37 / 51
36・三度目のX年7月12日①
しおりを挟む
──ガタン、ガタン。
ガタン、ガタタン。
電車が揺れる。
土曜日の午前、菜乃花は電車の座席に腰かけていた。
通勤通学時間ではないせいか車内の人影は少ない。
菜乃花の乗っている車両には、ほとんど人がいなかった。
菜乃花と、隣に座っている冴島のふたりきりだ。
冷房が効いているのに、菜乃花は体が火照ってたまらなかった。
ふたりはさっき、駅で偶然出会った。
「さ、冴島くんは自転車で行くのかと思ってた」
「んー。まあ店の買い出しのときとかは自転車で行くけど、今日は……映画終わったからって、すぐ帰るわけじゃないだろ? 移動手段が違ったら、遅くなったとき佐藤を送れないと思って」
「あ、ありがとう。でも、わたしより冴島くんが気をつけてね」
(……今日はまだ、なにも起こらないと思うけど)
菜乃花の言葉に、冴島は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……佐藤」
「なぁに?」
「もしかして俺のこと、不良だと思ってる? 繁華街の裏通りで絡まれたことはあるけど、他校の生徒とケンカしたりなんかしてねぇぞ」
「う、うん。冴島くんが不良だなんて思ってないよ」
(……なのにどうして、脱法ハーブの売人みたいな人に殴られてたんだろう)
冴島がイタズラな笑みを浮かべる。
「ウソつけ」
「え?」
「佐藤、一年のころ俺のこと不良……うちの高校を仕切る番長だと思ってただろ」
「ふえっ?」
「小林と話してただろ。うちの高校は屋上が立ち入り禁止だから裏庭がアジトなんだね、とかなんとか」
「き、聞こえてたの?」
「俺は耳がいいんだよ。俺がダチと廊下で話してるの見て、四天王がいた……って呟いてたこともあったな」
「あああああ、ゴメン!」
全身から血の気が引いて、菜乃花は冴島に頭を下げた。
菜乃花は漫画が大好きだ。
そうでなければ漫研には入らない。
高校に入学してすぐのころは不良漫画に夢中になっていた。
一度ハマると何度も同じ漫画を読み返し、頭の中がその世界でいっぱいになってしまう。
弥生に約束させた『リアルの人間を妄想の対象にしない』という誓いは、自分自身への戒めでもあった。
「まあ小林の妄想よりはマシだけどな。アイツ、俺が毎日テニスコート見てるからって、テニス部の男に片想いしてるんだとか、ほざいてただろ」
「うわああああ、本当、本当にゴメンなさい!」
「……姉さんの影響で鈴木がちょっと腐男子入ってるから、俺もそういうのわかるんだよ」
(鈴木くん……ああ、あのメガネの!)
三年になって冴島とはクラスが別れてしまったが、彼と親しい鈴木とは引き続き同じクラスだ。もっとも挨拶以上の会話を交わしたことはない。
メガネをかけた痩せ気味の少年で、前回の月曜日に体調不良の八木を保健室へ連れて行った保健委員だった。
(そうそう、鈴木くんだった。へーえ、腐男子だったんだ)
腐男子は腐女子の男の子版、BL漫画やBL小説を好む少年のことである。
もっとも少年だけとは限らない。
ちなみに菜乃花は彼を、冴島番長の四天王の中では知性派の参謀役だと思っていた。
「……違うからな」
冴島が、ぼそりと呟くように言う。
「俺が昼休みダチと離れて裏庭にいるのは……兄貴だから、なんだ」
「冴島くん、ひとりっ子じゃなかったの?」
彼が行方不明になってからの噂では、父ひとり子ひとりだったと聞いていた。
「ああ、双子の弟がいる。……優也、八木優也だ。母さんが亡くなったとき、八木のおばさんに引き取られたんだ。八木のおばさんは母さんの親友だったし、アイツは体が弱かったから。父さんが喫茶店をやりながら、子どもふたりを育てるのも大変だろうって」
「……っ」
菜乃花は息を呑んだ。
八木と冴島は似ていないように思えたが、喫茶店で見た冴島の父であるマスターの面影と八木なら重なる気がした。
「そっ、そんな大事なこと、わたしに話してもいいの?」
「なに言ってんだ。俺らつき合ってるんだろ?……ま、自分でも過保護な兄貴だと思うけど、アイツが元気になった今でも見守れるときは見守ってやりたいと思ってるんだ。八木のおばさんも心配性だしな」
「そうだったんだ。お菓子もそれで差し入れしてるの。……あ」
今回はまだ、いつもくれるお菓子が八木に差し入れした分の残りだということは聞いていない。
焦る菜乃花をよそに、冴島はあっさり頷いた。
違和感を覚えている様子はない。
いつか自分で話したつもりでいるのだろう。
「そ。毎日来るなとか鬱陶しいとか言うくせに、行かないと文句つけるしお菓子のリクエストはうるせぇし、佐藤の分まで食いたがるし……」
「……わたしの? 残ったのをくれてたんだよね?」
「あ……」
首を傾げると、冴島は真っ赤になってそっぽを向いた。
耳まで赤くなっている。
(もしかして、わたしのためにわざわざ持って来てくれてたのかな)
ぼんやり思っていたら、冴島が再び口を開く。
「……とにかく俺は不良じゃねぇ。ってか、うちの高校の番長は佐藤のほうだよな」
「え?」
「みんな噂してるぞ。あの荒くれ麻宮先輩と、メデューサ一号の小林とメデューサ二号の一年男子を舎弟にしてるんだから、佐藤は漫研部長兼番長だって」
「なに、それ!」
そんな噂、菜乃花は全然知らなかった。
ガタン、ガタタン。
電車が揺れる。
土曜日の午前、菜乃花は電車の座席に腰かけていた。
通勤通学時間ではないせいか車内の人影は少ない。
菜乃花の乗っている車両には、ほとんど人がいなかった。
菜乃花と、隣に座っている冴島のふたりきりだ。
冷房が効いているのに、菜乃花は体が火照ってたまらなかった。
ふたりはさっき、駅で偶然出会った。
「さ、冴島くんは自転車で行くのかと思ってた」
「んー。まあ店の買い出しのときとかは自転車で行くけど、今日は……映画終わったからって、すぐ帰るわけじゃないだろ? 移動手段が違ったら、遅くなったとき佐藤を送れないと思って」
「あ、ありがとう。でも、わたしより冴島くんが気をつけてね」
(……今日はまだ、なにも起こらないと思うけど)
菜乃花の言葉に、冴島は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……佐藤」
「なぁに?」
「もしかして俺のこと、不良だと思ってる? 繁華街の裏通りで絡まれたことはあるけど、他校の生徒とケンカしたりなんかしてねぇぞ」
「う、うん。冴島くんが不良だなんて思ってないよ」
(……なのにどうして、脱法ハーブの売人みたいな人に殴られてたんだろう)
冴島がイタズラな笑みを浮かべる。
「ウソつけ」
「え?」
「佐藤、一年のころ俺のこと不良……うちの高校を仕切る番長だと思ってただろ」
「ふえっ?」
「小林と話してただろ。うちの高校は屋上が立ち入り禁止だから裏庭がアジトなんだね、とかなんとか」
「き、聞こえてたの?」
「俺は耳がいいんだよ。俺がダチと廊下で話してるの見て、四天王がいた……って呟いてたこともあったな」
「あああああ、ゴメン!」
全身から血の気が引いて、菜乃花は冴島に頭を下げた。
菜乃花は漫画が大好きだ。
そうでなければ漫研には入らない。
高校に入学してすぐのころは不良漫画に夢中になっていた。
一度ハマると何度も同じ漫画を読み返し、頭の中がその世界でいっぱいになってしまう。
弥生に約束させた『リアルの人間を妄想の対象にしない』という誓いは、自分自身への戒めでもあった。
「まあ小林の妄想よりはマシだけどな。アイツ、俺が毎日テニスコート見てるからって、テニス部の男に片想いしてるんだとか、ほざいてただろ」
「うわああああ、本当、本当にゴメンなさい!」
「……姉さんの影響で鈴木がちょっと腐男子入ってるから、俺もそういうのわかるんだよ」
(鈴木くん……ああ、あのメガネの!)
三年になって冴島とはクラスが別れてしまったが、彼と親しい鈴木とは引き続き同じクラスだ。もっとも挨拶以上の会話を交わしたことはない。
メガネをかけた痩せ気味の少年で、前回の月曜日に体調不良の八木を保健室へ連れて行った保健委員だった。
(そうそう、鈴木くんだった。へーえ、腐男子だったんだ)
腐男子は腐女子の男の子版、BL漫画やBL小説を好む少年のことである。
もっとも少年だけとは限らない。
ちなみに菜乃花は彼を、冴島番長の四天王の中では知性派の参謀役だと思っていた。
「……違うからな」
冴島が、ぼそりと呟くように言う。
「俺が昼休みダチと離れて裏庭にいるのは……兄貴だから、なんだ」
「冴島くん、ひとりっ子じゃなかったの?」
彼が行方不明になってからの噂では、父ひとり子ひとりだったと聞いていた。
「ああ、双子の弟がいる。……優也、八木優也だ。母さんが亡くなったとき、八木のおばさんに引き取られたんだ。八木のおばさんは母さんの親友だったし、アイツは体が弱かったから。父さんが喫茶店をやりながら、子どもふたりを育てるのも大変だろうって」
「……っ」
菜乃花は息を呑んだ。
八木と冴島は似ていないように思えたが、喫茶店で見た冴島の父であるマスターの面影と八木なら重なる気がした。
「そっ、そんな大事なこと、わたしに話してもいいの?」
「なに言ってんだ。俺らつき合ってるんだろ?……ま、自分でも過保護な兄貴だと思うけど、アイツが元気になった今でも見守れるときは見守ってやりたいと思ってるんだ。八木のおばさんも心配性だしな」
「そうだったんだ。お菓子もそれで差し入れしてるの。……あ」
今回はまだ、いつもくれるお菓子が八木に差し入れした分の残りだということは聞いていない。
焦る菜乃花をよそに、冴島はあっさり頷いた。
違和感を覚えている様子はない。
いつか自分で話したつもりでいるのだろう。
「そ。毎日来るなとか鬱陶しいとか言うくせに、行かないと文句つけるしお菓子のリクエストはうるせぇし、佐藤の分まで食いたがるし……」
「……わたしの? 残ったのをくれてたんだよね?」
「あ……」
首を傾げると、冴島は真っ赤になってそっぽを向いた。
耳まで赤くなっている。
(もしかして、わたしのためにわざわざ持って来てくれてたのかな)
ぼんやり思っていたら、冴島が再び口を開く。
「……とにかく俺は不良じゃねぇ。ってか、うちの高校の番長は佐藤のほうだよな」
「え?」
「みんな噂してるぞ。あの荒くれ麻宮先輩と、メデューサ一号の小林とメデューサ二号の一年男子を舎弟にしてるんだから、佐藤は漫研部長兼番長だって」
「なに、それ!」
そんな噂、菜乃花は全然知らなかった。
12
あなたにおすすめの小説
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
皇后マルティナの復讐が幕を開ける時[完]
風龍佳乃
恋愛
マルティナには初恋の人がいたが
王命により皇太子の元に嫁ぎ
無能と言われた夫を支えていた
ある日突然
皇帝になった夫が自分の元婚約者令嬢を
第2夫人迎えたのだった
マルティナは初恋の人である
第2皇子であった彼を新皇帝にするべく
動き出したのだった
マルティナは時間をかけながら
じっくりと王家を牛耳り
自分を蔑ろにした夫に三行半を突き付け
理想の人生を作り上げていく
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる