5 / 7
第五話 聞こえるのです。
――三年の月日が過ぎ去りました。
お飾りの竜王妃としての白い結婚生活でした。
竜王陛下とは公務でお会いするだけで、お会いしても確認事項以外の会話はありませんでした。陛下はいつも番を、あの子の存在を気にしていました。
海もまだ見ていません。
国外へ出る公務のときは竜王陛下がおひとりで行かれていたのです。
あの子は秘密裏に同行していたようですが。
でもそれで構いません。
だって今日、私は竜王妃ではなくなるのですから。
子を生せなかった妃として離縁され、自由になるのです。そうしたら、いくらでも海を見ることができるのです。この三年間、いただいた手紙に嘘の返信ばかり送っていた私を母方の祖父やあちらの王女殿下が受け入れてくだされば、ですけれど。
母の祖国へ帰れなくても、海に近い国へ移住したいと思っています。
竜王妃の部屋にサミュエル様を迎えて、応接間で向き合います。
エレナがお茶を用意してくれました。結局、私の侍女は彼女だけです。番様のほうが大切なのですから、お飾りの竜王妃に与える人材などあるはずがないのです。
「竜王妃殿下……」
「うふふ。貴方にそう呼ばれるのも今日で最後ですね」
「……」
「サミュエル様?」
「竜王陛下は、妃殿下との離縁を拒まれています。このまま竜王妃として、獣王国に留まって欲しいとの仰せです」
「……え?」
彼の言葉に、頭がついていきません。呆然としていたら、エレナが叫びました。
「竜王陛下はジェシカ様をこれからも飼い殺しになさるおつもりですかっ!」
こんな大声でなければ、エレナがサミュエル様に話しかけること自体は不敬ではありません。
竜王陛下の側近と竜王妃の筆頭侍女なのですから。
もっとも私の侍女は彼女ひとりで、陛下の側近はサミュエル様以外にもたくさんいらっしゃいます。
「そもそも、そんな大事なお話をご自分でお伝えにいらっしゃらないだなんて、竜王陛下はなにをお考えなのですか? どこまで……どこまで私の大事なお嬢様を愚弄すれば満足なのです」
「申し訳ございません。私も反対したのですが、番様に竜王妃の座は荷が重いとおっしゃられて」
「では……」
と言いかけて、エレナは視線を伏せました。
なにを言おうとしたのか、なんとなくわかります。
サミュエル様のお父様である大公のように、王位継承権を捨てて臣下に降れば良いのだと言おうとしたのでしょう。もっともそれはさすがに竜王陛下に対する不敬になります。
「……陛下には、そんなに番様が大切だとおっしゃるのなら竜王の座など不要でしょうと、お尋ねしました。私はともかく、大公である父には王家の血を引く優秀な息子がたくさんいるのですし」
大公は先代竜王陛下の兄君でいらっしゃいました。
サミュエル様のお母様である番と出会い、それまでの婚約者との婚約を解消して、王太子の座を弟に譲って大公となったのです。
我が家と違い、べつの相手と結婚して子どもができる前に出会えて良かったのではないでしょうか。もっとも……サミュエル様のお母様はお亡くなりになり、大公はかつての婚約者を新しい妻として迎えたという話です。彼が口にした優秀な息子とは、異母弟達のことでしょう。
サミュエル様は苦しげに顔を歪めます。
「けれど竜王陛下は、番様を自分に王位を捨てさせた女性として後ろ指を差されるような立場には……私の母のようにはしたくないとおっしゃって……」
彼のお母様が亡くなったのは心労によるものだと噂されています。
番であっても、いいえ、番だからこそ、相手に幸運をもたらすのではなく大切なものを捨てさせた彼女は責められました。
父の後妻と違って、サミュエル様のお母様が貴族ではなく平民だったことも悪意の原因になっていたのでしょう。
「……わかりました」
「ジェシカ様?」
エレナが私を見つめます。サミュエル様が口を開きました。
「お待ちください。これまでのお話は竜王陛下のお考えに過ぎません。竜王妃殿下が拒めば状況は変わります。ご命令いただければ、王家に仕えるものとしてご母堂の祖国へ密書を送ります。父を説得して、議会を味方につけても良い。貴女は……ジェシカ様は陛下と離れて、お幸せになっても良いのです」
なんだかとても必死におっしゃいます。
番第一派の彼は、お飾りの竜王妃が邪魔なのかもしれません。
たとえ玉座を退いたとしても、番をただひとりの妻として生きるほうが陛下のためだと考えているのかもしれません。死に別れてしまったご両親のぶんも、番の陛下達に幸せになって欲しいと願っているのかもしれません。
「ごめんなさい、サミュエル様。竜王陛下がお望みなら、私はこのまま王宮に留まり、お飾りの竜王妃を続けましょう。ただエレナだけは、どこか幸せになれるところへ……」
彼女の恋人の護衛騎士はどこへ行ったのでしょう。
自分の番と巡り会って、エレナのことを忘れてしまったのでしょうか。
だとしたら、エレナも彼のことを忘れたら良いのです。忘れて幸せになれば良いのです。でも私は……
「このエレナの幸せは、ジェシカ様がお幸せになることです」
「ジェシカ様、どうして貴女はそこまで……竜王陛下の番でもないのに」
「……聞こえるのです」
「聞こえる?」
「声が、どこにいても竜王陛下の声が聞こえるのです。今サミュエル様が言ったように、私は番ではないのに聞こえるのです。陛下は公務以外では私に話しかけてはくれません。もう名前を呼ばれることもありません。なのに、ほかの人と話している陛下の声が聞こえてくるのです。聞こえて……それだけで幸せな気持ちになれるのです。お飾りの竜王妃としてであっても陛下が私をお望みなら、私は……ここに留まります」
三年前の初夜の翌日と同じように、サミュエル様がハンカチを渡してくださいました。
ありがたく受け取って、涙を拭いながら思います。
海を見ることができるのは、いつか母のいるところへ行ったときになるのだろうと。
お飾りの竜王妃としての白い結婚生活でした。
竜王陛下とは公務でお会いするだけで、お会いしても確認事項以外の会話はありませんでした。陛下はいつも番を、あの子の存在を気にしていました。
海もまだ見ていません。
国外へ出る公務のときは竜王陛下がおひとりで行かれていたのです。
あの子は秘密裏に同行していたようですが。
でもそれで構いません。
だって今日、私は竜王妃ではなくなるのですから。
子を生せなかった妃として離縁され、自由になるのです。そうしたら、いくらでも海を見ることができるのです。この三年間、いただいた手紙に嘘の返信ばかり送っていた私を母方の祖父やあちらの王女殿下が受け入れてくだされば、ですけれど。
母の祖国へ帰れなくても、海に近い国へ移住したいと思っています。
竜王妃の部屋にサミュエル様を迎えて、応接間で向き合います。
エレナがお茶を用意してくれました。結局、私の侍女は彼女だけです。番様のほうが大切なのですから、お飾りの竜王妃に与える人材などあるはずがないのです。
「竜王妃殿下……」
「うふふ。貴方にそう呼ばれるのも今日で最後ですね」
「……」
「サミュエル様?」
「竜王陛下は、妃殿下との離縁を拒まれています。このまま竜王妃として、獣王国に留まって欲しいとの仰せです」
「……え?」
彼の言葉に、頭がついていきません。呆然としていたら、エレナが叫びました。
「竜王陛下はジェシカ様をこれからも飼い殺しになさるおつもりですかっ!」
こんな大声でなければ、エレナがサミュエル様に話しかけること自体は不敬ではありません。
竜王陛下の側近と竜王妃の筆頭侍女なのですから。
もっとも私の侍女は彼女ひとりで、陛下の側近はサミュエル様以外にもたくさんいらっしゃいます。
「そもそも、そんな大事なお話をご自分でお伝えにいらっしゃらないだなんて、竜王陛下はなにをお考えなのですか? どこまで……どこまで私の大事なお嬢様を愚弄すれば満足なのです」
「申し訳ございません。私も反対したのですが、番様に竜王妃の座は荷が重いとおっしゃられて」
「では……」
と言いかけて、エレナは視線を伏せました。
なにを言おうとしたのか、なんとなくわかります。
サミュエル様のお父様である大公のように、王位継承権を捨てて臣下に降れば良いのだと言おうとしたのでしょう。もっともそれはさすがに竜王陛下に対する不敬になります。
「……陛下には、そんなに番様が大切だとおっしゃるのなら竜王の座など不要でしょうと、お尋ねしました。私はともかく、大公である父には王家の血を引く優秀な息子がたくさんいるのですし」
大公は先代竜王陛下の兄君でいらっしゃいました。
サミュエル様のお母様である番と出会い、それまでの婚約者との婚約を解消して、王太子の座を弟に譲って大公となったのです。
我が家と違い、べつの相手と結婚して子どもができる前に出会えて良かったのではないでしょうか。もっとも……サミュエル様のお母様はお亡くなりになり、大公はかつての婚約者を新しい妻として迎えたという話です。彼が口にした優秀な息子とは、異母弟達のことでしょう。
サミュエル様は苦しげに顔を歪めます。
「けれど竜王陛下は、番様を自分に王位を捨てさせた女性として後ろ指を差されるような立場には……私の母のようにはしたくないとおっしゃって……」
彼のお母様が亡くなったのは心労によるものだと噂されています。
番であっても、いいえ、番だからこそ、相手に幸運をもたらすのではなく大切なものを捨てさせた彼女は責められました。
父の後妻と違って、サミュエル様のお母様が貴族ではなく平民だったことも悪意の原因になっていたのでしょう。
「……わかりました」
「ジェシカ様?」
エレナが私を見つめます。サミュエル様が口を開きました。
「お待ちください。これまでのお話は竜王陛下のお考えに過ぎません。竜王妃殿下が拒めば状況は変わります。ご命令いただければ、王家に仕えるものとしてご母堂の祖国へ密書を送ります。父を説得して、議会を味方につけても良い。貴女は……ジェシカ様は陛下と離れて、お幸せになっても良いのです」
なんだかとても必死におっしゃいます。
番第一派の彼は、お飾りの竜王妃が邪魔なのかもしれません。
たとえ玉座を退いたとしても、番をただひとりの妻として生きるほうが陛下のためだと考えているのかもしれません。死に別れてしまったご両親のぶんも、番の陛下達に幸せになって欲しいと願っているのかもしれません。
「ごめんなさい、サミュエル様。竜王陛下がお望みなら、私はこのまま王宮に留まり、お飾りの竜王妃を続けましょう。ただエレナだけは、どこか幸せになれるところへ……」
彼女の恋人の護衛騎士はどこへ行ったのでしょう。
自分の番と巡り会って、エレナのことを忘れてしまったのでしょうか。
だとしたら、エレナも彼のことを忘れたら良いのです。忘れて幸せになれば良いのです。でも私は……
「このエレナの幸せは、ジェシカ様がお幸せになることです」
「ジェシカ様、どうして貴女はそこまで……竜王陛下の番でもないのに」
「……聞こえるのです」
「聞こえる?」
「声が、どこにいても竜王陛下の声が聞こえるのです。今サミュエル様が言ったように、私は番ではないのに聞こえるのです。陛下は公務以外では私に話しかけてはくれません。もう名前を呼ばれることもありません。なのに、ほかの人と話している陛下の声が聞こえてくるのです。聞こえて……それだけで幸せな気持ちになれるのです。お飾りの竜王妃としてであっても陛下が私をお望みなら、私は……ここに留まります」
三年前の初夜の翌日と同じように、サミュエル様がハンカチを渡してくださいました。
ありがたく受け取って、涙を拭いながら思います。
海を見ることができるのは、いつか母のいるところへ行ったときになるのだろうと。
あなたにおすすめの小説
あなたを守りたい……いまさらそれを言う?
たろ
恋愛
幼い頃に起きた事件がきっかけで実の父親に疎まれて暮らすファナ。
唯一の居場所は学校。
毎日、屋敷から学校まで歩いて通う侯爵令嬢を陰で笑う生徒達。
それでも、冷たい空気の中で過ごす屋敷にいるよりはまだマシだった。
ファナに優しくしてくれる教師のゼバウト先生。
嫌がらせをされてあまりにも制服が汚れるので、毎回洗って着替えを用意しておいてくれる保健室のエリーナ先生。
昼休みと放課後は、図書室で過ごすことが多いので、いつも何かと気にかけてくれる司書のマッカートニーさんと、図書委員の優しい先輩達。
妹のリリアンは、本人に悪気は無いのだけど、嫌なことや自分が怒られそうになると全て姉のファナに押し付ける。
嫌なことがあればメソメソと泣き姉に頼ってばかりだった。
いつも明るく甘えん坊のリリアンは顔もとても可愛らしく屋敷の中心で、使用人たちも父親も甘やかして育てられた。
一方、ファナはいずれ婿を取り侯爵家を継がなければならないため、父親に厳しく躾をされていた。
明るくて元気だったはずのファナの笑顔は、大きくなるにつれ失ってしまっていた。
使用人達もぞんざいな態度を隠そうともしない。ファナはもう諦めていた。
そんななか唯一、婚約者のジェームズだけはファナのことを優先してくれる優しい男の子だった。
そう思っていたのに………
✴︎題名少し変更しました。
[完結]裏切りの果てに……
青空一夏
恋愛
王都に本邸を構える大商会、アルマード男爵家の一人娘リリアは、父の勧めで王立近衛騎士団から引き抜かれた青年カイルと婚約する。
彼は公爵家の分家筋の出身で、政争で没落したものの、誇り高く優秀な騎士だった。
穏やかで誠実な彼に惹かれていくリリア。
だが、学園の同級生レオンのささやいた一言が、彼女の心を揺らす。
「カイルは優しい人なんだろ? 君が望めば、何でもしてくれるはずさ。
でも、それは――仕事だからだよ。結婚も仕事のうちさ。
だって、雇い主の命令に逆らえないでしょ?
君に好意がなくても、義務でそうするんだ」
その言葉が頭から離れないリリアは、カイルの同僚たちに聞き込み、彼に病気の家族がいると知った。「治療費のために自分と結婚するの?」 そう思い込んだリリアに、父母がそろって事故死するという不幸が襲う。
レオンはリリアを惑わし、孤立させ、莫大な持参金を持って自分の元へ嫁ぐように仕向けるのだった。
だが、待っていたのは愛ではなく、孤独と裏切り。
日差しの差さない部屋に閉じ込められ、心身を衰弱させていくリリア。
「……カイル、助けて……」
そう呟いたとき。動き出したのは、かつて彼女を守ると誓った男――カイル・グランベルだった。そしてリリアも自らここを抜けだし、レオンを懲らしめてやろうと決意するようになり……
今、失われた愛と誇りを取り戻す物語が始まる。
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
貴方でなくても良いのです。
豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。
真実の愛の言い分
豆狸
恋愛
「仕方がないだろう。私とリューゲは真実の愛なのだ。幼いころから想い合って来た。そこに割り込んできたのは君だろう!」
私と殿下の結婚式を半年後に控えた時期におっしゃることではありませんわね。