愛されない花嫁はいなくなりました。

豆狸

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第七話 私の婚約者

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 私には以前の記憶がありません。
 侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて小舟から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
 ……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

 事故に遭ったのはこの国の王都ですけれど、今住んでいるのは王都ではありません。
 王都に近い田園都市です。王都を流れる川の下流の側にあります。
 私はここでお母様と侍女のジータと暮らしているのです。

 父はいません。
 私の父だった方はお母様と離縁して、先日憤死なさったという話です。
 憤死なんて戦記物の物語くらいでしか聞いたことのない死に方です。

 父になにがあったのでしょうか?
 お母様に聞くと微笑みながら、

『きっと真実を知ったのでしょうね。初恋に殉じたとも言えるのだから、お幸せだったのではないかしら』

 と答えてくださいました。
 離縁したくらいですので、もうひとかけらも心が残っていないのでしょう。
 ジータがこっそりと、父にはお母様以外に想い人がいて、お母様と私を無下に扱っていたのだと教えてくれました。教えてもらっても、父の記憶は戻って来ませんでした。

 お母様の記憶も戻っていませんけれど、好きだという感情が私の中にあるのはわかります。
 自分の記憶がないことに気づいて不安だったとき、並んで鏡に映った私とお母様は年齢と瞳の色以外そっくりでした。
 お母様と同じ真っ赤な髪が私は大好きです。瞳も菫色でなくて、お母様と同じ青色だと良かったと思います。それを告げると、子どものころと同じことを言うのね、とお母様が笑ってくださいましたっけ。

 私はこの国の貴族子女が通う学園を卒業したばかりで、お母様に花嫁修業をつけていただいていたのだそうです。
 憤死した父は貴族だったのです。
 葬儀にも行かなかったのですが良かったのでしょうか。

 良かったのでしょうね。
 私は離縁したお母様に引き取られているのですし、向こうにも新しい家族がいたのでしょう。
 憤死という言葉の響きだけは気になるものの、人様の死に好奇心で首を突っ込むものではありませんものね。たとえそれが実の父のものでも。

 春に学園を卒業して一ヶ月ほどで事故に遭い、それから二ヶ月が経ちました。
 父が亡くなったと聞いた以外は何事もなく、記憶も戻らず暮らしています。
 でもお母様とジータが一緒にいてくれるだけで、幸せな毎日でした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そんなある日──

「ヴィオレッタ!」

 彼が訪ねてきたのです。
 目映い太陽のような金の髪と夏の森のような緑の瞳を持つ美しい青年です。
 真っ直ぐに私を見つめて、低く甘く心地良い声で語りかけてきます。

「遅くなってごめん、いろいろと手続きがあってね。やっと区切りがついたから会いに来たんだ」
「ヴィオレッタ。彼は貴族家のご当主様なのよ」

 戸惑う私にお母様が教えてくださいました。

「ご当主様……」

 私の体が自然とカーテシーをします。それを見て、彼は嬉しそうに微笑みました。

「見事なカーテシーだね。もしかして僕を見て記憶が戻った?」
「申し訳ありません。それはまだ……」
「いいんだよ、ヴィオレッタ。君も大変だったものね。……僕は君の婚約者。名前は……君が思い出すまで秘密ということにしよう」
「婚約者?」

 私は驚きました。
 金の髪に緑の瞳、彼を見ると胸の奥がざわめきます。
 だけどそれは甘いものだけではなくて、なんだかとても不安も帯びているのです。この人を好きになってはいけない、そんな気がするのです。お母様とジータは私達を優しく見守ってくれているので、この方が悪い人だとは思えないのですが。

「ヴィオレッタ、お茶にしよう。君が好きな……いや、違うな。僕が大好きな君の瞳と同じ色の菫の砂糖漬けを持ってきたんだ。一緒に食べよう、昔のように」
「菫……」

 お母様と同じ青い瞳が良かったと言った通り、私は自分の菫色の瞳が嫌いでした。
 理由は忘れているのに感情だけが残っているのです。お母様やジータが私の瞳を褒めてくれても、お礼を言いながら心の奥は冷めていました。
 なのに、ご当主様に言われると少しだけ心が跳ねた気がしました。彼は本当に私の婚約者なのでしょうか。だとしたら、沸き上がるこの不安はなんなのでしょう?
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