一昨日のキス、明日にキス

豆狸

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12・X年7月12日①

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 土曜日がやって来た。高校は休みだ。
 Wデートをするという緊張で、菜乃花は金曜日になにがあったか覚えていない。二十八歳の記憶としても十八歳の昨日としても思い出せなかった。
 映画の上映時間の都合で、待ち合わせの時間は十一時。
 十時半に電車を降りた菜乃花は、とりあえず繁華街のど真ん中にある駅の西口から出た。
 タクシー乗り場とバス乗り場の前に、大きな円形の花壇がある。
 赤やピンクのインパチェンス、黄色いガザニア、紫の千日紅、オレンジのマリーゴールドに青いエボルブルス──夏の花々が色とりどりに咲き誇っていた。
 花壇の中央には、からくり時計を内包した四角い柱が建っている。
 時計は東西南北それぞれに文字盤を向けていた。
 東西南北のからくりは毎時十五分刻みで稼働する。
 今は三十分に稼働する南向きのからくりが、まだ動いていた。
 軽快な音楽が聞こえてくる。
 菜乃花は、おそるおそるそちらに近寄った。
 案の定通行人が立ち止まって、からくりを見つめている。
 南向きのからくりは、狼と踊る赤ずきんだ。
 四十五分には西向きのからくり、シンデレラと王子さまが踊り出す。
 待ち合わせ時刻の十一時ちょうどには北向きのからくり人魚姫、菜乃花たちが映画館に着く十一時十五分ごろには、東のからくり親指姫と妖精の王子さまが踊るだろう。

 ──これらのおとぎ話とこの町の関係は、全くない。

 からくりの稼働時間は朝九時から夜九時までで、始まるときと終わるときは四つが同時に踊り出す。からくりの音楽は四つとも違うのだが、このときは不協和音にならないようにひとつの音楽がランダムで流れることになっていた。
 やがて赤ずきんと狼が時計に戻り、見物人がいなくなる。
 菜乃花はそっと、南を向いた文字盤の近くへ移動した。ここが待ち合わせ場所なのだ。

「佐藤」
「え?」

 低い声に呼ばれて顔を上げると、自転車を押す冴島の姿があった。

「早いな」
「冴島くんこそ」
「時間配分間違えた。駐輪場に自転車置いてくる」
「うん」

 駅の駐輪場へ向かう彼の背中を見送って、菜乃花は俯いた。
 佐々木や八木が来るまでふたりきりだ。
 心臓の動悸が激しい。
 佐々木たちに早く来てほしいような、いつまでも来てほしくないような不思議な気分だった。

「……お待たせ」

 しばらくして、冴島が戻ってきた。
 まだシンデレラは踊り始めていない。
 彼は黒いタンクトップの上に白いシャツを羽織り、色褪せたデニムを穿いていた。
 菜乃花の服装を見て、冴島が笑う。

「お揃いだな」
「え? あ、そうか。ふたりとも白だね」

 菜乃花はボーダーグレイのワンピースの上に白いパーカーを羽織っている。花飾りのついた白い帽子と籐を編んだバッグは、今年の誕生日に祖母から贈られたものだ。
 冴島が菜乃花の隣に立つ。
 いつになく近い距離に、菜乃花の心臓が跳ね上がる。
 週末だけあって、人通りが多い。
 花壇の前の大通りを家族連れやカップルが通り過ぎていく。

「暑いな」
「暑いね」
「佐藤は昼飯食って来たのか?」

 菜乃花は首を左右に振った。

「朝ご飯だけだと腹減るだろ」

 本当は緊張して、朝ご飯も食べていない。

「う、うん。でも映画の後で、みんなで食べに行くかな、と思って」

 二十八歳の記憶の中ではそうしていた。
 その後で二手に別れ、佐々木は八木に告白し、菜乃花は転びかけて冴島に助けられて初キスをした。

(そ、そういえば、佐々木さんの結果はどうなったのかな?)

 教えてもらったような気もするが、思い出せなかった。
 あのときも今も、自分のことで精いっぱいだ。
 弥生に言われた通り十八歳の体に引きずられているのか、二十八歳の意識が出ることは少なくなっていた。

「あ、そうだ」

 あることを思い出し、菜乃花は冴島を見た。
 ちょうどシンデレラが踊り出したけれど、佐々木と八木の姿はまだ見えない。
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