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第四話 紅い黒豹
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などと考えながら大通りを歩いていたら、乱暴な運転の馬車が歩道にはみ出してきた。
「エミリアさん」
「あ」
隣を歩くフェルナンドが、さりげなく引き寄せて私を守る。
彼は長身の美丈夫だ。
濡れたような黒髪に整った顔立ち、手足は長く細いのに逞しい。ある場所では『紅い黒豹』と呼ばれている。琥珀色の瞳が、光の加減で血のように紅く煌めくからかもしれない。
ちなみにある場所というのは地下闘技場だ。
フェルナンドは子爵家を賄うため、新しい事業の運転資金をひねり出すために、地下闘技場の闘士として戦っているのである。
そこでのふたつ名が『紅い黒豹』で、『紅』は瞳だけでなく魔獣の血をも意味している。紅く瞳を煌めかせて辺境伯領から連れて来られた魔獣と戦い、その血を浴びて紅く染まる黒豹なのだ。
なお、地下闘技場自体は合法で国が運営している。
客が闘士と魔獣の勝敗に賭けたお金で儲けているのだ。
前世の競馬や競輪みたいなものね。
「ありがとうございます」
「大切な先生の娘さんです。今日は命に代えてもお守りいたしますとも」
そう言ってウインクして見せる彼が私と一緒なのは、父に頼まれたからである。
父は地下闘技場に研究中の新薬を卸していて、たまに怪我を負った闘士の治療にも訪れていたのだという。侯爵家の専属でも薬師協会からの仕事は断れない。とはいえ……そんな時間があったんなら、たまには娘に会いに来てほしかったなあ。
フェルナンドは父に命を救われたことがあって、今も父を先生と呼んで慕っている。
子爵家の当主という立場にありながら、彼は平民娘の私にも礼を尽くしてくれる。
大通りの郵便局でチャベス侯爵家に送り返す予定の服の包みまで持ってくれているのだ。
貴族令嬢としてあつらえられた服は案外重いので助かっている。
私はフェルナンドの整った横顔を見つめた。
視線に気づいた彼がこちらを向き、微笑んでくれる。
私も微笑み返す。この人殺人鬼になるんだよなあ、なんて思ってたことを口に出すわけにはいかないからね。
……うん。この人、殺人鬼になるんだよねえ。
久しぶりに地下闘技場で闘士として戦った後、高級宿に戻って先々代の祖父からの手紙を受け取り、その夜宿の中庭で中年男を殺しちゃうんだよねえ。
それから従姉妹のデロタを殺そうといろいろして、最終的にロレンソと戦って死んじゃうんだよねえ。
最初の場面では祖父からの手紙の内容はわからない。
でも後になって情報が増えていくと想像が出来る。
祖父は絶縁した次男の娘を哀れに思い、自分の個人財産を譲ると言い出したのだ。もちろん本人の自由だ。だけど先々代が自分の個人財産を失わずにいられたのは、早死にするほど苦労した長男とその息子フェルナンドのおかげでもあるんだよね。
そりゃ自分の努力を無視されたような気がして自棄にもなる。
デロタがチャベス侯爵家に現れてセラーノ子爵家にも存在を告げたのは、両親を亡くして行き場を失ったからだ。それは大変だと思うし、両親が不貞で結ばれたのは本人のせいではない。
そうは言っても、ねえ? どうしても割り切れない思いは残るだろう。
フェルナンドが宿で中年男を殺したのは八つ当たりだったのかな?
手紙を読んでから時間が経ってたみたいだけど、部屋で酒に溺れてて泥酔してたとか?
だとしたら犠牲者はだれになってもおかしくないのかもなー。
なんてことを考えていたら、ふと思いついたことがある。
「フェルナンド様」
「なんですか、エミリアさん」
「フェルナンド様は地下闘技場で戦うために王都へいらしてるんですよね? 試合の日はいつですか? 私、少し興味があって」
「……」
フェルナンドは表情を曇らせた。
地下闘技場は合法だ。
でも貴族令嬢が行くような場所ではない。
平民の娘でも行かない。
血の気の多い賭博師達が集まる場所だもの。
護衛騎士を連れた有閑貴族夫人なら行くかも?
彼が中年男を殺したのは、試合で戦ったのと同じ日のはずだ。
地下闘技場で試合(昼間)→高級宿に戻って手紙受け取る(夕方)→宿の中庭で中年男を殺す(真夜中)、という流れだった。
ふたつ名を持つほどの人気闘士であっても、貴族家の当主でもあるのだ。連日試合を組まれているとは思えない。
こうして知り合っちゃったからねえ。
知り合いが殺人鬼になったり、だれかを恨んで生きていくような運命になったりするのは気持ちの良いものではない。自分も思い込みで道を踏み外しかけてただけにね。
ああ、ロレンソを愛していると思い込んだまま死ななくて良かったよ、本当に。
前世の記憶でフェルナンドを救えるのなら救いたい、と私は思ったのだ。
もしかしたら昔から殺人鬼で、地下闘技場で戦っても鎮まらないほど血気盛んな人なのかもしれないけど……それはないよね?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──フェルナンドは、その熊のような魔獣の攻撃をするりと避けた。
『紅い黒豹』のふたつ名は伊達ではない。
しなやかな動きで魔獣の後ろに回り、鉄格子を掴む。
興奮した魔獣が観客席に乱入しないよう、ひとりと一頭は地下闘技場内の檻の中で戦っているのだ。
掴んだ鉄格子を利用してよじ登り、フェルナンドは檻の天井からぶら下がった。
ゆらりゆらりと彼は揺れ、振り向いて追ってきた熊魔獣の顔に蹴りを叩き込んだ。
倒れた熊魔獣の腹に飛び降り、相手の巨体を裏返す。背中へ移動したフェルナンドは、鍛えた腕を後ろから熊魔獣の首に回し、それをへし折った。骸を転がし立ち上がる。
地下闘技場に歓声が響き渡った。
『紅い黒豹』の整った美貌に艶やかな笑みが浮かぶ。
彼は朗々とした声で宣言した。
「この勝利を貴女に捧げます。俺の女神!」
「は?」
フェルナンドの視線の先を辿って、周囲の目が私に突き刺さる。
いや、まあ私が少女漫画『愛の花を君に捧げよう』の内容を教えてなかったら、彼はいつものように真正面からがっぷり四つに組んで、肩に噛みつかれていた。
漫画では最後のロレンソとの戦いで、その傷が痛んで敗北するのだ。
肩に噛みつかれるのを防げたから、今回の勝利は私のおかげ?……なのかなあ?
「エミリアさん」
「あ」
隣を歩くフェルナンドが、さりげなく引き寄せて私を守る。
彼は長身の美丈夫だ。
濡れたような黒髪に整った顔立ち、手足は長く細いのに逞しい。ある場所では『紅い黒豹』と呼ばれている。琥珀色の瞳が、光の加減で血のように紅く煌めくからかもしれない。
ちなみにある場所というのは地下闘技場だ。
フェルナンドは子爵家を賄うため、新しい事業の運転資金をひねり出すために、地下闘技場の闘士として戦っているのである。
そこでのふたつ名が『紅い黒豹』で、『紅』は瞳だけでなく魔獣の血をも意味している。紅く瞳を煌めかせて辺境伯領から連れて来られた魔獣と戦い、その血を浴びて紅く染まる黒豹なのだ。
なお、地下闘技場自体は合法で国が運営している。
客が闘士と魔獣の勝敗に賭けたお金で儲けているのだ。
前世の競馬や競輪みたいなものね。
「ありがとうございます」
「大切な先生の娘さんです。今日は命に代えてもお守りいたしますとも」
そう言ってウインクして見せる彼が私と一緒なのは、父に頼まれたからである。
父は地下闘技場に研究中の新薬を卸していて、たまに怪我を負った闘士の治療にも訪れていたのだという。侯爵家の専属でも薬師協会からの仕事は断れない。とはいえ……そんな時間があったんなら、たまには娘に会いに来てほしかったなあ。
フェルナンドは父に命を救われたことがあって、今も父を先生と呼んで慕っている。
子爵家の当主という立場にありながら、彼は平民娘の私にも礼を尽くしてくれる。
大通りの郵便局でチャベス侯爵家に送り返す予定の服の包みまで持ってくれているのだ。
貴族令嬢としてあつらえられた服は案外重いので助かっている。
私はフェルナンドの整った横顔を見つめた。
視線に気づいた彼がこちらを向き、微笑んでくれる。
私も微笑み返す。この人殺人鬼になるんだよなあ、なんて思ってたことを口に出すわけにはいかないからね。
……うん。この人、殺人鬼になるんだよねえ。
久しぶりに地下闘技場で闘士として戦った後、高級宿に戻って先々代の祖父からの手紙を受け取り、その夜宿の中庭で中年男を殺しちゃうんだよねえ。
それから従姉妹のデロタを殺そうといろいろして、最終的にロレンソと戦って死んじゃうんだよねえ。
最初の場面では祖父からの手紙の内容はわからない。
でも後になって情報が増えていくと想像が出来る。
祖父は絶縁した次男の娘を哀れに思い、自分の個人財産を譲ると言い出したのだ。もちろん本人の自由だ。だけど先々代が自分の個人財産を失わずにいられたのは、早死にするほど苦労した長男とその息子フェルナンドのおかげでもあるんだよね。
そりゃ自分の努力を無視されたような気がして自棄にもなる。
デロタがチャベス侯爵家に現れてセラーノ子爵家にも存在を告げたのは、両親を亡くして行き場を失ったからだ。それは大変だと思うし、両親が不貞で結ばれたのは本人のせいではない。
そうは言っても、ねえ? どうしても割り切れない思いは残るだろう。
フェルナンドが宿で中年男を殺したのは八つ当たりだったのかな?
手紙を読んでから時間が経ってたみたいだけど、部屋で酒に溺れてて泥酔してたとか?
だとしたら犠牲者はだれになってもおかしくないのかもなー。
なんてことを考えていたら、ふと思いついたことがある。
「フェルナンド様」
「なんですか、エミリアさん」
「フェルナンド様は地下闘技場で戦うために王都へいらしてるんですよね? 試合の日はいつですか? 私、少し興味があって」
「……」
フェルナンドは表情を曇らせた。
地下闘技場は合法だ。
でも貴族令嬢が行くような場所ではない。
平民の娘でも行かない。
血の気の多い賭博師達が集まる場所だもの。
護衛騎士を連れた有閑貴族夫人なら行くかも?
彼が中年男を殺したのは、試合で戦ったのと同じ日のはずだ。
地下闘技場で試合(昼間)→高級宿に戻って手紙受け取る(夕方)→宿の中庭で中年男を殺す(真夜中)、という流れだった。
ふたつ名を持つほどの人気闘士であっても、貴族家の当主でもあるのだ。連日試合を組まれているとは思えない。
こうして知り合っちゃったからねえ。
知り合いが殺人鬼になったり、だれかを恨んで生きていくような運命になったりするのは気持ちの良いものではない。自分も思い込みで道を踏み外しかけてただけにね。
ああ、ロレンソを愛していると思い込んだまま死ななくて良かったよ、本当に。
前世の記憶でフェルナンドを救えるのなら救いたい、と私は思ったのだ。
もしかしたら昔から殺人鬼で、地下闘技場で戦っても鎮まらないほど血気盛んな人なのかもしれないけど……それはないよね?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──フェルナンドは、その熊のような魔獣の攻撃をするりと避けた。
『紅い黒豹』のふたつ名は伊達ではない。
しなやかな動きで魔獣の後ろに回り、鉄格子を掴む。
興奮した魔獣が観客席に乱入しないよう、ひとりと一頭は地下闘技場内の檻の中で戦っているのだ。
掴んだ鉄格子を利用してよじ登り、フェルナンドは檻の天井からぶら下がった。
ゆらりゆらりと彼は揺れ、振り向いて追ってきた熊魔獣の顔に蹴りを叩き込んだ。
倒れた熊魔獣の腹に飛び降り、相手の巨体を裏返す。背中へ移動したフェルナンドは、鍛えた腕を後ろから熊魔獣の首に回し、それをへし折った。骸を転がし立ち上がる。
地下闘技場に歓声が響き渡った。
『紅い黒豹』の整った美貌に艶やかな笑みが浮かぶ。
彼は朗々とした声で宣言した。
「この勝利を貴女に捧げます。俺の女神!」
「は?」
フェルナンドの視線の先を辿って、周囲の目が私に突き刺さる。
いや、まあ私が少女漫画『愛の花を君に捧げよう』の内容を教えてなかったら、彼はいつものように真正面からがっぷり四つに組んで、肩に噛みつかれていた。
漫画では最後のロレンソとの戦いで、その傷が痛んで敗北するのだ。
肩に噛みつかれるのを防げたから、今回の勝利は私のおかげ?……なのかなあ?
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