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35・三度目のX年7月11日
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二十八歳の意識に付随していた記憶のおかげで、菜乃花は英語の小テストで合格点を取ることができた。
考えてみれば当たり前のことなのだけれど、追試プリントをやり遂げたことで、小テストに出た問題を解くのに必要な力が身に着いたのだ。
(……でも、冴島くんにお礼は言えないのよね)
彼にアドバイスをもらったのは、『現在』ではない今日なのだから。
金曜日の昼休み、菜乃花は裏庭のベンチに腰かけていた。
冴島から、少し離れて。
人ひとり分の距離はもうないが、半分から先には進んでいない。
この前は緊張して覚えていなかったお菓子は、夏ミカンの入った寒天だった。
ナイロン袋に入っている保冷材は買い物のときにもらったものだから、寒天を食べ終わったら捨ててしまってかまわないと言われている。
(甘酸っぱくて美味しいなあ……)
ラップに包まれた寒天を齧りながら、ちらりと隣の冴島を見る。
彼も黄色いお菓子を食べている。
以前よりも早めに作って持って来たカレー味のパウンドケーキだ。
今回はたくさん作って、弟と弥生たちにも分け与えていた。
タッパーではなく、ちゃんとひと切れずつラップに包んでいる。
冴島の喉が動いてパウンドケーキを飲み込む。
「……美味いな」
「良かった。寒天もすごく美味しかったよ」
「佐藤」
「え」
ふっと大きな手が伸ばされて、骨ばった指が頬をなぞる。
夏ミカンのかけらがくっついていたらしい。
昨日のブラウニーを食べたときは気をつけていたのに、英語の追試プリントについて相談しなかった分時間があって油断していた。
冴島が微笑む。
「佐藤が俺のお菓子を美味しそうに食ってくれるだけでありがたいんだけど……でも、ありがとな。これ、すげぇ美味かった。店でも出したいくらいだ」
「コーンを入れて、黒コショウで味付けしてみたり?」
彼が目を丸くして、菜乃花は息を呑んだ。
前の記憶に引きずられた。これは聞いていない言葉だ。
「すごいな、佐藤。なんで俺の考えてることわかったんだ?」
「えっと……す、好きだから」
「ん?」
「さ、冴島くんのこと好きだから、なんとなくわかったんだよ」
「……なんだよ、いきなり」
もうすぐ昼休みが終わる。
目の前のテニスコートでは、テニス部員たちが道具を片付け始めていた。
文化部棟で昼食を摂っている生徒たちも、そろそろ校舎へ戻るころだ。
こんな時間に、こんな場所で、と思うものの、言ってしまったものは仕方ない。
(それに、今日告白するつもりだったんだし)
昨日の帰り道、類に打ち明けたことで菜乃花は決意していた。
もともとそうしたいと思っていたのだ。
冴島に告白して想いに決着をつける。
彼を救えるかどうかはそれからだ。
今のままの関係では、なにも教えてもらえない。なんの力にもなれない。
(冴島くん放課後はすぐ帰っちゃうし、お家にまで行ってお仕事の邪魔するのは迷惑だろうし、だから、うん、今しかない)
「突然ゴメンね。だけど本当なの。わたし、冴島くんが好き。ずっと……ずっと好き」
十年を二回繰り返すほど好きだ。
「だから……あの、来週の火曜日まででいいからつき合ってもらえないかな」
「なんで来週の火曜日? もしかして転校するのか?」
菜乃花は首を横に振った。
未来の記憶については、なるべく話したくない。
自分の言動がすべてではないとわかっているけれど、言葉にしたら本当になってしまう気がする。
「そうじゃないの。でも……お願い。わたしのこと好きになってくれなくてもいいから信用して、困ったことがあったら相談してくれないかな」
「……佐藤」
「……うん」
「好きでもない相手を信用して、困ったことがあったら相談するって……それ、好きになるよりハードル高くないか?」
(言われてみれば!)
指摘に驚く菜乃花を見て、冴島が吹き出す。
「なんか企んでんのか? 罰ゲームとかじゃねぇだろうな」
「違うよ?」
「ふうん……?」
冴島が菜乃花に向かって身を乗り出すと、半分の距離は一気に消え去った。
息がかかりそうなほど顔が近い。
年の割に厳つい顔で視線が鋭いけれど、菜乃花にはとても素敵に見えた。
彼の瞳に自分が映っている。なんだか吸い込まれてしまいそうだ。
菜乃花が思わず瞼を降ろすと、とん、とおでこを突かれた。
冴島の低い声が、甘く耳をくすぐる。
「……いいぜ」
「本当?」
「いいけど……どうせつき合うんなら火曜までとか言わないで、ちゃんとつき合おうぜ」
「う、うん! 冴島くんが良ければ!」
「明日は予定通り四人で映画観に行ったんでいいのか? 優也に言って、待ち合わせ時間とかズラしておこうか?」
「ううん、明日は、あの……予定通りで。ほら、佐々木さんにお礼もしなくちゃならないし、彼女にランチとかご馳走したいし」
「わかった。じゃあ、チャイムが鳴る前に教室へ戻ろうか」
立ち上がった冴島は、いつものように動き出さない。
「……冴島くん?」
「……なんだよ。俺らもうつき合ってんだろ? つき合ってるならべつに、時間ズラして校舎へ戻る必要ねぇじゃんか」
真っ赤になって視線を逸らす彼の姿に、菜乃花の心臓が飛び跳ねる。
菜乃花はもらったお菓子のナイロン袋と自分の弁当を手にして、立ち上がった。
冴島も菜乃花が渡したカレー味のパウンドケーキが入った袋を手にしている。
量を多めにしたので、まだ中身が残っているのだ。
空になっていたら空になっていたで、冴島は袋を折って自分のポケットに入れるか、菜乃花に返すかしてくれただろう。
激し過ぎる心臓の動悸に押されて、菜乃花は唇を開いた。
もちろん今日も祖母にもらっったリップグロスをつけてきている。
「冴島くん……」
「……なんだよ」
「わたし、冴島くんのことすごく好き」
「……ああ、そうかよ」
それぞれの教室へ別れるときまで、冴島は菜乃花を見ようとしなかった。
だけど、それで良かったと菜乃花は思う。
ずっと見つめられていたら、きっと心臓が破裂していた。
考えてみれば当たり前のことなのだけれど、追試プリントをやり遂げたことで、小テストに出た問題を解くのに必要な力が身に着いたのだ。
(……でも、冴島くんにお礼は言えないのよね)
彼にアドバイスをもらったのは、『現在』ではない今日なのだから。
金曜日の昼休み、菜乃花は裏庭のベンチに腰かけていた。
冴島から、少し離れて。
人ひとり分の距離はもうないが、半分から先には進んでいない。
この前は緊張して覚えていなかったお菓子は、夏ミカンの入った寒天だった。
ナイロン袋に入っている保冷材は買い物のときにもらったものだから、寒天を食べ終わったら捨ててしまってかまわないと言われている。
(甘酸っぱくて美味しいなあ……)
ラップに包まれた寒天を齧りながら、ちらりと隣の冴島を見る。
彼も黄色いお菓子を食べている。
以前よりも早めに作って持って来たカレー味のパウンドケーキだ。
今回はたくさん作って、弟と弥生たちにも分け与えていた。
タッパーではなく、ちゃんとひと切れずつラップに包んでいる。
冴島の喉が動いてパウンドケーキを飲み込む。
「……美味いな」
「良かった。寒天もすごく美味しかったよ」
「佐藤」
「え」
ふっと大きな手が伸ばされて、骨ばった指が頬をなぞる。
夏ミカンのかけらがくっついていたらしい。
昨日のブラウニーを食べたときは気をつけていたのに、英語の追試プリントについて相談しなかった分時間があって油断していた。
冴島が微笑む。
「佐藤が俺のお菓子を美味しそうに食ってくれるだけでありがたいんだけど……でも、ありがとな。これ、すげぇ美味かった。店でも出したいくらいだ」
「コーンを入れて、黒コショウで味付けしてみたり?」
彼が目を丸くして、菜乃花は息を呑んだ。
前の記憶に引きずられた。これは聞いていない言葉だ。
「すごいな、佐藤。なんで俺の考えてることわかったんだ?」
「えっと……す、好きだから」
「ん?」
「さ、冴島くんのこと好きだから、なんとなくわかったんだよ」
「……なんだよ、いきなり」
もうすぐ昼休みが終わる。
目の前のテニスコートでは、テニス部員たちが道具を片付け始めていた。
文化部棟で昼食を摂っている生徒たちも、そろそろ校舎へ戻るころだ。
こんな時間に、こんな場所で、と思うものの、言ってしまったものは仕方ない。
(それに、今日告白するつもりだったんだし)
昨日の帰り道、類に打ち明けたことで菜乃花は決意していた。
もともとそうしたいと思っていたのだ。
冴島に告白して想いに決着をつける。
彼を救えるかどうかはそれからだ。
今のままの関係では、なにも教えてもらえない。なんの力にもなれない。
(冴島くん放課後はすぐ帰っちゃうし、お家にまで行ってお仕事の邪魔するのは迷惑だろうし、だから、うん、今しかない)
「突然ゴメンね。だけど本当なの。わたし、冴島くんが好き。ずっと……ずっと好き」
十年を二回繰り返すほど好きだ。
「だから……あの、来週の火曜日まででいいからつき合ってもらえないかな」
「なんで来週の火曜日? もしかして転校するのか?」
菜乃花は首を横に振った。
未来の記憶については、なるべく話したくない。
自分の言動がすべてではないとわかっているけれど、言葉にしたら本当になってしまう気がする。
「そうじゃないの。でも……お願い。わたしのこと好きになってくれなくてもいいから信用して、困ったことがあったら相談してくれないかな」
「……佐藤」
「……うん」
「好きでもない相手を信用して、困ったことがあったら相談するって……それ、好きになるよりハードル高くないか?」
(言われてみれば!)
指摘に驚く菜乃花を見て、冴島が吹き出す。
「なんか企んでんのか? 罰ゲームとかじゃねぇだろうな」
「違うよ?」
「ふうん……?」
冴島が菜乃花に向かって身を乗り出すと、半分の距離は一気に消え去った。
息がかかりそうなほど顔が近い。
年の割に厳つい顔で視線が鋭いけれど、菜乃花にはとても素敵に見えた。
彼の瞳に自分が映っている。なんだか吸い込まれてしまいそうだ。
菜乃花が思わず瞼を降ろすと、とん、とおでこを突かれた。
冴島の低い声が、甘く耳をくすぐる。
「……いいぜ」
「本当?」
「いいけど……どうせつき合うんなら火曜までとか言わないで、ちゃんとつき合おうぜ」
「う、うん! 冴島くんが良ければ!」
「明日は予定通り四人で映画観に行ったんでいいのか? 優也に言って、待ち合わせ時間とかズラしておこうか?」
「ううん、明日は、あの……予定通りで。ほら、佐々木さんにお礼もしなくちゃならないし、彼女にランチとかご馳走したいし」
「わかった。じゃあ、チャイムが鳴る前に教室へ戻ろうか」
立ち上がった冴島は、いつものように動き出さない。
「……冴島くん?」
「……なんだよ。俺らもうつき合ってんだろ? つき合ってるならべつに、時間ズラして校舎へ戻る必要ねぇじゃんか」
真っ赤になって視線を逸らす彼の姿に、菜乃花の心臓が飛び跳ねる。
菜乃花はもらったお菓子のナイロン袋と自分の弁当を手にして、立ち上がった。
冴島も菜乃花が渡したカレー味のパウンドケーキが入った袋を手にしている。
量を多めにしたので、まだ中身が残っているのだ。
空になっていたら空になっていたで、冴島は袋を折って自分のポケットに入れるか、菜乃花に返すかしてくれただろう。
激し過ぎる心臓の動悸に押されて、菜乃花は唇を開いた。
もちろん今日も祖母にもらっったリップグロスをつけてきている。
「冴島くん……」
「……なんだよ」
「わたし、冴島くんのことすごく好き」
「……ああ、そうかよ」
それぞれの教室へ別れるときまで、冴島は菜乃花を見ようとしなかった。
だけど、それで良かったと菜乃花は思う。
ずっと見つめられていたら、きっと心臓が破裂していた。
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