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四月:婚約者の裏切り
愛されるのは、いつも【婚約破棄】
私ではありませんでした。
それも仕方のないことでしょう。
ミシェル王太子殿下の初恋の女性は、聖女アンサンセ様だったのですもの。
公爵令嬢である私と殿下の婚約は政略的なものに過ぎません。
愛されたいと思うこと自体が烏滸がましいのです。
だけど殿下に愛されたいという気持ちを諦めるのは無理でした。
私の初恋の男性は、ミシェル王太子殿下だったのですから。
自分でも愚かだとわかっていました。
ひとの心を変えることなど出来ません。自分自身の心でさえ変えることは不可能でした。
どんなにミシェル殿下をお慕いしても振り向いてもらえることはありませんでした。
どんなに自分自身に言い聞かせても、恋心が消えることはありませんでした。
燃え上がる恋情に翻弄されるたびに思うのです。殿下もアンサンセ様に対して、こんな想いを抱いていらっしゃるのだと。
嫉妬と羨望と憎悪と……私がアンサンセ様に向ける感情は、それはもう醜いものでございました。
殿下にだけはこの想いを知られたくないと願うほどに。
殿下にだけはこの想いを知って欲しいと願うほどに。
私は愚かな娘です。
何度も愚行を繰り返しました。
アンサンセ様を差し置いて、自分が殿下の初恋の女性だと偽ろうとしたことさえあります。ですから、仕方がなかったのでしょう。
「公爵令嬢ジュヌヴィエーヴ! 聖女アンサンセへの嫌がらせや罵詈雑言、あまりにも目に余る。私、王太子ミシェルはみなの前で君との婚約破棄を宣言する!」
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、ミシェル殿下に婚約を破棄されてしまうのは。
婚約破棄を宣言した殿下の隣には、彼に腰を抱かれた聖女アンサンセ様の姿があります。
おふたりは両思いなのです。……今は、まだ。
「なにを考えているんだ、ミシェル!」
王弟を父に持つ大公令息で、ミシェル王太子殿下の従兄弟に当たるルイ様が叫び声を上げました。
おふたりは同い年ですが、姿形は少しも似ていらっしゃいません。
王族に伝わる煌めく星眼も、殿下は右目、ルイ様は左目と違っているのです。
「煩いルイ、お前だってジュヌヴィエーヴの所業を見てきただろう? 未来の王妃に相応しい人格だと言えるのか!」
「自分に都合良く順序を逆にするなっ! 君が浮気をしたから、公爵令嬢が聖女に厳しく当たったのではないか!」
ルイ様もご自分に都合良く物事を見ていらっしゃいます。
私の言動は、厳しく、で済むようなものではございませんでした。
彼がなぜ私に甘いのかは知っています。彼の初恋の女性が私だからです。
私がここで毒を飲まなければ、彼にそれを教えていただける未来もありました。
お優しいルイ様のことを愛したいと思ったこともあったのです。
だけど、私にはミシェル王太子殿下しか愛せなかったのです。
「!……ジュヌヴィエーヴ嬢っ?」
毒を飲んで崩れ落ちた私の異変に一番最初に気づいたのは、ルイ様でした。
いつもそうです。
ああ、どうしてこの方は、こんなに私を愛してくださるのでしょうか。ああ、どうして私は、この方を愛することが出来ないのでしょうか。初恋の呪縛に囚われたまま、同じことを何度も繰り返してしまうのでしょうか。
「公爵家に伝わる毒を飲んだのですね! 貴女は……そこまでミシェルを愛しているのですかっ!」
ルイ様の叫びの最後には憤怒の色が滲んでいました。
本当に、運命とはなんて残酷なものなのでしょう。
どんなに愛しても、愛されるのは、いつも自分とはべつの人。どんなに愛されても、愛しているのは、いつも相手とはべつの人。
ルイ様の左目の星眼が金色に煌めき始めました。
光の魔力を感じます。
私が飲んだ毒を浄化なさるおつもりなのでしょう。
でも無駄です。
公爵家に伝わるこの毒は、王家の星眼に影響を受けないように調合されています。
今の星眼を持つ王家よりも古い王家から分かれた我が公爵家が、今の王家に死をもって否を唱えることが出来るように。
「……愚か者が」
呟くミシェル王太子殿下の隣で、これまでずっと私に向けて嘲笑を浮かべていた聖女アンサンセ様の顔色が変わっていきます。
彼女は気づいたのです。
自分の初恋の男性が、殿下ではなくルイ様だということに。
おふたりの姿形は少しも似ていらっしゃいません。
ですが、それは成長なさってからのこと。
従兄弟同士なのですもの。幼いころは双子のように似てらしたのです。おふたりがお忍びで行かれた下町のお祭りで、出会ったアンサンセ様がどちらがどちらかわからなくなるくらいには。
時を経て、ルイ様の髪の毛は色が濃くなりました。
時を経て、ミシェル王太子殿下の瞳の色は緑より青みが勝るようになりました。
だけど決して変わらないものがあります。ルイ様の星眼は左目で、殿下の星眼は右目なのです。
聖女アンサンセ様。
貴女は幼いころ、下町のお祭りで出会って助けてくれた少年に恋をしましたね。
その少年は金色に煌めく星眼の持ち主でした。この王国の王族の血を引く者しか持っていない特別な目です。
だけど貴女は忘れてしまいました。
貴女の初恋の男性の煌めく星眼を見たのは、王都大広場の噴水の水面に映った姿でだったことを。
王族の血を引く者しか持っていない特別な目なのですもの。素性もわからない下町の少女を治療しようとしたときに、正面から見せるはずがないではありませんか。ルイ様は俯いて、煌めく星眼を見せないようにして貴女を治療したのです。
同じお忍びのときに、貴女は転んだ殿下に手を差し伸べましたね。
貴女の中では転んだ少年と治療してくれた少年は同一人物だったのでしょうが、違います。
違ったのです。
貴女に手を差し伸べられて、殿下は貴女に恋をしました。
初恋です。
聖女アンサンセ様、貴女はミシェル王太子殿下の初恋の女性なのです。
大公令息のルイ様は、お忍び以前に王宮で出会った私に恋をしました。
初恋です。
公爵令嬢ジュヌヴィエーヴが、ルイ様の初恋の女性なのです。
でも私はルイ様とお会いする以前に、殿下と出会って恋をしていました。
初恋です。
ミシェル王太子殿下が、私の初恋の男性なのです。
……聖女アンサンセ様。
貴女はこれまでの数十回と同じように聖女としての力を使って時間を戻すのでしょう。
時間を戻すのに必要な秘宝は、貴女に夢中な殿下が用意してくださるでしょうしね。
でも時間を戻しても、貴女は以前の繰り返しのことを覚えていません。
繰り返しを覚えているのは私だけです。
おそらく今の王家より古い王家には、時間が戻っても記憶を維持する能力が受け継がれていたのでしょう。時間を戻すのに必要な秘宝は、以前の王家が所持していたものだと言われていますもの。
どんなに時間を繰り返しても、殿下に愛されるのは、いつも私とべつの人。
貴女、聖女アンサンセ様です。
だけど私は自分の初恋の男性を間違えたりはしていません。どんなに時間を繰り返しても、私が愛するのはミシェル王太子殿下おひとりなのです。
「ジュヌヴィエーヴ嬢ぉ!」
死に逝く私の体を抱き上げて嘆くルイ様を見つめる、貴女のお顔は真っ白です。
きっと後悔していらっしゃるのでしょうね。
貴女が初恋の女性だとわかっていても、婚約者である私に誠実であろうとしたミシェル王太子殿下を体で篭絡したことを。
でもきっと、また時間を戻しても貴女は同じことをするのです。
だって以前の繰り返しを覚えていらっしゃらないのですもの。
愛されるのは、いつも自分ではないべつの人。それでも私も殿下もルイ様も、自分の愛すべき相手を愛しています。間違えているのは貴女だけ、卑怯な手段を使ってまで愛すべきでない相手を篭絡したのも貴女だけ。
たとえ愛されなくても、本当の初恋の男性を愛してきた私は幸せでしたわ。
貴女が何度時間を戻しても、私は殿下を愛し続けるのです。
……ルイ様には申し訳ないと思っていますけれど、貴女は私の言葉など聞かないし、気づくのはいつも終わってからなのですもの。
「あああぁぁああッ!」
「アンサンセ? どうしたんだ、アンサンセッ! 君のせいじゃない、ジュヌヴィエーヴのことなど気にしなくて良いんだ!」
聖女アンサンセ様の悲痛な叫びを聞きながら、私は幸せな気分で意識を手放しました。
<終>
それも仕方のないことでしょう。
ミシェル王太子殿下の初恋の女性は、聖女アンサンセ様だったのですもの。
公爵令嬢である私と殿下の婚約は政略的なものに過ぎません。
愛されたいと思うこと自体が烏滸がましいのです。
だけど殿下に愛されたいという気持ちを諦めるのは無理でした。
私の初恋の男性は、ミシェル王太子殿下だったのですから。
自分でも愚かだとわかっていました。
ひとの心を変えることなど出来ません。自分自身の心でさえ変えることは不可能でした。
どんなにミシェル殿下をお慕いしても振り向いてもらえることはありませんでした。
どんなに自分自身に言い聞かせても、恋心が消えることはありませんでした。
燃え上がる恋情に翻弄されるたびに思うのです。殿下もアンサンセ様に対して、こんな想いを抱いていらっしゃるのだと。
嫉妬と羨望と憎悪と……私がアンサンセ様に向ける感情は、それはもう醜いものでございました。
殿下にだけはこの想いを知られたくないと願うほどに。
殿下にだけはこの想いを知って欲しいと願うほどに。
私は愚かな娘です。
何度も愚行を繰り返しました。
アンサンセ様を差し置いて、自分が殿下の初恋の女性だと偽ろうとしたことさえあります。ですから、仕方がなかったのでしょう。
「公爵令嬢ジュヌヴィエーヴ! 聖女アンサンセへの嫌がらせや罵詈雑言、あまりにも目に余る。私、王太子ミシェルはみなの前で君との婚約破棄を宣言する!」
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、ミシェル殿下に婚約を破棄されてしまうのは。
婚約破棄を宣言した殿下の隣には、彼に腰を抱かれた聖女アンサンセ様の姿があります。
おふたりは両思いなのです。……今は、まだ。
「なにを考えているんだ、ミシェル!」
王弟を父に持つ大公令息で、ミシェル王太子殿下の従兄弟に当たるルイ様が叫び声を上げました。
おふたりは同い年ですが、姿形は少しも似ていらっしゃいません。
王族に伝わる煌めく星眼も、殿下は右目、ルイ様は左目と違っているのです。
「煩いルイ、お前だってジュヌヴィエーヴの所業を見てきただろう? 未来の王妃に相応しい人格だと言えるのか!」
「自分に都合良く順序を逆にするなっ! 君が浮気をしたから、公爵令嬢が聖女に厳しく当たったのではないか!」
ルイ様もご自分に都合良く物事を見ていらっしゃいます。
私の言動は、厳しく、で済むようなものではございませんでした。
彼がなぜ私に甘いのかは知っています。彼の初恋の女性が私だからです。
私がここで毒を飲まなければ、彼にそれを教えていただける未来もありました。
お優しいルイ様のことを愛したいと思ったこともあったのです。
だけど、私にはミシェル王太子殿下しか愛せなかったのです。
「!……ジュヌヴィエーヴ嬢っ?」
毒を飲んで崩れ落ちた私の異変に一番最初に気づいたのは、ルイ様でした。
いつもそうです。
ああ、どうしてこの方は、こんなに私を愛してくださるのでしょうか。ああ、どうして私は、この方を愛することが出来ないのでしょうか。初恋の呪縛に囚われたまま、同じことを何度も繰り返してしまうのでしょうか。
「公爵家に伝わる毒を飲んだのですね! 貴女は……そこまでミシェルを愛しているのですかっ!」
ルイ様の叫びの最後には憤怒の色が滲んでいました。
本当に、運命とはなんて残酷なものなのでしょう。
どんなに愛しても、愛されるのは、いつも自分とはべつの人。どんなに愛されても、愛しているのは、いつも相手とはべつの人。
ルイ様の左目の星眼が金色に煌めき始めました。
光の魔力を感じます。
私が飲んだ毒を浄化なさるおつもりなのでしょう。
でも無駄です。
公爵家に伝わるこの毒は、王家の星眼に影響を受けないように調合されています。
今の星眼を持つ王家よりも古い王家から分かれた我が公爵家が、今の王家に死をもって否を唱えることが出来るように。
「……愚か者が」
呟くミシェル王太子殿下の隣で、これまでずっと私に向けて嘲笑を浮かべていた聖女アンサンセ様の顔色が変わっていきます。
彼女は気づいたのです。
自分の初恋の男性が、殿下ではなくルイ様だということに。
おふたりの姿形は少しも似ていらっしゃいません。
ですが、それは成長なさってからのこと。
従兄弟同士なのですもの。幼いころは双子のように似てらしたのです。おふたりがお忍びで行かれた下町のお祭りで、出会ったアンサンセ様がどちらがどちらかわからなくなるくらいには。
時を経て、ルイ様の髪の毛は色が濃くなりました。
時を経て、ミシェル王太子殿下の瞳の色は緑より青みが勝るようになりました。
だけど決して変わらないものがあります。ルイ様の星眼は左目で、殿下の星眼は右目なのです。
聖女アンサンセ様。
貴女は幼いころ、下町のお祭りで出会って助けてくれた少年に恋をしましたね。
その少年は金色に煌めく星眼の持ち主でした。この王国の王族の血を引く者しか持っていない特別な目です。
だけど貴女は忘れてしまいました。
貴女の初恋の男性の煌めく星眼を見たのは、王都大広場の噴水の水面に映った姿でだったことを。
王族の血を引く者しか持っていない特別な目なのですもの。素性もわからない下町の少女を治療しようとしたときに、正面から見せるはずがないではありませんか。ルイ様は俯いて、煌めく星眼を見せないようにして貴女を治療したのです。
同じお忍びのときに、貴女は転んだ殿下に手を差し伸べましたね。
貴女の中では転んだ少年と治療してくれた少年は同一人物だったのでしょうが、違います。
違ったのです。
貴女に手を差し伸べられて、殿下は貴女に恋をしました。
初恋です。
聖女アンサンセ様、貴女はミシェル王太子殿下の初恋の女性なのです。
大公令息のルイ様は、お忍び以前に王宮で出会った私に恋をしました。
初恋です。
公爵令嬢ジュヌヴィエーヴが、ルイ様の初恋の女性なのです。
でも私はルイ様とお会いする以前に、殿下と出会って恋をしていました。
初恋です。
ミシェル王太子殿下が、私の初恋の男性なのです。
……聖女アンサンセ様。
貴女はこれまでの数十回と同じように聖女としての力を使って時間を戻すのでしょう。
時間を戻すのに必要な秘宝は、貴女に夢中な殿下が用意してくださるでしょうしね。
でも時間を戻しても、貴女は以前の繰り返しのことを覚えていません。
繰り返しを覚えているのは私だけです。
おそらく今の王家より古い王家には、時間が戻っても記憶を維持する能力が受け継がれていたのでしょう。時間を戻すのに必要な秘宝は、以前の王家が所持していたものだと言われていますもの。
どんなに時間を繰り返しても、殿下に愛されるのは、いつも私とべつの人。
貴女、聖女アンサンセ様です。
だけど私は自分の初恋の男性を間違えたりはしていません。どんなに時間を繰り返しても、私が愛するのはミシェル王太子殿下おひとりなのです。
「ジュヌヴィエーヴ嬢ぉ!」
死に逝く私の体を抱き上げて嘆くルイ様を見つめる、貴女のお顔は真っ白です。
きっと後悔していらっしゃるのでしょうね。
貴女が初恋の女性だとわかっていても、婚約者である私に誠実であろうとしたミシェル王太子殿下を体で篭絡したことを。
でもきっと、また時間を戻しても貴女は同じことをするのです。
だって以前の繰り返しを覚えていらっしゃらないのですもの。
愛されるのは、いつも自分ではないべつの人。それでも私も殿下もルイ様も、自分の愛すべき相手を愛しています。間違えているのは貴女だけ、卑怯な手段を使ってまで愛すべきでない相手を篭絡したのも貴女だけ。
たとえ愛されなくても、本当の初恋の男性を愛してきた私は幸せでしたわ。
貴女が何度時間を戻しても、私は殿下を愛し続けるのです。
……ルイ様には申し訳ないと思っていますけれど、貴女は私の言葉など聞かないし、気づくのはいつも終わってからなのですもの。
「あああぁぁああッ!」
「アンサンセ? どうしたんだ、アンサンセッ! 君のせいじゃない、ジュヌヴィエーヴのことなど気にしなくて良いんだ!」
聖女アンサンセ様の悲痛な叫びを聞きながら、私は幸せな気分で意識を手放しました。
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