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姫君には鍵をかけて
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Ⅸ
アイドリングをしている車の吸気口から、カラカラと小さな音がした。
「なんだ、今の?」
「さあ、ゴミでも吸い込んだんじゃないのか」
エアコンのきいた車内で、外国人たちは互いに肩を竦め合った。
だが、向かいの路地の物陰からその様子を窺っていた人影が消える頃、彼らは急な眠気に襲われてぐったりと座席にもたれていた。
別の場所で、雑踏の後ろから子供連れの男たちを尾行していた背広姿の外国人が、不意に辺りを見回した。
「おい、もう一人はどこへ行った?」
「ちらっとしゃがんだように見えたが…」
繁華街の午後は、人波も引きを切らない。混雑した通りは、ぶつからずにすれ違うのがやっとである。しきりに伸び上がってみるものの、前の様子はよくわからなかった。
片方が、イライラしたようにぼやいた。
「こう人が多くては身動きが取れんな」
ただ、子供を抱きかかえている肩幅の広い後ろ姿はよく目立つ。
「とにかく、あれを見失わなければ大丈夫だ。あの二人組は日本人離れした体格だからな」
「ああ」
しばらくいくと、連れの肩に何か当たった気がして彼は振り返った。
「どうした?」
「いや、気のせいだろう」
歩き出してすぐに、また何かが当たった。
今度は後頭部だった。
「くそっ! なんなんだ、一体」
頭を押さえて後ろを返り見たが、通り過ぎる顔はどれもそ知らぬふうである。忌ま忌ましげに舌打ちして向き直ると、つい今し方までそこにいた連れの姿が忽然と消えていた。
ざわめきの中に一人取り残された彼は、咄嗟にあの後ろ姿を目で追った。
(もう一人は―――⁉)
と、いきなり背後から肩を叩かれた。
「おれをお探し?」
振り向く瞬間、素早く懐中に手を差し込むと、それより早く背中に硬いものを押し当てられた。
「おっと。そんな物騒なもん、こんなとこで抜かないでね。手はそのまま―――相方のとこに連れてったげるから」
日本語はわからなかったが、肩を摑まれ、背中を小突かれるままに人込みを横切り、うらぶれた路地へ強引に押し出された。
建物の裏手の、じめじめした路地だった。
その奥に見知った男が転がされているのを見た途端、彼は振り向きざまに懐中のものを抜き出そうとした。
その刹那、バチッと激しい音がして、背中から頭へ高圧電流が突き抜けた。
くなくなと崩れ落ちる彼が意識を失う前に最後に見たのは、黒の革手袋をした相手の手にあるスタンガンだった。
祐介は背広の下からホルスターに収まった銃を引き抜くと、オートマチックの弾倉から弾丸を抜いて側溝へ捨て、からのカートリッジと銃を別々に遠くへ投げた。
実に手際がよく、手馴れた様子であった。
それから彼は何事もなかったように踵を返すと、人込みへ戻り、雑踏を闊歩する浩平と合流した。
「―――猟犬でした」
「ほう…」
「コルトの22とS&Wの38。一人は腰にサブくわえてたし。官給品にしちゃ、ゴーセーでしょ」
「護身用にしても大げさだしな」
「これがヤーさんなら、相場はトカレフか改造のリボルバーってとこだけど、ぴっかぴかのオートマだったぜ」
「どうやって持ち込んだか知らないが、法治国家をナメてるな」
「連中の足も全部つぶしといた。停まってるやつにはタイヤにトゲ弾食わせてきたし、見張りは明日まで起きないぜ。ダクトに強力な催眠ガス弾入れてやったから」
「上出来だ」
「ほんじゃ、タッチこーたい」
祐介が少女を抱き取ると、浩平が言った。
「なるべく賑やかな場所へ行け。人込みを離れるなよ」
「まかしとき」
少女の顔を覗き込んだ祐介は、人懐っこい笑みを浮かべた。
「よし、今度はおれとデートだ。どこ行く? 動物園? それとも遊園地にしよーか」
「おい、せめて博物館とか美術館にしろ」
浩平が露骨に顔をしかめた。すると、祐介が「ええ~っ」と不服そうな声を出した。
「子供連れだぜ? そんなん飽きちゃうよ」
「おまえが、だろう」
「ちぇっ、自分がガラじゃないもんだから…」
「黙れ」
二人のやりとりを、少女がきょとんとした顔で見つめている。どこまで本気かわからないが、緊迫感や真剣みがないのは相変わらずだった。
「だったらショッピングモールにしておけ、面倒臭い」
憮然とした浩平の言葉に、祐介はぶすっと膨れて口を尖らせた。
「せっかくのデートが、モールの素見かよ。つまんねーな…」
しかし、すぐに何か思いついたように顔を上げた。
「あ、そうだ。んじゃ、水族館にしよーぜ。おチビちゃん、アクアリウム、わかる?」
少女はじっと祐介を見ている。傍らで浩平が仕方なさそうに肩を竦めた。
「まあ、動物園よりはマシだな」
「ゼータクなんだよ、おまえは。…こんな気取り屋ほっといて、おサカナ見にいこーぜ、おチビちゃん」
祐介は浩平にかまわず、さっさと方向を変えた。
洒落たディスプレーのウインドー越しに何気なく二人をやり過ごした外国人が、雑踏のほうに向き直り、反対側の歩道にいる別の組に指で合図を送った。
執拗な追跡は、まだ続いていた。
高層ビルの中にある水族館は、色とりどりの魚が乱舞する巨大な水槽とロマンチックな演出があいまって、終日、若いカップルの姿で賑わっていた。
仄暗い照明に浮かび上がるマリンブルーの水のゆらめきが幻想的な雰囲気を醸し出す。
トンネル型の水槽をくぐると、魚影が悠々と頭の上を横切った。
少女の瞳が見る見る輝きだした。
そして、きらきらと瞬くように身を翻す色鮮やかな熱帯魚の群れに、その顔が初めてほころんだ。
小さな手で盛んに魚を指差しては嬉しそうに笑う。祐介が壁一面の水槽の前にしゃがむと、彼女は食い入るように舞い泳ぐ魚たちを眺めた。
そんな彼らを、遠くから鋭い視線が窺っていた。
「―――へたに手出しはできんな。ここでは人目が多すぎる」
「それにしても、あの二人…」
「気付いたか?」
「ああ。奴ら、人込みをさんざん歩き回った挙げ句に、三度も我々を信号に引っ掛けた。恐らく、故意にな」
「尾行はバレているらしいな」
「バックアップがなければ、とっくに巻かれている。こちらがこの街に不案内なのを承知でからかっているようだ」
「やはり、並みの素人ではなさそうだな」
苦々しく舌打ちした彼らは、不愉快そうに眉を寄せた。
「おい…ところで、サングラスのほうはどうした? 姿が見えんが」
「喫煙所の近くで見失った。だが、逆行するのも不自然だろう。奴は後ろの連中に任せた」
一人が親指で後方を指す仕草をすると、連れの表情がにわかに曇った。
「―――昨日のこともある。あれだけ見事に振り切っておいて、わざわざ街中に現われ、注意を引き付けたからには、何か企んでいるのかもしれない。…応援を呼んだほうがいい」
用心深い彼の言葉に促されたもう一人は、早速その場を離れ、少し奥まったところにある電話ブースに向かった。
背広のポケットから携帯電話を取り出し、リダイヤルを押す。
四・五回コールしたが、つながらない。
さらに辛抱強く待ってみたが、誰も応答に出ない。不審に思った彼が一旦電話を切って、連れのところに戻ろうとしたときだった。
突然、背中に硬いものを押しつけられた。
「騒ぐなよ、おれは気が小さいんだ。うっかり手が滑って暴発させるかもしれん」
背後から、低く響く声が流暢な英語でそう言った。すぐに相手があの日本人だと察した彼は、嘲笑して英語で言い返した。
「ふん、くだらん子供騙しだ。銃などどこで手に入れた? さしずめ、それはライターか何かだろう」
すると、背後でライターの蓋を切る音がし、相手は悠然と左手で煙草に火をつけた。
男は思わず、うっと呻いた。
硬直した体の後ろから紫煙が逆巻き、辺りに漂う。
「こいつは貴様の仲間から拝借した。性能は貴様のほうがよく知っているだろう」
「は―――はったりだ、こんなところで撃てるはずがない…!」
「ほう、では試してみるか? 貴様は勇気があるな」
銃口が、ぐいと背中に突きつけられた。
「よ…よせ、撃つな!」
引き金が引き絞られ、スプリングが冷酷な軋みをあげる。
背中に冷たい汗が伝った。
「……やめろ……っ‼」
悲鳴に近い声が洩れた瞬間、銃が空撃ちした。はっと我に返ったその刹那、彼は首筋に強打を食らって失神した。
浩平が銃のグリップを掲げ、くわえ煙草で呟いた。
「はったりってのは、こうやってかますんだ」
路肩に止めた車の中で、不意に鳴りやんだ携帯電話を冷ややかに一瞥した男が、その見事な銀色の髪を掻き揚げた。
彼は、意識をなくしている見張りたちと、すっかり空気の抜けた片方の後輪を見下ろして物憂げに溜め息をついた。
「―――密林戦術だな。一人が追尾の目を引きつけ、もう一人が人込みに潜んで奇襲をかける…。雑踏を巧みに利用した遊撃だ。いかに数や装備で勝っていても、不慣れな土地では分が悪い。しかも、あらかじめ退路を断っておき、援軍を呼ばせぬ用心をする周到さには恐れ入る」
「どうします、少佐」
部下らしき男の声に、彼は顎を上げた。
「奴らは、今どこだ?」
「ビルの中の水族館です。A班とC班、ほか2班が引き続き目標を捕捉しています」
「ほう、建物の中とは好都合だな」
「散開している残りの者も、すべて召集しました。しかし…B斑、D班とは連絡が取れません」
口ごもってうなだれた部下に、彼は冷たい眼差しを注いだ。
「―――狩りもまともにできぬ駄犬より、彼らのような優秀な人材を部下に欲しかったものだな」
そして冷徹に顔を背け、眉一筋も動かさず厳しい口調で言い放った。
「脱落者に用はない。敵を侮った愚かさを、自ら味わっているのだろう」
部下の男は俯いたまま固唾を呑んだ。相手の冷酷さにぞっとしたからだ。
その頭の上から、再び冷ややかな声が降ってきた。
「館内を、ただちに封鎖しろ。抵抗するときはかまわぬ、撃ち殺せ。奴らは王女の誘拐犯だ。この際、多少の手荒な行為も止むを得まい」
「はっ!」
銀髪の男は緊張した様子で顔を上げた部下に向き直り、冷淡に言った。
「全班を指揮して、奴らを追い込め。昨日のような不様な失敗は許されんぞ」
「Ja‼」
部下は軍隊式に踵を鳴らし、身を翻した。
駆け出してゆくその背を見送った銀髪の男は、傍らの車を改めて見やり、ふと息をついた。それから、おもむろに携帯電話を取り出してどこかへダイヤルし、二言三言短く話すと、電話を切って歩きだした。
うさぎ狩りは、大詰めを迎えた様相だった。
アイドリングをしている車の吸気口から、カラカラと小さな音がした。
「なんだ、今の?」
「さあ、ゴミでも吸い込んだんじゃないのか」
エアコンのきいた車内で、外国人たちは互いに肩を竦め合った。
だが、向かいの路地の物陰からその様子を窺っていた人影が消える頃、彼らは急な眠気に襲われてぐったりと座席にもたれていた。
別の場所で、雑踏の後ろから子供連れの男たちを尾行していた背広姿の外国人が、不意に辺りを見回した。
「おい、もう一人はどこへ行った?」
「ちらっとしゃがんだように見えたが…」
繁華街の午後は、人波も引きを切らない。混雑した通りは、ぶつからずにすれ違うのがやっとである。しきりに伸び上がってみるものの、前の様子はよくわからなかった。
片方が、イライラしたようにぼやいた。
「こう人が多くては身動きが取れんな」
ただ、子供を抱きかかえている肩幅の広い後ろ姿はよく目立つ。
「とにかく、あれを見失わなければ大丈夫だ。あの二人組は日本人離れした体格だからな」
「ああ」
しばらくいくと、連れの肩に何か当たった気がして彼は振り返った。
「どうした?」
「いや、気のせいだろう」
歩き出してすぐに、また何かが当たった。
今度は後頭部だった。
「くそっ! なんなんだ、一体」
頭を押さえて後ろを返り見たが、通り過ぎる顔はどれもそ知らぬふうである。忌ま忌ましげに舌打ちして向き直ると、つい今し方までそこにいた連れの姿が忽然と消えていた。
ざわめきの中に一人取り残された彼は、咄嗟にあの後ろ姿を目で追った。
(もう一人は―――⁉)
と、いきなり背後から肩を叩かれた。
「おれをお探し?」
振り向く瞬間、素早く懐中に手を差し込むと、それより早く背中に硬いものを押し当てられた。
「おっと。そんな物騒なもん、こんなとこで抜かないでね。手はそのまま―――相方のとこに連れてったげるから」
日本語はわからなかったが、肩を摑まれ、背中を小突かれるままに人込みを横切り、うらぶれた路地へ強引に押し出された。
建物の裏手の、じめじめした路地だった。
その奥に見知った男が転がされているのを見た途端、彼は振り向きざまに懐中のものを抜き出そうとした。
その刹那、バチッと激しい音がして、背中から頭へ高圧電流が突き抜けた。
くなくなと崩れ落ちる彼が意識を失う前に最後に見たのは、黒の革手袋をした相手の手にあるスタンガンだった。
祐介は背広の下からホルスターに収まった銃を引き抜くと、オートマチックの弾倉から弾丸を抜いて側溝へ捨て、からのカートリッジと銃を別々に遠くへ投げた。
実に手際がよく、手馴れた様子であった。
それから彼は何事もなかったように踵を返すと、人込みへ戻り、雑踏を闊歩する浩平と合流した。
「―――猟犬でした」
「ほう…」
「コルトの22とS&Wの38。一人は腰にサブくわえてたし。官給品にしちゃ、ゴーセーでしょ」
「護身用にしても大げさだしな」
「これがヤーさんなら、相場はトカレフか改造のリボルバーってとこだけど、ぴっかぴかのオートマだったぜ」
「どうやって持ち込んだか知らないが、法治国家をナメてるな」
「連中の足も全部つぶしといた。停まってるやつにはタイヤにトゲ弾食わせてきたし、見張りは明日まで起きないぜ。ダクトに強力な催眠ガス弾入れてやったから」
「上出来だ」
「ほんじゃ、タッチこーたい」
祐介が少女を抱き取ると、浩平が言った。
「なるべく賑やかな場所へ行け。人込みを離れるなよ」
「まかしとき」
少女の顔を覗き込んだ祐介は、人懐っこい笑みを浮かべた。
「よし、今度はおれとデートだ。どこ行く? 動物園? それとも遊園地にしよーか」
「おい、せめて博物館とか美術館にしろ」
浩平が露骨に顔をしかめた。すると、祐介が「ええ~っ」と不服そうな声を出した。
「子供連れだぜ? そんなん飽きちゃうよ」
「おまえが、だろう」
「ちぇっ、自分がガラじゃないもんだから…」
「黙れ」
二人のやりとりを、少女がきょとんとした顔で見つめている。どこまで本気かわからないが、緊迫感や真剣みがないのは相変わらずだった。
「だったらショッピングモールにしておけ、面倒臭い」
憮然とした浩平の言葉に、祐介はぶすっと膨れて口を尖らせた。
「せっかくのデートが、モールの素見かよ。つまんねーな…」
しかし、すぐに何か思いついたように顔を上げた。
「あ、そうだ。んじゃ、水族館にしよーぜ。おチビちゃん、アクアリウム、わかる?」
少女はじっと祐介を見ている。傍らで浩平が仕方なさそうに肩を竦めた。
「まあ、動物園よりはマシだな」
「ゼータクなんだよ、おまえは。…こんな気取り屋ほっといて、おサカナ見にいこーぜ、おチビちゃん」
祐介は浩平にかまわず、さっさと方向を変えた。
洒落たディスプレーのウインドー越しに何気なく二人をやり過ごした外国人が、雑踏のほうに向き直り、反対側の歩道にいる別の組に指で合図を送った。
執拗な追跡は、まだ続いていた。
高層ビルの中にある水族館は、色とりどりの魚が乱舞する巨大な水槽とロマンチックな演出があいまって、終日、若いカップルの姿で賑わっていた。
仄暗い照明に浮かび上がるマリンブルーの水のゆらめきが幻想的な雰囲気を醸し出す。
トンネル型の水槽をくぐると、魚影が悠々と頭の上を横切った。
少女の瞳が見る見る輝きだした。
そして、きらきらと瞬くように身を翻す色鮮やかな熱帯魚の群れに、その顔が初めてほころんだ。
小さな手で盛んに魚を指差しては嬉しそうに笑う。祐介が壁一面の水槽の前にしゃがむと、彼女は食い入るように舞い泳ぐ魚たちを眺めた。
そんな彼らを、遠くから鋭い視線が窺っていた。
「―――へたに手出しはできんな。ここでは人目が多すぎる」
「それにしても、あの二人…」
「気付いたか?」
「ああ。奴ら、人込みをさんざん歩き回った挙げ句に、三度も我々を信号に引っ掛けた。恐らく、故意にな」
「尾行はバレているらしいな」
「バックアップがなければ、とっくに巻かれている。こちらがこの街に不案内なのを承知でからかっているようだ」
「やはり、並みの素人ではなさそうだな」
苦々しく舌打ちした彼らは、不愉快そうに眉を寄せた。
「おい…ところで、サングラスのほうはどうした? 姿が見えんが」
「喫煙所の近くで見失った。だが、逆行するのも不自然だろう。奴は後ろの連中に任せた」
一人が親指で後方を指す仕草をすると、連れの表情がにわかに曇った。
「―――昨日のこともある。あれだけ見事に振り切っておいて、わざわざ街中に現われ、注意を引き付けたからには、何か企んでいるのかもしれない。…応援を呼んだほうがいい」
用心深い彼の言葉に促されたもう一人は、早速その場を離れ、少し奥まったところにある電話ブースに向かった。
背広のポケットから携帯電話を取り出し、リダイヤルを押す。
四・五回コールしたが、つながらない。
さらに辛抱強く待ってみたが、誰も応答に出ない。不審に思った彼が一旦電話を切って、連れのところに戻ろうとしたときだった。
突然、背中に硬いものを押しつけられた。
「騒ぐなよ、おれは気が小さいんだ。うっかり手が滑って暴発させるかもしれん」
背後から、低く響く声が流暢な英語でそう言った。すぐに相手があの日本人だと察した彼は、嘲笑して英語で言い返した。
「ふん、くだらん子供騙しだ。銃などどこで手に入れた? さしずめ、それはライターか何かだろう」
すると、背後でライターの蓋を切る音がし、相手は悠然と左手で煙草に火をつけた。
男は思わず、うっと呻いた。
硬直した体の後ろから紫煙が逆巻き、辺りに漂う。
「こいつは貴様の仲間から拝借した。性能は貴様のほうがよく知っているだろう」
「は―――はったりだ、こんなところで撃てるはずがない…!」
「ほう、では試してみるか? 貴様は勇気があるな」
銃口が、ぐいと背中に突きつけられた。
「よ…よせ、撃つな!」
引き金が引き絞られ、スプリングが冷酷な軋みをあげる。
背中に冷たい汗が伝った。
「……やめろ……っ‼」
悲鳴に近い声が洩れた瞬間、銃が空撃ちした。はっと我に返ったその刹那、彼は首筋に強打を食らって失神した。
浩平が銃のグリップを掲げ、くわえ煙草で呟いた。
「はったりってのは、こうやってかますんだ」
路肩に止めた車の中で、不意に鳴りやんだ携帯電話を冷ややかに一瞥した男が、その見事な銀色の髪を掻き揚げた。
彼は、意識をなくしている見張りたちと、すっかり空気の抜けた片方の後輪を見下ろして物憂げに溜め息をついた。
「―――密林戦術だな。一人が追尾の目を引きつけ、もう一人が人込みに潜んで奇襲をかける…。雑踏を巧みに利用した遊撃だ。いかに数や装備で勝っていても、不慣れな土地では分が悪い。しかも、あらかじめ退路を断っておき、援軍を呼ばせぬ用心をする周到さには恐れ入る」
「どうします、少佐」
部下らしき男の声に、彼は顎を上げた。
「奴らは、今どこだ?」
「ビルの中の水族館です。A班とC班、ほか2班が引き続き目標を捕捉しています」
「ほう、建物の中とは好都合だな」
「散開している残りの者も、すべて召集しました。しかし…B斑、D班とは連絡が取れません」
口ごもってうなだれた部下に、彼は冷たい眼差しを注いだ。
「―――狩りもまともにできぬ駄犬より、彼らのような優秀な人材を部下に欲しかったものだな」
そして冷徹に顔を背け、眉一筋も動かさず厳しい口調で言い放った。
「脱落者に用はない。敵を侮った愚かさを、自ら味わっているのだろう」
部下の男は俯いたまま固唾を呑んだ。相手の冷酷さにぞっとしたからだ。
その頭の上から、再び冷ややかな声が降ってきた。
「館内を、ただちに封鎖しろ。抵抗するときはかまわぬ、撃ち殺せ。奴らは王女の誘拐犯だ。この際、多少の手荒な行為も止むを得まい」
「はっ!」
銀髪の男は緊張した様子で顔を上げた部下に向き直り、冷淡に言った。
「全班を指揮して、奴らを追い込め。昨日のような不様な失敗は許されんぞ」
「Ja‼」
部下は軍隊式に踵を鳴らし、身を翻した。
駆け出してゆくその背を見送った銀髪の男は、傍らの車を改めて見やり、ふと息をついた。それから、おもむろに携帯電話を取り出してどこかへダイヤルし、二言三言短く話すと、電話を切って歩きだした。
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