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38・三度目のX年7月12日③
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繁華街の大通りに、菜乃花は立っていた。
土曜日の午後だ、人通りは多い。そしてなにより七月の太陽が暑い。
流行のパスタ屋でランチを終えて、佐々木たちとは別れている。
佐々木のランチ代は、冴島と菜乃花でちゃんと出した。
パスタは変わらず美味しかったけれど、前回はもらえた海老とアボカドを、今回の菜乃花は遠慮してしまった。
今はつき合っているのだから、むしろ前より堂々ともらえるはずなのに。
(なんだか意識しちゃうのよねえ)
思いながら、そっと冴島の様子を窺う。
今、菜乃花は冴島とふたりきりだ。
額を流れる汗を、彼は腕で拭き取る。逞しい腕には筋が浮き出ていた。
今日の彼もこの前と同じ、黒いタンクトップに白いシャツ、褪せたデニム姿だ。
菜乃花も、ボーダーグレイのワンピースに白いパーカーは変わらない。
しかし菜乃花には、ひとつ前とは違うところがあった。
(気づいてるかな。……ううん、べつに気づかれなくてもいいんだけど)
「……佐藤」
「なっ、なに?」
「これからどうする? 良かったら公園まで足を延ばそうぜ。B級グルメフェスティバルってのをやってるんだ」
「あ……」
菜乃花は、彼の白いシャツの裾をつかんで頭を横に振った。
前のときに見た、唇にピアスをつけた男の姿が脳裏をよぎる。
「ううん。……あの、やめておこうよ。公園に行くには、繁華街の外れを抜けなくちゃいけないでしょ? あの辺りは間違って横道入ると、すぐ裏通りになっちゃうし」
「そうか?」
冴島は、少し残念そうだった。
菜乃花が持って来たカレー味のパウンドケーキを食べた途端、べつの味付けについて考えだすほどだ。自宅の喫茶店のメニューを考えたり、参考になるものを調べたりすることが大好きなのだろう。
(でも……)
事情は少しもわからないままだが、だからといって避けられる危険にわざわざ近づく必要はない。
「電車で、絡まれたことがあるとか話したから心配してんのか?」
「う、うん。なんで裏通りになんか行ったの?」
「店の手伝い。裏通りにある製菓材料の店へ買い出しに行ったんだ。学校帰ってすぐ制服で自転車飛ばしていったのもマズかったんだよな。なんか唇にピアスした、自称うちの高校の卒業生が、後輩なんだから金寄こせとかワケわかんねぇこと言ってきやがって」
全身から血の気が引く。
冴島の白いシャツの裾を握りしめ、菜乃花は彼を見上げた。
その男が、冴島の行方不明事件に関わっているのかもしれない。
間違えて路地に入りかけた菜乃花を睨みつけた男も、唇にピアスをつけていた。
「バーカ。上手く逃げたから心配するな」
「でも、でもまたそのお店に行ったら……」
震える菜乃花の手に、冴島が自分の手を重ねる。
大きな手から、優しい熱が伝わってきた。
「随分冷たいな。さっきのパスタ屋、そんなに冷房効いてたっけ。……俺は弟に過保護だけど、佐藤は俺に過保護だよな。だから気にするなって。その製菓材料の店、裏通りから移転したから」
「そうなの?」
「うん。今は佐藤の家の近くなんじゃねぇかな? 前になんかの話のついでに、佐藤が住んでる町の話してただろ」
そう言って冴島が口にした町の名前は、確かに菜乃花の住んでいる町の名前と同じだった。
「製菓……お菓子の材料? そんなお店あったっけ」
「こっちにあったころはケーキも置いてたけど、今は材料だけだからな。普段利用してない店のことは、あんま意識してないんじゃねぇか?」
「そっか。……あ、ゴメンね。服の裾、皺くちゃになっちゃった」
「アイロンかけるようなシャツじゃねぇから、いいよ。それより、公園がダメなら駅のほう行ってみるか?」
「え?……もう帰るの?」
それは少し寂しい気がした。せっかくだから、もう少し一緒にいたい。
落ち込む菜乃花を見て、冴島が苦笑を漏らす。
「違う。駅の近くに美味しいカキ氷屋ができたらしいんだ。ちょっと並ぶかもしれねぇけど、行ってみないか?」
「うん!」
「……じゃあ、ほら」
彼は、菜乃花に自分の手を差し出してきた。
菜乃花が見つめると、真っ赤になって顔を逸らす。
「あー……佐藤の手冷たいし、繁華街は人が多いし……俺らつき合ってんだから、つないどいたほうがいいと思って」
「……うん!」
彼の手を握り返す。
骨ばった長い指は思っていたより力が強い。
冴島の温もりが伝わってくる。
さすがに指を絡める恋人握りまではできないけれど──
(……このまま、時間が止まってしまえばいいのに)
菜乃花は思った。
土曜日の午後だ、人通りは多い。そしてなにより七月の太陽が暑い。
流行のパスタ屋でランチを終えて、佐々木たちとは別れている。
佐々木のランチ代は、冴島と菜乃花でちゃんと出した。
パスタは変わらず美味しかったけれど、前回はもらえた海老とアボカドを、今回の菜乃花は遠慮してしまった。
今はつき合っているのだから、むしろ前より堂々ともらえるはずなのに。
(なんだか意識しちゃうのよねえ)
思いながら、そっと冴島の様子を窺う。
今、菜乃花は冴島とふたりきりだ。
額を流れる汗を、彼は腕で拭き取る。逞しい腕には筋が浮き出ていた。
今日の彼もこの前と同じ、黒いタンクトップに白いシャツ、褪せたデニム姿だ。
菜乃花も、ボーダーグレイのワンピースに白いパーカーは変わらない。
しかし菜乃花には、ひとつ前とは違うところがあった。
(気づいてるかな。……ううん、べつに気づかれなくてもいいんだけど)
「……佐藤」
「なっ、なに?」
「これからどうする? 良かったら公園まで足を延ばそうぜ。B級グルメフェスティバルってのをやってるんだ」
「あ……」
菜乃花は、彼の白いシャツの裾をつかんで頭を横に振った。
前のときに見た、唇にピアスをつけた男の姿が脳裏をよぎる。
「ううん。……あの、やめておこうよ。公園に行くには、繁華街の外れを抜けなくちゃいけないでしょ? あの辺りは間違って横道入ると、すぐ裏通りになっちゃうし」
「そうか?」
冴島は、少し残念そうだった。
菜乃花が持って来たカレー味のパウンドケーキを食べた途端、べつの味付けについて考えだすほどだ。自宅の喫茶店のメニューを考えたり、参考になるものを調べたりすることが大好きなのだろう。
(でも……)
事情は少しもわからないままだが、だからといって避けられる危険にわざわざ近づく必要はない。
「電車で、絡まれたことがあるとか話したから心配してんのか?」
「う、うん。なんで裏通りになんか行ったの?」
「店の手伝い。裏通りにある製菓材料の店へ買い出しに行ったんだ。学校帰ってすぐ制服で自転車飛ばしていったのもマズかったんだよな。なんか唇にピアスした、自称うちの高校の卒業生が、後輩なんだから金寄こせとかワケわかんねぇこと言ってきやがって」
全身から血の気が引く。
冴島の白いシャツの裾を握りしめ、菜乃花は彼を見上げた。
その男が、冴島の行方不明事件に関わっているのかもしれない。
間違えて路地に入りかけた菜乃花を睨みつけた男も、唇にピアスをつけていた。
「バーカ。上手く逃げたから心配するな」
「でも、でもまたそのお店に行ったら……」
震える菜乃花の手に、冴島が自分の手を重ねる。
大きな手から、優しい熱が伝わってきた。
「随分冷たいな。さっきのパスタ屋、そんなに冷房効いてたっけ。……俺は弟に過保護だけど、佐藤は俺に過保護だよな。だから気にするなって。その製菓材料の店、裏通りから移転したから」
「そうなの?」
「うん。今は佐藤の家の近くなんじゃねぇかな? 前になんかの話のついでに、佐藤が住んでる町の話してただろ」
そう言って冴島が口にした町の名前は、確かに菜乃花の住んでいる町の名前と同じだった。
「製菓……お菓子の材料? そんなお店あったっけ」
「こっちにあったころはケーキも置いてたけど、今は材料だけだからな。普段利用してない店のことは、あんま意識してないんじゃねぇか?」
「そっか。……あ、ゴメンね。服の裾、皺くちゃになっちゃった」
「アイロンかけるようなシャツじゃねぇから、いいよ。それより、公園がダメなら駅のほう行ってみるか?」
「え?……もう帰るの?」
それは少し寂しい気がした。せっかくだから、もう少し一緒にいたい。
落ち込む菜乃花を見て、冴島が苦笑を漏らす。
「違う。駅の近くに美味しいカキ氷屋ができたらしいんだ。ちょっと並ぶかもしれねぇけど、行ってみないか?」
「うん!」
「……じゃあ、ほら」
彼は、菜乃花に自分の手を差し出してきた。
菜乃花が見つめると、真っ赤になって顔を逸らす。
「あー……佐藤の手冷たいし、繁華街は人が多いし……俺らつき合ってんだから、つないどいたほうがいいと思って」
「……うん!」
彼の手を握り返す。
骨ばった長い指は思っていたより力が強い。
冴島の温もりが伝わってくる。
さすがに指を絡める恋人握りまではできないけれど──
(……このまま、時間が止まってしまえばいいのに)
菜乃花は思った。
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