たったひとつの愛を

豆狸

文字の大きさ
5 / 9

第五話 控室への訪問者

 ジェレミアに婚約破棄をされてから、アンナが姿を見せることはない。
 もっともディッタトゥーラは下働きだったので、本当は最初から王都公爵邸へ来たアンナが公爵夫人の教育を受けたり、婚約者との交流お茶会でジェレミアと話したりしている姿を見たことはなかった。
 虐められたと嘘をついたとき、どうとでも取れるようなあやふやな発言をしたのは、詳しく話してボロが出るのを防ぐためでもあった。

 この王国の貴族子女が通う学園は卒業しているので、ジェレミアとアンナの接点は完全に消えている。
 子爵家は下位貴族で、この公爵家は王家から分かれた高位貴族なので同じ貴族でも住む世界が違うのだ。
 ジェレミアに婚約破棄された子爵令嬢のアンナが、高位貴族のつどうお茶会や舞踏会へ現れることはない。

 王命で婚約した当時の公爵家が没落寸前でなければ、こんな身分差のある婚約が結ばれることはなかっただろう。
 本当は平民の自分とジェレミア公爵令息の身分差のほうが激しいのだが、それについてディッタトゥーラが思い悩むことはない。
 なぜなら──

(だってアタシは美しいんだもの! 男が夢中になるのは当たり前よね。ジェレミアと結婚したら、王族以外の女でアタシより身分の高い人間はいなくなるんだわ)

 そう思うと、胸の隅に引っかかっていたイザッコのことが消えて高揚感に満ちていく。
 虐められたと嘘をついて婚約破棄にまで追い込んだにもかかわらず、ディッタトゥーラは子爵令嬢の顔も知らないままだ。
 見たことがなくても、子爵令嬢は自分より劣った顔なのだということだけは信じていた。

 自分より美しい女などいるはずがない。
 ジェレミアの従妹だという王女だって大したことはないだろう。
 公爵夫人については、親世代だというだけで女性としては見ていなかった。王妃だってそうだ。この王国で一番美しく身分が高い女性オンナはディッタトゥーラなのだ。

(子爵令嬢が逆恨みして襲撃でもしてくるんじゃないかと思って心配してたけど、わきまえて泣き寝入りしたんなら良かったわ)

 婚約者を奪われたからって自分を恨むのは逆恨みも良いところだと、ディッタトゥーラは思う。
 ジェレミアを虜にしておけなかった、魅力のないアンナが悪いのだ。イザッコの女癖が悪かったのは犯罪組織に入って染まったせいで、ディッタトゥーラに魅力がなかったわけではない。
 鏡の中のディッタトゥーラはだれよりも美しかった。

「……ねえ」
「は、はい?」

 ディッタトゥーラを装わせてたメイドが怯えた声を上げる。
 この前むしゃくしゃしたときに殴りつけたからかもしれない。
 下町にいたころから、ディッタトゥーラは抵抗出来ない人間を痛めつけて楽しんでいた。逆らわれたときはイザッコや自分に夢中の男達の存在を脅しに使って黙らせた。公爵家に嫁ぐことで下町とは縁が切れるので、これからの憂さ晴らしの道具はメイド達だ。

「アタシ付きのメイドってふたりいたわよね。なんでアンタしかいないのよ」
「こ、公爵ご夫妻のご命令で……」
「はあ? どういうこと? 今日は結婚式なのよ? アイツどこでなにしてんのよッ!」
「それは、あの……」

 ディッタトゥーラが自分の中でだけ通用する理由を見つけて、ひとりのメイドに暴力を振るおうとしたとき、控室の扉を叩く音がした。
 舌打ちを漏らしてメイドを睨みつけると、彼女は喜々とした表情で扉へ向かった。
 後で殴ってやる、とディッタトゥーラは思った。

 彼女も今はいないもうひとりのメイドも公爵家に仕える下位貴族の娘だ。
 公爵子息のジェレミアと結婚するディッタトゥーラには絶対に逆らえない。
 だれかに言いつけられたところで、元婚約者の子爵令嬢に虐められていた可哀相な恋人ディッタトゥーラを侮辱するような人間はジェレミアが許さない。

 ただの下働きだったときから、ディッタトゥーラの傍若無人な態度に不満を持ったほかの使用人達は、上役に忠言しても無視されて処分されていた。
 上役は部下よりも未来の主人であるジェレミアに気に入られることを優先したからだ。
 公爵夫婦の意向もあったのかもしれない。

(ジェレミアが訪ねてきた……わけないわよね。貴族の結婚式では、結婚式の日は聖堂で誓うまで花嫁と新郎は顔を合わせちゃいけないって言ってたものね。嫁イビリに来た公爵夫人ババアかしら。面倒だわ)

 追い返せと命じる前に、メイドは扉を開けていた。
 扉の向こう、聖神殿の廊下にはひとりの令嬢が立っていた。
 廊下に立つ令嬢の顔は薄いヴェールで隠されている。

 ヴェールの下から見える令嬢の唇が、なにかを決意したかのように引き締められた。

「ちょっと……アンタ、なに持ってるのよ……」

 ディッタトゥーラの声が震える。
 ヴェールの令嬢の手には銀に光る刃物があった。
 彼女はそれを両手で握り締めて、ディッタトゥーラに向かって走ってくる。

「ちょ、ちょっと助けなさいよ!」

 ディッタトゥーラは叫んだが、メイドは控室の扉を開けたまま動かなかった。

あなたにおすすめの小説

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

今夜で忘れる。

豆狸
恋愛
「……今夜で忘れます」 そう言って、私はジョアキン殿下を見つめました。 黄金の髪に緑色の瞳、鼻筋の通った端正な顔を持つ、我がソアレス王国の第二王子。大陸最大の図書館がそびえる学術都市として名高いソアレスの王都にある大学を卒業するまでは、侯爵令嬢の私の婚約者だった方です。 今はお互いに別の方と婚約しています。 「忘れると誓います。ですから、幼いころからの想いに決着をつけるため、どうか私にジョアキン殿下との一夜をくださいませ」 なろう様でも公開中です。

婚約破棄の前日に

豆狸
恋愛
──お帰りください、側近の操り人形殿下。 私はもう、お人形遊びは卒業したのです。

【完結】私の婚約者はもう死んだので

miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」 結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。 そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。 彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。 これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした

miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。 婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。 (ゲーム通りになるとは限らないのかも) ・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。 周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。 馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。 冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。 強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!? ※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

【完結】悪役令嬢は何故か婚約破棄されない

miniko
恋愛
平凡な女子高生が乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった。 断罪されて平民に落ちても困らない様に、しっかり手に職つけたり、自立の準備を進める。 家族の為を思うと、出来れば円満に婚約解消をしたいと考え、王子に度々提案するが、王子の反応は思っていたのと違って・・・。 いつの間にやら、王子と悪役令嬢の仲は深まっているみたい。 「僕の心は君だけの物だ」 あれ? どうしてこうなった!? ※物語が本格的に動き出すのは、乙女ゲーム開始後です。 ※ご都合主義の展開があるかもです。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。

私は彼を愛しておりますので

月山 歩
恋愛
婚約者と行った夜会で、かつての幼馴染と再会する。彼は私を好きだと言うけれど、私は、婚約者と好き合っているつもりだ。でも、そんな二人の間に隙間が生まれてきて…。私達は愛を貫けるだろうか?