炎の夜に

豆狸

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五日目 彼の記憶

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 第二王子ルドフィクス殿下がビーヘル侯爵邸を訪れました。
 私の見舞いだということです。
 実際は私の正体を見抜こうというのでしょう。見抜けるものなら見抜いてもらいたいものです。後二日でわかるといっても、早くわかるに越したことはないのですから。

「久しいな。……ビーヘル侯爵令嬢」

 学園の卒業パーティが火災の三日前だったので、まだ十日も経っていません。
 私がフルーフで彼と愛し合っていたのなら、それでも長い時間だったでしょう。
 私がハリエットで婚約者だった彼に愛されていなかったのなら、卒業パーティよりもずっと前から放置されていたのでしょう。今も自分がだれかわからない私には、どんな答えが相応しいのかわかりませんでした。

「……お会い出来て、光栄です……」

 適当な挨拶を口にして、体に任せてカーテシーをおこないます。
 そんな私を見て第二王子殿下の口元が少し歪みました。
 フルーフはまだ貴族の行儀作法を身に着けていなかったそうです。もし私がハリエットだとしたら、父親のビーヘル侯爵を殺したのはフルーフだということになります。彼はそれが嫌だったのでしょう。

「聞いてはいたが声も治っていないのだな」

 違いました。低くて掠れた声に驚いただけのようです。

「……申し訳、ございません……」
「いや、訪ねてきたのはこちらのほうだ。無理して話さなくても良い」
「……」

 お礼を言う代わりに、私は頭を下げました。
 私がフルーフだったなら、記憶が戻ろうと戻るまいと顔が完治したら彼と結婚するのでしょう。
 愛人の子であっても今のビーヘル侯爵家にはほかの人間がいません。

 私がハリエットだったならどうなるのでしょうか?
 殿下との婚約は破棄されています。
 火災と殺人は私の仕業ではありません。婚約破棄される前の予定通りビーヘル侯爵家の当主となるのでしょう。ただ婿が代わるだけです。

 そのほうが良いな、と密かに思います。
 記憶を失った私に優しくしてくれている、侍女のリアや使用人達はハリエットの生存を願っています。
 それに……本当は期待していたのです。私がハリエットであろうとフルーフであろうと、第二王子ルドフィクス殿下を愛していたことには変わりがないはずです。彼に会いさえすれば記憶が戻るのではないかと夢見ていたのです。

 でも記憶は戻りませんでした。
 彼を見ても、あの雨の夜を夢見たときのように心が弾みません。
 私が愛していたのは彼ではないのでしょうか。それとも記憶を失ったから、彼への愛を感じなくなったのでしょうか。

 公衆の面前で婚約を破棄されて、ハリエットは彼への愛が冷めてしまったのかもしれません。
 フルーフも異母姉の婚約者を奪ってビーヘル侯爵家を手に入れたかっただけで、彼のことなど最初から愛していなかったのかもしれません。
 殿下と筆談をしながら、私はそんな意地悪なことを考えていました。私の筆跡を見た彼が少し表情を曇らせたのは、ハリエットではないかと考えたからでしょう。

 当たり障りのない筆談を交わし、リアの淹れてくれたお茶を飲んで、第二王子ルドフィクス殿下は王宮へとお帰りになられました。
 もし私がハリエットだったとしたら、彼はどうするのでしょう。
 婚約者の異母妹に溺れて婚約を破棄した第二王子殿下に、新しい婿入り先は見つかるのでしょうか。

 第二王子殿下を見送った後で、私はリアと中庭を散歩しました。
 二階の寝室から見下ろせる中庭の花畑は、季節ごとに違う旬の花々が咲き乱れています。
 幸いなことに、花畑は火災による被害を受けていませんでした。

 中庭を散歩したのは、火災を見つけて睡眠薬を飲まされていた使用人達を起こし、消火をしてくれた老庭師にお礼が言いたかったのです。
 私がハリエットだとしても、フルーフだとしても、です。
 老庭師の孫息子はまだ帰ってきてはいませんでした。
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