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37・三度目のX年7月12日②
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映画館の女子トイレで、菜乃花は鏡の中を見た。
横に立つ佐々木は、真剣な面持ちでメイクを直している。
八木の隣の席で、彼が好きだというSFアクション映画の続編を観ていたときは恥じらいと緊張でいっぱいいっぱいに見えたが、今は落ち着いているようだ。
これからのランチ、そしておそらくトイレを出る前に相談されるであろう告白に向けて、佐々木は自分に気合を入れているのかもしれない。
「……佐々木さん」
「なぁに、佐藤っちー」
「あの……冴島くんがね、わたしが番長だって噂されてるって言ってたんだけど、そんな噂聞いたことある?」
アイライナーを手にしたまま、鏡の中の佐々木が菜乃花を見つめる。
「佐藤っち、知らなかったんだ」
「ほ、本当に噂されてるの?」
「いや、佐藤っちが不良だなんて、だれも思ってないのね。ただ、あのアクの強い漫研部員たちを部長として制圧してるのが、すごいって話」
菜乃花は弥生たちの顔を思い浮かべた。
「アクの強い……まあ確かにアクは強いかも」
「うん。ほら、うちらが入学する直前まで、うちの高校って荒れてたっしょ?」
「え、そうなの?」
家も近いのに、全然知らなかった。
中学三年のときの担任が菜乃花の志望を聞いて渋っていたのは、学力の問題ではなかったらしい。
「そうなんよ。なんかさ、運動部棟の裏で脱法ハーブが見つかったこともあるって」
「脱法ハーブ?」
火曜日の冴島について思い出し、菜乃花は背筋に冷たいものを感じた。
「タチ悪いよねー。当時の生徒会が厳しく取り締まったし、一番アレな世代が卒業したんで落ち着いたんだけどさ。でもなんでも一度始めるとなかなか止められないもんじゃん? 佐藤っちは真面目だから捕まったことないと思うけど、入学したてのころは生徒会の弾圧が過激だったんだよね」
佐々木は、たびたびメイクを注意されたという。
「うちが悪くないとは言わないよ? でもメイクなしに外なんか出らんないし、他人がクレンジングペーパーで無理矢理落とすとか、あんまりっしょ!」
そんな生徒会に反発していたのが麻宮だった。
過剰な注意を受けている生徒を見かけると、自ら生徒会に口論を挑む。
そんな姿を、人は荒くれと呼んだのだ。
(一年のころ、漫研の部室によく生徒会が来てたのって、BL漫画のせいだけじゃなかったのかなあ。麻宮先輩に圧力をかけるため?)
「校則も時代に合わせて変えるべき、っていうのが麻宮先輩の主張だったのね。……って助けてもらったことはあっても、そんなにじっくり話したことないんだけどね、うちは。顔もちょっと思い出せないなあ。感謝はしてるけど麻宮先輩もちょっと激し過ぎて、却って生徒会も熱くなっちゃうしで大変だったみたい」
売り言葉に買い言葉、そんな感じだろうか。
「それが佐藤っちのおかげでおとなしくなって、生徒会のほうも牙を外せたってわけ」
「わ、わたしのせいかなあ? 生徒会の世代も変わったからじゃない?」
「かもね。でもほら、美人だけど男の告白を冷たく断って相手を石にするメデューサ一号の小林や、同じく美形だけど女子に冷たいメデューサ二号の井上も佐藤っちには懐いてるから、やっぱ総合的に佐藤っちはすごいと思うよ」
「す、すごいのかなあ……」
「ただ番長って言い切っちゃうには貫禄が足りないから……あ、イイ意味でだよ? 裏で操ってる裏番、って言われてるんだよね」
「そうですか……」
アイライナーを化粧ポーチに片づけながら、鏡の中の佐々木が笑う。
「まあ、自分に関する噂なんてわかんないよね。……うちも、一年のときテニス部で忍野先輩に突き飛ばされるまで、自分が会ったこともないヤツと噂になってるなんて知らなかったし」
「佐々木さん?」
「へへっ。うちさ、一年のころからこの映画館でバイトしてるのね。シフトの都合で遅くなるときもあって……夜に繁華街で目撃されたのがなぜか、忍野先輩がつき合ってた一番アレな世代の卒業生とデートしてたってことになってて……」
なにを言っても聞いてもらえなかった、と溜息をつく。
「そのとき庇ってくれたのが八木っちと、八木っちがこの前の卒業式で告白して振られた相手の先輩だったんだー。……結局うちは、テニス部辞めちゃったけど」
──八木が卒業式に告白した相手。
月曜日に佐々木から報告されたことを思い出し、菜乃花の胸が痛んだ。
八木のところへは、金曜日にメールが来たと言っていた。
(告白……止めたほうがいいのかな?)
「……うちね」
鏡から視線を外し、佐々木は菜乃花を真っ直ぐ見つめてくる。
「その先輩とはまるで違うから、八木っちの好みじゃないと思う。たぶん佐藤っちの親友の小林のほうが八木っちの好みだよ。大人びた美人で真っ直ぐな黒髪で。……でもね、うち、告白するって決めたんだ」
だからランチの後で二手に別れてほしいと、彼女は言う。
菜乃花は頷いた。
結果が同じだとしても、あふれる思いは止められないものだ。
「そういえば佐藤っちと冴島、前と雰囲気違わない?」
「うん。あの……佐々木さんに今日の映画に誘ってもらったおかげでね、わたし、冴島くんに告白する勇気が出たの。昨日からおつき合い始めてます」
「ひゅー、おめでとう。だったら名前で呼び合えばいいのにー。もしかして、うちらに遠慮してた?」
口笛を吹いて、佐々木は微笑んだ。
彼女の想いが伝わることを、菜乃花は心から祈った。
横に立つ佐々木は、真剣な面持ちでメイクを直している。
八木の隣の席で、彼が好きだというSFアクション映画の続編を観ていたときは恥じらいと緊張でいっぱいいっぱいに見えたが、今は落ち着いているようだ。
これからのランチ、そしておそらくトイレを出る前に相談されるであろう告白に向けて、佐々木は自分に気合を入れているのかもしれない。
「……佐々木さん」
「なぁに、佐藤っちー」
「あの……冴島くんがね、わたしが番長だって噂されてるって言ってたんだけど、そんな噂聞いたことある?」
アイライナーを手にしたまま、鏡の中の佐々木が菜乃花を見つめる。
「佐藤っち、知らなかったんだ」
「ほ、本当に噂されてるの?」
「いや、佐藤っちが不良だなんて、だれも思ってないのね。ただ、あのアクの強い漫研部員たちを部長として制圧してるのが、すごいって話」
菜乃花は弥生たちの顔を思い浮かべた。
「アクの強い……まあ確かにアクは強いかも」
「うん。ほら、うちらが入学する直前まで、うちの高校って荒れてたっしょ?」
「え、そうなの?」
家も近いのに、全然知らなかった。
中学三年のときの担任が菜乃花の志望を聞いて渋っていたのは、学力の問題ではなかったらしい。
「そうなんよ。なんかさ、運動部棟の裏で脱法ハーブが見つかったこともあるって」
「脱法ハーブ?」
火曜日の冴島について思い出し、菜乃花は背筋に冷たいものを感じた。
「タチ悪いよねー。当時の生徒会が厳しく取り締まったし、一番アレな世代が卒業したんで落ち着いたんだけどさ。でもなんでも一度始めるとなかなか止められないもんじゃん? 佐藤っちは真面目だから捕まったことないと思うけど、入学したてのころは生徒会の弾圧が過激だったんだよね」
佐々木は、たびたびメイクを注意されたという。
「うちが悪くないとは言わないよ? でもメイクなしに外なんか出らんないし、他人がクレンジングペーパーで無理矢理落とすとか、あんまりっしょ!」
そんな生徒会に反発していたのが麻宮だった。
過剰な注意を受けている生徒を見かけると、自ら生徒会に口論を挑む。
そんな姿を、人は荒くれと呼んだのだ。
(一年のころ、漫研の部室によく生徒会が来てたのって、BL漫画のせいだけじゃなかったのかなあ。麻宮先輩に圧力をかけるため?)
「校則も時代に合わせて変えるべき、っていうのが麻宮先輩の主張だったのね。……って助けてもらったことはあっても、そんなにじっくり話したことないんだけどね、うちは。顔もちょっと思い出せないなあ。感謝はしてるけど麻宮先輩もちょっと激し過ぎて、却って生徒会も熱くなっちゃうしで大変だったみたい」
売り言葉に買い言葉、そんな感じだろうか。
「それが佐藤っちのおかげでおとなしくなって、生徒会のほうも牙を外せたってわけ」
「わ、わたしのせいかなあ? 生徒会の世代も変わったからじゃない?」
「かもね。でもほら、美人だけど男の告白を冷たく断って相手を石にするメデューサ一号の小林や、同じく美形だけど女子に冷たいメデューサ二号の井上も佐藤っちには懐いてるから、やっぱ総合的に佐藤っちはすごいと思うよ」
「す、すごいのかなあ……」
「ただ番長って言い切っちゃうには貫禄が足りないから……あ、イイ意味でだよ? 裏で操ってる裏番、って言われてるんだよね」
「そうですか……」
アイライナーを化粧ポーチに片づけながら、鏡の中の佐々木が笑う。
「まあ、自分に関する噂なんてわかんないよね。……うちも、一年のときテニス部で忍野先輩に突き飛ばされるまで、自分が会ったこともないヤツと噂になってるなんて知らなかったし」
「佐々木さん?」
「へへっ。うちさ、一年のころからこの映画館でバイトしてるのね。シフトの都合で遅くなるときもあって……夜に繁華街で目撃されたのがなぜか、忍野先輩がつき合ってた一番アレな世代の卒業生とデートしてたってことになってて……」
なにを言っても聞いてもらえなかった、と溜息をつく。
「そのとき庇ってくれたのが八木っちと、八木っちがこの前の卒業式で告白して振られた相手の先輩だったんだー。……結局うちは、テニス部辞めちゃったけど」
──八木が卒業式に告白した相手。
月曜日に佐々木から報告されたことを思い出し、菜乃花の胸が痛んだ。
八木のところへは、金曜日にメールが来たと言っていた。
(告白……止めたほうがいいのかな?)
「……うちね」
鏡から視線を外し、佐々木は菜乃花を真っ直ぐ見つめてくる。
「その先輩とはまるで違うから、八木っちの好みじゃないと思う。たぶん佐藤っちの親友の小林のほうが八木っちの好みだよ。大人びた美人で真っ直ぐな黒髪で。……でもね、うち、告白するって決めたんだ」
だからランチの後で二手に別れてほしいと、彼女は言う。
菜乃花は頷いた。
結果が同じだとしても、あふれる思いは止められないものだ。
「そういえば佐藤っちと冴島、前と雰囲気違わない?」
「うん。あの……佐々木さんに今日の映画に誘ってもらったおかげでね、わたし、冴島くんに告白する勇気が出たの。昨日からおつき合い始めてます」
「ひゅー、おめでとう。だったら名前で呼び合えばいいのにー。もしかして、うちらに遠慮してた?」
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彼女の想いが伝わることを、菜乃花は心から祈った。
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