婚約破棄の前日に

豆狸

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最終話 この世で一番美しいもの

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 魔術学園を卒業して二年が過ぎました。

 チャベス伯爵家やバロス男爵家が処罰されたおかげで、後顧の憂いなく特大暴走グレートスタンピードに対応することが出来、被害は最小に抑えられました。
 カルバン殿下が裏切られていることは、婚約解消のためにディアス侯爵家が殿下とバロス男爵令嬢について調査した段階で証拠を掴んでいました。
 先に伝えたら婚約解消を受け入れてくれないかと思い黙っていたのですが、こちらから教えなくてもちゃんとご自身で真実に辿り着かれたようなので問題はなかったみたいです。

 あの日、殿下は前回私が見たのと同じ光景を見たのでしょうか。
 あの淫らで醜い光景を。自分の瞳と魂を穢されてしまったような気分を味わって──それは少しお可哀相だと感じます。
 でも殿下はチャベス伯爵家次男側近の言葉しか信じないお人形でしたから、だれかに知らされても信じなかったでしょう。ご自身の目で真実をご覧になるのが一番良いことだったのかもしれません。

 愛した女性に裏切られた殿下は深く傷つき、心を癒すために異国の大学へ留学なさいました。そのままそちらで永住されることが決まったので、王家は遠戚に当たる公爵家から養子を取って跡取りにするそうです。
 国王陛下は養子の教育が済み次第退位なさると言われています。
 公表されていること以外の事情もあるのかもしれませんけれど、ディアス侯爵である父も跡取りの兄も騎士爵の妻に過ぎない私には教えてくれません。私は、かつて婚約者だったカルバン殿下が留学なさった国の名前も知らないのです。

「ゲルダお嬢様」

 自宅の庭で花の手入れをしていた私は、クロスビーの呼び声に振り向きました。
 クロスビーは騎士爵です。亡くなった彼の父親も騎士爵でしたが、爵位を受け継いだわけではありません。騎士爵は一代限りなのです。
 彼は魔獣の間引きや野盗討伐などで功を立てて、自分の力で騎士爵の爵位を得ました。

「クロスビー!」

 私は彼を睨みつけました。
 クロスビーの瞳は相変わらず、暗い夜の森の緑と魔神様と同じ黄金色です。
 願いを叶えてもらう代償は魔神様が選ぶのだと言います。私の幸せの代償はクロスビーの左目だったのです。魔神様はクロスビーの左目で彼が見ているものを見ているのです。

「いつまで妻を『お嬢様』なんて呼ぶつもりなのですか?」
「すみません。……俺の愛しいゲルダ」

 私が戻る前の時間で処刑されたと聞いたときよりも強い力で、クロスビーは私を抱き締めました。
 私も彼を抱き締め返します。
 クロスビーの左目で彼が見るものを見ている魔神様ですが、夜の夫婦の時間や彼が公的な場へ出るときは黒い眼帯で隠させていただいています。後者は魔神様と同じ色の瞳だと騒がれたくないからで、前者は恥ずかしいからです。

 クロスビーは幸せそうに微笑んで体を離すと、庭に設えたテーブルと椅子を指しました。
 美味しそうな香りが漂って来ます。侍女がお茶とお菓子を用意してくれているのです。
 あの武闘派の侍女は……相変わらずです。

 彼女は、時間が戻ってディアス侯爵領へ帰ったときに同行していた血気盛んな使用人のひとりと結婚しました。
 私の子どもの乳母になってくれるそうです。この国の爵位の中で一番身分の低い騎士爵の家には過ぎた侍女であり、未来の乳母です。
 今度近衛騎士達が攻め込んで来たときは全員床に沈めてやりますと言って、仕事の合間を縫って修業に勤しんでいます。

「花の手入れも良いけれど、ずっと根を詰めていると体に悪いです。ひと休みして、俺とお茶を楽しんでくださいませんか?」
「はい、旦那様。……愛しい愛しい私のクロスビー」

 ──死病に罹った愛する人を癒す薬を願ったものが代償に自分の記憶を捧げることになったのは、ほかのなにを犠牲にしても救いたいと思うほどだれかを愛した記憶を魔神様が欲したからでした。
 一度は記憶を失ったその人間は、死病から回復した相手をもう一度愛するようになりました。
 大暴走スタンピードで自分を庇って命を喪った親友を蘇らせたいと願ったものが利き腕を捧げることになったのは、それが親友との鍛錬で鍛え上げたものだったからです。その人間は蘇った親友とふたりで自分の義手を作り上げたと聞きます。

 魔神様がクロスビーの左目を欲したのは、それがこの世で一番美しいものを見ていたからだそうです。
 照れくさいことに、それは私なのだとクロスビーは言います。
 初恋の相手である私が愛しくて愛しくて、煌めいて見えるのだと。ほかのものを見るときは光が翳って、それで不機嫌な顔になっていたのだと。

 カルバン殿下を包んでいた私の初恋の光が消えてしまったように、クロスビーが私を見るときの煌めきも、いつかは消えてしまうのかもしれません。
 それでも、私の彼への愛が消えることの無いように、彼の私への愛も消えることの無いように、生きていきたいと思うのです。
 初恋の光が消えてしまっても、彼に美しいと思ってもらえる自分でいたいのです。

「お手をどうぞ、ゲルダ」

 花の手入れをしていた花壇からテーブルまではほんのわずかの距離なのに、まるで夜会にでも来ているかのように仰々しくクロスビーが手を差し出してきます。
 私は彼の手に自分の手を重ねました。花の手入れをしていたときの泥汚れは、用意していた布でちゃんと拭いていますよ?
 凛として前を向いてテーブルへ向かいます。今の私は美しいでしょうか。愛しいクロスビーがそう思ってくれていたら嬉しいのですけれど。

 私にとっては、微笑んで細められたクロスビーの緑の瞳こそが、この世で一番美しいものなのです。
 普段は暗い夜の森の緑色なのに、私を映すと空から星が降りて来たかのように輝く、彼の瞳が。
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