番の声が聞こえません。

豆狸

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第十三話 お師匠様

 竜王陛下は、私が生きていることをご存じではありません。
 公務でご一緒した際に、いくらエレナが化粧や衣装で誤魔化してくれていたとはいえむくろのような私の姿をご覧になっていたのに、離縁を拒まれていたくらいです。
 死んだ振りをして母の祖国へ帰るなんて話も受け入れてはいただけなかったことでしょう。王都と領地で母の棺を行き来させていた父と同じで、私という存在を祖父やその国との交渉に使いたかっただけなのです。

 ですので、私が生きていることは知られてはいけません。
 祖父から当主の座を受け継いでいる伯父夫婦や母の親友だったという王女殿下が養女にならないかと誘ってくださったのですが、貴族として生きていたらどこかで獣王国での知り合いと会ってしまうかもしれないので、謹んでお断りいたしました。
 私は平民として生きることにしたのです。

 ありがたいことに、エレナは一緒に来てくれました。
 これまで通り世話をしてくれると言うのです。
 本当に良いのかと尋ねたら、私の楽しみを取らないでください、と怒られました。私が彼女を姉のように思っていたように、彼女も私を妹のように思っていてくれたようです。

 平民として生きるからにはお仕事が必要です。
 もちろん王侯貴族だってお仕事をしながら生きているのですけれど。
 ともあれ私は薬師を目指すことにしました。ほかにできること、やりたいと思うことがなかったのです。

 祖父に相談すると、師匠となってくれる方を紹介してくださいました。
 それが今、目の前にいらっしゃるライアン様です。
 黒い髪に緑色の瞳の彼は優秀な薬師なのだと聞きました。そして、失われたつがい殺しの製法を追い求めているのだと。

 彼も、父親につがいが見つかって母親が捨てられたのだそうです。
 幸いライアン様のお母様は再婚して、今は幸せに暮らしていらっしゃいます。
 でも、その過去があるからこそつがい殺しを作りたいと願っていらっしゃるのでしょう。

 ご両親はどちらも獣人族の血を引くヒト族だそうで、彼はヒト族にしか見えません。
 お父様は熊獣人の血を引き、お母様は狼獣人の血を引いていたそうです。
 父親が同じ弟さんと父親が違う妹さんがいらっしゃると聞いています。おふたりとも成人されていて、弟さんは衛兵隊の小隊長、妹さんは恋人の実家の商会で働いていらっしゃるとか。

 私もいつかつがい殺しを作れたら、と思っています。
 母のような悲しい思いをする方を増やさないために。
 ……もし自分のつがいと会ったとしても、竜王陛下に抱いたこの気持ちを失わないために。

「ふむ」

 ライアン様の言葉に、私は息を飲みました。
 彼は今日、祖父が王都に用意してくれた治安の良い平民街の家へ来てくださいました。過保護な祖父は衛兵隊に多額の寄付をして、この家近くの見回り強化を頼んでいるようです。
 今の彼はこれまで私が竜王陛下のために作り続けていた傷薬や精神安定剤の出来を確認してくださっているのです。経年劣化して効力が無くなったものもあるので、いくつかは作り直しています。

「独学でここまで調薬できるとは大したものだ。お母君に教わったのかな? ジェシカ嬢のお母君のお名前は有名だったんだよ。若くして優秀な薬師令嬢としてね」

 ライアン様は私よりいつつ年上だそうです。
 彼が幼いころ、母はもう薬師として有名だったようです。
 私の知らなかった母を褒められて、なんだか胸が温かくなります。

「母には少しだけ。詳しいことを教えていただく前に亡くなってしまったので」
「……そうか」

 祖父に紹介された彼は、私の事情を知っています。

「私が生まれ育った家には、あまり薬学関係の本はなかったのです。……父が嫌がったらしくて」

 薬師という職業は、どこででも働くことができます。
 父は母を愛していたから、出て行かれたくなかったのでしょうか。祖父に母の冷遇を知られたくなくて、閉じ込めたかったのでしょうか。
 私にはわかりません。一番はっきりと覚えている母は寝台の上にいて、父は自分のつがいのところへ行ったきりでした。

「ふむ。……君さえ良ければ、俺が師匠になろう。すぐに用無しになりそうだがな」

 にやりと笑って言った後、ライアン様が続けます。

「でも君もつがい殺しの復活を望んでいるんだったな。つがい殺しの復活は俺の人生の目標だ。君が一人前になっても協力してくれると嬉しい」
「はい、協力させてください。もちろん一人前になった後で。それでは……よろしくお願いします、お師匠様」
「お師匠様か。ちょっと照れくさいが悪くない。こちらこそよろしくな、弟子殿。で、この試薬の残りはどうする?」
「どう……?」
「ん? せっかく作ったんだから薬師協会に持って行って売りに出さないか? ふたり暮らしの家の常備薬には多過ぎるだろう?」
「この薬がお金になるんですか!」
「ああ、出来が良いからな」

 お金を稼ぐなんて初めてです。
 公爵令嬢だったときに竜王陛下の婚約者の支度金としていただいていたお金や竜王妃のための準備金は、稼いでいたという感じはしていません。
 ああ、どうしましょう。そんなに大金ではありませんよね? それでもエレナになにか贈り物ができるくらいのお金になると良いのに。

 エレナが用意してくれたお茶を飲みながら、お師匠様は私の作った薬がいくらくらいになるか教えてくれました。
 いつか魔道薬も作れるようになったら、お世話になった祖父や伯父夫婦、王女殿下にも贈り物ができるかもしれません。
 ……遠い異国の恩人サミュエル様にも。あ、でもまずは祖父に立て替えていただいている生活費からですね。

 始まったばかりの新しい生活は、なんだかすべてが煌めいているような気がしました。

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