呪われて

豆狸

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第一話 侯爵令嬢

 ……醜い、醜い、醜いっ!

 王都侯爵邸の中庭で、私は池に映る自分の顔を見つめていました。
 後ろに控える侍女は見ない振りをしてくれています。
 ああ、でも本当に、私はどうしてこんなに醜いのでしょうか。

 水面に映るのは、嫉妬に醜く歪んだ顔です。
 どうして私はのように美しく微笑めないのでしょうか。
 私の婚約者である王太子ジェーコブ殿下の隣にずっといられたら、──殿下の幼馴染で最愛の女性である伯爵令嬢のように幸せな笑みを浮かべられるようになるのでしょうか。

「っ!」

 今日も学園で仲睦まじく寄り添っていた殿下と伯爵令嬢の姿を思い出してしまいます。
 私に向けられた周囲の嘲笑と哀れみの視線も、いっそ婚約者を辞退したら良いのにと囁く優しいのか侮蔑しているのかわからない声のことも。
 私は荒れ狂う感情に押し動かされて、水面の自分の顔を手でかき消しました。

「エミリーお嬢様!」

 さすがに侍女が飛んできます。
 もうすぐ学園を卒業して成人貴族として認められる年ごろの侯爵令嬢が自宅の池で水遊びをして手を濡らすだなんて、外聞が悪いにもほどがありますものね。
 ……いいえ、捻くれて考えたからといってどうなるものでもありません。

「ごめんなさい、ありがとう」

 私は濡れた手を拭いてくれる侍女に、素直にお礼を告げました。
 侍女は手を拭いてくれた布を仕舞って、新しい布を出して渡してくれます。
 涙を拭けということでしょう。先ほど水面に映っていた醜い顔は、泣き腫らした真っ赤な目をさらに潤ませていましたものね。

「どうしたのですか?」

 私は、池に向かってしゃがみ込んでいる侍女に尋ねました。彼女は振り返り、私の顔の横を指し示しました。

「お嬢様が水面に手を付けたとき、肩がぶつかって耳飾りが落ちてしまったようです。すぐにお拾いいたします」
「申し訳ありません、お願いします」

 言いながら、私は侍女に指し示されなかった側の耳飾りに手をやりました。
 透き通っていない緑色の石で出来た耳飾りは、ジェーコブ殿下にいただいたものです。
 十二歳のとき、殿下に婚約を申し込まれた私は、最初は断るつもりでした。父の妹であるアリス叔母様のことがありましたし、当時の私は……

 反対する家族を説得してまで婚約を受け入れたのは、私が殿下に恋をしたからでした。
 私の誕生日に侯爵邸まで足を運んでくださった殿下が、手作りだと言って贈ってくださったこの耳飾りに心を奪われたからです。
 緑色は殿下の瞳の色でした。いつもつけていて欲しいと言われて、その通りにしてきましたが、殿下に褒められたことはありません。

 片耳だけに飾りをつけているのがなんとなく気持ち悪くなって、私は残った耳飾りも外しました。ネジを捻って耳たぶに押し付ける方式のものです。
 手のひらの緑色の石はあまり美しくは思えませんでした。
 手作りだといっても、もっと、こう……私の胸に青く透き通った石を飾った白銀の腕輪が浮かんできました。幼いころにいただいたものですけれど、輪が閉じていない大きめのものなので今でも使えるのではないでしょうか。

 そうです、私は緑色より青色のほうが好きだったのです。
 白銀は私の髪の色、青く透き通った石は……
 御用達の鍛冶師のところでもととなる金属の腕輪を選んで、好きな石を飾ってもらったのです。私は黄金の腕輪に紫色の透き通った石を飾ってもらいました。だって紫色は私の瞳の色で、黄金は……

「お待たせいたしました、お嬢様」

 侍女が池の底から耳飾りを拾って、新しい乾いた布に載せて差し出してくれました。
 彼女は何枚布を持ち歩いているのでしょうか。
 それはともかく、恭しく布に載せられた耳飾りの石の緑色は濁って見えました。

 藻や水草がこびりついたわけではありません。
 この池に魚は入れていません。魚のための藻や水草もありません。
 侯爵領の森にある女神の聖泉の清水を運んできて入れた、澄んで透き通った水を楽しむものなのです。水面は水晶のように陽光を反射しています。

「……」
「エミリーお嬢様?」
「ごめんなさい、この布をもらっても良くて?」
「はい? ええ、この布は侯爵家から支給されたものですので、お嬢様でしたらいかようにもお使いくださいませ」

 私は侍女から布を受け取り、外していたもう片方も布に載せました。
 耳飾りを包んだ布を池の周りの石の上に置きます。
 怪訝そうな侍女の前で立ち上がり、私は耳飾りを踏みつけました。

「お嬢様っ? ど、どうなさったのです?……その耳飾りは王太子様からいただいたものではありませんか」
「庭を散策していたらネジが緩んでいたのか落ちてしまい、たまたま踏みつけて壊してしまった、と言い訳したのではダメかしら?」

 侍女が溜息を漏らします。

「口裏くらい、いくらでも合わせます。でもお嬢様はそれでよろしいのですか? 宝物だったのでは?」

 私は腰を下ろして、踏みつけた布を拾い上げました。
 広げて粉々になった耳飾りを確認します。
 不思議と心がすっきりしていました。ジェーコブ殿下の最愛の女性が伯爵令嬢でも構わない、そう感じています。

「良いのです。私がこれをつけていても、殿下の視線はあの子にだけ注がれているのですもの。それに……私、お父様におねだりして、殿下との婚約を解消していただこうと思うのです」
「まあ!」

 侍女の顔が喜色で輝きました。
 侯爵家の人間は、家族も家臣も使用人達も殿下と伯爵令嬢の関係に苦しむ私を案じて、婚約解消を勧めてくれていたのです。
 それを拒んでいたのは私です。私が殿下に恋をしていたからです。長年の濃霧が晴れたようにすっきりとした頭の中で、自分は殿下のどこが好きだったのかと考えました。

「旦那様も奥様も坊ちゃまも、皆様お喜びになりますわ! 壊れた石の破片でお嬢様が手を怪我なさるといけないので、そちらの布包みは私が持ちますね」
「ええ、お願いします」

 侍女は一瞬目を丸くして、それから幸せそうな表情になります。
 これまでの私は、耳飾りをつけていないときでも自分から離しませんでした。布で磨くなどの手入れを自分がするだけでなく、だれかが触ろうとしただけでも怒り狂っていたのです。
 我ながら、周囲が心配するのは当然です。そして、そうでなくなったことに安堵するのも。

「早く皆様にご報告に参りましょう!」

 ……王太子ジェーコブ殿下の好きなところが、どんなに考えても浮かんできません。私は首を傾げながら、早足で館へと向かう侍女の背中を追いかけました。

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