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第二話 赤い鳥
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私は気合いを入れて顔を上げた。
笑顔とまでは行かないものの、泣き顔にはなっていないはずだ。
アレハンドロ殿下に改めてお願いする。
「今夜はよろしくお願いします」
「もちろんだよ。セシリャは僕の親友だもの。婚約破棄が早く終わって時間が余ったら、一曲踊ってくれないかな?」
「踊り……ですか」
私は、思わずアレハンドロ殿下を見つめてしまった。
幼いころの殿下は燃える炎のような赤い髪だった。
この国の王族の髪は、守護神様に与えられた加護の影響で赤みを帯びる。神殿に祀られている鳥の姿をした守護神様の像と同じ色だ。
けれど今のアレハンドロ殿下の髪は違う。
王族特有の赤みがない、むしろ色自体が抜けてしまったような髪になっていた。
夜会会場の照明を反射したときの光で、かろうじて金髪であることはわかるのだが。
「この髪の色は病気の治療に使われた薬剤の副作用! 髪の色が抜けているのは、ちゃんと治療して病気が治った証拠みたいなもんなんだ。だから安心して踊ってよ。小さいころにたくさん練習したのに、一緒に夜会に出席するのは今回が初めてなんだし」
「……そうですね」
発病するまでのアレハンドロ殿下はとてもお元気で、振り回された私のほうが疲労で熱を出すくらいだった。
私が寝込んでいて遊べないことを伝えると、殿下はいつも手紙で謝罪してくれた。
最初から悪意があって振り回されているのだとは思っていなかったけれど、謝罪と心配を綴った彼の手紙は嬉しかった。昔も今も私の宝物だ。
「……おや?」
そのとき、不意に父が声を上げた。
「どうしたんだい、バスキス伯爵」
「フリオ殿の姿が見えないのです、殿下」
「そういえば、そうだね。出席はしているはずなんだけど」
「……」
「セシリャ?」
アレハンドロ殿下との記憶を思い出して、幸せな温もりを感じていた胸の中が一気に冷え込んだ。
「もしかしたらフリオ様とメンティロソ様は裏庭に行かれているのかもしれません」
「裏庭……か」
中庭までは夜会の延長として松明が灯されているけれど、真っ暗な裏庭は人目を憚る恋人達が身を潜める場所だ。
フリオ様とメンティロソ様はべつの場所でも裏庭に行っていて、探しに行った私の目の前で──
「セシリャ、私がふたりを探してこようか?」
「なんなら近衛騎士を動かすよ」
「いいえ、大ごとになってもいけません。私が探して参ります」
そう告げて、私は夜会会場から松明の赤い炎に照らされた中庭に出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……鳥?」
裏庭の始まりを示す茂みの手前には、秘密の場所を隠すかのように木々が立ち並んでいる。
その木々の梢に鳥の姿があった。
神殿に祀られている神像の鳥に似ている。
羽は炎のように赤い。
もっとも羽の色は、裏庭の手前の中庭に配置された松明の炎の色を反射しているのかもしれない。
少し気になったけれど、今は鳥に構っている場合ではなかった。
探し人以外の相手だったときに邪魔をしないように、私はこっそりと木々をかき分けた。
松明の光は木々に遮られていて、茂みの向こうは真っ暗だ。
だれかの囁き合う声が聞こえてくる。
「あの女、探しに来るかしら? この前のとき、わざとキスしてるところを見せたら泣いていたじゃない。今夜は怯えて探しに来ないんじゃないの?」
「いいや、来るさ。今夜は必ず探しに来る。セシリャは俺と婚約破棄するつもりなんだからな」
「あら! あの女に婚約破棄されたりしたら、バスキス伯爵家の財産を使えなくなるじゃない。アタシ、フリオのことは愛してるけど貧乏は嫌よ」
「わかってる。だからこの計画を実行するんじゃないか。……ちゃんとニコラスとやらは忍び込んでるんだろうな?」
「ええ、そのはずよ」
会話の主はフリオ様とメンティロソ様だった。
フリオ様は私が彼と婚約破棄しようとしていることに気づいていたらしい。
不穏なものを感じて、私はそのまま聞き耳を立てた。
「最初は渋ってたくせに、急にアタシの計画に興味を示し出したと思ったら、婚約破棄されそうになって後がないからだったのね」
「貧乏になって君に捨てられたら生きている甲斐がないからな。俺はバスキス伯爵家の入り婿になって、君を養わなきゃいけない」
「ふふふ。そのためにあの女をニコラスに攫わせて、娼館に売り飛ばすのね」
その言葉を聞いて息が止まりそうになる。
このふたりは一体なにを考えているのだろう。
たとえ婚約を破棄しなくても、私がいなくなったらフリオ様はバスキス伯爵家とは無関係になるのに。
「そうだ。アイツが身も心もボロボロになったところで見つけ出してやるのさ。いくら裕福なバスキス伯爵家が付いてくるといっても、そんな状態の女を娶ろうなんて男はいない。そこで俺がバスキス伯爵に恩を着せて、アイツをもらってやる。そうなったら、俺がなにをしようと文句は言えなくなるだろう?」
「酷い男ね」
「最初に計画を立てたのは君じゃないか」
唇を両手で塞いで、声を出さないようにして後退る。
……どうして? どうしてフリオ様はそこまで私を疎んでいるの? バスキス伯爵家の財産以外、私にはなにひとつ価値がないというの?
涙を堪えて立ち去ろうとした私の体は、だれかにぶつかって止まった。そこには、燃える炎のような赤い髪の──
どこかで、鳥の鳴く声がした。
笑顔とまでは行かないものの、泣き顔にはなっていないはずだ。
アレハンドロ殿下に改めてお願いする。
「今夜はよろしくお願いします」
「もちろんだよ。セシリャは僕の親友だもの。婚約破棄が早く終わって時間が余ったら、一曲踊ってくれないかな?」
「踊り……ですか」
私は、思わずアレハンドロ殿下を見つめてしまった。
幼いころの殿下は燃える炎のような赤い髪だった。
この国の王族の髪は、守護神様に与えられた加護の影響で赤みを帯びる。神殿に祀られている鳥の姿をした守護神様の像と同じ色だ。
けれど今のアレハンドロ殿下の髪は違う。
王族特有の赤みがない、むしろ色自体が抜けてしまったような髪になっていた。
夜会会場の照明を反射したときの光で、かろうじて金髪であることはわかるのだが。
「この髪の色は病気の治療に使われた薬剤の副作用! 髪の色が抜けているのは、ちゃんと治療して病気が治った証拠みたいなもんなんだ。だから安心して踊ってよ。小さいころにたくさん練習したのに、一緒に夜会に出席するのは今回が初めてなんだし」
「……そうですね」
発病するまでのアレハンドロ殿下はとてもお元気で、振り回された私のほうが疲労で熱を出すくらいだった。
私が寝込んでいて遊べないことを伝えると、殿下はいつも手紙で謝罪してくれた。
最初から悪意があって振り回されているのだとは思っていなかったけれど、謝罪と心配を綴った彼の手紙は嬉しかった。昔も今も私の宝物だ。
「……おや?」
そのとき、不意に父が声を上げた。
「どうしたんだい、バスキス伯爵」
「フリオ殿の姿が見えないのです、殿下」
「そういえば、そうだね。出席はしているはずなんだけど」
「……」
「セシリャ?」
アレハンドロ殿下との記憶を思い出して、幸せな温もりを感じていた胸の中が一気に冷え込んだ。
「もしかしたらフリオ様とメンティロソ様は裏庭に行かれているのかもしれません」
「裏庭……か」
中庭までは夜会の延長として松明が灯されているけれど、真っ暗な裏庭は人目を憚る恋人達が身を潜める場所だ。
フリオ様とメンティロソ様はべつの場所でも裏庭に行っていて、探しに行った私の目の前で──
「セシリャ、私がふたりを探してこようか?」
「なんなら近衛騎士を動かすよ」
「いいえ、大ごとになってもいけません。私が探して参ります」
そう告げて、私は夜会会場から松明の赤い炎に照らされた中庭に出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……鳥?」
裏庭の始まりを示す茂みの手前には、秘密の場所を隠すかのように木々が立ち並んでいる。
その木々の梢に鳥の姿があった。
神殿に祀られている神像の鳥に似ている。
羽は炎のように赤い。
もっとも羽の色は、裏庭の手前の中庭に配置された松明の炎の色を反射しているのかもしれない。
少し気になったけれど、今は鳥に構っている場合ではなかった。
探し人以外の相手だったときに邪魔をしないように、私はこっそりと木々をかき分けた。
松明の光は木々に遮られていて、茂みの向こうは真っ暗だ。
だれかの囁き合う声が聞こえてくる。
「あの女、探しに来るかしら? この前のとき、わざとキスしてるところを見せたら泣いていたじゃない。今夜は怯えて探しに来ないんじゃないの?」
「いいや、来るさ。今夜は必ず探しに来る。セシリャは俺と婚約破棄するつもりなんだからな」
「あら! あの女に婚約破棄されたりしたら、バスキス伯爵家の財産を使えなくなるじゃない。アタシ、フリオのことは愛してるけど貧乏は嫌よ」
「わかってる。だからこの計画を実行するんじゃないか。……ちゃんとニコラスとやらは忍び込んでるんだろうな?」
「ええ、そのはずよ」
会話の主はフリオ様とメンティロソ様だった。
フリオ様は私が彼と婚約破棄しようとしていることに気づいていたらしい。
不穏なものを感じて、私はそのまま聞き耳を立てた。
「最初は渋ってたくせに、急にアタシの計画に興味を示し出したと思ったら、婚約破棄されそうになって後がないからだったのね」
「貧乏になって君に捨てられたら生きている甲斐がないからな。俺はバスキス伯爵家の入り婿になって、君を養わなきゃいけない」
「ふふふ。そのためにあの女をニコラスに攫わせて、娼館に売り飛ばすのね」
その言葉を聞いて息が止まりそうになる。
このふたりは一体なにを考えているのだろう。
たとえ婚約を破棄しなくても、私がいなくなったらフリオ様はバスキス伯爵家とは無関係になるのに。
「そうだ。アイツが身も心もボロボロになったところで見つけ出してやるのさ。いくら裕福なバスキス伯爵家が付いてくるといっても、そんな状態の女を娶ろうなんて男はいない。そこで俺がバスキス伯爵に恩を着せて、アイツをもらってやる。そうなったら、俺がなにをしようと文句は言えなくなるだろう?」
「酷い男ね」
「最初に計画を立てたのは君じゃないか」
唇を両手で塞いで、声を出さないようにして後退る。
……どうして? どうしてフリオ様はそこまで私を疎んでいるの? バスキス伯爵家の財産以外、私にはなにひとつ価値がないというの?
涙を堪えて立ち去ろうとした私の体は、だれかにぶつかって止まった。そこには、燃える炎のような赤い髪の──
どこかで、鳥の鳴く声がした。
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