婚約を破棄したら

豆狸

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第七話 元婚約者は伯爵令嬢に告白する。

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「アリーチェ」

 ロセッティ伯爵家の馬車へ向かう彼女に声をかけると、ものすごく嫌そうな顔で振り向かれた。
 しかし、そこは貴族令嬢だ。一瞬で笑顔に戻る。
 エルネストは彼女の態度を刺々しいと評したが、それは周囲の貴族──最初から悪意と企みを持って近寄ってくる人間に対してだけだった。婚約者の自分に対しては作り物でも笑顔を見せてくれていた。

 そもそもほかの貴族達だって、自分より身分の低い相手や対立する派閥の人間に対してまで友好的に接していない。
 今日、自分目当ての貴族令嬢に取り囲まれて納得した。
 こんな人間達に明るく朗らかで優しく対応していたら食い殺される。

「どうなさいましたか、エルネスト様」
「君の馬車の使用人には話をした。一緒に僕の馬車で帰って欲しい」
「え、嫌です」

 思わず声を失ったエルネストに、アリーチェは慌てた様子で言葉を続ける。

「失礼しました。ですが、私達はもう婚約者ではありません。婚約者だったときも同じ馬車で登下校していなかったのに婚約を破棄してから同じ馬車で帰っていたりしたら、どんな噂を立てられるかわかりません」
「それは……すまないと思う。だが、僕達の婚約はまだ破棄されていない。昨日は父が公爵邸へ戻ってこなかったので話が出来なかったんだ」
「そうですか。北の山のドラゴンのことでお忙しいのでしょうね」
「……アリーチェ……」

 自分で自分が恥ずかしくなって手で顔を覆い、エルネストは言った。

「今さらだが、僕達の婚約は王命によるものだった。僕の一存で破棄出来るものではないかもしれない」
「……」

 アリーチェの顔が真っ白になる。
 瞳から光が消えて、彼女がどれだけ婚約破棄を喜んでいたのかがわかった。

「どうしても婚約が破棄出来なかったときに備えて君に教えておきたいことがあるんだ。僕と……同じ馬車に乗るのも嫌かもしれないが、今日だけは一緒に帰って欲しい」
「……わかりました」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 馬車が揺れる。
 羞恥やこれから告白することへの緊張から彼女の顔が見られなくて、前の座席に座って俯いたままエルネストは告げた。

「僕はモレッティ公爵家の嫡子ということになっているが実は庶子なんだ」
「はあ……」

 気の抜けた返事に、エルネストは顔を上げる。

「アリーチェ? もしかして君は知っていたのか?」
「はい。お姉様方に教えていただいていました」
「なぜこれまで黙っていたんだ? 君は……僕のことを好きなわけではないだろう?」
「……」
「モレッティ公爵家の人間はみな知っていることだが、外に漏らせば大変な醜聞だ。家を継ぐ権利のない庶子を嫡子として届けているのだから。養子にすればいいといっても、一度王家を騙したという事実は消えない。このことを明かしさえすれば、いつでも婚約を破棄出来たんだよ?」

 自分の顔を見つめて問い詰めるエルネストに、アリーチェは答える。

「婚約破棄で終わりじゃないですから。その理由で婚約を破棄したら、エルネスト様の将来が滅茶苦茶になるじゃないですか」
「君は……優しいな。僕の目が曇っていただけだったようだ。君は僕が初めて恋をした日から変わらず明るく朗らかで優しい少女なのに、僕は僕のために強い貴族令嬢になろうとしている君を守ろうともせず傷つけて捨てようとした。……酷い男だ」
「お気になさらないでください」
「……アリーチェ」
「はい」
「……その、だから、王命でどうしても破棄出来ないとなったら、僕の出生について話してもらってもかまわない。僕の将来なんて気にすることはないから」
「そうはいきませんよ」

 優しく微笑むアリーチェが、いざとなったらベアトリーチェと一緒にドラゴンを倒して婚約破棄を国王に認めさせようなどと思っているとは知らないエルネストは、顔が熱くなるのを感じて再び俯いた。
 作り物の笑顔の仮面も刺々しい刃の鎧も外した彼女は、かつてのエルネストがひと目惚れしたときのままの愛らしい少女なのだ。クルクルした髪型も、なんだか愛おしく思えてきた。
 声を聞いているだけで心が弾むのを感じながら、エルネストは口を開く。

「け、今朝教室で言っていたけれど、本当にもう次の縁談の相手が決まっているのかい?」
「そういうわけではありません」
「……あのとき言っていたのは、もしかして君の理想の男か?」
「実はそうです」
「年上で黒髪か。最初から僕は君の好みではなかったんだな。……その、もし王命で婚約を破棄出来なくて、君が僕の出生について沈黙を守ってくれたなら、このまま付き合いを続けることになるのだが……僕が君の好みに近づけそうなところはないだろうか」
「お気になさらないでください」
「いや、お願いだから教えてくれないか?」
「はあ……」

 アリーチェはドラゴン討伐に紛れて死んだ振りをして姿を消しても良いと思っているのだが、もちろんエルネストがそんなことを知る由はない。

「そうですねえ……」

 困りながらも微笑んでアリーチェが絞り出した言葉に、エルネストは天にも昇りそうな気持ちになった。
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