一昨日のキス、明日にキス

豆狸

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13・X年7月12日②

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「冴島くん、チケットのお礼に佐々木さんのランチ代出すつもりだよね。八木くんと割り勘で」
「ん? そうだな、そうしようか」

 二十八歳の記憶では、彼らはついでに菜乃花のランチ代まで出してくれていた。

「わ、わたし。わたしも佐々木さんにお礼したいから、ランチ代出させてもらえる?」

 あのときは気遣いを嬉しく感じただけだったが、よく考えてみれば気が利かないことこの上ない。今度はちゃんとしたかった。

「いいけど。佐藤、バイトしてねぇのに金大丈夫か? 俺は家の手伝いで賃金もらってるし、優也はおじさんたちが甘いから余裕あるんだぞ」
「八木くんのこと名前で呼んでるんだ」
「生まれたときから一緒だからな。……八木のおばさんは高校時代、母さんとダブルスのコンビ組んでたんだ。八木家の跡取り娘だったから、プロにはならなかったけど」
「そうなんだ。……っと、ランチのお金は大丈夫。ちゃんと余分に持って来たから」

 友達と出かけると告げたら、祖母が臨時のお小遣いをくれたのだ。
 お小遣いだけでなくローズの香りのリップグロスも渡された。今つけているものよりも色づきも鮮やかなものだ。でもそれは、なんだか恥ずかしくなって置いてきた。

(だって偶然とはいえ……キス、するんだし)

 色鮮やかなローズの香りのリップをつけていたら、きっと意識し過ぎてしまう。
 ──もしかして祖母は、菜乃花が気になっている男の子と会うのだということに気づいていたのだろうか。

「つっても三人で割り勘するとひとり頭が安くなり過ぎて、あんまお礼にならない気がするよな」
「え、あ、ごめんなさい」
「いや、謝るようなことじゃねぇし。……そうだ」

 冴島がイタズラな笑みを浮かべる。

「……なあ佐藤。今日のコレ、佐々木が優也に近づくためなんだろ?」
「な、なんでそれをっ?」

 佐々木にもはっきり告げられていないし、冴島を誘うときも上手く誤魔化したつもりだったのに。

「なんでって……チケットが余ってるだけなら、俺に誘う人間指定してこないんじゃねぇの?」

 そりゃそうだ。
 二十八歳の記憶の中の菜乃花は、冴島と出かけられることに舞い上がっていて、ランチの後で佐々木に言われるまで、Wデートの目的に気づいていなかった。

「だったらランチは俺らで奢って、優也になにか形の残るものをプレゼントさせたほうがいいよな」
「なるほどー」

 感心していたら、冴島に吹き出されてしまった。

「そんな真面目に感心するようなことかよ。……おっと、ヤツらが来たぞ」

 駅の西口から佐々木と八木が出てきた。
 電車で一緒になったらしい。
 メイクをしていてさえ真っ赤な顔の佐々木の隣で、八木は飄々とした表情だ。
 菜乃花たちに気づき、八木が腕を上げた。

「お待たせ、旭」
「テニス部のエースさまのくせに、電車とは軟弱な」
「だって明日の試合に負けたら引退だもん。自転車で来て事故りたくないよ。……暑いし」

 『事故』という単語に、菜乃花の体から血の気が引いた。
 唇を噛み、必死で自分に言い聞かせる。

(大丈夫。今日はなにも……初キス以外起こらない。自転車でも冴島くんは大丈夫)

 佐々木がおどおどと、怯えたような視線を八木へ向けた。かなり緊張しているようだ。
 ウェーブを描く茶色い髪は猫模様のバレッタでとめられていて、学校にいるときとは少し雰囲気が違う。

「あ、あの……試合前なのに誘っちゃってゴメン。うち、無神経で」
「なに言ってるの、樹里ちゃん。試合の前日はテニスのことを忘れてリラックスするのが一番なんだから、誘ってくれて感謝だよ。なんなら旭なんか通さずに、直接言ってくれても良かったのに。俺がこの映画好きなの知ってて誘ってくれたんでしょ?」
「うん。一年のとき、言ってたっしょ?」
「言ってた言ってた」

 佐々木にぎこちなさはあるものの、八木の態度は友好的だ。

「んじゃ映画館へ向かおうぜ」
「おー!」
「おー」

 嬉しげに腕を上げた八木の隣で、佐々木も照れくさそうに腕を上げる。
 歩き始めた冴島の背中を追って菜乃花も動き出したとき、北のからくり人魚姫が踊り始めた。人魚姫は王子とは踊らない。彼女の周りには海の仲間たちがいて、彼らと一緒に踊るのだ。
 そのせいか、聞こえてくる音楽は少し寂しげだった。
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