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最終話 初恋を奪われたなら
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あの日、子爵令嬢は男爵令嬢グリーディを殺すことしか頭になかった。
凶器こそ男爵邸へ入るときは髪に刺して隠していたが、殺しの現場を見られないようにしようとは思っていなかった。
だから彼女は第一、第二の殺人のときのように変装していなかった。二回の成功経験が彼女に自信を与えていたのかもしれない。
王家の命でグリーディを護衛していた騎士達は、男爵邸の外から窓の向こうの惨劇に気づいた。
慌てて男爵家の使用人達に事情を話し、彼らはグリーディの部屋に入った。
グリーディから子爵令嬢を引き離すまでは上手く行ったものの、令嬢は見た目に合わない膂力を発揮して抵抗し、逃げ出した。護衛達は小柄な外見に油断していたのだ。
首を刺されたグリーディはすぐに応急処置を受けた。
にもかかわらず飾り針に使われていた錆止めが悪かったのか、結局血が止まらずに死んでしまった。
出血多量で混乱した男爵令嬢は、最後の瞬間まで本命の名前を呼び続けていた。意識が朦朧とした状態の彼女が自分達の罪を語ったので、本命の男のほうも捕縛された。実の娘に正妻と嫡子、愛人まで殺された男爵は廃人と化している。
子爵令嬢はそれから三日間逃げ続け、クラーク侯爵家を訪れたチェンバレン公爵令息ベンジャミンが馬車から降りた瞬間を狙って襲撃した。
公爵令息の屍を抱いて満足そうに微笑んだ子爵令嬢は、もう逃げたりはしなかった。
彼から引き離そうとさえしなければ、近衛騎士の質問にも素直に答えた。それによって公爵令息の計画が明らかになったのである。
とはいえ子爵令嬢の言うようにアンドリュー王子を排除して王位に就いた公爵令息が、彼女を妻にしたかどうかには疑問が残る。
彼女は使い捨ての道具に過ぎなかったのではなかろうか。
子爵令嬢自身もそれをわかっていたからこそ、最後に公爵令息を襲ったのではないのか。公爵令息の弟は兄の立てた計画についてはなにも聞かされていなかったけれど、兄がクラーク侯爵令嬢キャロルに恋していたことは知っていた。ベンジャミンに恋していた子爵令嬢もそれを察していたのかもしれない。
チェンバレン公爵は息子の罪に連座して処刑を望み、その代わりに妻やほかの息子達の延命を望んだ。
それは認められ、チェンバレン公爵家は降爵されて子爵家になっての存続を許された。
ベンジャミンが王位簒奪を企んでアンドリュー王子に寵愛を宛がった上で暗殺していたことは公表された。しかし彼がクラーク侯爵令嬢キャロルに恋していたことまでは明らかにされていない。それは、帝国へ移住したキャロルにベンジャミンの弟が送った手紙にだけ記されていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「私が婚約者のアンドリュー殿下にも恋出来ないほど心の冷たい死神令嬢でなかったら、ベンジャミン様の気持ちに気づいて、彼を止めることが出来ていたのかしら」
帝国皇帝の宮殿中庭で、キャロルは溜息をつく。
彼女は両親が兄への引継ぎを終えて帝国に来るまでの間、宮殿に一室を与えられて暮らしているのだ。
美しく整えられた庭を歩くキャロルの隣には皇太子デビッドがいた。
「キャロルがあの王子様に恋してなかったとは思わないがな」
「……そうですか?」
「ああ、君が彼に恋していなかったら、俺も公爵令息も諦めたりしていなかった。国内の貴族と周辺国の要人を招いておこなわれた婚約披露の式典で、君は間違いなく彼に恋していた。そうでなければ俺がキャロルを攫っていた」
「……でも」
私には理解出来ないのです、とキャロルは俯く。
「ベンジャミン様のなさったことも、あの方に恋したご令嬢方がされたことも」
「そりゃあそうだ。恋の形は人によって違うからな。それに、キャロルは王子様に浮気されたとき嫉妬しなかったんじゃないと思うぜ。嫉妬したからこそ、自分の心を殺して彼への恋を封じ込めたんだ」
「……」
「そもそも王子様が伯爵令嬢の誘惑に落ちなければ、あの公爵令息が道を踏み外すこともなかったんじゃないか? 恋敵に浮気相手を差し向けるだけで最低といえば最低だが」
気持ちはわからないでもない、とデビッドは心の中でひとりごちる。
恋は人を愚かにする。
どうしようもない熱で包み込む。相手のこと以外なにも考えられなくしてしまう。
「王子様はキャロルの気持ちを確かめるために伯爵令嬢と恋愛ごっこをした」
それは公表されていることではない。デビッドが皇太子の力を使って探り出した情報だ。
「公爵令息はほかの女性達を利用した。ふたりとも君に恋していた。だけど自分の恋にだけ溺れて君の気持ちは考えていなかった。君は初恋を奪われてもなにも感じなかったんじゃない。大切な恋だったからこそ、嫉妬で他人を攻撃しないことを選んだんだ」
「そうなのでしょうか? ですが……そうなら嬉しいです」
キャロルの微笑みを見て、デビッドは安堵した。
彼女はいつか自分に新しい恋をしてくれるだろうか。
同じ相手に恋をしたふたりの男達の間違いを教訓にして、彼女を傷つけないように気をつけなくてはいけない。
初恋を奪われたなら、それでも想いを捨てられなかったなら、どうしたら良いのかなんてだれにも答えはわからない。
ただひとつわかっていることがある。
デビッドはこれからもキャロルの笑顔を守りたいのだ。
凶器こそ男爵邸へ入るときは髪に刺して隠していたが、殺しの現場を見られないようにしようとは思っていなかった。
だから彼女は第一、第二の殺人のときのように変装していなかった。二回の成功経験が彼女に自信を与えていたのかもしれない。
王家の命でグリーディを護衛していた騎士達は、男爵邸の外から窓の向こうの惨劇に気づいた。
慌てて男爵家の使用人達に事情を話し、彼らはグリーディの部屋に入った。
グリーディから子爵令嬢を引き離すまでは上手く行ったものの、令嬢は見た目に合わない膂力を発揮して抵抗し、逃げ出した。護衛達は小柄な外見に油断していたのだ。
首を刺されたグリーディはすぐに応急処置を受けた。
にもかかわらず飾り針に使われていた錆止めが悪かったのか、結局血が止まらずに死んでしまった。
出血多量で混乱した男爵令嬢は、最後の瞬間まで本命の名前を呼び続けていた。意識が朦朧とした状態の彼女が自分達の罪を語ったので、本命の男のほうも捕縛された。実の娘に正妻と嫡子、愛人まで殺された男爵は廃人と化している。
子爵令嬢はそれから三日間逃げ続け、クラーク侯爵家を訪れたチェンバレン公爵令息ベンジャミンが馬車から降りた瞬間を狙って襲撃した。
公爵令息の屍を抱いて満足そうに微笑んだ子爵令嬢は、もう逃げたりはしなかった。
彼から引き離そうとさえしなければ、近衛騎士の質問にも素直に答えた。それによって公爵令息の計画が明らかになったのである。
とはいえ子爵令嬢の言うようにアンドリュー王子を排除して王位に就いた公爵令息が、彼女を妻にしたかどうかには疑問が残る。
彼女は使い捨ての道具に過ぎなかったのではなかろうか。
子爵令嬢自身もそれをわかっていたからこそ、最後に公爵令息を襲ったのではないのか。公爵令息の弟は兄の立てた計画についてはなにも聞かされていなかったけれど、兄がクラーク侯爵令嬢キャロルに恋していたことは知っていた。ベンジャミンに恋していた子爵令嬢もそれを察していたのかもしれない。
チェンバレン公爵は息子の罪に連座して処刑を望み、その代わりに妻やほかの息子達の延命を望んだ。
それは認められ、チェンバレン公爵家は降爵されて子爵家になっての存続を許された。
ベンジャミンが王位簒奪を企んでアンドリュー王子に寵愛を宛がった上で暗殺していたことは公表された。しかし彼がクラーク侯爵令嬢キャロルに恋していたことまでは明らかにされていない。それは、帝国へ移住したキャロルにベンジャミンの弟が送った手紙にだけ記されていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「私が婚約者のアンドリュー殿下にも恋出来ないほど心の冷たい死神令嬢でなかったら、ベンジャミン様の気持ちに気づいて、彼を止めることが出来ていたのかしら」
帝国皇帝の宮殿中庭で、キャロルは溜息をつく。
彼女は両親が兄への引継ぎを終えて帝国に来るまでの間、宮殿に一室を与えられて暮らしているのだ。
美しく整えられた庭を歩くキャロルの隣には皇太子デビッドがいた。
「キャロルがあの王子様に恋してなかったとは思わないがな」
「……そうですか?」
「ああ、君が彼に恋していなかったら、俺も公爵令息も諦めたりしていなかった。国内の貴族と周辺国の要人を招いておこなわれた婚約披露の式典で、君は間違いなく彼に恋していた。そうでなければ俺がキャロルを攫っていた」
「……でも」
私には理解出来ないのです、とキャロルは俯く。
「ベンジャミン様のなさったことも、あの方に恋したご令嬢方がされたことも」
「そりゃあそうだ。恋の形は人によって違うからな。それに、キャロルは王子様に浮気されたとき嫉妬しなかったんじゃないと思うぜ。嫉妬したからこそ、自分の心を殺して彼への恋を封じ込めたんだ」
「……」
「そもそも王子様が伯爵令嬢の誘惑に落ちなければ、あの公爵令息が道を踏み外すこともなかったんじゃないか? 恋敵に浮気相手を差し向けるだけで最低といえば最低だが」
気持ちはわからないでもない、とデビッドは心の中でひとりごちる。
恋は人を愚かにする。
どうしようもない熱で包み込む。相手のこと以外なにも考えられなくしてしまう。
「王子様はキャロルの気持ちを確かめるために伯爵令嬢と恋愛ごっこをした」
それは公表されていることではない。デビッドが皇太子の力を使って探り出した情報だ。
「公爵令息はほかの女性達を利用した。ふたりとも君に恋していた。だけど自分の恋にだけ溺れて君の気持ちは考えていなかった。君は初恋を奪われてもなにも感じなかったんじゃない。大切な恋だったからこそ、嫉妬で他人を攻撃しないことを選んだんだ」
「そうなのでしょうか? ですが……そうなら嬉しいです」
キャロルの微笑みを見て、デビッドは安堵した。
彼女はいつか自分に新しい恋をしてくれるだろうか。
同じ相手に恋をしたふたりの男達の間違いを教訓にして、彼女を傷つけないように気をつけなくてはいけない。
初恋を奪われたなら、それでも想いを捨てられなかったなら、どうしたら良いのかなんてだれにも答えはわからない。
ただひとつわかっていることがある。
デビッドはこれからもキャロルの笑顔を守りたいのだ。
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