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第四話 想い出の花が色褪せても
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……ありません。
私の大切な、あの栞がありません。
とても大切なものなのに。初恋のたったひとつの思い出なのに。
私は王太子殿下の婚約者という立場も忘れて、学園を彷徨っていました。
どこで落としたのでしょう。
親友のカーラ様と本の話をしていたのは教室でした。帝国から取り寄せたという大切な本をお借りしているので、迂闊なところで鞄から出したりしません。
ああ、でももし侯爵邸だったとしたら!
さすがにお借りした本は捨てられたりしませんが、色褪せた押し花を貼った栞などはすぐに捨てられてしまうでしょう。
大切なものだと話したりしたら、お義母様や異母妹は喜々として引き千切るでしょう。
「なにをしているんだい?」
下を向いて歩いていた私は、優しく呼びかける声に顔を上げました。
声の主がだれなのかはわかっています。わからないはずがありません。
王太子ニコロ殿下。彼こそが私の初恋の人なのですから。
「み、みっともないところをお見せして申し訳ありません。落とし物をしたのです。とても……とても大切なものなのです」
涙が溢れてくるのを感じます。
いけません。こんな情けない姿をお見せしたら、ますます嫌われてしまいます。
そうでなくても私は殿下の初恋の人ではないのですから。愛してもいないのに婚約させられた、憎い相手に過ぎないのですから。
「落とし物? それは……これかい?」
殿下が私に栞を差し出してくださいました。
「ええ、そうです! 私の栞です。殿下が拾ってくださったのですか?」
「君の心からの笑顔は久しぶりに見る。本当に大切なものなのだね」
「……はい。初恋の方にいただいた花を押し花にしたものなのです」
こんなことを婚約者であるニコロ殿下に告げるなんて不敬の極みです。
でも誤解されても良いのではないかと思いました。殿下は婚約者として引き合わされた私に、君は私の初恋の人ではない、とおっしゃいました。その言葉が、どんなに私を傷つけたかも気づかずに。
そしていつか愛するという約束も果たさず、ご自身は初恋の──あら? 今日は殿下のお側に異母妹の姿がありません。
「そうか。その花は……私が初恋の人に捧げたものだよ」
「え?」
そのとき花が。
とっくに色褪せた私の栞の押し花が色を取り戻しました。
赤みを帯びた黄色い花。ニコロ殿下と初めてお会いした日の私の髪の色です。私の髪は成長に伴って赤みが増して、今では真っ赤に染まっています。殿下と婚約して再会した日にはもう、かなり赤の強い赤茶の髪になっていました。
ニコロ殿下の青い瞳が私を見つめます。
「君は、私の……君は私の初恋だった」
ああ、わかりました。
これは夢です。
だって私にはもう生きる希望があります。大切にしてくれる人がいます。初恋の想い出だけを支えに生きていたころとは違うのです。
私は頷きました。
夢だからか支えてくれている人のおかげか、殿下の前でも自然に笑えました。
そう、いつからか私は殿下の前では自然に笑えなくなっていました。だから愛するという約束を果たしてもらえなかったのかもしれません。
「ありがとうございます。……貴方は私の初恋でした」
ニコロ殿下が微笑みました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
なにか温かいものを感じながら目覚めると、私の手は目の前に眠る男性の手で強く握られていました。
彼は帝国の皇子ウーゴ殿下。
皇帝陛下の正妻のお子様でありますが、陛下には多くの側妃がいてお子様も多いため、第二皇子の彼は皇太子にはなれませんでした。私の親友で学園に留学してきていたカーラ様のお兄様です。
初恋を吹っ切ってニコロ殿下に栞を送りつけた後、私はカーラ様に誘われて神殿を出ました。
侯爵家がなにかで私を利用しようとしたときに足取りがつかめないよう、カーラ様ご自身ではなく王国に顔見知りのいない帝国の男性が迎えに来てくれました。
帝国で婚姻すると嘘をついたのは、あの神殿で結婚したりすると記録が残るからです。もっとも帝国に嫁ぐという言葉自体が方便でしたが。
私はカーラ様の専属薬師としてお仕えしています。
実際はお話相手のようなものです。
母の病気を治したくて、そして初恋の方にいただいた花に解毒の効果があったこともあって、私は王国で薬や毒の研究をしていたのです。
私のすることにならなんでも文句をつけていた父や義母に薬毒の研究については止められなかったのは、いつかすべての罪を私にかぶせるつもりだったからかもしれません。
母の死は父と義母によるものでした。
私が王国を去った後、彼らに与えられた毒で異母妹のベラドンナが国王陛下ご夫妻を弑しようとしたことから、侯爵家は滅びています。
ぼんやりと初恋の面影を思い浮かべたとき、目の前に横たわる男性が呻き声を漏らしました。
しばらく徹夜で看病をしていたのですが、さすがに疲労が溜まっていて、先ほどは意識を失っていたのでしょう。
彼の容態に別状がなければ良いのですけれど。
私の大切な、あの栞がありません。
とても大切なものなのに。初恋のたったひとつの思い出なのに。
私は王太子殿下の婚約者という立場も忘れて、学園を彷徨っていました。
どこで落としたのでしょう。
親友のカーラ様と本の話をしていたのは教室でした。帝国から取り寄せたという大切な本をお借りしているので、迂闊なところで鞄から出したりしません。
ああ、でももし侯爵邸だったとしたら!
さすがにお借りした本は捨てられたりしませんが、色褪せた押し花を貼った栞などはすぐに捨てられてしまうでしょう。
大切なものだと話したりしたら、お義母様や異母妹は喜々として引き千切るでしょう。
「なにをしているんだい?」
下を向いて歩いていた私は、優しく呼びかける声に顔を上げました。
声の主がだれなのかはわかっています。わからないはずがありません。
王太子ニコロ殿下。彼こそが私の初恋の人なのですから。
「み、みっともないところをお見せして申し訳ありません。落とし物をしたのです。とても……とても大切なものなのです」
涙が溢れてくるのを感じます。
いけません。こんな情けない姿をお見せしたら、ますます嫌われてしまいます。
そうでなくても私は殿下の初恋の人ではないのですから。愛してもいないのに婚約させられた、憎い相手に過ぎないのですから。
「落とし物? それは……これかい?」
殿下が私に栞を差し出してくださいました。
「ええ、そうです! 私の栞です。殿下が拾ってくださったのですか?」
「君の心からの笑顔は久しぶりに見る。本当に大切なものなのだね」
「……はい。初恋の方にいただいた花を押し花にしたものなのです」
こんなことを婚約者であるニコロ殿下に告げるなんて不敬の極みです。
でも誤解されても良いのではないかと思いました。殿下は婚約者として引き合わされた私に、君は私の初恋の人ではない、とおっしゃいました。その言葉が、どんなに私を傷つけたかも気づかずに。
そしていつか愛するという約束も果たさず、ご自身は初恋の──あら? 今日は殿下のお側に異母妹の姿がありません。
「そうか。その花は……私が初恋の人に捧げたものだよ」
「え?」
そのとき花が。
とっくに色褪せた私の栞の押し花が色を取り戻しました。
赤みを帯びた黄色い花。ニコロ殿下と初めてお会いした日の私の髪の色です。私の髪は成長に伴って赤みが増して、今では真っ赤に染まっています。殿下と婚約して再会した日にはもう、かなり赤の強い赤茶の髪になっていました。
ニコロ殿下の青い瞳が私を見つめます。
「君は、私の……君は私の初恋だった」
ああ、わかりました。
これは夢です。
だって私にはもう生きる希望があります。大切にしてくれる人がいます。初恋の想い出だけを支えに生きていたころとは違うのです。
私は頷きました。
夢だからか支えてくれている人のおかげか、殿下の前でも自然に笑えました。
そう、いつからか私は殿下の前では自然に笑えなくなっていました。だから愛するという約束を果たしてもらえなかったのかもしれません。
「ありがとうございます。……貴方は私の初恋でした」
ニコロ殿下が微笑みました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
なにか温かいものを感じながら目覚めると、私の手は目の前に眠る男性の手で強く握られていました。
彼は帝国の皇子ウーゴ殿下。
皇帝陛下の正妻のお子様でありますが、陛下には多くの側妃がいてお子様も多いため、第二皇子の彼は皇太子にはなれませんでした。私の親友で学園に留学してきていたカーラ様のお兄様です。
初恋を吹っ切ってニコロ殿下に栞を送りつけた後、私はカーラ様に誘われて神殿を出ました。
侯爵家がなにかで私を利用しようとしたときに足取りがつかめないよう、カーラ様ご自身ではなく王国に顔見知りのいない帝国の男性が迎えに来てくれました。
帝国で婚姻すると嘘をついたのは、あの神殿で結婚したりすると記録が残るからです。もっとも帝国に嫁ぐという言葉自体が方便でしたが。
私はカーラ様の専属薬師としてお仕えしています。
実際はお話相手のようなものです。
母の病気を治したくて、そして初恋の方にいただいた花に解毒の効果があったこともあって、私は王国で薬や毒の研究をしていたのです。
私のすることにならなんでも文句をつけていた父や義母に薬毒の研究については止められなかったのは、いつかすべての罪を私にかぶせるつもりだったからかもしれません。
母の死は父と義母によるものでした。
私が王国を去った後、彼らに与えられた毒で異母妹のベラドンナが国王陛下ご夫妻を弑しようとしたことから、侯爵家は滅びています。
ぼんやりと初恋の面影を思い浮かべたとき、目の前に横たわる男性が呻き声を漏らしました。
しばらく徹夜で看病をしていたのですが、さすがに疲労が溜まっていて、先ほどは意識を失っていたのでしょう。
彼の容態に別状がなければ良いのですけれど。
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