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39・三度目のX年7月12日④
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「美味しい」
冴島がチェックしていただけあって、新しい店のカキ氷は美味しかった。
口に入れると一瞬で溶けて、夢中で食べても頭が痛くなることがない。
食感が柔らかいのは、自然環境で時間をかけて凍らせた天然氷を使っているからなのだという。
彼はカウンターで氷を削る店員の横にある、大きな四角い氷を指差した。
「氷を常温に置いて温度を上げたり、薄く削ったりすることで空気を含ませて、ふわふわにしてるんだ」
「へーえ」
菜乃花は苺、冴島は宇治抹茶金時を注文した。
お互いに食べる前のスプーンで、少しずつ分けっこもした。
果肉入りの苺のソースも、渋い抹茶味を彩る小豆と白玉も美味しかった。
美味しい店には人が集まる。
店の外には行列ができていて、あまり長居はできそうにない。
氷を食べ終えたふたりは、早々に店を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カキ氷屋に入る前の行列で、かなり時間が経っていた。
まだ空は眩しいが、時間的には夕方だ。
菜乃花たちは電車に乗って帰路についた。
弱冷房の車内が心地良い。人の多い大通りを歩いたわずかな間に、カキ氷と冷房で内外ともに涼んだ体は茹だっていた。
「あ」
座席に座って、菜乃花は気づいた。
店を出た後、大通りの人込みの中でもう一度つないだ手を離していなかったのだ。
「手、離すのか?」
「でで、電車の中だからはぐれないよ」
窓の外が明るいせいか、往路ほどではないものの車内の乗客は少ない。
この車両にふたりっきりではなかったけれど、座っている長い座席にはほかの人間はいなかった。
「そうだな。……なあ佐藤」
「なぁに?」
「うちも夏になるとカキ氷やってんだけど、定番の苺や宇治抹茶金時以外で、なんか思いつかないか?」
「わたしに聞くの? 冴島くんのほうが詳しそう」
「確かに俺はいろいろ調べてるけど、こないだのカレー味のパウンドケーキみたいな発想はできねぇんだよ」
「……うーん」
菜乃花は首を捻った。
あれもべつにオリジナルの発想というわけではなくて、雑誌かテレビで見たレシピを自分流に応用したものだったのだが。黒コショウとコーンにいたっては、冴島が言っていたのを覚えていただけだ。
「……コーヒーと紅茶とか」
「へ?」
冴島が目を丸くしている。
「冴島くん家のコーヒー美味しかっ……美味しそうだから」
いけない、いけない。と、菜乃花は言葉を言い換えた。
彼の家の喫茶店でコーヒーをご馳走になったのは、明日のことだ。
「ああ、まあ、うちのコーヒーは美味いぜ。そうか、コーヒーと紅茶か。カキ氷にしちゃ珍しいな」
「そうかな?」
(雑誌かテレビで見た気がしたんだけど……あ、もしかして)
二十八歳の記憶にあったのかもしれない。
冴島に告白したことで頭の中が混乱し、二十八歳と十八歳の意思と記憶が交じり合っていた。もともと、明確に異なるような事柄でないと区別はつきにくい。このような日常のなにげない知識となると、なおさらだった。
(この時代にあったとしても都会の専門店だけで、田舎にまで情報が来るのは先の話なのかもね)
少なくとも、さっきの店にはなかった。
菜乃花の隣で腕組みをして、冴島はひとり唸っている。
「あ、でもコーヒーを凍らせたヤツならどっかで見たっけ。うーん、せっかくだから、なにか付加価値をつけたいな。トッピングを工夫するか。……佐藤」
「うん」
「明日イベント行くんだろ?」
「え?」
「あれ? イベントっていうんだろ? えーっと、同人誌即売会ってヤツ?」
「う、うん。明日は麻宮先輩のお手伝いに……よく知ってるね」
「鈴木が麻宮先輩のファンでSNSチェックしてるんだ。イベントでスペースに行くと、いつも佐藤がいて、いつも自分に気づかないって言ってたぞ」
「……ゴ、ゴメン」
「アイツ印象薄いからな。話すと中身は濃いんだけど」
「冴島くんも行くの?」
「いや、俺は行かない。漫画は読むけど、そこまで情熱はねぇし、明日は優也の試合があるから、八木のおじさんおばさんの依頼でカツサンド作んなきゃならないし」
「カツサンド……」
前の日曜日で、弥生と麻宮のカレードリアにおまけしてくれたのは、そのカツサンドの残りのカツだったのだろうか。
話がズレたことに気づいたらしく、冴島は頭を左右に振った。
「カツサンドはいいんだよ。そうじゃなくて、イベントって一日いるわけじゃねぇんだろ?」
「うん。麻宮先輩は人気があるからね、結構早くに売り切れちゃうよ」
「だからさ、終わったらうちの店に来いよ。麻宮先輩も小林も佐藤と一緒で、高校のところの駅で降りるんだろ? コーヒーご馳走するから、カキ氷の試作品味見してくれ」
「わかった。弥生ちゃんと麻宮先輩に聞いてみるね」
「ありがとな」
「……あの、弥生ちゃんと麻宮先輩にべつの用事があっても、わたしは、うん、わたしは絶対お店に行くから」
「案外食い意地張ってるんだな。そういえば、お菓子目当てで俺のこと好きになったんだから、今さらか」
「ち、違うよ?……お菓子目当てじゃないから。そりゃ冴島くんのお菓子は美味しいけど」
「うん、わかってる。……ゴメン、からかった」
そういって視線を逸らした冴島の顔がほんのりと赤くて、菜乃花はまた恋に落ちるのを感じた。
(……やっぱり時間は止まらないほうがいい)
今度こそ冴島が生きている時間を一緒に生きていきたいと、菜乃花は思った。
(だけど……)
彼と一緒に生きていくのは『だれ』なのだろう。
冴島が行方不明なままでも、二十八歳の意識は十年後に戻った。少し変わった未来に。
行方不明にならなかったとしても、二十八歳の意識は『ここ』から消えるのではないだろうか。菜乃花の胸が、ちくりと痛んだ。
冴島がチェックしていただけあって、新しい店のカキ氷は美味しかった。
口に入れると一瞬で溶けて、夢中で食べても頭が痛くなることがない。
食感が柔らかいのは、自然環境で時間をかけて凍らせた天然氷を使っているからなのだという。
彼はカウンターで氷を削る店員の横にある、大きな四角い氷を指差した。
「氷を常温に置いて温度を上げたり、薄く削ったりすることで空気を含ませて、ふわふわにしてるんだ」
「へーえ」
菜乃花は苺、冴島は宇治抹茶金時を注文した。
お互いに食べる前のスプーンで、少しずつ分けっこもした。
果肉入りの苺のソースも、渋い抹茶味を彩る小豆と白玉も美味しかった。
美味しい店には人が集まる。
店の外には行列ができていて、あまり長居はできそうにない。
氷を食べ終えたふたりは、早々に店を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カキ氷屋に入る前の行列で、かなり時間が経っていた。
まだ空は眩しいが、時間的には夕方だ。
菜乃花たちは電車に乗って帰路についた。
弱冷房の車内が心地良い。人の多い大通りを歩いたわずかな間に、カキ氷と冷房で内外ともに涼んだ体は茹だっていた。
「あ」
座席に座って、菜乃花は気づいた。
店を出た後、大通りの人込みの中でもう一度つないだ手を離していなかったのだ。
「手、離すのか?」
「でで、電車の中だからはぐれないよ」
窓の外が明るいせいか、往路ほどではないものの車内の乗客は少ない。
この車両にふたりっきりではなかったけれど、座っている長い座席にはほかの人間はいなかった。
「そうだな。……なあ佐藤」
「なぁに?」
「うちも夏になるとカキ氷やってんだけど、定番の苺や宇治抹茶金時以外で、なんか思いつかないか?」
「わたしに聞くの? 冴島くんのほうが詳しそう」
「確かに俺はいろいろ調べてるけど、こないだのカレー味のパウンドケーキみたいな発想はできねぇんだよ」
「……うーん」
菜乃花は首を捻った。
あれもべつにオリジナルの発想というわけではなくて、雑誌かテレビで見たレシピを自分流に応用したものだったのだが。黒コショウとコーンにいたっては、冴島が言っていたのを覚えていただけだ。
「……コーヒーと紅茶とか」
「へ?」
冴島が目を丸くしている。
「冴島くん家のコーヒー美味しかっ……美味しそうだから」
いけない、いけない。と、菜乃花は言葉を言い換えた。
彼の家の喫茶店でコーヒーをご馳走になったのは、明日のことだ。
「ああ、まあ、うちのコーヒーは美味いぜ。そうか、コーヒーと紅茶か。カキ氷にしちゃ珍しいな」
「そうかな?」
(雑誌かテレビで見た気がしたんだけど……あ、もしかして)
二十八歳の記憶にあったのかもしれない。
冴島に告白したことで頭の中が混乱し、二十八歳と十八歳の意思と記憶が交じり合っていた。もともと、明確に異なるような事柄でないと区別はつきにくい。このような日常のなにげない知識となると、なおさらだった。
(この時代にあったとしても都会の専門店だけで、田舎にまで情報が来るのは先の話なのかもね)
少なくとも、さっきの店にはなかった。
菜乃花の隣で腕組みをして、冴島はひとり唸っている。
「あ、でもコーヒーを凍らせたヤツならどっかで見たっけ。うーん、せっかくだから、なにか付加価値をつけたいな。トッピングを工夫するか。……佐藤」
「うん」
「明日イベント行くんだろ?」
「え?」
「あれ? イベントっていうんだろ? えーっと、同人誌即売会ってヤツ?」
「う、うん。明日は麻宮先輩のお手伝いに……よく知ってるね」
「鈴木が麻宮先輩のファンでSNSチェックしてるんだ。イベントでスペースに行くと、いつも佐藤がいて、いつも自分に気づかないって言ってたぞ」
「……ゴ、ゴメン」
「アイツ印象薄いからな。話すと中身は濃いんだけど」
「冴島くんも行くの?」
「いや、俺は行かない。漫画は読むけど、そこまで情熱はねぇし、明日は優也の試合があるから、八木のおじさんおばさんの依頼でカツサンド作んなきゃならないし」
「カツサンド……」
前の日曜日で、弥生と麻宮のカレードリアにおまけしてくれたのは、そのカツサンドの残りのカツだったのだろうか。
話がズレたことに気づいたらしく、冴島は頭を左右に振った。
「カツサンドはいいんだよ。そうじゃなくて、イベントって一日いるわけじゃねぇんだろ?」
「うん。麻宮先輩は人気があるからね、結構早くに売り切れちゃうよ」
「だからさ、終わったらうちの店に来いよ。麻宮先輩も小林も佐藤と一緒で、高校のところの駅で降りるんだろ? コーヒーご馳走するから、カキ氷の試作品味見してくれ」
「わかった。弥生ちゃんと麻宮先輩に聞いてみるね」
「ありがとな」
「……あの、弥生ちゃんと麻宮先輩にべつの用事があっても、わたしは、うん、わたしは絶対お店に行くから」
「案外食い意地張ってるんだな。そういえば、お菓子目当てで俺のこと好きになったんだから、今さらか」
「ち、違うよ?……お菓子目当てじゃないから。そりゃ冴島くんのお菓子は美味しいけど」
「うん、わかってる。……ゴメン、からかった」
そういって視線を逸らした冴島の顔がほんのりと赤くて、菜乃花はまた恋に落ちるのを感じた。
(……やっぱり時間は止まらないほうがいい)
今度こそ冴島が生きている時間を一緒に生きていきたいと、菜乃花は思った。
(だけど……)
彼と一緒に生きていくのは『だれ』なのだろう。
冴島が行方不明なままでも、二十八歳の意識は十年後に戻った。少し変わった未来に。
行方不明にならなかったとしても、二十八歳の意識は『ここ』から消えるのではないだろうか。菜乃花の胸が、ちくりと痛んだ。
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