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8話 金策、見いだす 壱
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十一月に入り寒さが感じられる季節になった。
そろそろ師走のことを考えなければならない。しかし、衆議が行われた席はめでたい話などなく、むしろ悪化を知らせるものだった。
塩沢が深いため息を吐きつつ、重い口を開く。
「――聞いておるだろうが、表向きから大奥行事の縮小が決められた。歳明けから慣例通りに行えぬだろう」
諸藩の大名たちや娘が招かれる花見や、五十三次などは、幕府の権威と将軍のご威光を示すために例外とされたが、大奥の女たちのみで催されるものは縮小すると言う。
狂言鳴物は中止だし、それどころか女中たちに振る舞う酒も料理もなく、人員減らしを行わなくてはならないほどの財政カットだった。
叶も、どうしたものかと言ったふうに言う。
「奥にいる者は気軽に外へは出られませぬゆえ、行事は大切な気晴らし。それさえも禁止するとは沢渡主殿頭はどうかしておられる」
中野も「まったくですな」と同意する。
金崎は悔しげに唇を噛み、
「御台さまや御中臈たちが輝いてこそ、上様のご威光を示せるというもの。それを縮小せよとは、まるで大奥が邪魔だと言わんばかりの扱いではありませぬか。奥向きに口出しされるなど口惜しくてなりませぬ……」
高遠もこれには同意だ。
恐らく沢渡主殿頭の狙いは自分たちの懐も含まれている。
御年寄ともなると城の外に町屋敷が与えられ、その土地からあがる収入を懐に入れることができる。それに大奥は上様と生活が一体化された場所。
上様と近しいだけに表向きの人事に口出しすることも可能だ。
それを狙って賄賂が渡されるのは日常茶飯事で、何千両という大金を貯め込んでいてもおかしくない身分なのだ。沢渡主殿頭は暗に、
『止めはしないが、やるならば自腹を切れ』
と、言っているのだろう。
しかし、そのことを口に出すのは憚られた。貯めた金は女ひとりで老後を生きていく頼みの綱だからだ。高遠だって金が貯まるからこそ働く気概も増す。
それに、幕府の御金蔵にいくら残っているか知らないが、
『自腹を切れと言うなら、まず、そちらが切れ』と言いたい。
大奥は上様のための場所なのだから、金を出すべきは幕府側だ。
高遠も毅然と言葉を発する。
「大奥は上様ただおひとりのために作られた場所。そのために女たちが集められているのです。ならば御公儀が出して然りかと」
塩沢は、うむと頷く。
「我ら大奥を取り仕切る者にとって、慣例に則り行事を行えぬことは、大奥の権勢が削がれたということが明白となり、大奥の歴史に汚点を残すことになる。なにより、これ以上、表向きが『奥向きに口出しできる』と思われることは避けなければならぬ。些細なことでよい。金策に手立てがあるなら申してみよ」
しかし、塩沢の言葉に続く声はなかった。
金策があるなら、とっくにやっているからだ。なにもないから削ることでしのいできた。仮に自分の懐を開こうにも狂言鳴物だけでも千両は必要で、行事ごとに金を出していれば簡単に干上がってしまう。
なんとかしなければならない。しかしアテがない。
憤りの言葉が出たあとは沈黙が続き、諦めのムードが漂い始めた。
塩沢がふうと大きな息を吐き、
「今日はここまでにしよう。各々、策を考えてくれ」と衆議を締めた。
***
「金策か……」
冴え冴え光る月を見ながら高遠はポツリと呟いた。
言葉は空しく零れ落ちていく。
いつもなら小説を書いていれば気持ちが切り替わるのだが、さすがに今夜ばかりはその気になれず、夜着に羽織をはおって部屋を出たのだ。
小説で詰まったときもこうして深夜、ひとりで庭を眺めては絡まった頭を冷やしていた。よく手入れされた庭には値が張るとわかる庭石が置かれ、月光に照らされてぼんやりと光っている。
月明かりは蝶の鱗粉が舞うように地上へと降り注ぎ、月光の舞を見ているようだった。
雑念に遮られることのない、この場所で大奥の問題について考えを巡らした。
――沢渡主殿頭の改革はいつまで続くのだろう。
このままでは大奥が立ちゆかなくなる日も遠くない。
「大奥、か」
なぜ、そうまでして大奥を守りたいのか? そう問いかけられたら、こう答えるだろう。
春日局という偉大な女性が、たったひとりで作り上げ、延々と受け継がれてきた伝統を守っているという自負があるからだ。
自分の存在意義であり、プライド。
それは、高遠だけでなく、塩沢たち、皆もそうだ。
自分たちが世を治める上様を癒やし、次の世を治める世継ぎを産む環境を作り、育てる基盤を担っているという責任があるからこそ、必死で守ろうとする。
それは戦のない世を保つために、もっとも必要なことだ。
それに、大奥は女が働き自立して生活できる数少ない場所だ。少なくとも、高遠にとってはそうだった。だからこそ、大奥で身を立てようと奉公に上がった。
改めて自分に問いかける。
表向きでも沢渡のやることに抵抗を示す勢力は大きく膨らみつつあると聞く。それはそうだろう。前例のないことを強引に進めることは因循姑息な慣例にしたがう役人にとっては忌まわしいことでしかない。
大奥は特にそうだ。
上様の生活の一部であり、世継ぎをもうけ、心を癒やすために存在する。そのために華やかであることが仕事。
どこの世界に暗く陰気な女のもとへ足繁く通う男がいるのか。
改革についても金崎のようにまったく耳を貸さないわけではないが、今回の決定は明らかに行き過ぎだ。
――とは言っても、女遊びにご執心の上様はあてにならないし、さて、どうしたものか。
そろそろ師走のことを考えなければならない。しかし、衆議が行われた席はめでたい話などなく、むしろ悪化を知らせるものだった。
塩沢が深いため息を吐きつつ、重い口を開く。
「――聞いておるだろうが、表向きから大奥行事の縮小が決められた。歳明けから慣例通りに行えぬだろう」
諸藩の大名たちや娘が招かれる花見や、五十三次などは、幕府の権威と将軍のご威光を示すために例外とされたが、大奥の女たちのみで催されるものは縮小すると言う。
狂言鳴物は中止だし、それどころか女中たちに振る舞う酒も料理もなく、人員減らしを行わなくてはならないほどの財政カットだった。
叶も、どうしたものかと言ったふうに言う。
「奥にいる者は気軽に外へは出られませぬゆえ、行事は大切な気晴らし。それさえも禁止するとは沢渡主殿頭はどうかしておられる」
中野も「まったくですな」と同意する。
金崎は悔しげに唇を噛み、
「御台さまや御中臈たちが輝いてこそ、上様のご威光を示せるというもの。それを縮小せよとは、まるで大奥が邪魔だと言わんばかりの扱いではありませぬか。奥向きに口出しされるなど口惜しくてなりませぬ……」
高遠もこれには同意だ。
恐らく沢渡主殿頭の狙いは自分たちの懐も含まれている。
御年寄ともなると城の外に町屋敷が与えられ、その土地からあがる収入を懐に入れることができる。それに大奥は上様と生活が一体化された場所。
上様と近しいだけに表向きの人事に口出しすることも可能だ。
それを狙って賄賂が渡されるのは日常茶飯事で、何千両という大金を貯め込んでいてもおかしくない身分なのだ。沢渡主殿頭は暗に、
『止めはしないが、やるならば自腹を切れ』
と、言っているのだろう。
しかし、そのことを口に出すのは憚られた。貯めた金は女ひとりで老後を生きていく頼みの綱だからだ。高遠だって金が貯まるからこそ働く気概も増す。
それに、幕府の御金蔵にいくら残っているか知らないが、
『自腹を切れと言うなら、まず、そちらが切れ』と言いたい。
大奥は上様のための場所なのだから、金を出すべきは幕府側だ。
高遠も毅然と言葉を発する。
「大奥は上様ただおひとりのために作られた場所。そのために女たちが集められているのです。ならば御公儀が出して然りかと」
塩沢は、うむと頷く。
「我ら大奥を取り仕切る者にとって、慣例に則り行事を行えぬことは、大奥の権勢が削がれたということが明白となり、大奥の歴史に汚点を残すことになる。なにより、これ以上、表向きが『奥向きに口出しできる』と思われることは避けなければならぬ。些細なことでよい。金策に手立てがあるなら申してみよ」
しかし、塩沢の言葉に続く声はなかった。
金策があるなら、とっくにやっているからだ。なにもないから削ることでしのいできた。仮に自分の懐を開こうにも狂言鳴物だけでも千両は必要で、行事ごとに金を出していれば簡単に干上がってしまう。
なんとかしなければならない。しかしアテがない。
憤りの言葉が出たあとは沈黙が続き、諦めのムードが漂い始めた。
塩沢がふうと大きな息を吐き、
「今日はここまでにしよう。各々、策を考えてくれ」と衆議を締めた。
***
「金策か……」
冴え冴え光る月を見ながら高遠はポツリと呟いた。
言葉は空しく零れ落ちていく。
いつもなら小説を書いていれば気持ちが切り替わるのだが、さすがに今夜ばかりはその気になれず、夜着に羽織をはおって部屋を出たのだ。
小説で詰まったときもこうして深夜、ひとりで庭を眺めては絡まった頭を冷やしていた。よく手入れされた庭には値が張るとわかる庭石が置かれ、月光に照らされてぼんやりと光っている。
月明かりは蝶の鱗粉が舞うように地上へと降り注ぎ、月光の舞を見ているようだった。
雑念に遮られることのない、この場所で大奥の問題について考えを巡らした。
――沢渡主殿頭の改革はいつまで続くのだろう。
このままでは大奥が立ちゆかなくなる日も遠くない。
「大奥、か」
なぜ、そうまでして大奥を守りたいのか? そう問いかけられたら、こう答えるだろう。
春日局という偉大な女性が、たったひとりで作り上げ、延々と受け継がれてきた伝統を守っているという自負があるからだ。
自分の存在意義であり、プライド。
それは、高遠だけでなく、塩沢たち、皆もそうだ。
自分たちが世を治める上様を癒やし、次の世を治める世継ぎを産む環境を作り、育てる基盤を担っているという責任があるからこそ、必死で守ろうとする。
それは戦のない世を保つために、もっとも必要なことだ。
それに、大奥は女が働き自立して生活できる数少ない場所だ。少なくとも、高遠にとってはそうだった。だからこそ、大奥で身を立てようと奉公に上がった。
改めて自分に問いかける。
表向きでも沢渡のやることに抵抗を示す勢力は大きく膨らみつつあると聞く。それはそうだろう。前例のないことを強引に進めることは因循姑息な慣例にしたがう役人にとっては忌まわしいことでしかない。
大奥は特にそうだ。
上様の生活の一部であり、世継ぎをもうけ、心を癒やすために存在する。そのために華やかであることが仕事。
どこの世界に暗く陰気な女のもとへ足繁く通う男がいるのか。
改革についても金崎のようにまったく耳を貸さないわけではないが、今回の決定は明らかに行き過ぎだ。
――とは言っても、女遊びにご執心の上様はあてにならないし、さて、どうしたものか。
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