初恋を奪われたなら

豆狸

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第七話 子爵令嬢エレナ―

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(陰気そうな女だわ)

 使用人に案内されて自室まで来た子爵令嬢エレナ―を見て、グリーディはそう思った。
 部屋へ招き入れて使用人を戻らせ、扉を閉める。
 入り口に立った子爵令嬢は俯いて小刻みに震えていた。古臭い髪型だ。髪をまとめて飾り針でまとめている。

 小柄な令嬢だ。
 掴み合いになってもグリーディが勝てそうだ。
 それにここは男爵邸。普段どんなに横柄な態度を取っていても、自家の令嬢であり王太子の婚約者になるかもしれないグリーディのほうを使用人達は守るはずだ。

(まあ、このまま王子様の婚約者になる気はないんだけどさ)

 いざとなったら王太子アンドリューを殺してしまえば良いかもしれない、とグリーディは思う。
 上手く侯爵令嬢キャロルのせいに見せかければ、アンドリューの寵愛を受けているグリーディに容疑がかかることはないだろう。
 これまでの成功経験がグリーディに自信を与えていた。

「で、なんの用? 知ってるでしょう? アタシ王子様の寵愛を受けてるの。暇じゃないのよ」

 正式に男爵家が陞爵しょうしゃくされて伯爵家になったら、王太子との婚約も結ばれて王宮へ妃教育をしに通わなくてはならなくなる。
 その前にどうにかしなければ、ますます彼と会う時間が奪われてしまう。
 だけどどうにかする前に、この子爵令嬢の扱いを決めなくてはならない。

(どこまで知ってるんだろう? 瓶を見ただけじゃ毒ってわからなかったと思うんだけど)

 案外ハッタリをかけてきただけなのかもしれない。
 あの瓶に入っていたのは持病の薬だと誤魔化して、後から彼に始末してもらおうか。
 なかなか顔を上げない子爵令嬢を見つめながら、グリーディは考えていた。今日だって侍女も侍従もついて来ていない。子爵令嬢を襲うのは簡単そうだ。

(こんなでも貴族令嬢だから、娼館に売れば金になるかしら)

 グリーディの愛する彼は、とにかく金が好きだった。

「……どうして死ななかったんですか?」
「え?」
「あの方は貴女を殺せだなんて言っていませんでした。莫迦な王太子が勝手に引っかかった淫売だから放っておけって言っていたんです」
「ちょ、アンタなに言ってんのよ! 淫売ってだれよ、アタシのこと?」
「当たり前じゃないですか。婚約者のいる男性に擦り寄るのは淫売です」
「煩いわね、アタシが擦り寄ったんじゃないわよッ。アンドリューのほうからやって来たのよ!」

 それは真実とは違った。
 グリーディは学園で金を持っていそうな貴族子息すべてに擦り寄って、たまたま引っかかったのがアンドリューだったというのが真実だ。
 だけどグリーディにとっては自分の言葉が真実だった。これまで散々金と贈り物を搾り上げてきたが、今の面倒な状況に落とされた時点でアンドリューとの関係はグリーディのほうが損をしていると考えていた。

「どうせ毒を飲むのなら死ねば良かったのに。よりによってアタクシが使ったのと同じ毒だなんて……これじゃあの方にアタクシが先走って失敗したと思われるじゃありませんか」
「……アンタが使った毒?」
「ええ、アタクシの毒はあの方にいただいたのです。あの愚かな王太子を引きずり下ろして、あの方を玉座に着けるために」
「なに言ってんの、アンタ……」

 早口で語る子爵令嬢の瞳には、グリーディの姿が映っていないようだった。

「帝国の大公令嬢、ひいては皇帝の血筋にもつながるクラーク侯爵令嬢キャロルとの婚約が無くなれば、あの愚かな王太子は廃太子にされます。そうしたらあの方はアタクシを妃にして王になるのです。これまでの女達もあの方に愛されていると誤解していたようですけれど、本当に愛されているのは真の計画を知らされて女達の始末を任されたアタクシなのです」

 子爵令嬢の瞳は濁り、その表情は陶然としていた。

「あの方ってだれよ。なんなの、要するにこれまでのアンドリューの寵愛はアンタが殺して来たってこと?」
「ええ、もちろんですわ」

 グリーディの背中に冷たいものが流れる。
 自分は今、殺人犯と一緒にいるのだ。
 異母兄と父の正妻を殺してくれた彼のことは変わらず愛しているし、なんなら前よりも好きになった。自分が母を殺したことにも罪悪感はない。だが目の前の子爵令嬢は怖かった。

「もしあの方からめいがあったら、と思ってお茶会で貴女を見つめていたら、杯を口にした後で倒れた振りをして瓶に口をつけるのを目撃したんです。……貴女が死にかけたことで、あの愚かな王太子はクラーク侯爵令嬢との婚約を解消しました。アタクシが前のふたりを殺しても出来なかったのに。あの方に無能だと思われたら、この淫売のほうが役に立つと思われたら……」

 ブツブツと呟き始めた子爵令嬢の様子を窺いながら、グリーディは逃走経路を探す。
 廊下へ出る扉の前には子爵令嬢がいる。
 ここは二階だが、窓の外には庭木がある。枝に飛び移れば怪我をせずに逃げられるかもしれない。

「だから」

 グリーディが窓へ向かって足を踏み出した瞬間に、子爵令嬢が言った。
 これまでの呟きとは違い、グリーディに話しかけている。
 思わず足を止めてしまったことを後悔する前に、小柄な子爵令嬢が飛びかかってきた。いつの間にか手に針のようなものを握っている。髪をまとめていた飾り針のようだ。

「貴女を殺しておこうと思うんです。あの方にいただいた毒はもう使い切ってしまったので、お茶会のときもめいがあったらこれで始末しようと考えていました」

 子爵令嬢は敏捷で、小柄な体に見合わないほど力が強かった。
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