された長女ハリエットなのでしょうか?
それともその婚約破棄の原因となった第二王子殿下の恋人、長女ハリエットとは母親が違う同い年の異母妹フルーフなのでしょうか?
控えの間で眠る侍女に気付かれないよう、見回りをしている使用人に覚られないよう、息を潜めて父の執務室へと向かいました。なにかが起こっている、そんな気がしたのです。
廊下は不思議なほど静かでした。
閉め切った扉を叩いても返事はありませんでした。
父は自室で眠りについているのかもしれません。私の胸騒ぎは気のせいだったのでしょう。
そう自分に言い聞かせてみましたが、どうにも気持ちが鎮まりません。
意を決して扉に手をかけると、なんの抵抗もなく開きます。
鍵がかかっていなかったのです。
執務室は真っ赤でした。炎に包まれていたのです。私がまとめた書類を持って来たときは執務机の前に座って待っているビーヘル侯爵家当主の父が、扉の近くに倒れているのが見えました。
思わず駆け寄ろうとしたとき、扉の陰に隠れていただれかが──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「貴方の顔に油を浴びせて火のついた燭台を投げつけてきたのですね」
問われて私は頷きました。
声はまだ出せません。
だれかに燭台を投げつけられた後、顔を燃やす炎を吸い込んで喉が焼けてしまったのです。とはいえ治癒魔法の術式が刻まれた仮面の力で、焼け爛れた顔と一緒に喉も回復していくことでしょう。七日ほどで完治すると聞いています。
昨夜のそれ以降のことは覚えていません。
無意識にだれかから逃げたのか、私は玄関のところに倒れているのを見つかりました。
顔が焼け爛れていた以外の外傷は寝間着の裾が少し焦げていたくらいだったと言います。
「それで……お嬢様」
そのようなことを記した紙を確認していたビーヘル侯爵家の主治医が私を見て、困惑した表情で尋ねてきます。
「貴方がどちらのお嬢様だったのかは思い出せましたか?」
私は首を横に振りました。
覚えているのは先ほど紙に記した事柄だけです。
父の執務室と書いておきながら、その父の名前も顔も覚えていないのです。ビーヘル侯爵家という家名だって、意識が戻って体調が落ち着いてから周囲の人間に教えてもらったのです。
侍女が着替えさせてくれた焦げ目のない寝間着の肩に、紅玉のように光り輝く赤い髪がかかっています。
本当に私の被害は顔と喉だけで、髪は先が少し焦げていただけでした。
この赤い髪がビーヘル侯爵家の血筋の証なのだそうです。遠い昔、炎の精霊王様の加護を受けたことで、このような髪になったのだと伝えられています。
この赤い髪を真似ることは出来ません。
厳密に言えば、幻影魔法などで真似ても貴族の館や王宮に張られた結界が魔法を解いてしまうので真似ても意味がないのです。
この王国には国立の魔法研究所があり、悪しき魔法が人々に災いをもたらさないように対抗するすべを開発しています。結界を発動する魔道具や治癒の仮面も研究所で発明されたものだという話です。
紅玉のように光り輝くビーヘル侯爵家の赤い髪を持つものは、今の時代には三人しかいませんでした。
血筋でも炎の精霊王様に愛されて強い魔力を持って生まれたものしか、紅玉のように光り輝く赤い髪を得ることは出来ないのです。
魔法研究所の所長デヨング子爵は祖父の異母弟の息子で父の従弟に当たりますが、髪は王国に多い金色です。
紅玉の赤い髪を持つ三人のうちひとりは私の父。
昨夜の記憶で燃え盛る執務室に倒れていた男性です。
あのときはもうお亡くなりになっていたそうです。
残りのふたりの片方は黒焦げになった死体が見つかっていて、生き残ったのは私ひとり。
だけど記憶がない私には、自分がだれなのかがわからないのです。
三日前に開催されたこの王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、ビーヘル侯爵家へ婿入り予定だった第二王子ルドフィクス殿下に婚約を破棄された長女ハリエットなのでしょうか?
それともその婚約破棄の原因となった第二王子殿下の恋人、長女ハリエットとは母親が違う同い年の異母妹フルーフなのでしょうか?
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