あなたが私を捨てた夏

豆狸

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第十話 私の婚約者だった方の話~恋の終わり~

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 夏の終わりに結婚して、秋になってもボワイエ、ベルナール両国の豊作を寿ぐ手紙は届かなかった。色づく森の美しさも冬支度を始めた動物達の様子も、だれもニコライに教えてくれない。

 冬になって、朝晩の寒さでニコライが体調を崩していないかと心配する手紙も届かなかった。体を温めるとっておきのお茶の淹れ方を教えてくれる人間もいない。ましてや誕生日の贈り物などもらえるはずがなかった。

 春になって、春の花も美しいけれどやっぱり夏の花のほうが好きなのだと告げる手紙も届かなかった。恋の季節を迎えた動物達が親となり、愛らしい子どもを授かっていると教えてくれるものもいない。

 やがてまた夏の始まりが巡って来ても、隣国から王女の誕生パーティの招待状は届かなかった。夏の花の香りがする少女の微笑みはニコライが消してしまったのだ、彼女を取り戻す術を教えてくれる存在などいない。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「……」

 栄養剤も効かない状態で、ニコライは国王の激務を続けていた。
 最近は食欲もなく、従弟のスタンにはしばらく休みを取ったほうが良いのではないかと忠告されるようになっている。
 今日にいたってはあまりに顔色が悪いと怒られて、執務室から放り出された。

 しかし──

(休みを取って、どうしたら良いのだろう)

 一年と少し前の自分なら、喜々としてモーヴェに会いに行ったに違いない。

 モーヴェと出会う前ならば、婚約者に手紙を書いたかもしれない。
 いや、書いていた。そうして返事はいらないと書いておきながら、毎日婚約者からの手紙を待ち侘びていた。
 今さら気づいても遅いけれど、婚約者が自分の知る楽しいこと素敵なことを精いっぱい詰め込んで送って来てくれる手紙は、いつもニコライを幸せにしてくれていた。

「ん?」

 とりあえず寝室で休もうとして戻ってきたニコライは、だれもいないはずの部屋の中に人の気配を感じた。
 モーヴェがいるのだろうか。彼女とはここ最近会話をしていない。
 王の寝室に王妃がいるのはいいとして、扉の前に衛兵が立っていないのは異常だった。聞かない振りをしていた噂が蘇り、ニコライの心臓をざわつかせる。

 ──王妃様は浮気をしている。衛兵達を下がらせて、王様の寝室に男を引き込んでいるんだ。

 ニコライは気づかれないように室内へ入った。
 忍び足で近づけばベッドの上で絡み合う男女がいる。
 自分の妻であるはずの女の甘く淫らな声が耳朶を打つ。嬌声を響かせた後で彼女は言った。

「愛しているわ、スタン。私が本当に愛しているのはあなただけよ。ニコライが死んだら早く王様になってね。今だって王妃だけれど、あなたの妻として王妃になりたいの」

 一瞬で頭に血が上ったニコライは、相手の男が言葉を返す前に姿を現してしまった。

「モーヴェっ!」

 怒りに燃えるニコライよりも、不実なふたりのほうが素早かった。
 モーヴェが掛け布を投げつけてきて、ニコライの視界を奪う。
 揺れる布の向こうに窓から出て行く裸の男の背中が見えた。掛け布を撥ね退けるより早く、モーヴェが飛び掛かってくる。

「……っ!」

 ただでさえ体調が悪いところに激しく胸に乗られて、ニコライは呻く。

「ああ、もう、面倒くさい男ね。せっかく上手く弱らせてきたのに」

 ニコライの顔の上から掛け布を剥がし、なにかを口に含んだモーヴェが唇を押し当ててくる。
 熱い舌で唇をこじ開けられ唾液と共に注ぎ込まれたのは、酷く苦い丸薬だった。
 唇が汚れたかのように手で拭い、モーヴェが言う。

「まあいいわ。少々怪しまれたって、私のスタンがなんとかしてくれるもの」

 ニコライの口腔で溶けた丸薬が喉に落ちていく。
 全身が熱い。息が苦しい。
 婚約者の葬儀の一ヶ月前、モーヴェの妊娠を告げたとき、ボワイエの先代王妃が溜息をつきながら口にした言葉を思い出す。

あの子モーヴェは三人男の子が続いた上での待望の女の子だったから、両親も兄達も甘やかし過ぎてしまったのね。だからものの善悪がわからなくなってしまったのよ』

 一番の被害者である婚約者は、モーヴェを責めるような言葉は一度も口にしなかった。
 むしろ従妹を莫迦にするなとニコライを怒った。
 かつての婚約者の涙に濡れた微笑みが蘇る。

「ロ、メ……ヌ」

 意識が消える寸前に、ニコライは彼女の名前を呼んだ。その名前を呼ぶ資格などとっくの昔に失われていることくらいわかってはいたのだけれど。
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