この波の辿り着く果てには

豆狸

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<悪い夢はいつ終わる>

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 ──いつまで経っても悪い夢が終わらない。

 暗闇の中、僕は溜息を漏らした。
 オリベイラ王国の王族には神から与えられた特別な力がある。それは、生涯で三度だけ時を戻せるというもの。
 王族以外はだれも知らないこの力を、僕はもう二度も使ってしまった。本来は国の危機に使うための力だというのに。だって……アマリアが欲しかったから。

 フレイレ公爵家の令嬢アマリアは、僕の婚約者だ。
 本来なら、だれに憚ることもなく愛し合える関係だ。
 幼い日、王宮の中庭で引き合わされたときから、僕は彼女を愛している。彼女も僕を愛している。……ああ、あのモレーノ公爵子息さえいなければ。

 武人系のモレーノ公爵家の跡取りは、同い年で誕生日が早い僕よりも背が高く体が大きい。
 初めて会ったときからそうで、十年以上(繰り返した時間も入れると三十年近く)経つのに追い越せない。どうしようもないことだとわかっていても、アマリアの隣にヤツが立っているのを見ると胸が苦しくなる。
 僕は知っている。ヤツもアマリアを愛していることを。

 最初は勝っていた文事や学問の実力も、いつからか追い抜かれている。
 武芸と体力については、未だに背中しか見えない。
 殺してしまいたいと思っても、モレーノ公爵家はフレイレ公爵家と同じく、我がオリベイラ王国を牽く二頭の竜の片割れだ。失うことはできなかった。

 思春期にアマリアの身長を追い抜いても、僕は不安でならなかった。
 彼女は僕よりも、雄々しく男らしいヤツのほうを慕っているのではないかと。
 そこで僕が選んだ方法が女遊びというのだから終わっている。我ながら愚かだとは思うものの、せめて性的な技術でヤツに先んじれば勝てると思ったのだ。それに、ほかの女といる僕を見たアマリアの瞳が悲しみに染まるのを見ると、彼女に愛されていると安心できた。……自分でも最低だとわかっている。

 間違っていると気づきながらも時は過ぎて、学園へ入学した僕はヴィシアと会った。
 あまり良い噂を聞かないアンビサオン伯爵家の令嬢だ。
 初めはいつものようにアマリアの悲しむ顔を見たかっただけだった。しかし、これはやり過ぎだ、もう別れてしまいたい、そう思っても僕はヴィシアから離れられなかった。麻薬の中毒にされていたからだ。

 僕は心臓から血を流しながら、アマリアとの婚約を破棄した。
 学園の卒業パーティでのことだった。
 その後は目先の利益のために国を壊そうとする(しかも本人達には国を壊しているという自覚がない)アンビサオン家の糸に操られながら、僕は必死で抵抗した。オリベイラ王国が崩壊したら、高位貴族の令嬢であるアマリアにも累が及ぶ。彼女を危険に晒したくはなかった。

 やがてヴィシアは、どんなに麻薬漬けにしても僕が逆らい、アンビサオン家の力を削いでいくのはアマリアへの愛があるからだと気づいた。
 少しは嫉妬の情もあったのだろうか。わからない。ヴィシアは自分が利を得るためならば、どんな相手にも媚びを売れる女だった。
 ヴィシアは面白い見世物があると僕を誘い、とある貴族家の園遊会へと連れて行った。

 お忍びで訪れたその場所には、国王夫婦との同席を拒むモレーノ公爵夫人がいた。……アマリアだ。
 僕に婚約を破棄されたアマリアは、数年後にヤツと結婚していたのだ。
 最初からそういう約束だったのだろうか。僕に婚約破棄をさせるために、ヤツがヴィシアをけしかけてきたのかもしれない。

 そう疑わずにはいられないほど、久しぶりに見るアマリアは嬉しそうだった。
 幸せそうで美しくて、僕は彼女に見惚れてしまった。彼女の隣にいるのが自分でないことすら忘れて、ただひたすらに見つめ続けた。
 おかげで、本当の隣にいるヴィシアの行動に気づかなかった。

 アマリアは僕の腕の中で死んだ。
 美しい死に顔だった。
 婚約破棄からのこれまでは悪い夢だと言ってくれた。

 王妃である自分が身分の低い女を刺し殺しても罰せられるべきではない、なんてほざくヴィシアを処刑して、僕は神に与えられた力を使った。
 もう婚約破棄なんかしない、ヴィシアなど相手にせずアマリアと添い遂げる。
 そう心で誓いながら。

 学園に入学してから一ヶ月ほど経ったころの夜に、僕は戻った。
 ヴィシアに近づかないようにしよう、二度と浮気をしないようにしよう、そう考えていただけだったが、気が付くとアンビサオン伯爵家は滅亡していた。ヤツの仕業だ。
 ヤツの母親があの家の麻薬の犠牲になっていたからだろうか。……ううん、たぶんヤツも僕の力に巻き込まれたんだ。だからヴィシアがアマリアを殺したことを知っていた。

 時が戻るとき、強い後悔を持つ人間には記憶が残る。
 人生をやり直すためだ。
 僕には当然記憶が残っていた。同じようにアマリアを愛しているモレーノ公爵子息もそうだったのだろう。アマリアは……僕の愚行についての記憶など残っていないほうがいいという思いと、ヤツとの結婚を悔やんでいてほしいと願う気持ちが交錯している。

 学園に入学したばかりの若者がアンビサオン伯爵家の悪事を暴いて滅ぼしたという快挙をみなが褒め称えた。
 いつもは僕に甘い父上と母上でさえ、くだらない女遊びに明け暮れず王太子としての役目を果たしなさいと苦言を呈してきた。
 嫉妬の情はあったものの、そのときの僕は喜びに包まれていた。麻薬で操られていなければ、僕はアマリアとの婚約を破棄したりしない。莫迦め、お前が一時的な復讐心で為したことは、僕を利するだけのことだ。そう思った。

 莫迦は自分だと気づいたのは、初夜の翌日だった。
 アマリアとヤツが会話をしていたのを見たのだ。ふたりが話すのは当然だ。王太子妃と王太子の側近──未来の宰相なのだから。
 でも僕の心は嫉妬の炎で包まれた。ヴィシアがいなくなってからは浮気などしなかった。アマリアを大切にしてきたし、初夜も精いっぱい頑張った。

 だけど、それでも、アマリアにはヤツのほうが相応しいのではないか。
 彼女にひとかけらの記憶が残っていたならば、ヤツと僕を比べてがっかりしたのではないか。記憶が残っていなかったとしても、もの足りなさを覚えたのではないか。
 アマリアを愛しているのに。もう彼女を裏切りたくなんかないのに。僕はアマリアを抱けなくなった。

 やがて、以前僕の女遊びを窘めた人間が僕に愛人を作るよう要求してきた。
 何年経っても僕とアマリアの間に子どもが生まれなかったからだ。
 悲しい目をしたアマリア自身にも勧められて、僕は愛人を持つことになった。

 最終的に、このときのアマリアは流行り病で亡くなった。
 ヤツがアンビサオン伯爵家の麻薬畑を焼き払っていなければ治っていた可能性もあった。
 僕は前のときと同じように彼女の最期を見届けられたけれど、アマリアの瞳に映っていたのは僕の後ろにいたヤツだったのかもしれない。

 ──そして、僕は再び神に与えられた力を使った。

 もう一回使えるものの、これ以上繰り返したくはない。
 記憶が残っているのかいないのか、二度目のアマリアはいつも怯えたような瞳に僕を映していた。その瞳は言っていた。いつかまた、婚約を破棄されて僕に捨てられてしまうのではないかと。
 また繰り返したら最後、彼女は僕への愛情を完全に捨て去ってしまう気がする。

 僕はアマリアを手に入れる。
 まずはアンビサオン伯爵家の始末だ。調査を進めて証拠を握ろう。ヤツよりも早く動くんだ。
 麻薬畑を処分するときに、流行り病に効く薬草を残すのを忘れないようにしなくては。

 愛しいアマリア、僕は君に誓うよ。
 今度こそ悪い夢を終わらせる。
 そう、終わらせるんだ、今度こそ絶対に──
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