リンデンヴェール〜乙女は吸血鬼から求愛される〜

城間ようこ

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萌芽と煩悶

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   同時に、美矢乃さまの言ってらしたことの本質が嫌というほど分かった。
   彼女は、私に復讐したいのだ。そして、そのついでに他の女生徒を『味見』していたに違いない。
   ──美矢乃さま、美矢乃さま、美矢乃さま……!
   ゆっくりと、彼女がこちらに歩いてくる。伸ばされた手が冷たく首筋に触れる。おぞましさに鳥肌に立った。
   顔が、近づいてくる。牙のない口が、首筋に触れようとする──。
「……っ!」
   ──嫌だ。
   絶対に、嫌だ。触れるな。
   ゆるさない。
「なっ……あんた……!」
   心臓がどくどくと脈打つ。全身の血液が逆流する錯覚に見舞われて頭が真っ白になる。自分のなかの何かが入れ替わる。
   ばちんと爆ぜる音がして、金縛りが解けた。
「美矢乃さま!   美矢乃さまっ……!」
「黙れよ!   黙らなきゃ今すぐ殺してやる!」
「嘘だ!   あなたに私は殺せない!」
   確信していた。今の私には彼女を上回る何かがあると。
   恐怖から昂揚へと取って代わる。彼女がうろたえているのが可笑しくて、早く誰かにそんな私を止めてもらいたくて、ひたすら美矢乃さまを呼んだ。──このままでは、私は、彼女を──。
「──千香!」
   扉が大きく開け放たれる。美矢乃さまだ。
「美矢乃さま……私……」
「ええ、大丈夫、もう大丈夫よ、私がいるわ」
   美矢乃さまの美しい鬼の形相が蜜色の瞳に光を与え、それから私を護るための宥める宝玉に変わる。
「さあ、千香。いらっしゃい」
「美矢乃さまっ……」
   つかつかと厳しい靴音を立てながら美矢乃さまが私のもとまで来てくれて、私は差し伸べられた腕に飛び込んだ。よかった。もう何も見なくていい。殺さなくて済む。私は自分という刃なしでいられるのだ。
   美矢乃さまの声が、顔をうずめた胸元から振動として伝わってきた。
「お前……千香に手をかけた罪は重いわよ?   千香は私が魂の契りを交わす唯一無二の存在なのだから。覚悟はできているわね?   お前は、千香に業を悟らせた……捨て置かない」
   狼の血をひいた警察犬のような眼光がターゲットを捕らえる。女生徒は──私の体勢からは見えないけれど、私が彼女にされたように動きを封じられたらしい。声を震わせた。
「い、い……やっ……!」
「……図書室では、お静かにね?」
   女生徒は美矢乃さまに操られて、美矢乃さまのもとまで体を引きずってゆく。純白の酷薄な──容赦ない牙のもとまで。
「……千香、あなたはお眠りなさい」
   瞼に何かが触れる。柔らかい。美矢乃さまの唇だと分かって、けれどくちづけに嫌悪感は抱かなかった。体が滑空する感覚のなか、私はすとんと眠りに落ちた。最後に、ちらりと美矢乃さまの牙が女生徒の喉笛を噛みちぎるのが見えた。


*   *    *


   夢を見ていた。
   幼い私が、うずくまって寒そうに震えている。一面の雪景色のなかで、身を守るものは何もない。コートもマフラーもなく、セーターさえもない。与えられていないのだ。
   ああ、暖めてあげたい。
   今の私になら可能かもしれない。
   でも、手が届かない。
   どうして?   ずっと見ているしかないの?
   届かないなら、呼べばいい。私は私を呼ぼうとして──声が雪の静寂に吸い込まれてしまう。しんしんと降り続ける雪は、すべての音を包み込み消してしまう。
   静かすぎて、泣きたくなる。
   こんななかに幼い私を凍えさせていたら、きっと死んでしまう。
   誰か、誰か助けて──。
「……、……!」
   切に願ったとき、幼い私は何かに包まれた。
   それは白く温かい腕。豊かなプラチナブロンドのオーロラ。
   幼い私は、ほっと息をついて眠りについた……。


*   *    *



   目を醒ますと、見慣れない天井があった。
   それと、心配そうに私を見下ろす美矢乃さまの顔が。
「千香……どこも痛くはない?  
苦しくはない?」
「美、矢乃……さま……ここ、は」
「私の部屋よ。非常事態だったから許可がおりたの。それに……いえ、今はいいわ。腕にあざができているの。あのダンピールにやられたのね?   ひどい……」
   あざだけで済んだのなら、多分舐めれば治る。まだ覚醒しきっていない頭を、ぎしぎしと働かせて「私は大丈夫ですから……」と答えた。美矢乃さまの美しい顔は翳りを帯びたままだ。それを何とかしたかった。
「申し訳ありません、私……美矢乃さまに、あれだけ言われていたのに……でも、美矢乃さまが来てくださって嬉しかった……」
「いいのよ、千香。悪いのは千香の親切心につけこんだダンピールだもの。けれど、千香の香りは危険ね……」
   何が危険なのか、今ひとつ理解できない。私は、美矢乃さまが私の手を握ってくれていると気づいて、その方へ僅かに顔を向けた。
「夢を、見ていました……寒い寒い夢……幼い私が、凍えそうになっていました。私にはどうすることもできなくて……でも、何かが救ってくれた……とても優しいものが」
「千香……」
「あれは……美矢乃さま……?」
   襲われたショックで熱が出ているのかもしれない。美矢乃さまの手がひやりとして心地いい。美矢乃さまは私のうわ言を聞いて、表情を引き締めた。
「ねえ、千香……私には、あなたの過去の苦しみすべてにシンクロすることはできないと思うの。だけど聞いて、苦しむあなたさえ愛おしくて抱きしめたくて、どうしようもないのよ」
   ベッドの傍らに置かれた椅子に座っていた美矢乃さまが立ち上がり、椅子をどけて跪く。
「……今ここで、あなたに誓うわ。私の想いに曇りも偽りもないことを。傷はつくかもしれない、けれど共にあれば癒えるわ。……あなたと共にいたいの。どうか私と魂の契りを交わしてちょうだい。私には、あなたに跪いて祈ることしか今はできないけれど、この祈りは神様の前でも色褪せない。あなたが苦しみを乗り越えられるように手を繋ぎたいの。ふたりで幸せになりたいの。できることならば、私はあなたになって、あなたの苦しみを取り除きたいほどよ。……けれど私は私でしかないのが悔しいわ。だけどね、あなたさえ望んでくれれば、生涯寄り添って、あなたと本当の生きる喜びを共有することができるのよ」
「美矢乃さま……私は……」
   美矢乃さまが、ふと手を離す。その手を私の額にあてて、前髪をすいてくださる。その愛撫が気持ちよくて、一度は醒めたはずの目が再びとろりと重くなってきた。
「今はまだ返事は求めないわ、ゆっくり考えて千香の気持ちを聞かせてちょうだい。千香の本当の本音を。……さ、朝まではまだ時間があるわ、お眠りなさい。私はずっと傍にいるから……明日は休みましょうね、あなた熱があるわ……大丈夫よ、1日くらい休んでも、あなたは普段頑張ってきているのだもの……大丈夫……」
   美矢乃さまの声が子守唄に聞こえる。
   私はその静かな優しさに五感を包み込まれて眠りについた。
   もう凍える子供の夢は見ないと確信できた。守られているのだから。


*   *    *



   翌朝の寝覚めはすっきりしていたけれど、まだ熱は残っていた。37度5分。
   美矢乃さまは、本当に私につきっきりでいてくださった。一睡もせずに。
「……美矢乃さま、私はもう平気です。ベッドをあけますから、少し眠ってください」
「駄目よ、まだ熱があるじゃないの。今日は授業を休んで、しっかり体を休めてちょうだい」
「でも、それで美矢乃さまの体調が崩れてしまったら……」
「あのね、千香。吸血鬼の体は一般人よりもずっと丈夫なのよ。風邪などひかないし、1週間くらい眠らなくても大丈夫なの」
   私が絡むと美矢乃さまは頑固だ。私は代替案を探した。
「では、一般人の寮に戻って休みますから……」
「駄目よ、歩いている間に気分が悪くなったらどうするの。あなたは今日はここで体を休めるの。決定事項よ。千香に物申させる気はないわ」
「美矢乃さま……過保護という言葉をご存知ですか?」
「知っているわ。でもね千香、あんなことがあったのは昨日の今日よ。心配するなという方が無理ではなくて?   あなたはショックを受けているの。だから熱があるの。分かるわよね?──さ、すぐに一般人向けの医者を呼ぶから、横になったままでいなさい」
   半身を起こそうとした体を制されて、ふわふわの掛け布団を肩までかけられてしまった。
   どうやら美矢乃さまは1人部屋にお住まいらしい。しかも家具は寮とは思えないほど高級感がある。ベッドもスプリングが絶妙で気持ちいい。私も特待生ということで、勉強に集中できるよう1人部屋に住んでいるけれど、家具はいたって普通のものを使っている。部屋は6畳だし、トイレとお風呂はユニットバスだ。
   けれど、このお部屋は12畳はある。多分、ユニットバスではないだろう。日当たりもよく、ベランダまである。ベッドからはあまり見えないけれど、観葉植物が可愛らしい花を咲かせている。
   美矢乃さまは寮の管理人に固定電話で電話をかけていた。
「お世話になっておりますわ、おはようございます。和泉千香が目を醒ましましたのですけれども、まだ熱がありますの。医者をひとり、お願いできますかしら?……ええ、ありがとうございます。なるべく早くに来て頂けると嬉しいのですけれど。……はい、よろしくお願いいたしますわ。……では、失礼いたします」
   ……何だろう。頼んでいるはずなのに、まるでメイドに話しかけていたかのように聞こえた。おそらくは美矢乃さまのご実家での生活によるものだろうけれど……。とりあえず、お言葉遣いはしっかりしていて、それだけは安心した。ここで命令口調なんて使われたら、落ち着かなくて寝ていられない。
   丁寧に受話器を置いた美矢乃さまが振り返り、すぐにベッドの傍らに戻ってくる。
「管理人の方は親切ね。15分ほどで医者が来てくれるそうよ。──どう?   熱以外に具合の悪いところはなくて?   多分お薬を出されるから、飲めるように何か食べないとね。お粥なら食べられそうかしら?   ああ、でもただのお粥では栄養が足りないわ。鶏粥にして頂きましょうね。そうと決まったら食堂の厨房にも電話しておかないと……」
「──あの、美矢乃さま、これでは美矢乃さまが遅刻してしまいます」
   ひとりで突き走る美矢乃さまに、ようやく言葉を挟む。美矢乃さまは心底から心外そうな顔をした。
「あら、私に千香をひとりで休ませる気?   もちろん私も休んで看病するわよ」
「ですけれど、文化祭の公演まで残り1週間です。演劇部の練習も佳境なのに──」
「相手役なしで、どう練習しろと言うの?   さあ千香、おとなしく寝なさい。私は言ったはずよ?  
決定事項だと」
   ぐうの音も出なかった。言い返したいけれど、言葉が思いつかない。
   ……結局、私は美矢乃さまの言う通りにして、美矢乃さまの部屋のベッドで1日をすごすことになった。
   お医者さんは本当に15分と待たずに来てくださった。知恵熱ということで、解熱剤が処方された。
   美矢乃さまは相変わらず固定電話で厨房に電話をかけて「お願いいたしますわ」とお粥を作ってもらえるように依頼していた。部屋に届けさせるのかと内心ひやひやしていたものの、出来上がったら美矢乃さまが食堂まで受け取りに行くのだという。ちゃんと運べるか、失礼ながら心配していると、ふくよかな匂いのするお粥を無事に運んできてくださった。その匂いに、思わずお腹が早く早くと鳴ってしまった。
「よかったわ、食欲はあるようね」
「すみません……」
   恐縮する私とは裏腹に、美矢乃さまは満足げだ。それにしても、ああ、恥ずかしい。昨日から美矢乃さまに対しては恥ずかしいとばかり感じている。
   一緒に帰りましょうと言ってしまったとき、──今思い出したけれど、ダンピールに襲われて美矢乃さまを呼んで──駆けつけてきてくださった美矢乃さまの腕のなかに迷いなく飛び込んでしまったではないか。そのうえ、瞼にくちづけまでされた。
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