だから今夜は眠れない

東雲紫雨

文字の大きさ
1 / 27
だから今夜は眠れない

1

しおりを挟む
       Ⅰ

 メタリックシルバーのポルシェが、独特の低い排気音を殺しながら滑るように並木の陰に停まった。
 流線形ラインの美しい車体ボディは、隅々まで手入れメンテナンスが行き届いている。しかし、窓にはすべてシールドがかかっていて中の様子をうかがい知ることはできない。まるで、外部のあらゆる視線を拒絶しているかのようである。
 その少し狭い車内で、左の運転席シートの女がガラス越しに外を見やって言った。
「あそこですわ、ご覧になれます?」
 流行色はやりのルージュに縁取られた形のいい唇からこぼれた声は、理知的で耳障りしない。
 彼女は、膝の上に広げたノート型の端末P Cに目を落とすと、丁寧な口調でさらに続けた。
「手前が有栖川祐介ありすがわゆうすけ、奥が鏑木浩平かぶらぎこうへいです」
 すると、笑い声とともに助手席から伸びた手が、その青く光る液晶画面モニターを指差した。
「…これ、本当ですか? 趣味がバービー人形の服集めと、レース編みって」
「ええ、間違いありませんわ。有栖川祐介は生活費を切り詰めて人形の衣裳代につぎ込んでいますし、鏑木浩平のレース編みに至っては達人プロ級で、大使館夫人マダムの間では、いわゆるカリスマ的な存在だそうですから」
「ふうん……カリスマ、ね。ふざけた趣味にしては意外というか…」
 そういえば、近頃の手芸界には愛好家の支持を集める男性の「カリスマ講師」が出現している。性別的住み分けの境界がなくなりつつある昨今であれば、あながち奇抜きばつなこととも言い切れない。
 液晶をのぞきながら、楽しげに微笑している傍らの人物に、運転席の女は用意した双眼鏡を手渡した。
 相手は、彼女がダッシュボードから取り出した小振りの双眼鏡を目に当てて、クスッと小さく笑った。
「それにしても目立つなぁ。もっとも、それ以外、見た目は全然共通点がないけど」
 助手席の人物は、レンズの向こうに見える光景がよほど愉快らしく、いつまでも可笑おかしそうに笑っている。
「どちらも、無類のプレーボーイでしてよ」
 淡々と言いながら女はマニキュアを施したきれいな指でキーボードを叩いた。
「それに…この悪運の強さ・ ・ ・ ・ ・が、立派な共通点ですわ」
 彼女の細い眼鏡めがねの上に、冷ややかな端末の画面が瞬いている。助手席の人物はやがて、双眼鏡に目を当てたまま、口元に薄い笑みを浮かべた。
「…気に入ったな、あの二人。強運なんて、金や努力では絶対に手に入らないものですからね」
「では早速、契約の手配を」
 キーボードをハンドルに持ち替えた女は、助手席の人物にシートベルトを促すと、静かに車を発進させた。
 うなりをあげた排気音が、低く通りにこだました。

       Ⅱ

「おおっ! ポルシェだ、ポルシェ」
「ビンボー人が。用がないなら、おれは帰るぞ」
 木立の中のベンチに並んで座っていた男の片方が、口元でくゆらせていた煙草を揉み消して立ち上がった。
 仕立てのいい三つ揃いのスーツが、肩幅の広いかっちりとした長身の体格によく似合っている。容貌は、濃いサングラスにほとんど遮られているが、響くような落ち着いた渋い声色は魅力的だった。
「おまえはいいよな。高級外車の一つや二つ金持ちのマダムからみつがせるなんて、お手のもんだろーし…」
 もう一方の男は口を尖らせ、不貞腐ふてくされたように背中を丸めて膝を抱えた。
 セピア色の髪をなびかせ、細身のつややかなシルクのチャイナ服をまとっているが、整った顔立ちのおかげで違和感がない。モデルか、TVタレントといっても充分通用しそうな美形である。
 この二人こそ、例のポルシェの中で話題になっていた鏑木浩平と有栖川祐介だった。
 運命は、彼らの預かり知らぬところでとんでもない方向へ転がりはじめていたが、当の二人はまだそれを知るよしもなかった。
「人聞きの悪いことを言うな。皮肉を言うためにわざわざ呼び出したのか、おまえは」
「おまえがいま乗ってるコンバーチブルのBMWビーエムも、その前のベンツもフェラーリも、30回のローンじゃとても買えないだろ」
「何が言いたい?」
「―――あやからせて。5万でいいから」
「ふざけるな」
 浩平が、渋い美声を特別荒げることもなくばっさりと言い捨てた。
「今どき担保もない奴に無償で融資ができるか。そのくらい自力で稼げ、自力で」
「自力でって…コーヘイおまえ、おれに援助交際エンコーしろってのか⁉」
「したいなら止めないけどな、おれは別に」
 彼は飄々ひょうひょうと肩を竦めた。
「おれはおまえにビタ1もん貸す気はないが、歌舞伎町かぶきちょうあたりなら、おまえのカオとカラダに5万ぐらい出すって女やが引っ掛かるかもしれないしな」
 唇に冷笑を浮かべる彼を見て、祐介は端整な顔をあからさまに歪めた。
「おまえみたいになぁ、貢がせるばっかりで貢ぐオンナもいないようなヤツが、金なんかため込んでどーすんだよ。金ってのはなぁ、使うためにあるんだ。持ってるだけじゃ意味ねーだろーが」
「なに言ってやがる、ビンボー人が。その金を人にたかってるのはどこのどいつだ。女を喜ばせてやりたければ、自分の稼ぎで喜ばせてやるんだな」
「……くっそー……」
 くやしいが正論である。
 借金のクチを断たれ、むくれて押し黙った祐介をよそに、薄く笑った浩平は、すっかりへこんだ彼を残してきびすを返した。
「ビンボー人のたわごとは聞き飽きた。おまえのオンナ・ ・ ・によろしくな、ユースケ」
「おーきなお世話だ」
 こうなると、落ち込んだ彼の口からは愚痴ぐちしか出てこなかった。
「ったく…ツイてねーよな、このごろ。ネットオークションじゃり負けるし、逆ナンパ仕掛けてきた女には逃げられるし、ボーソー族にゃインネンつけられるし……コンビニに行きゃ車が突っ込んでくるし、ビルの工事現場からは鉄骨が降ってくるし、無人トラックにゃかれそうになるし」
 そんな祐介のとりとめもない呟きに、二・三歩行きかけた浩平が振り返った。
「おまえ、今なんて言った?」
「…ああ? ツイてねーって言ったんだよ。どっかのドケチは金も貸してくんねーし」
「いや、そうじゃなく…」
「なんだよ、くろうと・ ・ ・ ・のヤーさんにもからまれたし、車道にも突き飛ばされたし、これがツイてなくてなんだってんだ」
「―――フツーなら3回は死んでるな」
「くそったれ。もー、こーなったらホントに援助交際エンコーするっきゃねーぜ」
 と言うなり、すっくと立ち上がった祐介は、思案顔でたたずんでいる浩平に詰め寄った。
「なに固まってんだよ、行くぞ!」
「ああ? 行くって、どこへ」
「そのへんのコンビニか薬局まで乗せてけ。まむしドリンク、しこたま仕入れちゃる」
 祐介は、妙な意気込みに燃えている。
 浩平は一瞬何か言いかけたが、頭をいてその言葉を呑み込んだ。
(…まあ、いいか。実際なんともないんだし)
 だが、それが、これから彼らの身に起こる運命の、ほんの序章にすぎなかったことをのちに彼らは知ることになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

後宮薬師は名を持たない

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。 帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。 救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。 後宮が燃え、名を失ってもなお―― 彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...