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9話 金策、見出す~持ち込み 弐

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 自分は奥の政治をつかさどる御年寄という地位に就いている。
 なんとかするのがお役目。
 大奥を江戸市中えどしちゅうのように火が消えた場所にするわけにはいかないのだ。――と、部屋方の霞が話していたことを思い出した。
 御城おしろに出入りする商人あきんどから聞いたそうだが、江戸では井原西鶴いはらさいかく好色一代男こうしょくいちだいおとこがヒットしていると言っていた。
 風儀風俗ふうぎふうぞくを改めるため出会い茶屋も取り払われた今、本だけが残された娯楽なのだそうだ。

「……そのために、好色本こうしょくぼんが売れに売れていると。理にかなっておるな。ふむ、好色本か。好色本……」

 そこでハッと閃くものがあった。

「ならば、自分の書いた小説を売り込めないか……?」

 時勢の流れに乗り売ることができれば、この財政難を救う一端をになえるしれない。
 試す価値はある。
 高遠は立ち上がり、急いで部屋へ戻った。


 ***


 上野の東照宮とうしょうぐう代参だいさんを済ませた高遠は駕籠かご通油町とおりあぶらちょうにある地本問屋じほんどんや、『鶴屋つるや』へ向かわせた。
 大奥に務める者は、御台所みだいどころの代わりに寺へもうでるお勤めがある。
 多くの女中たちは、その帰りに寄り道をすることを楽しみにしていた。
 建前上禁止にされているが、茶屋へ寄ったり、芝居見物をしたりすることは息抜きができるとあって、咎める者はいない。
 高遠は、本を売ることを考えた夜から書き殴っていた文章を再度推敲すいこうし、清書して読める形に直し、代参の日を待っていた。

 ――この原稿が大奥を救うかもしれない。

 胸に抱えた綴本をぎゅっと握りしめる。
 自分にできる金策はこれしかない。この際、恥はかき捨てだ。
 駕籠かごが止まり、戸が開かれる。白足袋の足が上等の草履を履く。ジャリと土を踏みしめる音を立て、高遠は『鶴屋』の店先に降り立った。

 豪華な駕籠から、豪奢な衣装を身に纏った高貴な女性にょしょう、高遠の出現に人々は遠巻きに好奇の視線を投げかけている。
 すぐに『鶴屋』の主と思わしき、ふっくらと肉付きのよい初老の男が店先に出て、高遠を迎えた。

「このような場所に足をお運びいただき、恐悦至極に存じます」
「うむ。ちと頼みたいことがあって参った」
「手前どもにでございますか?」

 頷く高遠に、鶴屋の主人は店の二階に案内した。そのあいだに、高遠はつぶさに店内の様子をうかがった。
『鶴屋』は盛況だ。
 店前にある出し看板には店の商標鶴の絵が描かれ、箱の三方に大きく『本屋』『書肆しょし』『本問屋』と書かれ、脇に小さく『古本買い取り』『儒書』『仏書』『唐本』と取り扱い分野が明記されている。
 さすがは目を付けた大棚。品揃えが豊富だ。

 屋号やごうや鶴の商標が染め抜かれている軒暖簾がはためき、店は往来から店内が見えるように間口が広く取られ、売れ筋は斜めになった板に並べられて人目を引く工夫がなされていた。

 ――やはり自分の目で見ることは大切だ。

 店内は通りから少し奥に配置されており、長い机にズラリと本が並んでいて、そこに買い求める人々が座り、店の者たちと欲しい本やお勧めの本などを話し込んでいる。
 壁に本の題名が記されている紙が貼られ、一目で人気のある本がわかるようになっていて、なるほど。これはよい案だと思った。
 高遠は案内された部屋で出された茶を飲み、一息吐いて言った。

「繁盛されておるの」
「はい。このご時世にありがたいことです」
「最近はなにが売れておる?」
重宝記ちょうほうき万宝まんぽうがよく売れております。他にも庶民の生活を軽快に描いた滑稽本や『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』の十返舎一九じゅっぺんしゃいっくが人気ですな」

 重宝記とは日常生活で気をつけることや、役立つことを書いたハウツー本のことで、万宝はそれを詳細にしたものだ。

「それに、草双紙くさぞうし好色本こうしょくぼんなど、娯楽性が高いものも人気が高うございます。それで、本日はなにをお求めにおいでになったのでしょう?」

 主は柔和な顔で問う。
 言葉にするのに勇気がいったが、これしかないとここまできたのだ。
 高遠は抑えた声で言った。

「いや、本日は本を買いに参ったのでない」
「え? ではどうして」

 主は怪訝な表情を浮かべる。

「単刀直入に聞くが、男色本の売れ行きはどうか?」
「男色本、でございますか?」

 困惑の色を滲ませた声が繰り返し言った。
 高遠のような身分ある女性が、男色本の売れ行きを気にするなど、なにか裏があるのでは? と探るようにチラと見つめる。
 このご時世だ。慎重になるのも頷ける。高遠はその視線を受け止めた。
 それを見て、主は瞬時に切り替えて答えた。

「はい。よく売れております」

 やはり睨んだ通りだ。
 高遠は袋に包んだ紐を解き、九冊の綴本を主の方へつい、と差し出して言った。

「この男色小説が売れるものであるのか判断して欲しい」
「う、売り込み、にございますか?」

 これにはさすがの主も驚きを隠せないようだった。高遠は続けて言う。

「ああ。ここだけの話だが」
「はい」

 主はぐっと身を乗り出す。

「これを売りたいという者がおってな。しかし、売り物になる出来なのか検討が付かぬ。それ故、その道に精通しておる者に判断を仰ぎたいと考え、わらわが参った次第だ。可能か?」

 主は喉をごくりと鳴らし、問うた。

「……売りたいお方とは」
「それは言えぬ」

 高遠の即答に主は綴本とじほんを見つつ考え込んだ。
 明らかに身分の高い高遠の頼みを無下むげに断ることはできないだろう。しかも、売り物にならないと判断したとき断りを入れるのにも慎重を期さねばならない。
 すまぬな。と内心謝りつつも、これしかないと一大決心をしてやってきたのだ。引くわけにはいかない。
 高遠は言葉に力を込めた。

「もう一度聞く。可能か?」
「……はい」

 主が折れた。

「売り物になるかどうかは包み隠さず申せ。売れないものを売れとは言わぬ」
「――わかりました。鶴崎吉左衛門つるさきよしさえもん。確かにお預かりいたしました」
「うむ。では文にて返事を待つ」
「わかりました。して、どちらのお屋敷にお伺いいたせばよろしいでしょう」
「江戸城、大奥へ」

 ガコーンと主の顎が外れる。
 それはそうだろう。大奥は将軍がおわす御城にある。そこに男色本が売れる、売れないの返事を出さなければならないのだ。
 パクパクと口を開け閉めする主に向かって高遠は言った。

「そういう事情だ。他言無用ぞ」
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