都合のいい男 要領のいい女

ゆみ

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偶然から生まれる密かな期待

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 彼の部屋のポストに合鍵を返したのは水曜日のことだった。あれから毎日連絡を取っているけれど、彼がその事に何も触れないということは、まだ気が付いていないということだろうか……。

「もう土曜か……。」

 本来ならばデートをすると約束していた休日。彼は昨日の電話でも朝から仕事に行き、何時ごろに帰って来られるか分からないと言っていた。

「確かに鍵が向こう側に落ちた音がしたんだけど。ポストの中、見てないだけだよね。」

 余りにも気が付いてもらえない事で、もしかして何か手違いでもあったのだろうかと不安になってくる。
 今日は一日フリーで何も予定がなかった。どうせ暇なんだし、彼が会社に行っているこの時間ならちょっとアパートの郵便受けを見に行ったとしてもバレたりはしないだろう。
 遅めの朝食をとるといつもの動きやすい服装に着替える。もう張り切っておしゃれをする必要もないし、背伸びをしてパンプスを履いてまた靴擦れをするようなこともない。

──合鍵ないんじゃ外から見る事しかできないけど……ま、いいか。


 自宅から電車で30分ちょっとの距離は、きっと一般的に言う遠距離にはならないんだと思う。現に私はこの半年間彼の家に頻繁に通ってきた。それに今こうして約束もないのにふらっと部屋の様子を見に行こうとしている。それもわざわざ彼のいない時間帯を選んで……。

 乗り換え駅でもある目的地に到着すると一斉に乗客が動き始めた。足早に改札をくぐると迷うことなく出口に向かう。急ぐ理由は何もないけれど、周りの速度に合わせていると自然と自分も早足になっていた。
 駅から少し歩いたところでようやく歩調を緩めると、後ろから来た数人に追い抜かれた。そのうちの一人、すらっと背の高いスーツの後ろ姿にどこか見覚えがあるような気がした。

「あ……。」

 呼び止めようとしたものの咄嗟に名前が出てこない、でも例のコインランドリーで会った男の人に間違いなかった。追い越していった人たちが怪訝そうな表情をして一斉にこちらを振り返るが、声を掛けられたのが自分ではなかった事に気が付くと何もなかったかのように再び前を向き歩き出した。その中で一人だけが驚いた顔をして足を止め、私が追いつくのを待ってくれている。

「あれ?……一人?」
「はい。この前はありがとうございました。今日、お仕事でしたか?」
「あぁ、ちょっと会社に顔出して来たけど今から帰るところ……です。君は彼の家に行くところ?」
「……そんな感じです。」
「せっかくの土曜だもんね。」
「向こうは仕事でいないんですけどね。」
「何?また洗濯してあげるんですか?」
「いえ……そういうのはもう終わりにしました。」
「終わり?」
「ちょっと、いろいろあって。」
「そう……なんだ。」

 それきり無言で歩くと、すぐに彼の住むアパートが見えて来た。留守の間にこっそり覗きに行くのが後ろめたいということもあり、自然と歩くスピードが遅くなる。

「行かないの?もしかして喧嘩中ですか?」
「いいえ。……大事なものを部屋のポストに入れたんですけど気付いてないみたいなんで。見たのかどうか確かめたくて来たんですけど、やっぱり来るんじゃなかったかなって。」
「それって……。」
「鍵……です。」
「どうやって確かめるつもり?」

 アパートの入り口付近で立ち止まると、薄暗いコンクリートの階段の先を見つめた。

「分かりません。きっと郵便物が溜まってると思うんでそれだけ確認して──。」

 話しながらなぜだか涙がこぼれそうになり、慌てて手で拭った。

「すみません、なんでだろ?私いきなりこんな重たい話とかしはじめちゃって。迷惑ですよね。」
「そんなことないよ。誰かに聞いてほしかっただけでしょ、多分。」
「……そうかも、しれないです。」
「じゃ、覚悟決めて行きますか?」
「……」

 まだ迷いがあるのか直ぐには頷くことができなかった。再び黙り込んだ私に戸惑ったのか、その人はちょっと考えた後でだったらと小さく呟いた。

「俺、この後コインランドリー行くつもりなんで。もし話相手が欲しかったらそこに……。」
「いえ、それはさすがに……申し訳ないんで、大丈夫です。」
「申し訳ないって誰に?」
「その……彼女さんとか……変な誤解されたら申し訳ないですし。」
「誰の?」
「あ……」

 名前が出てこないので仕方なく手のひらを上に向けてその人を示す。

「ヒロシ。」
「ヒロシさんの彼女。」
「今フリーなんで。むしろ出会いがなくて困ってるくらいですから。」
「……本当ですか?」
「警戒しないでください。彼氏がいるの分かってて手出したりとかしないんで。」
「そんなの分かってます。でも、ありがとうございました。なんか少し元気出てきました。」

 私が覚悟を決めて一歩踏み出すまでこうして冗談を言いながら付き合ってくれているのが分かり、少しだけ勇気をもらえた気がした。

「私、行ってみます。」

 浩史さんは微かに笑みを浮かべながらうんと頷き、小さく手を振って見送ってくれた。
 背中に視線を感じながら、古いアパートの階段を一歩ずつ上る。今日はスニーカーだしスーパーのレジ袋一杯の食材もないから足取りが軽く思えた。

──ヒロシさん、年上のはずだけど変な敬語使ってたな。


 彼の部屋のポストには、宅配ピザのチラシやフリーペーパーが数枚挟まったままで風に揺れていた。投函口の蓋を少し持ち上げて邪魔なチラシを引き抜きもっと中まで覗こうとしたものの、何かが邪魔をしているのか単に暗いだけなのかそれ以上はなにも分からなかった。一応ドアの隙間や周辺に鍵が落ちていないか確認はしたものの、そもそもそんなところに鍵が何日も放置されているはずがなかった。
 手に持ったチラシを目立つようにもう一度差し込みなおすと、部屋の番号と何も書いてないネームプレートを確認した。もしもう少し新しいアパートだったら、インターホンにカメラがついていて来た事を知らせる事もできたのだろうけれど、ここのインターホンはカメラのない単なる呼び鈴だけのタイプだ。

” どうせ帰って寝るだけなんだし少しでも安い方がいいだろ?金がたまったらもっとましなところに引っ越すから、その時は沙耶も一緒に──。 ”

 彼にとっては寝る事さえできればあとはどうでもよかったんだろうか──。

” 馬鹿だな、そんな訳ないじゃん。知ってるだろ? ”

 彼は今日も仕事から帰って来て当たり前のようにご飯を食べ、気が向いた時に寝るだけ──。同じことが当たり前のように続く毎日に、私はもう耐えられそうになかった。
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