夜会の夜の赤い夢

豆狸

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第一話 夜会の夜

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 婚約破棄をする。

 私は、心の中でその言葉を繰り返していた。
 そう今夜の夜会で私は婚約破棄をする。セペダ侯爵子息フリオ様との婚約を破棄するのだ。
 もちろん、王宮の夜会に集まった高位貴族の方々の前で彼を晒し者にする気はない。婚約破棄は夜会の会場とは別の部屋で、私と父と、フリオ様と──

「こんばんは、セシリャ」
「アレハンドロ殿下!」

 父のバスキス伯爵と令嬢の私、ふたりして第三王子のアレハンドロ殿下に挨拶をする。
 今夜は病弱だった彼が、こうして公式の場に顔を出せるほど回復したというのを知らしめるための夜会でもあった。
 なのに、私の婚約破棄騒ぎに巻き込んでしまった。

「ごめんなさい、アレハンドロ殿下」
「なにが?」
「……私の婚約破棄への立ち合いなんかお願いしてしまって」

 頭を下げる私の隣で、父も一緒に首肯している。
 アレハンドロ殿下は吹き出した。

「同じ聖女様の血を引く同士なんだから、遠慮なんかしないでよ。それに、こうして体が回復した以上、今後はさまざまな場で王族として立会人を務めなくてはいけないんだ。簡単な婚約破棄が最初で助かったくらいだよ。子息以外のセペダ侯爵家には同意をもらっているんだろう?」
「はい」

 一瞬顔を上げかけたけれど、私は再び頭を沈めた。自分が恥ずかしかったのだ。

「フリオ様とサルディネロ男爵令嬢のメンティロソ様の関係はセペダ侯爵家の皆様もご存じです。婚約破棄の手続きは私とフリオ様の署名を残すだけで……私が、自分の口で彼に告げたいと我儘を言って、ご家族から彼に伝えるのを待ってもらっていたのです」

 俯いたまま視線を動かすと、殿下も父も苦虫を噛み潰したような顔をしているのがわかった。

 私とフリオ様は幼馴染だ。
 父親同士が親友だったので、ほぼ生まれたときからの仲だった。
 この国の貴族子女が通う学園に入学して、フリオ様がメンティロソ様と出会うまでは、婚約者としてそれなりに上手くやっていたつもりだった。

 私は、婚約者になる前からフリオ様が好きだった。
 彼は私の初恋だったのだ。
 でも彼にとっては違った。

 彼の初恋は、おそらくメンティロソ様なのだろう。
 彼女と出会った彼は私を振り向かなくなり、気がつくと学園にはフリオ様とメンティロソ様の真実の愛を引き裂く悪役令嬢として、私の悪評が広がっていた。
 手紙や贈り物を交わすこともなくなり、このような夜会のときにも彼はメンティロソ様を伴うようになった。私は侍女や従者だけ連れてひとりで来るか、今夜のように父に同行してもらうしかなかった。

 周囲のだれもが婚約を破棄したほうが良い、と言ってくれた。フリオ様のご実家のセペダ侯爵家の方々もだ。
 私は裕福なバスキス伯爵家の跡取り娘で、フリオ様は入り婿予定の侯爵家の次男だ。
 家の爵位は彼のほうが高くても、立場が強いのは私のほうだった。

 なのにズルズルと、もうすぐ学園を卒業するという今の時期まで決意出来なかった。
 ……初恋だったから。
 先代のバスキス女伯爵だった母の葬儀で、客の応対や式の手続きで忙しい父の代わりに、泣きじゃくる私を抱き締めていてくれたのはフリオ様だったから。

 このままではいけないことはわかっていた。
 このままでは私だけでなく、父も私を家族のように慈しんでくださったセペダ侯爵家の方々も不幸にしてしまう。
 フリオ様がメンティロソ様を愛しているのなら、バスキス伯爵家の入り婿の座なんかよりも彼女との愛の成就を願うのなら、私が身を引くしかない。彼はもう、私が泣いていても抱き締めてくれないのだ。

 先ほどご本人が言ったように、アレハンドロ殿下と私には共通する先祖がいる。
 その関係で、彼が発病するまでの間は親しくしていた。
 会えない間も手紙を送り合っていた。学園に入学する前の時間を入れても、フリオ様と交わした手紙よりもアレハンドロ殿下にいただいた手紙のほうが多いくらいだ。私達は親友だった。

 その親友に久しぶり──十年近くぶりに会うのだ。
 いつまでも未練に満ちた情けない顔を見せるわけにはいかない。
 フリオ様を自由にしてあげて、叶わぬ恋を吹っ切った強い自分の姿を殿下に見せたい。それが、今回婚約破棄を決意した理由だった。

 そう、今夜私は婚約破棄をするのだ。
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